INN nostalgia Game Essay
想い出にかわる君~Memories Off~
CV :岩田 光央
©KID
泰然自若の恋愛名手、死して後世に功徳を遺す

◆能ある鷹は何とやら、穏和な表情の奥に秘めた人生の達人

通称テンチョーこそ、私鷹嶺 昊の最も年齢が近いキャラクタであり、名実共に自分がもしもメモオフのキャラクタになれるとするならば誰が良いという問いに、迷うことなくテンチョーと答える事が出来る。
テンチョーは実に飄々とした装いで主舞台・キュービックカフェに出演されている訳だが、そこそこもてそうな雰囲気とは裏腹に、あな看板娘たらん荷嶋姉の強引な仕官を頑然と断るなど、まるで隆中の草廬にあたら二十代で隠棲し天下三分を胸に懐くかの有名な知恵者をふと偲ばせたりするものだ。
その物語の中では女性の影など殆ど見受けられないテンチョーは、とかく恋愛に晩生というわけでは決してない。むしろ全メモオフの出演者の中で、断トツに恋愛のイロハを心得、その気になれば人妻すらも……とまでは行かずとも、アンニュイ未満の独身フリーレディたちならば少なからず好意を寄せる雰囲気を漂わせている。決して爽やか系というわけではなく、かといって暗いわけではない。ただその、時に諄くショーゴや音緒に説教蘊蓄を垂れ、飽き来たかと思えば、すっと飲み物とお得意の菓子を誂え絆す。全くもって人心収攬に長けているというか、極めて人を惹きつけて止まない魅力を兼ね備えながらも、当のご本人は本気を出そうとはしない。しかし嫌味には映らないのが不思議なもので、同性の鷹嶺から見ても、テンチョーは良き友、良き仲間としてつき合えると確信できるのだ。
学生諸君ならばこう言えば納得できようか。もしもテンチョーが学校の先生だったとするならばどうだろうか。少なくても、嫌われることはないだろう。聞くだけ野暮だったか。
と、まあそんなテンチョーは、彼自身が未完成な自分を認識しているからこそ、ニュートラルな雰囲気で自然と人の輪を作り出せる。言い換えれば、テンチョーには、すこぶる幸福な恋愛も、ダークな恋愛も似合わない、笑顔の似合うかわいい奥さんとともに、小さな家庭を築き上げて行く……そんな今や理想とも言える、それでもかつてはそれが『普通』な恋愛が一番よく似合うのである。まあ、鷹嶺がなりたいキャラだというのは、物語本編のテンチョー像に惹かれたからではあるのだが。

◆死せるテンチョー、生けるショーゴを趨らす

メインヒロイン・黒須カナタとの関わりを疑問にして出番を終えることになるテンチョーなのだが、それでもなおその存在の偉大さは終始物語に強く影響を与え続ける。「想い出にかわる君」の真意中枢は当に田中一太郎のためにあると言っても過言ではないだろう。
諸葛亮が後継者・姜伯約に託した兵書さながらの、数編に及ぶ書には極めて多くの名言が刻まれている。これが加賀正午を百万段階贔屓目に見て司馬仲達にしてみれば、「死せる孔明、生ける仲達を趨らす」ならぬ「死せるテンチョー、生けるショーゴを趨らす」という故事成語が成り立つほど。
さあて、想君最大の謎と言われる(?)のはそんなテンチョーとカナタの関係。男と女の関係だったのかという事なのだが、ぶっちゃけ答えはイエスであろう。何をそんなに簡単に! などと怒らずにおられよ諸兄。しかし冷静に考えてご覧あれ。少なくても、加賀正午という男と比較するに烏滸がましい程大成されているテンチョー殿とカナタが抱き合う姿を想像できるか。あまりにもそれが自然すぎて逆に面白くない。テンチョーと比べれば、はるかにショーゴはアクが強い。それに別に諸兄が怒ることではない。どうせ黒須カナタの初体験は加賀正午という一介の男児なのであるから。
まあ、ニュートラルな雰囲気のテンチョーだからこそ、カナタも惹かれたんでしょうな。泰然自若なテンチョーだったら、仮にカナタが1000人の男を相手にする風俗嬢の経歴を持っていたとしても、ありのままに受け容れたであろうし、逆に寛容すぎてつまらない物語になってしまったのだろう。テンチョーは良い意味で我が強い。何にも囚われずに恋愛を俯瞰できる性質を備えていながらも、正しく永遠と化したその身が遺すかの名言をもってショーゴを趨らせながらも、キュービックカフェで培われた絆は決して消えることはなかったのである。蜀漢王朝は程なく滅亡したが、こちらは小さいながらも強くナチュラルに結ばれた男女の友情・愛情は廃れを知らずに行ったと信じて止まない。不謹慎だが、これは正しくテンチョーが最後に仕掛けた挺身の計略だったのかも知れない。早逝の名士。鷹嶺はこういった御仁に憧れる。

September 07, 2003