第1話 確信と不信と

 アリティア王太子マルスを盟主とする解放軍が、予想をはるかに超える快進撃を続ける中、ドルーア帝国と結託した、マケドニア王ミシェイルの実妹で、赤い龍騎士と異名を取る名将ミネルバは、複雑な想いを胸に秘めていた。
 ミシェイルは父王を暗殺して帝位を奪ったほどの冷酷な人間で、正義心溢れるミネルバを抑制するため、同じ妹であるマリアを監禁幽閉した。
 ミネルバは、ディール要塞に捕らえられているマリアの命の保証と引き替えに、心ならずも解放軍と交戦していたが、密かにマリアを救出し、実兄に反旗を翻す計画を、腹心であるペガサス三姉妹と共に練っていた。そして、試行錯誤を繰り返し、解放軍盟主マルスの力を借りてみてはどうかという結論に達した。そして、誰が使者として解放軍の本陣に乗り込むのかという話になっていた。
「私が直接、マルス王子に会ってきます」
 ペガサス三姉妹の次女であるカチュアが毅然と名乗り出る。
「反乱軍は我々に相当な恨みを抱いているはずだ。使者ならば下の者に行かせればよい」
 ミネルバが不服そうな口調で言う。
「もしもあなたが殺されてしまったら、それこそ一大事だわ」
「カチュアお姉さまが行くくらいなら、私が行く」
 長女パオラ、三女エストもカチュアの言葉に反対する。
「ドルーアの魔手から世界を救うってスローガンを掲げている反乱軍よ。無闇に人を殺す事なんてしないわ。大丈夫よ」
 余裕とも取れるようなカチュアの微笑み。
「それに……下の者を使いに出しても、相手を説き伏せる事なんて無理よ。ここは私に任せて」
 それでも渋るミネルバや姉妹。カチュアはそれでも翻意せず、結局、使者としてマルスの本陣に単身乗り込むことになった。
(マルス王子……一度この目で見てみたい)
 内心、彼女はそう思っていた。

 解放軍は港町ワーレンからドルーア勢力を一掃した。シーザ・ラディという傭兵たちの力もあったが、何よりも一人の男の冴え渡る知謀が、解放軍に勝利を導いた。
「カナリス将軍、お覚悟を」
 静かに、そして冷たい口調で、弱冠二十歳の知将ルーシは、捕らえたドルーア帝国将軍・カナリスの首を刎ねた。ワーレンの名隠士として、何と15歳の頃からアカネイア大陸にその名を知られていたという程の人物。三顧の礼を尽くし、マルスは彼を迎えた。ワーレンは彼の策によって立て板に水の如く進撃し、ついにワーレン奪回に成功した。
 カナリス将軍を生け捕ったマルスは、これ以上無益な血を流すことを望まなかったのだが、ルーシは静かな口調で答えた。
「臣民はドルーアではなく、カナリスを恨んでいる。彼の首を取ることによって、ワーレンは我らに帰順する」
 そしてカナリスは処刑された。
「将軍の首を町の中心部に三日三晩さらすのだ。それで人心は収まる」
 ワーレンの民はルーシの言葉通り、解放軍の勝利を祝い、カナリスの首がさらされている中央公園を囲み、三晩夜通しの祝賀に包まれた。
 その三日後の夕刻。魔道士マリクが大あわての様相で本陣に駆け込んできた。
「マケドニア王女ミネルバの使者と名乗る女性が、マルス様に面会を求めてきておりますが」
 オレルアン王弟ハーディン・タリス近衛隊長オグマ・タリス第一王女シーダ・アリティア国軍参謀ジェイガンらと共に、パレス周辺の地図を見ながら軍議をしていたルーシが、怪訝な表情でマリクを見る。
「マケドニア王女の使いだと?」
 ハーディンが思わず立ち上がる。
「大公、これは刺客かも知れません。ここはこのルーシが会って確かめてみましょう」
 ルーシは剣を左手に掴みながら陣幕を出た。数人の衛兵が警護し、篝火の明かりに映され、少女はじっと跪いたままでいた。
「マリク殿、マケドニアの軍使とはあれか」
「はい。しかしルーシ参謀、あの者は丸腰です。とても刺客とは思えませんが」
 マリクはルーシの性格から、かえって少女を心配していた。有無も言わさず斬り捨てたりはしないかと。
「刺客とは、その身体に巧みに武器を隠すもの。見た目が丸腰だと安心して、盟主と会わせた瞬間に、どこから武器を出すかわからない」
 ルーシはゆっくりと少女の前に進む。
「解放軍騎士団準参謀・ルーシである。盟主に代わり、用件を伺おう」
「マケドニア白騎士団のカチュアと申します。マルス様にお願いの儀ありまして参上いたしました。なにとぞ、お取り次ぎ下さいますよう、お願い申し上げます」
 カチュアは顔を伏せたままそう告げた。ルーシは一瞬、目を細めて彼女を見ると、間髪入れずにいきなり抜刀し、伏せる彼女の目の前に突きつけた。
「さ、参謀っ!」
 マリクが愕然とする。彼女の監視をしていたカイン・ゴードンらも慌てて身を乗り出す。
 彼女は身じろぎ一つせず、じっとしている。ルーシは冷然と言った。
「前使も出さずに、いきなり盟主に会わせろとは笑止な。何用か、有り体に申せ」
 刃に触れるか否かという微妙な位置にも、彼女はじっと瞼を閉じて口を開いた。
「ディール要塞に捕らえられている、ミネルバ様の御妹君マリア様をお救いするため、マルス様のお力を、お貸しいただきたく……」
 切々と、彼女は事の子細を話した。時折、涙まじりに言葉を詰まらせる。マリク・カイン・ゴードンらは、思わず鼻頭を人差し指でこする仕草を見せるが、ルーシは平然と剣先を彼女の眼前に突きつけている。
「そなた、我らを誑かし、あくまでドルーアに隷属するか。涙を見せれば、誰でも信じてもらえると思っているのか」
 血も涙もない男だと思われていることだろう。だが、ルーシ自身は思っていた。戦場にあって私情は命取りに繋がること。油断すれば、たとえ老人女子供でも、命を奪う刺客はいるかも知れない。そんな時代だから、彼は半分失望し、逼塞していたのだ。マルスに説得されても、出馬をする気にはなれなかった。なまじ優秀と言われ続けた彼の、孤独な日々。このまま世情の流れ行くまま朽ち果てようと決めていた二十歳の若者は、マルスの切々と、そして心からの熱意に揺り動かされ、忠誠を誓った。マルスを支えるため、参謀として、すべての悪評を被る覚悟で……。
 カチュアは潤んだ瞳でルーシを見上げた。その瞬間、ルーシの眉が微かに動いたように感じた。だが、彼女は哀しげな表情をルーシに向けている。
「首を刎ねられる覚悟はとうに出来ております。私の命と引き替えに、どうか……どうかマリア様をお救い下さい。お願い申し上げます」
 そう哀願し、彼女は再び突っ伏した。しかし、ルーシは冷徹な態度を崩さない。
「良き覚悟である……」
 そう呟き、剣をゆっくりと振り上げた。
「参謀っ!」
「ルーシッ、やめろ」
 マリクとカインが叫ぶ。その時だった。
「ルーシ、剣を納めよ」
 凛々しい声が、カチュアの背後から発せられる。
「はっ」
 心なしか安堵したようなルーシの表情。はっとするカチュア。
「使者を斬れば、軍律に反するどころか、新たな遺恨の種を撒くことになる」
「ご無事なるご帰還、お待ち申し上げておりました……盟主殿」
 剣を鞘に納めてルーシは敬服する。青色の髪に優しげだが、どこか凛々しい風貌。決して頑強な体格ではないこの少年こそ、誰なんアリティアの王太子にて、アカネイア連合解放軍の盟主であり、かの英雄アンリの直裔・マルスその人であった。
 マルスは平伏するカチュアの前に進み、自分も跪いて微笑んだ。
「マケドニアの御使者殿、失礼いたしました。私がマルスです」
 カチュアはゆっくりと顔を上げた。そして思わず小さくあっと声を発してしまった。彼女の瞳に映ったマルス王子は、印象よりもはるかに普通の少年だったからだ。自分とさほど年が違わない少年だと言うことは、噂で聞いてはいたが、実物は、まるで友人の一人にいそうな、ごく普通の雰囲気を持っていた。
「……カチュアと申しますっ……マルス王子に、一命を賭してお願いしたき儀があり、ご無礼を承知で参上つかまつりました」
 カチュアはマルスに事情を語った。
「……その願い、私たちは決して無にすることはないでしょう。ミネルバ王女にそうお伝え下さい」
 マルスは微笑みながら言った。
「盟主殿っ」
 ルーシが叫んだ。
「その者の言葉、安易に信じることは危険です」
 しかし、マルスは穏やかな目でルーシを見る。
「そうだね……。でも、こんな時代だ。何もかも信じられなくなったら、何も変わらない。私は人を信じることしかできない、やわで、無能な男だ。責任は、僕が取る」
 複雑な表情のルーシ。カチュアは満面に涙まじりの笑顔を湛えた。
「ありがとうございます……」
「カチュア殿、重ねてミネルバ王女にお伝え下さい。『短気を起こして、命を粗末にすることの無きように』と」
「はいっ。必ずお伝えいたします」

「そうか……マルス王子がそのようなことを……」
 ミネルバが哀しげに瞼を閉じる。
「反乱軍の誰もが信じてくれなかった中で、マルス様だけが信じて下さいました」
 そう言うカチュアの顔を見ていた末妹エストが、にやりと笑いながら言った。
「あれ? カチュアお姉さま、顔が赤くなってますー」
「な、何を言うのっエ…エストッ、と、突然」
 慌てて両手を顔に当てるカチュア。
「ミネルバ様、私たちもディール要塞に……」
 パオラの言葉にミネルバは小さく首を横に振った。
「お前達にはグラの様子を見てきて欲しい。兄ミシェイルの動向を探るのだ」
 ミネルバは万が一、マルス達がディール攻略に失敗したことを想定して、命を捨てる覚悟で単身乗り込むことを示唆していた。そして、三姉妹には、マルスの力となり、ドルーア軍の動向を探らせる役割を与えたのである。
「かしこまりました」
 そして三姉妹はミネルバと一旦、別れた。
 ディール要塞は、圧倒的に解放軍の士気が上回り、ジューコフ指揮官が戦死、マリア姫は無事に救出された。ミネルバはマルスに帰順。大陸全域に『赤い龍騎士』と異名を取るマケドニアの名将を得た解放軍は、更に結束力を強め、次第にドルーア帝国を圧倒していった。

 盛夏の陽射しが降り注ぐ。
 解放軍はアカネイアパレスを奪還し、ニーナ王女が玉座を継承。万民の万歳三唱が陽炎揺らぐ夏の青空に響きわたる。
 聖都パレスを奪還した解放軍に対する世情の気運は高まり、各地で打倒ドルーアの幟旗が掲げられた。しかし、解放軍には依然、強敵が眼前に立ちふさがっていた。グルニア黒騎士団総団長であり、グルニアにその人ありと言われた、知勇兼備で忠烈無比な若き名将・カミュ大将軍である。
 王室の安泰の為に、敢えてドルーアに服従する道を選び、敵側にあってもアカネイア聖王家の後継ニーナを見逃す義理堅さを持ち、忠臣二君に仕えずの信条のもとに、マルスの説得にも応じず、彼は不正義と知りつつ、それでもドルーア軍として全面対決の意志を貫き通す決心を固めていた。そんな彼は、グラ国王ジオルの気弱な性格と指揮能力を憂い、騎士団を引き連れてグラに赴いていた。
 カチュアはミネルバの命を受け、そのグルニア黒騎士団の本陣間近に潜み、動静を探っていた。
 そこへ、妹エストの手紙が届けられた。

『解放軍、ディール要塞を陥落せしめ、マリア様を無事救出。ミネルバ様、マルス王子に帰順。パレス奪還後グラに向けて進軍開始』

 その一節を読んだ直後、カチュアは危うく歓喜の声を上げかけて止まった。
(マルス様……約束を果たしてくれたんだわ)
 そして彼女は別行動を取っていた姉パオラに、解放軍への合流を告げると、単身アリティア勢本陣に向かい、ペガサスを駆った。

 解放軍はグルニア本軍との血戦を前に休息を取っていた。士気向上の目的で、総軍参謀ルーシが、直接グルニアの本陣に出向し、カミュ大将軍に不戦を持ちかけた。
 灼熱の陽射しを受けながらの連日の行軍に、さしものグラ兵も士気が低下傾向にあり、また内心、ニーナを擁する解放軍との交戦に消極的だったカミュは、その申し出を承け、ジオルにも行軍禁止令を布告。両軍は3日間、兵の動員を休止することになった。
 休戦の前夜は、気温三十度を超す熱帯夜となった。誰しもが甲冑を脱ぎ捨て、軽装となり疲れ切って休む者、麦酒を片手に談笑する者様々だった。
奇襲の心配のない、久々の休日前夜は、無防備で身体を大の字にして横になっても安心だった。かのマルスさえも、シーダとよもや恋人同士の如く隣同士で向き合いながら、心から笑い合っている。解放軍の元帥とは思えない、一人の少年と、一人の少女の姿が、そこにある。

 カチュアはその日の夕方にアリティア・マルスの本陣にたどり着いていた。
「カチュア・・・よく無事でいてくれた・・・」
 剛毅木訥なミネルバも、腹心との再会には目に光る物が出来た。マリア姫はカチュアの姿を見て狂喜乱舞している。微笑むカチュア。さらに朗報を伝えた。それは、いわんや姉パオラもすぐに合流すると言うことたった。喜びに包まれる彼女らを静かに微笑んで見ているのはマルス王子。
 カチュアはマルスの方を向き、恭しく頭を下げる。
「マルス様・・・マリア様を救出して下さり、本当に有り難うございます。もう・・・これ以上の言葉もございません・・・」
 マルスはゆっくりと彼女の前に進み、跪く。
「私は何もしていません。ただ、当然のことをしたまで。それよりも、あなたのような方が参陣してくれること、軍を代表し、心より歓迎します」
 優しくそう言い、そっと彼女の手を取る。瞬間、自分でも判るくらい、みるみる顔が赤くなる。
「か、必ず・・・マルス様のお、お力に・・・」
 緊張の極度。思い切り声がどもっていた。

 解放軍の将兵らが、各々自由な時間を満喫していたとき、誰もいないアリティア軍の本陣には青年がただ一人、地図やら書類に目を通していた。参謀ルーシである。
 そこへ、緑がかった髪の長身痩躯の士が口許に笑みを浮かべながら入ってきた。
「参謀殿」
「ああ・・・アベルさん」
「みんなはとっくに、あんたが決めてくれた休日を楽しんでいるってのに、あんたは一人でお勉強か?がんばり屋だな」
 皮肉たらたらに言うアベルにルーシは苦笑した。
「私は新参者。しかも、刀剣を握り戦場に出たことがありません。・・・そんな私が、準参謀などという重職に置いて下さり、盟主にはいかなる感謝の言葉さえも足りないくらいです。・・・この休日の間、私は更に我が軍や敵軍の知識を取り込み、ドルーアに打ち勝つ策を練らねばなりませんから」
「熱心だな。敬服するぜ。・・・俺なんか休みもらったって、何もすることはねえ」
 やや乱暴に椅子に腰掛けるアベル。
「あなたは盟主決起以来、右翼として連戦を重ねてこられました。この三日の間、存分に身体を休められませ」
「寝てばかりいると、身体が鈍ってしまう気がしてね。過ごし方はカインの奴と稽古してから考えようかと思ってるよ」
「そうですね・・・」
 微笑むルーシ。アベルはわざとらしく、思い出したように身を乗り出す。
「そう言えば、さっきカチュアっていうペガサス乗りが迎えられたそうだ」
 その言葉に反応し、ルーシのこめかみがぴくりとする。
「カチュアって、ディール攻撃前に、ミネルバ王女の使いとしてやって来た女だろ。聞いてるぜ、あんたが問答無用で斬り殺そうとしたってこと」
 微笑みから一転、沈むルーシ。
「使者と称しての刺客であるという可能性を考えれば、私の行為は間違っていないと思っております」
 だが、アベルは口の端に笑みを浮かべたまま言った。
「あんた、あのカチュアって女、知ってんじゃないのか?」
 愕然とするルーシ。その表情には明らかに戸惑いの色に包まれている。
「まさか。私はワーレン生まれのワーレン育ちです。マケドニアの人間に知り合いなどいません」
「ふーん、そうか。・・・まあ、どうでもいいけどさ、せっかくの休日なんだ。あんたも程々にして休みなよ。パニックになられちゃあ、みんなが心配するからな」
 アベルは勢い良く立ち上がると右手を小さく振って陣を出ていった。ルーシは一つ大きなため息をつく。何故か、それから手元に広げられている書類が目に入らなかった。