ヤングマガジン・アッパーズに連載されていた、咲香里氏の「春よ、来い」は紛れもなく名作であったことはすでに周知の事実ではある。その絵柄はもとより、同氏の描く生々しい恋愛観は読む者を惹きつけて止まない魅力に満ちているのだろう。随所に取り込まれるセックスシーンも無意味なほどのエロチズムに止めおかれずきっちりと物語の基軸におかれているのだ。 とりわけ、鷹嶺 昊が咲氏の存在を知ったのは、某巨大ネット通販サイトのおすすめコーナーに紹介されていたからだったのだが、このサイト、なかなか私の心理を図るのに長けていると笑ったものである。お陰ではまりましたけどね(笑) 閑話休題。 このSweet Pain Little Lovers(以下、SPLL)は、咲香里氏の事実上のメジャーデビュー作とされ(連載は二本目)、一度は絶版化されたとする伝説の復刻版であり、物語は「岡島健太」と「けい」という、実の兄妹による男女関係の苦悩を描く、いわば禁断の愛を咲氏独特の視点からストレートに描かれている。この話によく似た作品は、某ゲームメーカーの「可奈~いもうと~」という作品にも通じる(これについては名前は知っているだけ)。 全体を通してみればただの近親相姦の物語ではあるまいかという酷評を受けそうなのだが、いわば禁断の領域に育まれる「愛」というのは、何にもまして汚れのない純粋なものであろうと思うし、誰にもそれを批判することも否定することも出来ることはないと思うのだ。ま、宗教信仰では、近親間の恋愛は文字通り背徳とされているのだがね。僕から言わせてもらえば、「好ぎになっだもんゎ、しゃぁねえべ?(岩手弁)」と言うこと。 恋愛って言うものは、惚れ合ってしまった以上、規則とか道義とかを超越してしまうものでしょう。恋は盲目とはよく言ったものです。 |
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■スイートペインリトルラバーズ … 「春よ、来い」が著名な咲香里氏の諸作の一で事実上のメジャーデビュー作。絶版されたが5年ぶりの再版であるとしている。「春よ、来い」がハイクオリティな物語であったために比較するも、クオリティの高さは寸分も劣っていない名作である。 |
兄妹間には恋愛はないとよく言われるのだが、本来は結果として別人同士だから厳密に言えば無いとは言い切れぬのである。専門家に言わせれば、血縁に共通するDNAがそういう感情を起こさないとか何とか訳のわからない論理を展開しているらしいが、鷹嶺 昊から言わせれば勝手にしてくれと言いたいのだ。
まあ、それとなくても、健康な兄妹同士だったら、物心ついた頃から、朝から就寝まで顔をつきあわせること殆ど多く、まして似たもの同士や両親にどことなく通じるものがあればそんな感情など普通には起きまいから言えるのだが。血縁同士で助け合う意味での好きであることをロジックに、異性として好きという感情を通り越してよく起きるのが兄妹喧嘩であろう。因みに、我が鷹嶺 昊にも、「姉」がいるのだが、姉弟喧嘩は絶えずにいた。仲がよいと言うよりも、仲は悪かったね(笑)
閑話休題。岡島兄妹は、妹・けいは生来極めて病弱であり、兄妹としての触れ合いがほとんどないまま来たとされるわけであり、主人公である兄・健太も、妹を妹としての実感がないと吐露しているのだ。
さてはて、諸兄はいかが思おうか。創作の世界とはいうものの、病弱のために極めて従順なる美少女の妹をもちたれば、倫理観が先行されると思うか。そういう感情をただ、型枠だけで推し量って異常だと自らを責めてしまうだろうか。共にいる時間を喪ってきた健太が、妹と動物園に出かけ、その日妹の夢を聞いた健太は「これからいつも一緒じゃないか。兄妹なんだから」と返す。
喪われた日々を取り返す決意と共に、妹への特別な感情に目覚める兄の科白。「兄妹なんだから」という言葉には実に純粋な響きを感じるね。
■岡島健太 … 優しい兄で、本人は自覚していないが、結構女の子達からモテるとされている。河井美奈という同級生と交際するまでは『普通』の道を歩んでいた。典型的な恋愛ドラマの主人公を演じている。 |
「近親相姦」などという言葉自体すらタカミネ的には時代遅れなんではないかと思って止まないこと多々あるのだが(笑) ぶっちゃけ、「近親相姦」以上に変な事件や行動が日常茶飯事じゃないですか、今の世の中。違いますか?
愛があれば、かわいいもの。いえ、むしろ、見本にするべきじゃないですか、健太とけい兄妹の恋愛感情は。なーんて、「妹」がいない鷹嶺だから堂々と言えることかもという批判を受けそうなのだが、いえいえ、実際そうでしょう。少なくても、援交とか売春とか、自分の一生を台無しにするような若い女の子が増殖する今のご時世、近親相姦と烙印のつけられた、幸福なる恋愛。これ最強だとは思いませんか。少なくても、僕はそう思って止みませんがね。見ず知らずの欲望むき出しのエロオヤジに貞操を差し出させるくらいなら、不甲斐なくても、愛するべき自分の兄妹にと。
え、お金? あはは。「自分の一生を、たかが二,三万で売るか」。エロオヤジからアブク銭をもらって一生消えない傷を残すくらいなら、あな君よ、そなたに兄に抱かれたもう……と。ええ、どうせ無駄に捨てる貞操ならば、せめて身内に拾ってもらえ、みたいな? どうですか?
閑話休題。
SPLLは、ええ。必ずしもほとんどは現実ではない。事実、兄妹同士の恋愛はあり得ないとして(例外があるなら教えてもらいたいほど)、むしろ小生意気にも兄ちゃんに楯突く。挙げ句の果てには、母親までを味方につけて、兄ちゃんを悪役に仕立てる。世の中の「お兄ちゃん」たちよ、まことに現実の妹とはさようではないか? 可奈や乃絵美、シスプリなぞの理想像とはかけ離れた、、傍若無人の妹像が多くはないだろうか。
岡島けいは、あな極端だとせよ、現実けいがいたとしよう。普通の男だったらば、瞬殺。血縁だったら、自分だったら正しくシスコン正規軍に参加していただろう。まぁ、それはともかくとして、百歩譲って、僕は彼女の気持ちは理解できるんだよね。いえいえ、別に恋愛やら性的関係云々を除いてさ。誰だって、孤独感はいやだよね。ましてやずっと病気がちで引きこもり気味だったけいにとっては、兄貴を異性としてみることと、性的関係は極端だにしろ、恋愛感情を抱くこと。男女なんて、恋愛に掛けては独占欲が強いものか。それはきっと、恋人兄妹の範疇を超えるようなものだと思うね。実際、異性の兄弟に恋人が出来たとしたら、君だって気が気ではないだろう。それ。
あまりに素直で従順な妹を愛おしく思った健太が抱きしめた後、「お兄ちゃんにだけだよ」と、告白するけい。こんなこという「妹」は決していないと踏むからこそ萌えるのだ(笑) フレンチ・キスから始まる大人の関係。至極当然な恋愛模様を呈すのだ。何か文句あるか?(笑)
《 好きだよ 》 ―――― 岡島健太、永劫への決意
河井美奈という女性と恋愛関係を続けていれば、いわば岡島健太も、兄と呼ばれることもない、全国1億3千万分の2の恋人同士になり得ただろう。遍く世の中の恋人同士とはかくありき。ただ普通に恋愛し、ただ普通に結婚し、普通に子供を授かり、やがて老いてゆく。そんなものなのかも知れない。かく言う鷹嶺はそれすらあり得ぬだろうから、実は達観したいところ。
岡島兄のように、『奇抜』な恋愛は、直接求めはせずとも、応援したくなる。何となく、やりがいがある。まぁ、実際にけいのような美少女を妹に持ったとしろ、恋愛感情など浮かばぬ兄様は五万といよう。シスタープリンセスなど、言うなればそれを象徴してはいまいか。シスプリに喩えると、けい=鞠絵なのである。そう。近親相姦が云々とか、兄妹同士の恋愛がどうだとかなんて、結局は部外者の体の良い御託に過ぎない。
稀少だろうが、実際に兄妹同士で恋愛関係になっている人から言わせれば、「貴様に解るわけない!」などとどやされるだろう。確かにそうかも知れぬ、あまり大きな事は言えまい。
しかし、この岡島兄妹の物語を御覧じろ。君に現実に妹がいるとしても、けいはむちゃくちゃ男心をくすぐる。兄冥利を通り越して、男冥利に絶えない素材が満載だ(笑)
されど、終盤、健太がリビングで独り頭を抱えて嘖む姿は印象に残る。激しいほどの妹の愛、妹への愛に、背徳の念に取り憑かれる健太。だけど、結局はね、「好きになったんだからしゃーねーべ?」と言ってしまえばそれまでかも知れぬ。背徳は身を滅ぼす。しかし、結局のところそれって自分たちが勝手に抱いている負の観念が自滅に追い込んでいるだけなんだよね。ラスト、白血病で倒れる妹への骨髄移植のドナーとなる兄・健太。好きと言う言葉を求める妹に、将来二人が進むべき道を模索しながら修羅の覚悟を胸に抱き、「好きだよ」と何度も涙ながらに繰り返す場面は実に悲壮だ。
しかし、この物語で唯一注目するべき点はなんにしろ、「愛している」という言葉が見当たらなかったことだろう。最後の最後に、「好き」と「愛する」の一線を画したこの兄妹には、胸の支えが残って止まないのだ。
■岡島けい … 主人公の妹でヒロイン。異性を愛する感情で兄を見つめる。その強引さがなければ重圧に潰れていただろう。病弱でおとなしく従順だが、恋愛に関しては頗る情熱的なところがいわゆる萌えどころとされている。 |