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Memories Off 2nd Favorite Essay
飛世 巴
Age:17 born:8/18 blood:O size:165cm 53kg
CV:仲西  環
My her image song: ラストチャンス(Something ELse)
痛悔を乗り越えた直向きな心と親友に見せた芯の強さ

▼不意の出逢いが変えた、夢見る少女の運命
「麻呂にも意地というものがあらしゃいます。そなたを護れずして、何の生涯か」 愚拙作With You~みつめていたい~後伝奇譚まほろばの絆の構想の一節。関係ないですけど、飛世巴の話を進めてゆくうちに、この台詞を話す伊波健=私と、相手役の某姫=飛世巴が脳裏の舞台に演じた。
「――――様ぁ!!」 「そなたは生き延びよ……生き延びて……この想いを――――伝えよ」 最期の時を迎える公卿(伊波健)、必死にすがる姫(飛世巴)。やがて姫は公卿の想いを抱えて波乱の旅へ――――。
舞台俳優を目指す飛世巴に私が与える脚本だったらやっぱこういった時代もの。彼女の性格や物語はまた別として、ハッピーエンドのヒロインを演じさせるだけではもったいないようなオーラがあるわけだ。
明朗快活という言葉がそのまま合っているかどうかは印象通りだろう。時折見せる寂しげな仕草。気丈であるが故に見せる脆い部分。率直に言えば見事に男心を捉えているではないか。
出逢いはいつも不意とは言うが、ファミレスのバイトとその客と言うのは“ありがちな話”とはよく言う。だが、その“ありがち”な出逢いが人を惹きつけて止まない。ましてや私のような年齢に差し掛かると、そのありがちな話すらない。恋愛話は波瀾万丈を求むがしかし、こうしたナチュラルな場面を根底に、人が本当の意味の幸福を目指す第一歩であろう。ケータイの出会い系サイト等とはえろう違いますなぁ。羨ましいことです。

▼親友と恋人の境界線は、決して漠然たるべからず
まぁ、トトちゃん(飛世巴の愛称らしい)とほわちゃん(白河ほたるのことらしい)が親友同士であるという事は、作為的であるにしろ伊波健を非道人化たるにはお誂え向きな設定ではある。
一目惚れとは烏滸がましい。ファミレスのバイトとその客。本来、健は友人の言葉に乗って彼女の品定めをしていたのだ。何ともはや動機不純の出逢いであろうや。そして、あわよくば突然降り出した雨に傘を差し出すその行動如何は彼女持ちの男が成すべき事か。黙って傘を差し出し、己は濡れながら走れ若人ならば。それでダメならばタクシーでも呼ばれる事が出来るかも知れぬのに。
しかし、彼女もケータイでタクシー呼ぶなり友達呼ぶなりすればよろしいこと。店先で雨止む時を待っているのは実に意図的。伊波に惚れたなさては君も。後に小さな劇団の舞台女優である彼女の素性を知れば、アクトレス・ドランクという奴か。差し出された傘、妙に親近感を抱くファミレスのバイト。微妙な距離を置きながら、「出逢った瞬間に身体中の呼吸が息を止める」という山根康広・永遠の約束程でなくとも、明日への期待感が二人を包んでいたことは否定はしなかっただろう。さほどの時間もないまま、彼女の方から恋心を仄めかし、目敏い健はそれを受け容れる。ここが非道人・伊波健の一端。
当然、彼と白河ほたるの関係を知るのは摂理であろうが、全く以て健は非道であるが故に彼女が可哀相である。
しかし、いつの時代でも色恋沙汰はおのが意思では如何ともしがたきものなのだろうな。健とほたるの関係を知りながらも健との密会(言葉過ぎるか)を断とうとせず。全くもって女性というものはよくわからぬもの。親友の彼氏という立場がいかなるものなのかは経験がないので理解は出来ないが、なになに人はいざとなれば鬼にも勝って怖いものよ。言葉では友を思い、真情は友の凋落を冀う。これぞカルネアデスの舟板恋愛版か。
そして彼女を始めとして、千歳万物の恋愛観に一石を投ずれば、よく「友達以上、恋人未満」と言うが、そんな関係なぞない。恋愛は漠然で曖昧なものに非ず。それは相手を好きで、愛しているに他ならない。漠然で曖昧とするは体のいい逃げである。本物ではない、取り繕った詭弁に過ぎない。だから、飛世巴は出逢った瞬間に、伊波健に一目惚れをしてしまった、悲運の女性とも言えるだろう。

▼忠全うすれば、自ずと孝満ち足りる
格言っぽく聞こえるが、私オリジナルの言葉。忠誠を尽くせば(夢を諦めずに追い続ければ)、それが自然に親孝行に繋がるものだ。という意味である。中国の儒教では忠孝成り難しとは言うが、私はそうは思わない。
彼女は肉親との経緯に終始心を痛めている。明るい笑顔に秘められた痛悔の想いは形違えども誰もが心の片隅にひとつは持っているものであろう。
演劇・舞台女優を夢見、追い続ける彼女の姿は誰よりも輝いていて美しい。実に陳腐な言葉だが、何の夢も持たずにネオン街を彷徨える若者や、寄る辺なき不満に人を殺傷する人間と比べれば、陳腐どころか、斬新に思える。夢諦め、弱者に甘んじて親不孝となるならば、艱難に立ち向かって挫折し、心身を強く鍛えることこそ孝行と言えよう。
伊波健が、彼女に惹かれていった理由は、語られぞしないまでもそんなところにも及んでいるのではないかと確信できる。
確かに、白河ほたるのように、優勝を通り越して、その後の健との関係や、生活について悩みを巡らしている自信過剰の女と比べれば、今を直向きに歩もうとする彼女のような女性に傾くのは至極当然と言うよりも、あからさまに非難は出来まい。
二通りある飛世巴エンディングは、両方共にそんな彼女自身の芯の強さをしめしたものだった。そして同時に、理想の恋人像ほたると並んで、現実の恋人像巴というブランチを決定づけたと言ってしまえば、私の過言であろうかな。

April 15, 2002