80年代へ…今失くしかけた女の子を守れる真実の強さ
~ぱすてる(©2002~ 小林俊彦/講談社)~

最初に断っておこう。私にはその“気”はない。ただ、素直な印象を述べるときには、時としてこう言わねばならぬ事もあるかと思えば、安易にコラムなど書くのは烏滸がましい気もするがね。
まぁ、それは良いとして、もしも私が女であったらば、間違いなく、只野麦に惚れていたことであろう。冴えない普通の高校一年生。しかも、環境のためとはいえ、家事全般がこれ見よがしとばかりに得意と来ている。はっきり言えばお人好しも良いところ。きっとすぐに騙されそうな、実に頼りない感じがする。
小林俊彦氏が放った『ぱられる』は、私的に見て、少年ラブコメ界に小林流という独自の分野を構築した名作であった。昭和の名士で作家の故・志賀直哉氏が讃辞え、小林俊彦氏の故郷・広島県の尾道という、実に日本情緒溢れる舞台も重なって、ほんとうにノスタルジックな世界が広がってゆくのですよ。そりゃあ、当の尾道・三原でぱすてるが大々的に取り上げられるのは納得いきますしね。正直、羨ましいんです。
田舎を舞台にしたラブコメなんて多々あれどまぁ・・・『ぱられる』の雰囲気を踏襲しつつ、「来生たかお」の名曲・「浅い夢」も当然に、サザンオールスターズが描いた「TSUNAMI」もよろしく、穏やかな坂道伝いの街、突き抜けてゆく青い空を想像させながら、只野麦と、月咲ゆうのもどかしくも優しさに満ちた関係が、私の心を癒してゆくようなんですよ、そらもう・・・年甲斐もなくね。
マガジンも良い作家と漫画もっているじゃないですか! なんて、回を重ねる事に強く叫びたい気持ちなんですよ、ほんとうに。違いますか(誰に言ってる)。
■ぱすてるサッカーけるける団(島田英次郎)の終了後、しばらくマガジンを買うことはなかったのだが、この作品がきっかけで再び購読を開始。スクールランブル等、マガジンのクオリティの復活に多大な期待を寄せる。

《 オレのせーだよ 》 ―――― 直向きさに目覚めた、麦の決意

出逢いは必然、偶然なんて言葉があるね。まぁ、時機に三十路という年齢に差し掛かる昨今なる私なわけなのだが、全くもって、こんなドラマティックな出逢いとか予感なんてものはないね。いやはや、と言うよりもそんな雰囲気すら周囲にはないのよさ。ラブコメは良いよ、ドラマティックだもんね。だから良いんだよ、特に私には。はまるさね。もうやけくそかな(笑)
なんてまぁそれは閑話休題。ちょうどさ、このコラム書いている頃に我が指標としているDEENちゅうアーティストが、『Birthday eve~誰よりも早い愛の歌~』という曲が出ているんだけどね、歌い出しがすごく良いフレーズなのよ。「はるか遠く無数の星の中、君との出逢いはきっと奇蹟なんだろう」。得てしてラブコメなんてそう言う類なんだろうって言えばそれまでなんだろうけど、麦とゆうの出逢いはきっと、月と星がくれた奇蹟の始まりなんだろうね。誰も否定なんて出来るはずはないよね。だってさ、そうだろう? 「君が抱いた恋っていうのは、今、世界中でたった一つしか、ないんだから」 麦はどうでもいい。ゆうがもしもそこにいたら、そう言いたいね(笑) ああ、うそうそ。麦に言いたいんだよ。いつも肝心なところで、人のせーにして逃げていた麦。恋人と別れた理由は誰でもない、「オレのせーだよ」。ゆうに惹かれ始めた麦のこの言葉に、彼の胸の中に目覚め始めた直向きさと、男としての真実の強さが表れ始めてきたんだよね。「カッコ悪いよ、麦。でも、ちょーオトコらしいよ!」私が女だったら、きっとそう言っていただろうね。

■月咲ゆう普段はとても子供っぽい面を見せるけど時折見せる大人の仕草に今風のヒロイン像があるが、ぱすてるの舞台に見事なまでに融和している
《 おいしー晩ごはん 》 ―――― 月咲ゆう、至上のフェイバリットメニュー

「料理も出来ねばオトコじゃねえ!」 おおよ、確かにその通りかもな。男女平等なんて、そんな堅苦しい型枠なんか別にして、私は男の料理……いいね。自身、勉強中。だから只野麦、ゆうやつかさ、果たして元カノひな子すらの心を掴んで止まない麦料理の味…どのようなものか、ご相伴に与りたきものなりけり。
手料理が食べられることが一番嬉しい。なんて、良く新婚さんえらっしゃーい!とか、他のバラエティ番組でアツアツカップルが出てきたりすると決まり事のようにこんな事を言いますね。ええ、確かにそうなんでしょうね(笑) ハイハイ、正直言いますよ。羨ましいんですよ。まぁ、私はおかんの飯にありついているから良いんですけどね、恋人の手料理かぁ・・・どんなんだろうね。意外と融通が利かなかったり? 味はおかんの飯の方が旨いぞ! とか?
果てさて、きっとそう言う次元じゃぁないんだろう。ゆうちゃんら月咲姉妹は、只野麦特製・広島風お好み焼き以来、麦のご飯の大ファンなんだそうな。立花優時君が招いた高級フランス料理のディナーも袖にしてまで、温かな麦の晩ごはんを選ぶくらいなんです。そして、機嫌が悪いときも、麦がドジってゆうの身体を見てしまったときも、「おいしー晩ごはんで許してあげる」って程なのですよ、どうですか! 何気ない料理でも、良いんですよ!? 男たち諸君、これからは女性の心を掴むのは料理です! 愛する証に、おいしー手料理を御馳走してみましょうか。

■加山ひな子主人公只野麦の元カノという立場上ストーリー的には脇役に徹するが、癒し系のゆうとは対照的に、親近感があって、現実の女性像に一番近いキャラクタ。密かに人気が高そう
《 毎日麦のゴハン食べれて 》 ―――― ひな子の裡に残る尾道の残照

考えてみれば、ゆうちゃんて将来井川遙とか、吉岡美穂のような癒し系統だよね。流石ヒロイン、うんうん麦と幸せになって欲しいよなぁ、素直に考えればなんてね。でもさ、どうだろう。東京編で再会した麦と、元カノひな子。嗚呼、私のような下級蒼氓に取って見りゃあ、ゆうちゃんはほんとうに高嶺の花よ。さながら万葉古今に歌い連なる男が女に寄せる想いの如くか。
さながらそう思えば、ひな子って実に身近だよね。すごくドジで失敗し続けるけど、言うなれば、私の人生も振り返ればドジで失敗し続きだったよ。決してネガティブに考えている訳じゃないんだけどさ。ゆうちゃんも何か哀しい過去を背負っているし、実際傍にいたら、麦じゃないけど守ってやりたいよね、ほんとう、わかるわかる。でもさ、ゆうはとても繊細なガラス細工なんだよね。すごく綺麗で透明で、でも大事にしないとすぐに毀れてしまうような・・・。だったらひな子はどうだろう? かわいいけど、すごく身近で気兼ねがしなくて。崎谷まなみ程じゃないとはいうものの、安心して引っ張って行ける? そう、たとえ麦でも、そして最悪、私・鷹嶺 昊でも(笑) 言うなれば、美しいガラス細工のゆうに対して、ひな子は毛織の人形かな? 冗談半分に笑いあいながら、髪の毛をくしゃくしゃにしてあげられる気がするのよ。ほんとうに。
そんなひな子だ。別れたと言っても、あの麦を諦められているなんて思えないよね。「いいな…毎日麦のゴハン食べれて」。故郷・尾道の残照はノスタルジックにそれに込められているんだよね。

■三宮一機基本的にボケキャラで今風の容姿ながら、ものすごく友達思いで心の優しい奴。ゆうとの関係が分かっても素直に応援して東京まで行く。これぞ親友の真骨頂を見る。
《 一緒にいてほっとできる感じ 》 ―――― 野望砕いた、“強さ”の本領

さぁ、このコラム書いているときはバリバリ、ぱすてるは連載中なんぞや。本来ならばコラム書くネタじゃないんだけどね。どうしても書きたくなった。それは、小悪魔・村上菊の意地悪な謀略にゆうが陥れられた時の話。やっとメインタイトルに触れられるよ(笑)
私が只野麦がいいと思ったのはこの話から。ほんとうに、麦はとてもかっこいい。一緒に住んでいると言うだけで、ふたりの関係すらあやふやなんだけどね、守ってしまう。ボブサップが理想の男性かと吐露するゆうに、男らしさを磨こうとする麦。そう、女の子を守るのは力だけじゃない。いや、むしろ力なんていらないよね。ココロが傷つきやすい女の子を守れる、直向きな強さなんだよね。孤独に泣きそうなゆうを見晴らしのいい高台に連れて行くさり気ない優しさ。そしてゆうをはめた奴は許せないって、徹夜でかけずり回った麦の直向きさ。何よりも心強いよ。そしてもう、かれこれ二十年にもなるんだなぁ。なんかさ、この時の麦の姿って、80年代の作風に強かった、男性像の片鱗を見ているよう。かっこいいんだよ、そして優しくて男らしいんだよ、何よりもね。もうさ、これ以上の言葉が出てこないボキャブラリーの少なさを呪うよな(笑)
そして、菊がゆうと麦を引き離そうと、麦を誘惑するんだけど、麦は強かった。そして、不覚にも鷹嶺 昊が涙してしまった麦の名言がある。『料理とかできなくても、別荘とかなくてもよくって…一緒にいてほっとできる感じ……そんなんがいい……』
そう、只野麦が育んだ直向きさと力強い言葉。今の若者たちよ、どうだろう? そんなんかんじでも、いいのかな。麦のように、本当の強さを持って、村上菊すらも惚れさせてみないかな(笑)

■村上 菊その容姿からして、当時旬の女優である、上戸彩をモチーフしたキャラクタであろう。癒し系の容貌の裏に危険な香り漂わせるも麦にフられ、真実の恋に目覚めてゆくプロセスは注目。
Friday, March 07, 2003