美少女系統への道開いた私的恩誌
~電撃G’sマガジン(©メディアワークス/購読1999.8~2003.9)~

■RPGから恋愛系への開眼。様々な出会いをもたらした雑誌
まあ、それまではRPGや、歴史シミュレーション一辺倒だった生活だったのだが、何と言おうか、人生何がきっかけで変わるのかわからない。出会いは1998年に発売されたPCギャルゲー「With you~みつめていたい~」
当初はまりかけていた時に、このゲームの情報収集として雑誌を探していた時、表紙に書かれた一文に注目。躍起になって騒いだのを友人は今でもからかいの種とする。
何と言っても出会いは不純とはよく言われたが、ギャルゲーとの出会いなんてものは得てして不純なものではあるまいか。
昨今、4年にわたってたまりにたまったG’sマガジンを処分するに至って、惜別の情とは語弊があるが、振り返ってみようと思うのだ。いやはや、束ねると重い重い。だが、この重さがまた、色々なことを考えさせられる。出会って良かったもの。まずってしまったもの。それまくってしまった創作活動。鷹嶺 昊20代は名実共に、G’sに振り回されていたと言っても過言ではないか。
■電撃G’sマガジン (1999年8月号) … 購入のきっかけは、1998年に発売されたWith you~みつめていたい~。この原画家・橋本タカシ氏の書き下ろしポスターがあったことだった。With youを始めとして、PS版メモリーズオフ発売直前特集などが目を惹く。また、後年大ブームともなったシスタープリンセスも黎明期の装いに満ちている。

『シスタープリンセス』 ―――― 妹ブームの先魁、各界を席巻す

ゲームも何も懐かしい名前がずらりと連なる。いやはや、4年前だというのに、この懐かしさは何だろうか。
私的にはWith youは懐かしいという気分ではないのだが(実際、このコラムを書いている時は、With youの二次小説が連載中・・・(俗に連載停止中とも言う)なのだが)、他がね。
1999年8月号のWith youは、あの伝説のセガサターン版(!) そう、藤岡弘演じていたセガタ三四郎のあの、セガサターンである。後半、ギャルゲー一色となっていったのだが、当時はDreamcastもまだ日の高い位置にあった。プレステ2の敷居は高く、セガサターンのシェアはギャルゲにとって格好の領域だったのだろう。
鷹嶺 昊は当時、高原夜空(たかはらのそら)というHNで「空色の宿 空色亭」の方針転換を図っていたのだったが、全く一枚の特典が、私をギャルゲーの道へと引きずり込んだと言える。With youの特大ポスターというもの。いわく橋本氏の描き下ろし。鳴瀬真奈美+氷川菜織バージョン。即買いであったのだった。思えば、当時まだ読者参加企画という意味も曖昧で、誌面の最後にあった、SisterPrincessが、よもや2000年初頭に各界を席巻する勢いを持ち、空前の妹ブームを牽引することになったとは当時予測もつかなかったことだったね。鷹嶺は当時、このSisterPrincessという企画についてはどちらかというと否定的な考えを持っていた。やはり後年自然とはまることになったのだが、実質、鷹嶺は入りが遅くて冷める時はあっさりと冷める。流行に常に乗り遅れて、流行が冷めた時にはまる、特異な性格の一端なのである。
考えてみれば、G's系統に感化されつづけたタカミネ的美少女ライフ。騙されたものも数多く、成功したのもまた数多く。「センチメンタル・グラフィティ2」然り、「キミにSteady」然り・・・。浮沈の激しい美少女ゲーム業界を知り、またKey流ブランドのKanonを追究するきっかけとなったのもG'sである。何々、鷹嶺 昊、G'sに学んだのはシスプリだけではない。きちんと、こなすことはこなしているのだ。
■With you ~みつめていたい~ … 鷹嶺 昊がギャルゲーに本格的に傾倒するきっかけとなった名作。G’sマガジンに特大ポスターがなかったらば、シスプリに出会うこともなかっただろうと思うと、複雑な気分でもある。
レシュ古からメモオフへ ―――― 鷹嶺 昊、空想文芸館から新分野を構築
レシュカリアは長年中断していていい加減全部リニューアルが必要なオリジナル小説ではあるが、良いことか悪いことか、ひとつのきっかけが人生の道を大きく変える。
それまでは、「空色の宿空色亭」以前は「いつか見た未来に…」、その前が「空想文芸館 果てしなき旅路から」というページ名だった。憶えている方は少ないだろう。人の心の優しさを追求した、手前味噌ながら優しいHPだったのよ。レシュカリアがメイン。後はそう、FEやドラクエ5の「遠い思い出」があってねぇ。いやいや、この3年で変わるもんだよ。世の中も、趣向も。
考えてみれば、1999年にG’sマガジンに出会ってから、メモリーズオフを知ったんだよね。ここだけの話、メモオフもまた、最初は食わず嫌いだった。友人のそこはかとない勧めによって買ってみたんだが、やってみるとこれがまた・・・(以下略)
元々、ときメモ2というのも乗り気じゃなかった訳なのだ。私としてはやはり美少女恋愛ゲームというジャンルに一抹の不安を拭いきれなかったのだろうか。まぁ、With youは妹キャラ・乃絵美の存在があったから買ってみてやってみたらはまったという最低な理由からなのだが、購読を終了した今から振り返ってみれば、あの頃の自分って何かイイね。ある意味、怖いもの知らず? みたいな。それにしても早いね。あれから3年(このコラムを書いている現在)、あっという間だよ、本当に。
■2000年初頭の鷹嶺の住処 … HNを高原夜空、HP名を「空想文芸館 果てしなき旅路から」としていた頃の創作部屋。ちょうど、ときメモ2が話題となり、私もそれに与っていた。(友人撮影)
シスプリ終了とともに終えたG’s――――だが、創作は続く
なんだかんだ言っても、シスプリがなければ私がこの雑誌を4年間も買ったとは思えない。実は過去にも私はこのG’sに一度触れたことがある。
G’sマガジンの前身である電撃PCエンジンに企画されていた「女神天国」というもの。好実昭博氏が原画を担当した作品で、局地的なブームになったとされている。OVAにもなり、私も実はそのOVAのLD版として、2巻目のみが家にあるのだ。女神天国は今から約10年ほど昔になるのだろうか。実は1999年後半に、G’sマガジンにおいて、この女神天国復活を課した読者投票が実施されたのだが、あまりの得票数の少なさに1回で断念された苦い経験があるのだ。時代は変遷するのであろうか。いつまでも過去の栄光にすがりつく年寄り政治家もいるのだが、その点、美少女ゲーマーの視点はシビアと言えるのだろう。
時は移って好実氏に代わる巨匠・天広直人氏がギャルゲー界を牽引する力となった。ええ、思えば2000年5月、このシスプリのジグレ(複製原画)が限定発売されるとされ、時価25000円という高額を私は手に入れるべきか苦悩したものである。
結局、節約のためにタバコを止めて購入を決意。結局、メディアワークスと天広氏との折り合いがつかないと言われてジグレは発売中止となり、返金されてしまったのだが、タバコを止められたという、自分にとっては何にも増してプラスになるおみやげを、シスプリは私にくれたのである。
2003年、そのシスプリは本当の意味で連載を終了した。もはや後半はいわく惰性に近い連載が続いたためにある意味区切りは良かったのだと思う。女神天国は復活はならなかったが、シスプリはどうだろうか。再び復活の日の目を見るか、或いはシスプリに触れた人々の心の中で生き続けてゆくか。有終の美を飾るG’sマガジンの購読終了は、本当に私にとってシスプリと共に歩み、また美少女ゲームという分野を開拓した素晴らしいものであった。購読は終了したが、歩んできた道は無駄ではなく、またいつでもこの雑誌と並行して歩んでいると確信できるのだ。思いは尽きぬがありがとうと言おう。
■電撃G’sマガジン(2003年9月号) … 4年半に渡る長期連載・SisterPrincessが最終回を迎えた回である。この雑誌への思い入れは深かったが、購読の後半は、殆ど惰性による購入であった。シスプリ最終回で購読に一区切りを付ける。10月号以降は、メモオフシリーズ・HAPPYLESSON系で知られるささきむつみ氏「双恋」などの企画が台頭するが、私的にはかつてほどの魅力を感じなかった。
October 09, 2003