2002年5月現在で週刊少年ジャンプで連載されている「プリティ フェイス」という漫画に予告時から一発で惹かれた小生が、作者・叶恭弘氏の名を知り、過去の実績を調べてたどり着いた一冊の本がこれである。探しました。多分、重版されていないと思うので古本屋に行って手に入れたもの。この本のためにである。 小生、気に入った作者があれば、どんな手を使ってでも入手する(可能な範囲で)。そう、例えデートの約束があろうがそっちの方を優先してしまうかも知れない(笑) 氏の「プリティ」は、主人公が事故で意識を失い、目が覚めてみると憧れていた女の子の顔にさせられていたというコメディタッチの展開に大いに期待を寄せる事が出来る作品なのだが、さてこの「BLACK CITY」は氏の登竜門として4本の読切が掲載されている訳なのだが、それぞれ相当にクオリティの高いストーリーに触れることが出来た。「プリティ」を読んだ後にこれを読み、更に「プリティ」に触れればまたより一層奥行きのあるストーリーを見出すことが出来よう。プリティ フェイスに寄せる期待と共に、この短編集に刻まれている時代への訴求性を追求してみれば、現代社会に生きていて失くしてしまったノスタルジーを垣間見ることが出来るかも知れない。 BLACK CITY 叶恭弘短編集 掲載作品 ▼BLACK CITY ▼恵太二人 ▼PROTO ONE ▼JEWEL OF LOVE |
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■BLACK CITY 叶恭弘短編集 … 叶氏を知ったのは週ジャンで連載されている「プリティフェイス」という漫画からであるが、この作品を鑑みれば、その作風・ストーリーは実に至高の域に達するものがある。探して正解。 |
プリティフェイスと比較すれば相当絵柄が違うのだが、そのキャラクタの魅力は現在に踏襲されていると確信できる短編集第一話、BLACK
CITYは今やオーソドックスな世界設定と人物設定、全体の話の流れなのだが、それだからこそ新鮮味があり、余計な飾りでごまかされず、作者のセンスが十二分にわかると言える。
主人公・西条が想いを寄せる島田絵美は、実は稀有な種族の人間で、同胞・藤堂とともに、狂気に走り暴徒と化した者たちと戦い続けている戦士であった。絵美の身体に刻まれている無数の傷痕と原因不明の事件に関心を得た西条が絵美の後をつけると・・・。とまあそんな流れなのだが、実はこの物語に出てくる絵美や藤堂と対極を成す敵、『力に溺れ、ヒトの理性を失った連中』は、あながち完全なSFの世界であるとは断言できないと僕は考える訳なのだ。
さすがに彼らのように“結界”を張ることは出来ないと思うのだが、少なからず遠からず、力に溺れ、ヒトの理性を失い“つつある”連中は、日本だけではなく、世界中を垣間見ればいるだろう。かの石川五右衛門の名言、「石川や浜の真砂は尽くるとも世に盗人の種は尽きまじ」ではないが、どんな時代が訪れようとも、戦争は絶えることなく、身近では人を殺傷する事件も絶えることがない。このストーリーの最後に、西条が述懐した言葉「その日――――俺は戦士になった」。人間はひとりひとりが孤独な戦士として、時代と戦っていかなければならないのだろうか。
■藤堂 … ヒロイン・島田絵美と同じ種族の人間で主人公の仲間になる美青年。戦闘能力は極めて高い。風貌に似合わず意外にあっさりしていて好感が持てる。出番少ないのが残念(当たり前だが) |
『恵太二人』は暗殺者の家系に生まれた、心優しい恵太という少年に、“天人(ティェンレン)”という暗殺者が潜む、二重人格の物語。暗殺者の世界を引退し、小説家として生きる父と小学生の恵太。生まれつき備わっていた「天人」の人格は、父が封印し表に出ることはなかった。やがて恵太は高校生の五十嵐彩と出逢う。彼女の父は香港マフィアを捜索し、事故死した刑事だった。父が残した遺品を狙ってマフィアが彼女を拉致し、恵太もそれに巻き込まれる。そして・・・。という流れはアクションものにとっては王道的。だけど見入ってしまうのは何も絵柄のせいだけではないと言うことを僕は自信を持って言えますね。あれほど恐れていた「天人」の人格を、彩を守るために解放する恵太。自己犠牲の美徳を認めるわけではないが、この少年の健気さは十分に伝わってきます。かたや初めて実体を取り戻した「天人」はマフィアを瞬殺するほど強く、恵太の言うことは全くききはしない。そして彩のことを「俺の女」などとませたことまで言う始末。だが、理性のない凶暴な猛獣と思わせていた天人のイメージを一気に霧散させ、どこかしか憎めず、まして愛すべきキャラクタであることを証明した言葉「安心しな。俺の女には絶対傷はつけさせねー」。どこかで訊いたことのあるセリフのようだが、実に男らしい名言であるなぁ。
■五十嵐彩 … 恵太二人のヒロイン。今は亡き刑事の父の形見を巡って組織に狙われている。意外におっとりとした感じで、ヒロイン像としては型にはまっている。 |
まずは、当年イタリアの不妊治療医セベリノ・アンティノーリ氏が、クローン人間を妊娠した女性のことを発表したことが記憶に新しい。当作・叶恭弘短編集にも掲載されているクローン人間の話であるPROTO
ONEは、最も悲劇性が強く、人間社会、そして文明の肥大化に著しい警鐘を鳴らしていた作品であったと言える。そして、この作品が描かれていた96年当時はまだSFの世界であっただろうクローン人間という存在が、もうじき現実のものになると言うことを改めて思い知らされることになる。
ドッペルゲンガーに出会うと不幸になる……などという話のように、元来、自分という生命の存在はたった一つであるという地球創世四十五億年の摂理を根本的にねじ曲げることになるクローン技術は、行き過ぎた文明の禍根であると思う。いかなる文芸・映像作品を見てみても、クローンの結末は悲劇性の強いもので締めくくられ、技術進歩にそれぞれの批判を込められていよう。この主人公・山田一郎も、実はクローン人間であり、突然その真実を知ったときから生活は一変し、悲劇が彼を襲うことになるのだが、むしろそれが当然なのだろう。人間の存在意義、生命の尊厳を損なう技術。後半、彼を生み出した科学者・氷室が自分たちが創り上げたクローン人間の失敗作と相打ちで死ぬ間際に、一郎に言った言葉が切ない。「これでもう複製(クローン)をつくれる者はいなくなる…。不幸はもう起きない…」。しかし、現実世界では、今まさにその“不幸”の第一歩を踏み出し始めているのだ。
■山田一郎 … PROTO ONE主人公。この作品に触れれば叶氏の真骨頂を見ることが出来る。彼の言動にはいちいち共感させられる。 |
巨大AVコンポ、PC9801シリーズ、98マルチ。そしてスーパーファミコンとセガサターン。いやいや実に懐かしい機材が揃っている主人公の部屋に思わず歓声を上げる。この『JEWEL
OF LOVE』は、色々な意味で考えさせられ、また僕自身が創作活動で思い続けている事を主人公が述懐してくれているのでとかく大好きな物語なのだ。
主人公・結城浩晃はゲームマニアなのだが、始めに共感を得たのが、彼がゲーム作品とその登場人物に愛情を寄せ、つまらないという理由で捨てられたり、店頭でタダ同然で投げ売りされているゲームたちを哀れむという気持ちなのだ。オタクマニアと言われてしまえばそれまでだが、ゲームを始めとして人それぞれが思い描く小説や漫画には、どんなものにもそれぞれの世界があり、その世界では登場する全てのキャラクタが息づいていると信じている僕にとってはまさに我が心境の代弁者と言えるのだ。
そして、彼がそんなゲームたちの集大成として創り上げたドリスというRPGのキャラが、ふとしたトラブルで現実世界に現れる。ゲームの世界で過ごしてきた彼女が垣間見る現実世界。生まれて初めてひとりの女の子として触れてくれた主人公に惹かれながら、同じく現実世界に現れた魔王と戦い勝利する訳だが、その過程で、主人公と遊びながら彼女が吐露した言葉が僕にとっては何とも小恥ずかしい。「何てステキなところかしら。豊かで誰もが幸せそうで、私の欲しかった平和があふれてる…」
この世界が果たしてそうなのかどうか……買いかぶりすぎだと言っても間違いではない気がするのだが……?
■ドリス … いわゆる“萌え系”キャラ。叶流の先駆を成し、後年の「プリティ フェイス」へとそのエッセンスを色濃く受け継がす。なかなか味がある。 |