ゲームメディア化の黎明と、人材発掘の布石と宝庫
運命の2月10日。社会を震撼させたドラゴンクエスト3の発売となった1988年(昭和63年)と言えば、夏にソウル五輪の開催された年である。日本は自民党・竹下登首相(当時)の政権下で稀に見る好景気の最盛期にあった(後にバブル景気と呼ばれるのだが)。世界的に見てもこの年はイラン・イラク戦争が終結し、米ソ冷戦も取りあえず小康状態にあったから、世界の歴史上でも極めて安定期にあった年だったと言える。 今から思えば、ドラゴンクエストは、日本の景気と共にあった、ゲームメディアの象徴的な存在であったと言えなくもない。事実、発売日に東京都内だけで中高生1万人が行列をなし、100万本が1日にして完売。盗難恐喝事件も多発した。CD-ROMやDVD-ROM化によって大量生産が可能になった21世紀の今から思えば考えられない現実であったのを、朧気ながら覚えている気がする。 ブームに肖ってと言うわけではないだろうが、あれから十六年経った今でもファンであり続けている人の多くはこの当時にはまった人の流れでもあるだろう。多分、当時ドラクエ3にはまった人々の子供達も、ドラクエに触れていることもあると考えると、時代の流れというか、10年一昔とは良く言ったものだが、ドラクエ3というものの、その名の通り伝説的な存在感を思い起こすことが出来る。そして、巡り巡って思えば、これが世に雌伏する漫画の才を持つ人材発掘の原点ともなった。 |
|
■ドラゴンクエストIII知られざる伝説 … 1988年発行のドラゴンクエスト3のムック本。当時社会現象にまでなったドラクエ3ブームに乗って、様々な関連グッズが全国を席巻したという。かく言う鷹嶺も当時は最低限の小遣いの範囲で本は買い集めた。スクエニの重鎮・栗本和博氏はこの頃から活躍されている。 |
◆重鎮・栗本和博氏こそがDQ4コマたるか
魔神英雄伝ワタルなどの作画などで有名な中沢数宣氏、現在は「ライバルはキュートBOY」などで有名な漫画家として活躍されている富所和子氏らがイラストを手がけていた、『モンスター物語』『アイテム物語』などのドラクエムック本。おそらく、90年代初頭は、『ゲーム4コマ』という概念はまだ不確立の時代であったような気がする。と、言うよりも、ゲームを原作にした漫画はともかくとして、4コマ漫画など論外に等しいと思い込んでいたことがあったような気がするのだ。
ドラゴンクエストという極めて人気の高いゲームにおいて、4コママンガという新聞の一角に見られるようなジャンルの開拓には、ゲーム本編を開発するほどの重大な労力は必要なかっただろうが、今から考えれば、地味ながらも足かけ十六年以上に及ぶロングセラー分野となり、ここから少年ガンガン・Gファンタジーの発刊、保坂氏によるマッグガーデン設立等の経緯を踏み、振り返れば多くの新人漫画家の発掘に至ったというのはひとえに4コマ漫画という、極めて基本を踏んだ起承転結の切り返しの上手さに表れる、作家のセンスをこよなく発揮できる場を与えたからだと言っても過言ではあるまい。 その前身である「アレフガルド小劇場」と銘打つ、栗本和博氏の4コママンガは、『ドラゴンクエスト3・知られざる伝説』で初見以来のドラクエムックファンである鷹嶺 昊とすれば正しく月曜8時には水戸黄門。日曜は大河ドラマ的な存在に他ならない。今でこそ地道な存在である栗本氏だが、本当の意味でのドラクエ4コママンガの神格的存在、ともすればスクエニ系の漫画家達の黎明期を土台から支えてくれたのは、栗本和博氏その人であると言っても、決して言い過ぎなどではあるまい。 |
|
■ドラゴンクエスト・モンスター物語 … 1989年に発行されたドラクエムック本。巻末には現在のドラゴンクエスト4コママンガ劇場の前身となった「アレフガルド小劇場」として、栗本和博氏が一手に4コママンガを手がけていた。「怪傑大ねずみ」や「吟遊彫刻家カライ」などの栗本キャラが初見である。 |
▼4コママンガ劇場・第1巻は、1990年4月という事もあって、当時のFC板ドラゴンクエストIV発売から2ヶ月弱での発売と言うことでIVネタはない。
1990年前後はフジテレビ系アニメ「ドラゴンクエスト~Coupling Young Lovers」の放送など、正しく二十世紀終盤を彩ったドラクエブームのただ中にあった。栗本和博氏の諸作「アレフガルド小劇場」をまとめる形を取ったのか、アンソロジー・同人作家の新規参入を見込んだのか、第一巻という数字はない。これは後年の「4コママンガ大全集」「ドラゴンクエスト5・4コママンガ劇場」にも代表されている。おそらくは単発で終える見込みだったのだろうと推測するが、作家の連名を見ると、柴田亜美氏や猫乃都(現・児島都)氏などの錚々たる面々が目を引きつけ、すずや那智・きりえれいこ・石田和明諸氏のように、それからエニックス系の漫画界の屋台骨を支えることになる作家の台頭を垣間見ることが出来る。実際に、栗本流のアレフガルド小劇場で慣れ親しんできた鷹嶺 昊としてはどれも実に斬新な絵柄であり、仮参入の増田・米山氏らは良く第1巻を支えてくれたと思われる。結果的には短期の活躍に終わったが、柴田亜美氏の4コママンガはとても貴重であろう。
第1巻連名
|
推定党役職
|
|
■ドラゴンクエスト4コママンガ劇場 第1巻 1990年初版。2ヶ月足らずで第2版が発行されるなど、発売当時は大変な反響があったと思われる。栗本和博氏を筆頭に、きりえれいこ氏、すずや那智氏、猫乃都(現・児島都)氏などが連名される。そして、今やメジャーな漫画家・柴田亜美氏の貴重なドラクエ4コマ・ニセ勇者編も掲載されている。 |
ドラゴンクエスト4コママンガ劇場 2――――安定化を模索
近況としては、第2巻発売の1週間前に、イラクのフセイン政権(当時)が、隣国クウェート国に侵攻。翌年初頭に勃発した湾岸戦争の端緒となった。
第1巻の発売から4ヶ月ほどでの続刊発売によって、『4コママンガ劇場シリーズ』ならびに以後10年余に及ぶドラクエ4コママンガ劇場全20巻の布石を成したと言える。当年2月に発売されたドラクエIVの影響もあり、IVネタが解禁。連名作家のほとんどが斬新なIVネタを披露してくれている。しかし、漫画界だけに限らず、長命を保つためには様々な模索や淘汰が必要とされているようだ。第2巻ではそんな4コママンガ作家陣の試行錯誤が読者にも伝わる。結果的に仮レギュラーであった中瀬・新田氏らを始めとする数人は単発で終わる。安定化に向けたエニックスの目算は、純粋培養作家の育成に他ならない。「キングスライム賞」と銘打つ漫画家デビューの道。後に様々な波瀾を巻き起こすことになる賞の前身だが、古参の重鎮・田村きいろ氏、独自のネタで彗星の如き活躍を成した、中井一輝氏など、エニックスの人材発掘政策は、一応の成功を見たと思う。
2巻全体の心象としては、IVネタで後に冷遇の代名詞となるトルネコが一定のイメージを持って遇せられていると言うことであろうか。AIオート戦闘のみで行われたFC版ならではのトルネコ厚遇風潮であった可能性が高い。
第2巻連名
|
推定党役職
|
|
■ドラゴンクエスト4コママンガ劇場 第2巻 1990年8月初版。第1巻から4ヶ月足らずでの続刊発行によってシリーズ化の布石となった。衛藤ヒロユキ氏、西川秀明氏など後に個人作がヒットすることになる作家の初登場となる。在野の人材を発掘した「キングスライム賞」では栗本氏と並ぶ重鎮・きいろ(現・田村きいろ)氏の名前もあった。 |
ドラゴンクエスト4コママンガ劇場 3――――著名作家の貴重作羅列
近況としては今上天皇の即位の大礼があった。
さて、4コママンガ劇場も3巻まで来ると安定感を覚えるようになる。現在のドラクエ5の4コママンガや、大全集のようにどことなく及び腰的な雰囲気に比べると、当時は年内3巻の短期連続発売という「勢い」に重ねて、ドラクエ自体の勢いが冷めやらぬ部分があったと思われる。個人的先入観かも知れないが、第3巻に連名されている作家陣の名前は文字通り、錚々たるメンバーであっただろう。実質、エニックスの漫画賞で育成されてきた新進気鋭の作家が台頭してくる頃には、ほとんど同人誌的色合いの強い雰囲気になって行くからだ。今から振り返れば、この近辺がドラクエのイメージを象徴していると言えよう。猫乃(児島)都、松本英孝氏など作家が築いたイメージが、結果として勢いを持続したまま、全体を引っ張っていると言える。ドラクエ5の発売まで2年ほどの間隔がある中で、1~4、特にこの巻で象徴される4ネタは、今から思えば素晴らしいバイタリティに満ちた作品群であろう。
第3巻連名
|
推定党役職
|
|
■ドラゴンクエスト4コママンガ劇場 第3巻 1990年11月初版。前巻から3ヶ月余りでの発刊。数多くの試行錯誤や淘汰を経て、ドラクエ4コママンガ劇場の前半を支えてゆく作家陣の安定期を見るが、キングスライム賞受賞者などの純粋培養作家の登場にはまだ幾ばくかの時間が必要とされた。 |
October 30, 2004