第4話 真夏の政変

 真夏の陽気は、日陰の教室にも熱風を運び、生徒も教師も汗を拭いながらの授業となる。
 ルーディが停学を解除されてから二週間が過ぎた。以前、彼を変人扱いしていた連中は、ばつが悪そうに、ルーディを担ぎ上げるような態度を取っていた。ミネルバ王女に気に入られたという話だけで、掌を返したように媚びへつらう。ルーディはそんな周囲に嫌気が差していた。今度は彼の方から周囲を遠ざけるようになっていった。意識的ではなくても、自然にそうなる。
 週末の半日午前授業が終わり、ルーディはいつものように一人校舎を出、帰路についた。他の生徒たちはとっくに出払い、蝉の声がさんざめくだけの昼下がり。おそらくいちばん後の生徒として、校門から出ようとした、その時だった。
「ルーディ君っ!」
 甲高い声がルーディを呼び止める。その声に振り返ると、カチュアが笑顔で手を振りながら駆けてくる。ルーディは真顔で見つめる。
「帰るの?」
 両膝を押さえて息を切らしながら言う。
「ねえ、たまには一緒に帰らない?」
「たまにはって・・・君と歩いたことは一度もないだろう」
「あっ、そうだったかしら」
 わざとらしく首を傾げるカチュア。
「じゃあ、言い直すね。一緒に帰りましょ?」
「・・・・・・」
 ルーディは小さくため息をつく。だが、無言の承諾だった。
 燦然と降り注ぐ直射日光は、まともに浴びると気分が悪くなってくる。幸い、帰路は並木道だったので日陰に近く、微風も少しながら涼しい。
「カチュア。今、気づいたんだけど、君の家ってこっちの方だったの?」
 ルーディの問いかけにぎくりとするカチュア。
「ま、まあ、いいじゃない。たまには違う道通るのも新鮮な感じがするでしょ?」
 苦笑し、ぎこちなく言葉をつなぐ。ルーディは小さく笑ってから言った。
「どっか寄ってくかい?」
「え?」
「アイスくらいは奢ってやるよ」
「ホントッ! きゃーうれしー」
 全く、女ってのは単純だというか何て言うのか。そんなことくらいで喜ぶものなのかと呆れてしまいそうだ。ルーディ自身、兵略や世情に関する知識は豊富だが、異性に関してはからきし無知である。彼から見れば異様とも思える、はしゃぎようのカチュアを伴い、自宅付近にある小さな喫茶店に入った。

「うわぁ、おいしそうっ。いただきまーす」
 バニラのアイスクリームに、果物やらウエハースなどが添えられたグラスが運ばれると、カチュアはたちまち一人の少女になる。ルーディはただのオレンジジュースを啜る。
「ルーディ君?」
 スプーンを2、3回口に運んでからカチュアがルーディを見つめた。
「あなたには謝らなければならないわ。停学が解かれてから、ずっと話す機会がなかったから・・・・・・」
「え・・・何のこと?」
 ルーディはわかっていたが、わざと聞き返す。
「その・・・あなたのこと、悪く言ってしまったこと。・・・まさか、停学になるなんて・・・思ってもみなかったから・・・・・・」
 申し訳なさそうに言葉を詰まらせるカチュア。ルーディは少しの間、そんな彼女の表情を見つめていたが、突然おとがいを外して笑いだした。
「なんだ・・・そんなこと気にしてたのかい?」
「だって・・・・・・」
 スプーンを口に運びながら俯いているカチュアに、ルーディは軽快な口調で言った。
「停学受けたことで君たちを恨む事は筋違いさ。僕の言葉が上官の忌諱に触れただけ、気にする必要はない」
「でも・・・、あの時、宮廷の上官たちったら、ものすごい形相で学校に乗り込んできたから。もしかしたら、あなたが・・・その・・・殺されるんじゃないかって・・・気が気でなかったのよ」
「はははははっ・・・・・・あんな事で人を殺すようになったら、君たちもこの国にはいない方がいいよ。そんな恐怖政治する国にいても、自分のためにならないからね」
「そう・・・ね。確かにあなたの言うとおりだわ。あなたが謹慎しているときに、ミネルバ様のお悩みを解いてあげたって話聞いたとき、みんないたたまれない表情してた。私もそう」
「それが人ってもんさ。甘言って、最初はとかく気分が良くなって好かれる。だが度が過ぎると、媚びへつらうと言うことになって、次第に嫌われて行くもの。正直に言う奴は最初は嫌われる。だけど、いつかはそれが本当のことだって解る。僕は気が進まなかったけど、ミネルバ様が真意をもって聞かれたから、僕は思った通りストレートに、ミネルバ様に提言したのさ。悩みを解くには甘言は必要ない。ミネルバ様は人格者。それをよくご存知だった」
「ああ・・・あなたはやっぱりすごいわ。同い年とは思えない」
 頬杖をしながらルーディを見つめるカチュア。いつの間にかアイスクリームを食べ終わり、ルーディをじっと見ていたのだ。オレンジジュースがまだ半分以上残っていたルーディは、半ば慌ててストローを口にする。
「ねえ・・・ミネルバ様のお悩みって、どんなのかしら」
 その質問に、ルーディの眉がぴくりと動く。そしてやや怒りまじりに返す。
「そんなこと、教えられるわけないだろう。野暮なこと訊くなよ」
 カチュア、寂しそうに俯く。
「そうね・・・。でも、ミネルバ様、あなたと会った後、すごく清々しい表情されてたから・・・。よほど辛いこと抱えていたんだなあって、思ったから・・・」
 その言葉の後、暫時の沈黙が二人を包む。やがて、ルーディが遠い目でカチュアの背後に広がる、窓越しの景色を見ながらゆっくりと口を開いた。
「カチュア、一つ言ってもいいか」
「なに?」
「君たち三人はマケドニア騎士団に志願するんだろ」
「ええ。おかげさまで、もう進路が決まったの。まだ一年生なのに、すごいでしょ?」
「その方がいい。あの方を支える事が出来るのは、おそらく君たち以外には考えられない」
「え・・・どう言うこと?」
「ミネルバ様はきっと、これから波乱な現実が押し寄せてくる。あの方にとっては、辛すぎる程の過酷な境遇が・・・」
「な、何?ねえ、どう言うこと?」
「時の流れは誰にも止めることは出来ない。ましてや、人の運命なんて・・・」
「ねえ――――ルーディ君?ルーディ?」
 カチュアの問いかけにも反応せず、ルーディは急に一人の世界に引き込まれ、ぶつぶつと独り言を呟いていた。

 

マケドニア城
598年8月未明――――

 

 マケドニア国主・オズモンドは、アカネイア大使より要請されていた国書の裁断のため、一人執務室に座していた。
 夜も更け、開けた窓から虫の音のみが耳に入る。新月の夜は、周囲も闇夜の帳に遮断され、風のない暑い夜は、人を疲れさせ、眠らせる。
「・・・まだまだかかりそうじゃのう・・・」
 羽根ペンを置き、背伸びをする王。大きな欠伸が出た。
 その時、無風のはずなのに、灯していたランプの火が微かに揺れた。
「はて・・・?」
 閉められた廊下の扉越しに伝わってくる異様な空気に、王は気づかなかった。虫たちは一際高い鳴き声を発し、ぴたりと止む。
 王は不思議と椅子から立ち上がり、窓際に立った。刹那――――
 扉が激しい音を立てて開け放たれた気がした。王が振り向こうとした、その瞬間――――王の背中と脇腹に物凄い熱さが貫いた。まるでスローモーションをかけているかのような出来事。
「ぐはぁっ!」
 王は背中と脇腹、そして口から熱い液体を噴き出し、血走った眼で灯りに照らされた人影を睨みつけた。
「き・・・・・・きさまはっ!」
 赤い長髪のその男は、口の端に嗤いを湛え、その切れ長の鋭い目で王を凝視していた。
「父王殿――――あなたには、もう任せておけないな」
 赤い髪の男は冷然と言うと、王の背中から刃を突き刺した男に目で合図を送る。男は王の口を強く押さえつけた。赤い髪の男は、かっと目を見開き、口を歪めて王に突き立てた剣を捻る。
「~~~~!」
 押さえつけていても無理な程、むごい悲鳴が執務室の中に反響する。赤い髪の男は王の血を浴び、その髪を更に血の色に染める。
「俺はドルーアと組み・・・アカネイアを滅ぼすことにした――――下準備は整えたゆえ、あなたには死んでもらう――――」
 赤い髪の男は剣を抜く。真っ赤に染まった剣を振り上げると、にやりと嗤いながら王を一刀の下に斬り捨てた。
 血塗れに床に突っ伏したオズモンド王は、それきり動かなかった。戻る沈黙、止んでいた虫の音が、執務室の惨劇を知ってか知らいでか、再び平和な演奏を開始する。
 赤い髪の男はもう一人の男を睨み、命令した。
「死体はこのままにしておけ。狼藉者の仕業にするのだ」
「はっ――――」
「後は・・・」
 赤い髪の男は黒目をぐるりと一回転させてから、続けた。
「マリアを捕らえ、ディールに監禁しろ」
「かしこまりました――――」
 男は会釈すると素早くその場を立ち去った。
 赤い髪の男は剣を払い鞘に収めながら、またも不気味な嗤いを浮かべていた。
「くくく・・・ミネルバよ・・・お前には是が非でも従ってもらうぞ・・・この兄の大望のためにな・・・」

「もうっ! ルーディ君ったら、急に黙り込んじゃうんだもん。呆れて帰っちゃったわよ」
「ゴメン、ゴメン。たまにあるんだ、一人の世界に入ってしまうことが」
 週一の休日。ルーディとカチュアはデートの約束をし、午前に街の公園で待ち合わせをした。そして二人同時に公園に現れ、何故か可笑しくなって大笑いしてしまったわけだ。
 取りあえずそこで会話を楽しんでいて、昨日の話を持ち出され、ルーディは失態を謝った。全く、『神智鬼謀の少年』も、少女一人におどおどするとは情けない。カチュアはわざと怒るような口調でルーディをからかい、そっぽを向いて笑っていた。
「まっ、でも昨日はごちそうさまっ。今日はお礼よ。私が奢ってあげる」
 ルーディの腕に自分の腕を絡めるカチュア。ルーディの鼻頭が無意識に赤くなる。
「おいおいばかなこと言うなよ。女に奢ってもらうほど貧乏なんかしてないって」
「いいから。今日は私がもつー」
「うるさい。女は黙ってついてこい」
「ふーん? あたしの言うことは聞けないっていうんだー・・・・・・デートやめちゃおっかなー。もしここでやめちゃったら、『信義』にあついルーディ君の『名前』に傷がつくよねー?」
「うっ・・・」
 痛いところをつく。普段の会話でルーディは常々『信義』やら『義理』やらと口癖のように言う。カチュアは見事、ルーディの弱いところをついた。結局、ルーディが折れた。
「そうそう。それでこそ男だわ。今日はうんと楽しもうねっ」
「君には負けるわ、ホントに」
 それから二人は買い物やら食事やら、娯楽場やらと、それは普通の若い恋人たちのように時間を過ごしていった。笑いの絶えない、あまりに貴重なひとときだった。
 空がオレンジ色に変わる頃。二人は河の土手に並んで座っていた。ゆっくりと流れる河。何が起ころうとも、この景色は変わらない。
「たのしかったね」
 カチュアが大きく息を吸う。
「ああ。楽しかった。こんな有意義な一日は久しぶりだよ」
 ルーディが微笑む。
「ふふっ。そう言ってもらえると、嬉しいな」
 オレンジ色の太陽が周囲を染める。吹く微風は微かに秋の気配を感じさせるように、時折ひやりとした空気を運ぶ。カチュアの青色の髪が、ルーディの白金の髪が靡く。穏やかな休日の、平和なひとときは、まさにこのような雰囲気なのかと実感する。
「・・・・・・カチュア」
 ルーディが不意に口を開いた。
「なに?」
 オレンジ色に染まった雲を見つめていたカチュアがルーディを向く。
「うまく・・・言えないんだけど・・・」
「うん・・・」
 ルーディは潤んだ瞳をカチュアに向けた。彼女は微笑みを湛えた瞳で、まっすぐルーディを見つめている。ルーディは一瞬、視線を逸らしたが、すぐに元に戻し、ゆっくりと、言った。
「僕と・・・、つき合ってくれ・・・ないか」
「えっ――――」
 途端、カチュアの表情が驚きに変わる。
「どうやら・・・僕は君の事が、好きみたいなんだ・・・うまく言えないんだけど」
 弁舌の立つルーディとは思えないほどの、ぎこちない告白だった。戸惑いを隠せないカチュア。彼女にとっては、ルーディの告白は青天の霹靂だったのか。いきなりのことで返す言葉さえ思いつかない。
「カチュアッ!」
 ルーディは戸惑いうつむく少女の前に身を寄せると、その両肩をいきなり抱きしめた。
「ちょ・・・ルー・・・ディ君・・・」
 呆気に取られたように、合わさる頬を小刻みに震わせるカチュア。不器用な少年は、気の利いたセリフさえ思い浮かばず、ただ少女を抱きしめるしかできなかった。
「は・・・離して・・・お願い・・・」
 哀しみを含んだか細い声で囁く。ルーディは少しの時間、がむしゃらに彼女を抱きしめると、肩を押さえて身を離し、紅潮した彼女をじっと見つめる。
「・・・・・・」
 視線が合い、すぐに視線を逸らすカチュア。だが、ルーディは掌を彼女の頬にあてがい、自分に向かせる。怯えたような色に染まる瞳は、揺れながら戸惑う少年を見つめている。
 一秒がとてつもなく長く感じる時間だった。黄昏の空は二人の姿を翳り、鼓動は河のせせらぎにリズムを合わせ、次第に高鳴って行く。やがて、少年は無意識のうちに、自然と顔が少女に接近し始める。瞼がゆっくりと閉じられる。
 少女の吐息が感じられた瞬間、ルーディの胸に強い衝撃が走った。
「いやっ!」
 カチュアはルーディを強く突き飛ばすと、大粒の涙をこぼしながら走り去ってしまったのである。
「あ・・・・・・」
 我に返ったときは遅かった。既に彼女の姿は視界から消え、取り残された自分が行き所のない視線をおろおろさせている。
「何てことを・・・」
 ルーディは大地に拳を突き立てた。何よりも、自分を見失ってしまったことが悔しい。そして、それがまさか、カチュアとの別れとなることなど、その時はカチュアも、ルーディも思いもよらなかった。
 傷心のルーディは、一人腑抜けたように家に向かっていた。
「あっ――――見つけましたよっ、ルーディ!」
 突然、大声で名を呼ばれ、ルーディはひどく驚いてしまった。顔を上げると、ルーディの正面から三人の若者が大慌ての面持ちで駆け寄ってきた。
「ペトゥスにニッケル、それにラルム。どうした? そんなに慌てて」
 この三人はルーディの親友。共に参謀学科の秀才と呼ばれている少年であった。三人は生きた心地のないように顔が青ざめていた。ルーディはすぐに彼らが運んできた異変を察知した。
「ペトゥス、どうした。何があった」
 ペトゥスは戦々兢々として息と唾を何度も飲み込み、恐怖に包まれた目でルーディを見、告げた。
「オズモンド王が・・・・・・・・・暗殺された・・・・・・・・・」