真実の友人・仲間の意味を知った、訴求小説の原点
~ファイアーエムブレム暗黒竜と光の剣 (1993~1999 ©箱田真紀/ENIX)~

箱田版FE 何か今思い起こすと、自分でもすこぶる意外だと思うのが、若かりし頃……と言っても数年前の10代、鷹嶺はロールプレイングとシミュレーション系のゲーム・作品に傾倒していたのである。特にドラクエには異常なほどの執着心があり、その歴史観を自分で形成しては友人たちに披露していたものであった。
1993年に月刊少年ガンガンファンタジー(現:Gファンタジー)が創刊され、ファイアーエムブレム暗黒竜と光の剣もそれと同時に連載が始まる。藤原カムイ氏の『ドラゴンクエスト・ロトの紋章』や、諸氏のドラクエ4コマが連載されているという理由で購読を開始したのだが、振り返れば結果的に、空色の宿 空色亭のモットーは、すべてこの作品に由来していると言っても過言ではなかった。余談になるが、渡辺道明氏の『ハーメルンのバイオリン弾き』や衛藤ヒロユキ氏の『魔法陣グルグル』など、後にアニメ化までされて躍進した新進気鋭の漫画家たちの中に、箱田氏もまた存在していた。
絵柄も美しく感情移入もしかり、当時の私にとってはかなり斬新な作品であったような気がする。
ビジュアル面を語れば、どんな漫画でもそうだと思うが、最初の頃と、今の絵柄がかなり違うというもの。箱田氏の作品も例に漏れず、後半の画調は丸くなっている。まぁ、その方が入りやすいと言うこともあるのだが、やはり初期は細部まで神経を研ぎ描かれている風で非常にすばらしい気がする。
さて、7年間を通じてこの物語が伝えたことはあまりにも多い。
■ファイアーエムブレム暗黒竜と光の剣 … バブル景気の崩壊期と、同タイトルでは聖戦の系譜の話題が持ち始めた頃に連載が始まった作品で、今や懐かしいスーパーファミコン版を題材としている。原作もさることながら、FEの世界を飛躍的に開拓した功績は顕著であり、今なお根強いファン層に支えられている。

《血で汚れる覚悟くらいとっくに出来ているさ…》 ―――― アリティア軍、タリスを起つ

湾岸戦争から10年余。今また中東アフガニスタンにおいて戦争が起こったのは実に痛々しく感じる。シンガーソングライターの徳永英明氏がその曲『LOVE IS ALL』を戦地に赴く兵士たちが、その家族や友人・恋人たちに向ける愛と表現し、戦いの間に立って歌いたかったとコメントをしていたという。
全然関係のない話のように聞こえるだろうが、結局は人間の利害・信念・宗教の相違、そして何よりも貧富の差が、同じ人間から争いを絶えさせない最大の原因ではないだろうかと思うわけなのだ。
今だからこそそう思うことが出来るが、当時は正直言ってあまり戦争とか、難民とか興味がなかった……と言うか、ひどいことに興味さえ感じていたような気さえする。
並みいるRPG作の中で、この漫画はそんな堕落した精神に警鐘を鳴らすには十分なものであり、またそれまであまり触れることがなかったファイアーエムブレムの世界観に引き込まれ、後に描く創作小説の元になった。一個の優しくか弱い少年王子マルスが、故国滅亡から再建、仇敵討伐へと徐々に成長してゆく姿は、今の時代に忘れかけているもののひとつであるのではないだろうか。そんなマルスがガルダの海賊首領を討ち取ったときのセリフが実にすばらしく、そして悲しくもある。
「血で汚れる覚悟くらい、とっくに出来ているさ…」
関係ないが、日本政府と自衛隊にそんな気概があるのかどうかはなはだ疑問である。

アベル ■アベル … 原作ではユニットの中核として、獅子奮迅の活躍をしたものの、人間性としてはやや問題があった。箱田FEでは沈勇でありながら、マルスに対し絶大な忠誠心を捧げている。鷹嶺的には楠木正成をイメージする
《たった一人で何ができる》 ―――― 赤い竜騎士ミネルバの帰順

創作小説のひとつ『休日~夏の日のグラにて~を構想した基となったのが箱田氏の描いたキャラクタ。物語のビジュアルイメージは、すべて箱田FEである。次の『SMILE AGAIN』も、基本的に箱田氏のビジュアルイメージがついている。元々、カチュアとミネルバに惹かれたのもこの作品のビジュアル。実に絵柄が重要かどうかがあるものだと知ったわけである。まぁ、おおむね創作というものはそのようなものなのであろうが。
「絶望と孤独から仲間たちと出会い力がひとつになって巨大な敵にうち勝つ」。今ではあまりにもオーソドックスすぎる設定でつまらないかも知れないが、その前に、それこそが人類普遍のロジックであることを忘れてはならない。RPGならずとも、それは決して間違った論理ではないことが言えよう。
この作品で私がもっとも気に入った場面のひとつ、第22回プリンセス・ミネルバ後編。虜囚の身であった妹・マリアを救出してくれたマルスに、ミネルバはマリアを託し、単独で敵に立ち向かう決意を伝える。しかし、マルスが強い口調で窘めた。
「たった一人で何ができる。貴方のその力はもっと大きなもののために使われるべきだ。
目の前の怒りにとらわれて犬死にすることなど私は認めない」
箱田氏の絵によって温められていた思いに、この名言が実に胸に染みいり、これが『休日』創作の着火点となった。

■ミネルバ … 同じ妹でもシスプリとはえらい違う。狂気に走る兄を諫め、そして遂に討つ決心をする。妹も戦乱に巻き込まれるなど兄弟運のない人であり、また恋愛の噂もない、哀しすぎる人生だ。 ミネルバ
《スターロード・マルス》 ―――― クラウスの死と故国奪還

「ルーシ」……ああ、今呟くと久しぶりだと思う。我が二次創作小説『休日』の主人公の名前。そのキャラクタ、三国志の諸葛亮に被るとご指摘多々あり。それもそのはず。孔明をモチーフにしたキャラである……。それはともかくとして、オリジナルキャラの活躍が物語により深みを与えてくれる例は多々ある。
この作品においては、終盤に登場した魔道士クラウスがそうである。とにもかくにも全ての人間の陰の部分を背負った像とも言えて、強敵と言うよりも、その登場から滅亡はあまりにも悲壮感が漂う。箱田FE全59回・12巻の中で、マルスとその仲間たちが受ける物理的な苦難はともかくとして、前半の盟主たるマルスに対する精神的服従に葛藤しながらも、確実に目的に向かって突き進んでゆくというポジティブな展開に比べて、アカネイアパレスを奪還した後のグラ編以降の後半は、箱田FEオリジナルキャラのクラウスの登場によって、人間が心に持つマイナスの部分、やましさを色強く体現し、マルスや仲間同士の心の繋がりを崩そうとしながら、友人・親友・恋人、しいては肉親に及ぶ人間関係のもろさと危うさというものを、決して派手にならずとも、重厚に、一抹の寂寥感を放ちつつ切々と伝えていた。立場は違えど、クラウスというキャラクタが抱く思想思念は、どこかタリバンのオマル師やオサマ・ビンラディン氏に通じている気がする。
そのクラウスが非業の最期を遂げ、マルスたちは故国アリティアを奪還。7年に及ぶ連載の終わりに、恋人シーダがスターロードマルスと呟く。暗き闇の世界に光の王子降誕す。ならば見てみよう、21世紀の世界のスターロードは誰になるだろう。ブッシュ? プーチン? ブレア? シラク? 小泉? 果てさて江沢民か金正日か。いやはや、笑わせるなと言った感じである。いずれ日本や世界中の人民が、クラウスと成らないことを神仏に祈りましょうかな。

クラウス ■クラウス … 物語後半の準主役的な活躍を見せたマルスたちの敵となる魔道士。とにかくその計略、行動は一貫してクラい。クラ過ぎた。強いて言うなら金八先生の成迫政則君のような過去を背負っているのだろうか。