INTRO III
徳永 英明/King Record/KIKS 860/3059\
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もう一度あの日のように 僕のそばに 魂の願い 永遠の果てに 未来飛行 ROUGH DIAMOND Rainy Blue~1997 Track~ 青い契り 僕のバラード オリオンの炎 MEMO 種 call 輝きながら… |
徳永英明への傾倒(1)
LOVE IS ALL(91.9.5) 930\/APDA-49 1;LOVE IS ALL 2;負けるな 3;LOVE IS ALL(NO VOCAL) |
海援隊から徳永英明へ~きっかけはCMソングから
生まれて初めて口ずさんだ歌が、海援隊の「贈る言葉」。以来、谷村新司・堀内孝雄、さだまさしなど、少年期らしからぬ風変わりな系統にはまっていた私。中学の修学旅行、堀内孝雄の「愛しき日々」をカラオケで披露すれば皆、退く。その頃までは、そんな周囲から一歩退く立場。それが私自身だった。
16歳。私が高校生活を初めて間もない頃だったか。ある日、俳優の真田広之が出演する某酒のCM。CMソングとして流れていた曲に、何度か聴いているうちに私は引き込まれていくのを感じた。それが、『LOVE IS ALL』だった。 シンガーソングライター・徳永英明との出会い。それまで、年輩趣向一辺倒だった変人少年が、若者へ戻り、かつ徳永英明が楽曲の中で訴える事に共鳴し、後に尾崎豊、DEENと出逢えるきっかけとなった、人生のインジケーター。憧れて止まない人物として今なお熱冷めない存在となっていった。 精練された声色、胸の奥底まで染み渡るような楽曲。それが、今まで私が触れてきたものにはなかった、新鮮さと、激しいインスパイアを与えてくれたのだった。 メッセージソング・バラード系への一本道
徳永英明との出会いは、私自身の中で、バラード系へ没頭する契機となったわけだった。
今から思えば、私自身が唱えている、流行に流されない独自の創作活動と、小説・詩文によって何かを伝えてゆくと言った考え方は、どうも徳永英明に影響されているのである。 後に、尾崎豊やDEENと出会うことになるわけだが、どちらも特段、バラードがお気に入りの部類。ロックも歌うがさほど感情移入しているわけではなかった。 『LOVE IS ALL』が現在の私自身の始まりであることに違いがないが、僕はその頃は『ただの若僧』に過ぎなかった。 |
自分よがりだった、あの頃
若い時と言うのは、ある意味恐いものなしというか、恐いもの知らずというものだ。今になって振り返ってみれば、すこぶる恥ずかしい自分がそこにあった。
徳永英明に傾倒し、『壊れかけのRadio』を聴き入っていた高校時代。インターネットという言葉すらなかった昨今、私の創作活動も原稿用紙やらノートやらだった。 「瞳を閉じればそこに 18のふたりがいる」 アルバム『JUSTICE』の中で一番好きな『道標』。このフレーズに余裕を感じていた、16の私。今だからこそ、瞳を閉じれば、18の自分は無謀だったなとはにかむわけだが。 とにもかくにも、あの頃は自信の固まりだった。挫折を知らない、若者特有のパワーが、なんと私にもあった。これには自分自身すごかったなあと思う。 自分の描く作品、これならやっていけるだろうと言う、確固たる根拠もない漠然とした自信が目を曇らせ始めていた。 徳永英明に出会えたこと。だが、その出会いの意味、彼が唱え続けるメッセージを、その頃の自分は解っていたとは言えなかったのだ。 幸福と挫折が、高校卒業後の自分に待っていた。18歳の『道標』は、過ぎていった。 |
JUSTICE(90.10.9) 2500\/APCA-3007(廃盤) 1;NEWS 2;壊れかけのRadio 3;MYKONOS 4;帰れない二人 5;想い出に変わるまで 6;道標 7;雨が降る 8;Be nude 9;CRESCENT GIRL 10;JUSTICE |
徳永英明への傾倒(2)
最初の彼女との出会い、そして別離
高校卒業した後も、私の創作活動はスランプ知らずだった。書くこと、考えることが面白くて仕方がなかった。
19の頃だったか、今から思えば千載一遇の好機が僕に訪れた。とあるRPGのメーカーに、ゲームの二次創作を送ってみた。当時、ファン会員に会報誌なる小冊子を発行していたそのメーカーから、小説掲載の話が来た。 当然、僕は有頂天になった。今思えば、赤面に耐えない唯我独尊。「現実を把握する」という意味の『REALIZE』も、その頃の私にとっては目にもとまらぬこと。 なにを考えていたのか。これでプロに出もなった気分だったんだろう。後に会員の人から感想が届いた。私が最初につき合うことになった、女性との出会い。そして、『レシュカリア古代戦記』誕生のきっかけとなった、彼女との出会いでもあり、私を無謀な高みから、地に着かせ一個人に目覚めさせてくれた、私自身の人生において影響を受けた人。イラストとドット絵が上手な、将来性溢れる娘だった。 彼女も徳永英明が好きだった。『君の青』、『ラバーズ』が実に心地よかった。恋人がいるという現実が、こんなにも充実するものなのかと、初めて知ったものだった。 だが、有頂天だった私が、見渡せば周囲に誰もいず、冷ややかに私を見上げる周囲に気がついた時は遅かった。 会報誌への連載、メーカーの指摘や彼女の指摘に、私は耳を貸さなかった。自分の作品はこうなのだという、つまらないプライドが、奈落へと誘っていった。そう、つまらないプライドだけだった。 結局、連載は会報誌発行中止と共に頓挫し、『RPGツクール』というソフトで自主制作RPGの製作を彼女と共同で行っていた、「レシュカリア」も、私自身の不甲斐なさで中止。それがきっかけで彼女とも別れた。 |
REALIZE(89.5.21) 2500\/APCA-3006(廃盤) 1;君の青 2;眠れない夜 3;ラバーズ 4;You're in the sky~eolia~ 5;そして星になったよ 6;恋人 7;コバルトに消えたブルー 8;MYSELF~風になりたい~ 9;最後の言い訳 10;僕の時計 |
bless(97.2.26) 3000\/APCA-178(廃盤) 1;太陽がいっぱい 2;誓い 3;Promised Snow 4;Crack 5;情熱 6;Balance 7;ROUGH DIAMOND 8;Be My Love 9;ALL MY LOVE 10;夢 11;SMILE |
自分を見つめ直し、新たな出発…それが『SMILE』
今から思えば、好機を逸した私は愚かだった。若気の至りと一言で片づけられない。みんなからの厚意を無駄にしてしまった愚考。
プライドを粉々にされた私は自暴自棄になっていた。そして忘れもしない、1995年。DEENとの運命的出会いとなった『未来のために』が、私の徳永一辺倒の終焉となった。 その時期に発売されたアルバム『太陽の少年』。徳永の曲は明らかに変化を遂げていたが、私はそれを感じるゆとりはなかった。 DEENとの出会いで、確実に自分自身の中で“何か”が変わりつつあった。でも、打ち砕かれたプライドは、なかなか創作活動再開へと結びつかなかったのだ。 二年後、徳永が出した新アルバム『bless』。そのラストナンバー「SMILE」。この楽曲を聴いた瞬間、僕の中で何かがうごめいた。 『レシュカリア』の再構想。 あの挫折で途絶えていた「レシュカリア」への想いが、『SMILE』の曲で再燃していった。 涙が溢れた。忘れかけていた大切なこと。私自身の中で、多分、レシュカリアこそが、私自身の創作活動の原点だったんだと、この曲を聴いて思い知らされた気がした。 『レシュカリア』は、『レシュカリア古代戦記~約束の街・Blue in the blue sky~』として、小説として再興しようと思った。 それは今までの私自身から脱却し、冷静に自分自身を見つめてゆこうと誓った、始まりだった。 |
徳永英明への傾倒(3)
honesto(99.6.2) 3059\/KICS-730 1;花~balada~ 2;僕のバラード 3;愛の力 4;砂漠 5;cool down 6;青い契り 7;七色の花 8;honesto 9;限りなく僕らは 10;翼の勇気 |
流浪の生き方の中で見つけた大切なもの
多分、今もそうなのかも知れない。私は数度の転職を重ね、人材派遣の苦節も味わいながら、今現在の職について二年余。流浪の生き方は今なお変わらない気がする。結婚や家族というものは永遠のテーマにあるような気がする。
徳永英明は一年間の休養と称して、外国へ旅立った。アルバム『Ballade of Ballade』のリリース後だった。 世間の冷たさ、理不尽さに揉まれた私は、それなりに世間に順応するように、服を選ぶようになった。 心のどこかで、機械のようになってしまう事を拒みながら、あるがままに生きてゆくことが、自分らしい気がしてきていた。 人の悩みを聞いてあげること。支えになってあげること。それが自分が今なすべき事なのかと思った。 でも、結局はそれが自分を偽っていること(と、言うよりも自分という存在位置から、はるか遠い彼方にいる別の自分になる)だった。だが、昔とは違って、自分自身、遅かれ早かれそのことに気づいたことが賢かった。 徳永英明が帰国し、『青い契り』『僕のバラード』をリリースした後、『honesto』を買った私が、彼の曲の変化、優しさに気がついたのは、決して当たり前のことではなかった。 これを聴いてから、確実に思える。徳永英明が感じたこと、悩み、苦しんでいた時期の心境のほんのひとかけらでも、私自身、経験できたと思えれば、彼と出会えたことを誇りに思える気がしてならない。 |
徳永英明は我が人生の指標
今からして思えば、これまでの生き様を笑って振り替えられる……という訳ではないが、残念には駆られることは少なくなった。
過去があるからこそ、今の自分がある。かつてのような、恐いもの知らずで、どんどん挑戦思考な熱気すら薄れてしまったものの、当時抱いていた情熱はすっかり失われてはいない。 『気づかせること』 “remind”。私にとってのremindは過去の挫折を忘れぬように振り返ることだった。 思い起こせば、私の独り立ちは、徳永英明の楽曲と共にあったと言っても過言ではない。 『MEMO』、『追憶』、『Positions of life』はどこか自分自身の人生のプロスペクトである気がする。 多病の戦士を応援しつづけたい
徳永英明は実に病魔に取り憑かれるタイプなのだろうか。かつては生体ポリープの手術をし、その綺麗な声の喪失が懸念されたが復活した。
そして、現在『もやもや病』と言う難病に襲われ、休養中との情報。どうも、彼の人生は波乱に満ちている気がする。しかし、難病などに負けないのが徳永英明だ。 三度復活し、私たちの前に素晴らしい楽曲を聴かせてもらいたいものである。 |
remind(00.5.24) 3059\/KICS-800 1;remind 2;オリオンの炎 3;愛を止めないで 4;泣きたい 5;live on 6;恋心 7;MEMO 8;追憶 9;罪と夕立 10;Positions of life |
2001.7.14 梅雨最中の蒸し暑さにウンザリしながら 鷹嶺昊