CV :志倉 千代丸
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鷹嶺 昊が敬愛する俳優の一人に、「八名信夫」さんという方がいる。某青汁のTV-CFで、強面のオッチャンが、「うーん、マズイ! もう一杯!」と、グラスを突き出す…と言えばおそらく誰もがわかるであろうか。八名さんは元々「悪役商会」という俳優グループの中心的存在で、かつて裕次郎の「太陽にほえろ」や松田優作の「刑事物語」など、刑事ドラマ黄金時代においてはバリバリに悪役として縦横無尽に活躍したベテラン俳優なのだという。
そんな八名さんは悪役を演じることがいわばライフワークだと仰っていたことがあったと記憶するのだが、ここ最近では八名さんは悪役どころか、逆に強面の「いい人」になってしまった。果てには刑事役まで演じておられる。「悪役が来なくなってちょっと寂しいんですよ」と、いつだったかのトーク番組だったか、バラエティ番組で、そう言って笑っていたのが実に印象的なのだが、この八名さんに代表されるように、強面のバリバリ悪役顔が「悪役」という時代は変わってきている。むしろそう言う名残があるのは水戸黄門などの、勧善懲悪の時代劇。しかし、逆に今の世の中、人の良い感じの人間や女性の目を惹きつけるような二枚目が、冷徹非常なる悪役の看板を背負っているのだ。
まあ、そんな彼、トビーも初登場は実にプレイヤーの心象にマイナスになって登場。どこかしかダークなイメージとクールに斜に構える甘いマスク、初顔合わせでいきなりショーゴ君を鼻であしらってしまう。全く失礼極まりないと言うよりも、ぶっちゃけムカツクのだ。
だが、とかく人間第一印象ほどアテにならないものはない。男女間の恋愛でもそうで、嘗て「ねるとん」なる合コン張りの恋愛バラエティーがブームになったことがあるが、所詮、第一印象など人間の本質は現れていない。簡単に言えば、最初にイメージが悪かった人間ほど、実はすごくイイ奴だったりすることが多い。逆に最初に良いイメージの人間は、後になってそうでもなかったと幻滅してしまうものだろう。トビーについてはどうか。言うまでもない。それはマグローほどの純粋バカが必要以上と思えるほどにトビーに傾倒する姿を見てもわかるのだが、加賀正午が初めてあしらわれたキュービックカフェ。トビーは実に、贅沢な悩みに陥るであろう正午の性根の甘さを看破してあしらった。まあ、本心から嫌いならば相手にもしないだろう。トビーとショーゴは水と油のように出自も境遇も違うのだが、その中にあって細い糸のように繋がる一本の共通点が反発し合いながらも二人を結びつける原動力になったわけ。
トビーの出自は実に悲しみに満ちてはいる(今の昼メロでもこんな出自の秘密はないだろう)。非現実的な流れの中で、彼の生き様は冷徹に見られそうだが、実は私にとってある種の理想であるし、彼の人生論に不覚にも賛同してしまうことが多いのだ。確かに、トビーを取り巻く、百瀬環や荷嶋深歩らは実に特異。冷徹なはずなのに、二人ともトビーをそこはかとなく慕っている。勿論、男性としての慕情というにはいまいちだろうが、少なくとも正午に引けを取っているとは思えない。
百瀬環に至っては、あら不思議。こき使われようが、野良猫よろしく勝手野宿にさせおいて都会の凶悪な飢えオオカミの標的はらはらとさせながらトビーを慕い続ける。これもまたトビーがただ冷徹非情でか弱き少女に鞭打つ鬼畜なる虚像とされて誤解を招く行動ながら、それぞれに一片の優しさがにじみ出ている言動が実に印象に深いのである。トゥルーエンディングにかけてはとりわけ荷嶋深歩編では不覚、主人公であるショーゴを食ってしまう程の清々しさを見せて有終の美を飾り付け、バッドエンディングにおいても百瀬環編では彼なりに不遇を共有しようとする懸命さが彷彿と伝わる。
弱者の出自なればこそ、弱者の立場に立ち、強者に臍を曲げるのだろう。もしもトビーを心底嫌いと思う諸兄は、きっと御自身生来平坦な道を歩み続けてきたか、恵まれた環境にあるのだろう。トビーを好きになれるのは、本当の意味において優しい男であろうと、鷹嶺は思うのだが、いかがなものであろうか……。