INN nostalgia Game Essay

Close to~祈りの丘~ジャケット
Close to ~祈りの丘~
KID / 2001,4.19 / 7,200円
Dreamcast / AVG
キャラクターデザイン:ごとP
主な出演/柏木遊那(麻績村まゆ子),汐見翔子(中原麻衣),橘小雪(釘宮理恵),咲坂麻衣(松来未祐)
藤碕龍作(結城比呂),医者(松尾銀三)
私的評価(6段階 良←S-A-B-C-D-E→悪)
全体 A キャラクター S ゲームシステム B 音 楽 S 操作性 C パッケージ A
ストーリー A 2Dグラフィック A オープニング S 声 優 B ゲームバランス C 感動度 S
Hの必要性 共感度 A 購入特典 B 価 格 B 季節感 B マニュアル C
萌え度 B プレイ期間 A マンネリ度 D 明るさ D 訴求力 S 年齢推奨 S
ヒロインを通じて現代社会に深く根付く問題を提起した作品
 近年問題視されている少年少女の犯罪、人間関係の疎遠孤立化。それだけを訴求するならば数多の名作が世に溢れているわけだが、この作品の意外性は、先年施行された『臓器移植法案』に一石を投じるのではないかという印象を受けたストーリーだと思うがプレイヤーにとってどう受け止められただろうか。
 このゲームが発売された頃には森内閣がさながら鎌倉幕府の北条高時一族のように滅び、私が4名のヒロインたちとのエンディングを見た頃には、取りあえず期待の足利尊氏的小泉純一郎氏が斬新な内閣を発足させたのである。小泉氏が元厚相と言うこともどこかでリンクしているかなあなどと思ってみたり、遠山文部科学相が、教育をどう変えてくれるのかなどと思ってみたり。Close toはギャルゲーなのだが、お堅い私はそこまで思考が行ってしまうわけだから、困ったものである。
 閑話休題。
 物語の主人公・穂村元樹が、幽体となってヒロインたちと触れ合う中で随所に現代社会の情景や、繁栄の片隅に息づく人間の苦悩を描き出されている点は真綿に水を浸すように、じわりと哀愁を感じさせてくれている気がするわけだ。
臓器移植、ドナー登録の問題を語る~橘 小雪編
 脳死判定の是非を巡っては、法律によって定められたというものの、今だ玉虫色の部分が多く散在することは否めない。法案成立の直後や、その後数度にわたる臓器移植手術は、マスコミによって大々的に報じられたのが記憶に新しいところである。
 橘小雪のストーリーは、そのキャラクター性や生い立ち、避けられうぬ運命がプレイヤーである私の心を捉えて止まなかった訳なのだが、キャラクタのビジュアルを除いてみれば、そう言った医学的問題点を、主人公や小雪の視点から、メルヘンチックだが鋭い視点で描かれ、人命の尊厳を暗に示していると言える。
 まあ、私は医学者でも何でもないので詳しいことは判らないが、なるほど、実際に臓器移植される時、『脳死』と判定された人間からしてみれば、「冗談じゃない、死んでたまるか」という主人公の思いは当たり前のことだし、よくわかる。また、移植を受ける側が、知り合いや好きな人だったとするならば、それを拒否する小雪の心境もまた、当たり前なことである。もしも、脳死判定が誤りで、意識が取り戻したならば、それこそ洒落にならない。今話題の医療ミスという問題にも若干、皮肉を込めていると感じたのは、果たして私だけであろうか。
 私的にこの編で注視するべき点は、主人公がドナーカードを登録した経緯であろう。ラジオで良く聴く公共広告機構のCM・30万人のドナー登録。
 確かに、臓器提供の意思を示すいわゆる証拠なのであろうが、この物語に触れ、たかがカード一枚で永遠の意思を示すと言うことになるのは、どうであろうかとさえ思う部分もあった。登録した理由は、ドキュメント番組に感動して……と主人公は言っているのだが、果てさて、そう言った一時的感情で登録している人は稀少というわけでもないと考えるが、間違っているだろうか。
 考えてみれば、臓器は若いほど価値も高いと思うので、この主人公のように、二十歳足らずで脳死に至らしむ重大な事故に遭遇する、多くても四十,五十代か。七十,八十代の高齢者の臓器をいただいても、果てさて、どうであろうか。つまり、ひん死の重大事故に遭遇し、脳死になる前提でなければ、登録しても価値はそれほど高くあるまいし、仁徳に秀でた人でなければ、進んで登録は考えることは少ないはずであると考える。不肖、私は登録していないし、考えたこともないとだけ言っておく。
話はそれたが、或る意味、興味本位で登録し、忘れた頃に臓器移植の患者にあなたの……と、ドナーカードを突きつけられて言われれば、ご本人なくても家族もすこぶる驚くだろう。本人が全面了承しても、家族が反対すればそれも叶わず――――。なるほど、人命に関してはなかなか境界線を付けられぬと言う事をつくづく感じさせられた訳である。
一輪の花弁、平安朝の面影~汐見 翔子編
 古今集に詠むは、『君ならで 誰かに見せむ 梅の花 色をも香をも 知る人ぞしる』。これは有名な紀 貫之の従兄弟、紀 友則の歌であるが、汐見翔子の思いはまさに友則の恋歌に集約されているのではなかろうかというのは、私の考えすぎであろうか。
 とかく、友則が託す梅の花ではないが、翔子のヒナゲシの花弁に託された想いは、主人公・穂村元樹の命すら、閻魔の大君が判決をも覆しうる力となりうるのだろうか。いやはや、女の想いというのは怖いというか、力強いというか。自らが想いを寄せる元樹を、親友・遊那のために腐心して諦めようとする。何々、この様な健気なる女の子なぞ現実にありうれぬからこそ、翔子に惹かれる所以であろうか。かといって、現実を逃避するわけではなく、プレイヤーも翔子も、目の前の現実にため息をつき、お互いを糧にしている。いやはや、日本の経済も悲観ばかりはしていられないと思わないか。いやいや、とかく『友人』という意義も、先述の小雪編でも傷ついた過去を語る場面に置いて語ってくれているわけだが、何気ない事でも翔子と遊那、元樹と龍作と言った関係は、いつからか忘れ去られていったのかも知れない。気がつけば、人間は機械よりも無表情な関係になってしまうのではないだろうか。
 翔子は男勝りの気質という、オーソドックスな設定ながらも、終始純真な女の子らしさを損なわず、元樹の付す枕元に千羽鶴を捧げ、涙する場面なぞは胸打たぬ諸卿はなしと思うが、如何であろうか。これが王道ならではの醍醐味とでも言おうか否か、何やらどこかで触れたかのようなニュアンスに、喉に小骨が刺さったような感じがすることも事実ではあるが、まあ、それも良しとしようか。
 翔子編エンディング周辺での遊那の行動から元樹の変移、いささか納得しかねる部分……と言うのも、所詮はその程度の思いだったのかなどと、御二方に対し憤懣やるせない想いを画面にぶつけつつ、全体にわたって淡々としたある意味重厚流れは、トゥルーエンドにしてそれにあらずと言った感じなのであろうか、私個人としては漠然とした残念に囚われる。退行催眠にまつわる部分は、プレイヤー諸卿の素直な印象に従おう。
それはキャラクタのせいか、便宜上なのか~柏木 遊那編
 Close to~祈りの丘~をコンプリートされた諸卿に問おう。メインヒロインである、彼女は、正真正銘の十八歳なのであろうか。終始、言動、性癖、容貌すべてにおいて、年齢をごまかしているとしか思われぬ。いやはや、今どきの十八歳近隣の婦女子など、もしかすれば彼女のような感じなのかも知れぬ。しかし、いただけぬ。萌えキャラ対象とは言うものの、これは人道上問題はなきにしもあらずや。
 自称を名で呼ぶことは構わぬまでも、気分の善悪によってでる動物の仕種、親友の翔子に宥められる場面。おお、この幼なじみの少女は、主人公と同齢ならばよもや障害児なのではないかとさえ、思ったことがある程だ。どうやらそれは私の勝手な推量であることだが、多分、何も情報を知らずにこれをプレイされたならば、きっと彼女と主人公が同じ学校、同じ学年と知った時点で驚愕されたに違いがなかろう。
 「べつにいいじゃん、そう言う設定なんだから」と、言われてしまえば身も蓋もない。だが、私的には先述の橘小雪のストーリーがこの物語のメインテーマに比するものではないかと思うので、いやはや、メインヒロインのトゥルーエンドは結果、影が薄れてしまってはいなかったか。プレイされた方はすでにご存知、また、中途の方もいるだろうから、露骨なネタバレは言わぬが仏。ただ、主人公の立場における橘 小雪、咲坂麻衣のストーリーに比するには及ばずの流れであったのは、きっと私だけの考えでないことを願う。ああ、これぞメインヒロインの宿命なり。
真のヒロインか、恋い焦がれた儚き桜花~咲坂 麻衣編
 この作品で最も力が入っているのではないかと思われる、小学6年生・咲坂 麻衣物語。こちらに行くには容易ではなかった。睡眠時間4時間足らずの中を3,4日。彼女のエンディングを拝するに、さながらわが地元が生んだ世界的作家・宮澤賢治先生の作品群を彷彿とさせる。あるいは、ちょいと勝手は違うが、フランダースの犬か。
 と、まあこの咲坂麻衣がこの作品の真のヒロインであると、承知の方は承知なのだろうが、とかく麻衣の話をうかがうにつれ、またもや手前味噌なのだが、自身の創作詞・『STAY BY ME』の中で、最も気に入っているフレーズ「友達がたくさんいればいいなんて、決して思わない。心から頼れる、一人(あなた)さえ、いれば……」を思い出す。
 校庭の片隅で佇む彼女の姿を垣間見て、共感した部分がそれ。麻衣については後半語られるわけだが、麻衣の小学生らしいやんちゃな部分に秘められた、深い悲しみをおもんばかれば、今時勢の『友達』という意味さえ、わからなくなり、曖昧になってしまうことさえある。
 閑話休題。元樹のことを待っていたという時間などについては、色々話が聞こえてきそうだが、当館流に話を進めてゆこう。
 万葉集に、大伴家持が歌う「春の苑 紅にほふ桃の花 下照る道に 出で立つ少女」。さてはて、麻衣にピッタリな歌ではなかろうかと思うは私だけかな?
 さながら近年、メインヒロインを凌駕すると言うか、元々メインヒロインはこの娘ではないかとさえ思うような作品が主流となりつつある気がしているのだが、果てさて、実情はどうなのであろうか。
 Kanon,AIRのKey流派の作品によって、革新されたと考えるは行き過ぎか否か、しかし、決して『生をもってベストに非ず』という概念を打破し、美しさとはかなさを彷彿とさせるこの物語を、舞い落ちる桜花に象徴されていると思う。少なくとも、メモリーズオフの様に終始哀愁感だけで彩られた、暗鬱とした気分にはならなかった、KID流恋愛系の醍醐味を垣間見るのである。