鷹嶺がギャグマンガにハマったのは、今や超メジャーであり、『ここがヘンだよ日本人』や『たけしのTVタックル』等に出演もしている、元教師の漫画家・江川達也氏の出世作・『まじかる☆たるルートくん』以来と言っても過言でない。 『覇王伝説・驍』が終了し、それまでマガジンを買うことがなかった私が、会社の休憩室に誰かが買ったマガジンを手に取り、触れた漫画、それが島田氏の描かれた伊達グルーヴだった。その作風・絵柄に一発で魅入られ、伊達グルーヴの連載中限定と言うことで、私は再びマガジンを買い始めたのである。連載が終わったと同時に、マガジンの購入も止まった。そして、ファンレターというか、ファンメール。マガジンのホームページから島田氏に応援メッセージ。これも実に、『月刊少年ガンガン』が創刊されたときから連載されている『ハーメルンのバイオリン弾き』の作者・渡辺道明氏に送ったファンレター以来のことである。 自身、美少女恋愛もののゲームや漫画に傾倒していたまっただ中にあって、触れた途端に強烈なインスパイアを受けた漫画は伊達グルーヴ以外にない、と言うよりも見あたらなかった。奇特なのか、見る目に長けていたのか、とにもかくにも伊達グルーヴは、麻薬や覚醒剤のように、一度触れればのめり込む。そんなフェロモンを放っていた。 そして意外と知られていなかったのが、鷹嶺がその『伊達グルーヴ』のアンオフィシャルファンサイトを開設し、運営していたこと。BBSにおいて、アシスタントの方々や、果ては島田氏ご本人からの書き込みもあって静かながらも、そこそこ賑わっていたことが記憶に新しい。ファン会員登録も10名近くに及び、私はもとより、島田氏ご自身に対しても、大いなる勇気になったのではないかと確信したのであった。 |
|
■伊達グルーヴ … 当時、『週刊少年ジャンプを』抜いた売り上げ部数で話題になった、『週刊少年マガジン』において異色だったギャグマンガ。しかし、世の風潮、連載諸作品の傾向、そして作風が「稲中」の二番煎じだという事で賛否両論が際だち、全14話で事実上、打ち切りになった。 |
第1回の斬新かつ、いきなり全速力の展開に圧巻させられた訳であるが、それまでのマガジン全体の作風と比べれば、なるほど異色であった。振り返れば全14回。テレビドラマのいわばワンクールを描いた作品にあって、終始全速力で駆け抜けた伊達グルーヴ。連載終了後すぐに、野中英次氏の『魁!!クロマティ高校』というギャグマンガが好評であるが、同じ長期連載中である、川口憲吾氏の『脳プル』や、『へなZ』等の作風とは全く違ったノリ。第2回以降、終了まで誌面の終わり付近に追いやられた感があったのだが、島田氏独特の世界が広がり、マガジン読者層に少なからず衝撃を与えたと信じた。
批判層からは『稲中』の二番煎じと酷評されながらも、根強い支持ファン層をも確実に得、描かれるキャラクタの個性・やり取りは、現代の若者世代の風潮の一端をあからさまに表現されていた。伊達正義というどうしようもないアホなキャラクタに、かつて鷹嶺が失った学生時代への羨望を感じ、伊達のようなキャラクタであったら、楽しい日々であっただろうなあと、コテコテのギャグマンガなのに、そんなセンチメンタルな気分になり、単行本を読みながら涙がにじんだこともあった。島田氏の思惑とは違っているかも知れず申し訳ないが、伊達グルーヴは、『感動するギャグマンガ』であったのではないかと、そう確信しているのである。
鹿谷友里(ろくや・ゆうり)というヒロイン、伊達に引けを取らないお間抜けキャラだったが、緒田という優男の求愛を断るために、伊達に彼氏のフリを頼み、当然のごとく伊達は快諾した出来事。後日、親友の荒川が、伊達と友里の関係について立てた仮説
「伊達とつきあう罰ゲーム、略して――――? 伊達ゲー!! BOYS BE…全館読破のワシの目ェはゴマかせん。鹿谷がオマエを見る目ェは恋する女の目ェと違う!!」
しかし、不肖鷹嶺、伊達ゲーでもいいから、同じような経験をしてみたかったものであるなァ。
■鹿谷友里 … 全話の流れから第1部(前半)のヒロインだが、完全に伊達グルーヴメインヒロインである。当初のキャッチ・フレーズから、ギャグを色濃くにじませたラブコメになると思われたが、10話にて出演が終わる。これによって事実上、作品自体も終わった。 |
鷹嶺は自分の容姿に関しては伊達を評するに値しない。性格も、伊達たちのようにはなれないし、思えない。生来、彼女がいるいないと言う位置づけよりも、私自身が今日まで生きてきて、心底相手を好きになったことがあるかどうか、答えを求めれば「否」と言わざるを得ない。生まれて20余年、真剣に恋したことはただの一度だけ、しかも数年前。まぁ、それはいいとしよう。
元々、私は自分に自信を持てなかった人間である。今までつきあってきた人々からは、必ずと言っていいほど、もっと自信を持てと言われていた。自信を持てたのかどうかはわからないが、容姿・性格の醜悪な私ですら、それなりに異性交際は持ったことがある。本気だったかと言われれば、答えに窮するが。
そんな私が、「伊達グルーヴ」になぜはまったのか。今考えると、ひとつの答えが出せたような気がする。伊達や荒川が繰り出すギャグに笑いながらも、心の内で、彼らのような性格であったら、きっとすべてに楽しんでいられたのだろう、と。緒田を突き放すためにフリをしていた友里が伊達のせいで記憶喪失となり、その機に乗じようと企んだ伊達に、友里の言った言葉が実に心象に深い。
「今日一日一緒に過ごしてみたが……ダメだな、何も思い出せん。
オマエのドコが好きだったのか……オマエのいい所がドコなのか……本当にわからないんだ
ゴメンな、思い出してやれなくて……
オマエにだっていい所はあるはずなのにな――――」
もしも、現実の自分に、同じようなセリフを言ってくれる女性を失ったとき、それを本当の愛の喪失と言えるのかも知れない。伊達グルーヴに触れて以後、私は常々そう思っている。
■柴田理香子 … 第2部(後半4話)のヒロイン。実は真性ファザコン。今どきの女子高生像をそのまま体現したイメージで、私的には面白いキャラクタだったが、活躍が事実上最終回を除く3話だったため、鹿谷友里に比肩するヒロインについになれなかった、惜しいキャラクタであった。 |
第2巻巻末の読切・プラウドマンを見ていると、島田氏独特の作風の原点というものがここにもあるのかなぁと感じる。基本的にはギャグマンガなのだが、恋愛を追求するというスタイルを保ち続けていて、実に良い。
序盤、主人公・牧原健一の文字通り血のにじむような友人の恋愛妨害行動が痛々しく見えるが、その友人の好意を蹴り飛び出した牧原。「牧原……もうひがむのはよそうよ。彼女はいい娘だ。親切なコじゃないか」と諭した大和田。この言葉からプラウドマンの中で、一番気に入っていた彼だったが、ギャグマンガで必須の損な役回り。読切でなければ、きっと主人公を差し置いての一足お先のゴールへとたどり着いていただろうと思う。役柄としては、伊達グルーヴの荒川のような感じだ。
小学生時代の同級生・伊藤春菜と偶然再会した二人は、格段に美人になった彼女の気を惹こうと躍起になる。展開としてはありきたりなのだが、妙に面白い。数々の計画と犠牲を重ねて牧原は彼女が自分を好きなのだと思い、ダルマまで用意してクリスマスイブの日に待ち合わせをする。しかし、彼女は想いを告げた別の男性と共に牧原の前に現れる訳であるが、ヤケになることなく、牧原はダルマの目を画き、それを二人に渡す。「メリークリスマス」。いやぁ、ありきたりな言葉が実に深い意味を持つものだと思う。牧原が自称した『プラウドマン』の面目躍如といった感じである。
携帯電話の普及、出会い系サイトの横行。現代、異性の出会いの形も変わりつつある。牧原のようなタイプはともかくとして、恋愛においてどんな手段もいとわないで努力する男は、愚かしいのか恐いのか、さてはて凄い奴か羨ましいのか。時代の変化の中で、男らしさの意味も、変わってゆくのだろうな。
■大和田 … 伊達グルーヴ第2巻の特別読切「プラウドマン」の主人公牧原健一の友人。いつも連んで他人の邪魔をしていた。だが牧原と比べれば非常にまともであり、眼鏡を外して痩せると実は大層な美男子という裏がある。物語では終始損な役回り |
2001.11.16