「ふーん。以外とあっさりだったね。それに、あなたの頭にはマルス様の'ま'の字もなかったじゃない」
「世の中には知らないことの方がほとんどなんだ。しかも、私は五年も遊んでいたようなものだからね。ほんとに、マルス様の言葉は効いたよ」
「ねえ、それで? 軍の将兵たち、最初あなたに不快感抱いてたんでしょう。どうやって証明したの?」
「それは――――」
孤独なる出廬。ルーシが解放軍に加わり、住み慣れた小さな家を出て行くとき、誰も見送りには来なかった。タイミングが悪かっただけなのかもしれないが、考えてみれば、この五年の間、ルーシは常に孤独だったのかもしれない。髭をそり落とし、衣服を正した二十歳の華奢な青年は、解放軍十万の信頼を得るため、更に孤独で辛い時を迎えずにはいられなかった。
マルスが諸将にルーシを紹介しても、まともに挨拶をしてくれたのは、総軍軍師ジェイガンを始めドーガ・ゴードン・マリク・ジュリアン・レナ・マチスくらいだった。冷たい視線を浴びても、ルーシは臆しなかった。
「盟主殿、軍勢を拝見させて下さい」
ルーシはマルスの案内で解放軍の閲兵を行った。緒戦で大敗した精鋭部隊はさすがに覇気が感じられず、再度の出陣を促せる状況ではなかった。後は戦闘経験のない、志願新兵たち。
「なるほど。マルス様、確かにこの様子ですと、グルニアの精鋭軍には歯が立ちません」
「やはりそうか・・・」
肩を落とすマルス。だが、ルーシは言った。
「ご安心下さい。幸い志願兵たちは無傷で、しかも精鋭よりも数に勝ります。この者たちを用いれば、必ずや道は開きます」
「しかし・・・この危急の折、志願兵はすぐに使えない。やはりグルニアの精鋭には、こちらも実戦経験のある精鋭を差し向けなければ・・・」
「盟主殿。この私に志願兵の訓練をお申しつけ下さい。三日で精鋭に勝る兵に仕上げてみせます」
愕然となるマルス。
「たった三日で?本当ですか」
「必ず。ご期待には背きません」
マルスはたいそう喜び、ルーシに新兵の訓練を依頼した。
ルーシは志願兵たちを一堂に会す。さすがにアカネイア王女ニーナやマルスの知名を聞きつけて志願してきた者たちである。戦闘経験はないとはいうものの、鋭意は主力精鋭部隊よりも数段上であった。輝く瞳は皆、真っ直ぐにルーシに向けられている。ルーシは一通り全体を見回してから、声高らかに言った。
「そなたたちは皆、英雄となりうる。ドルーアの脅威は四海に及び、罪なき多くの人々の命はまさに風前の灯火である。そなたたちは、愛しい妻や子を守るため、あるいは諸将軍に憧れ、あるいは功を成して出世をするため・・・様々な意志を抱き、自ら志願してきた貴重な者たちである。そなたたちの高き志は古の英雄アンリも及ばない。身近な者のため、そして大陸に住むすべての者のために、その英知・雄才を愚弱なる私に貸して欲しい」
ルーシの熱弁に志願兵たちは喊声を上げ、片腕を大いに天に突き上げる。
「参謀殿のご命令に従いますっ!」
「参謀殿のご命令に従いますっ!」
天地揺るがすほどの合唱が居並ぶ新兵たちから津波のようにルーシに襲いかかる。ルーシは胸に手を合わせ、深々と拝礼した。
その日から新兵たちはルーシに心従した。陣立て、武術の指導、剣・槍・弓の扱い、すべてがルーシの言うとおりに動く。訓練担当官として、それまで新兵の統率に当たっていたロシェは、まるでルーシの手足のように動く新兵たちの姿に唖然となった。時に太陽が南天に差しかかる正午前。
「ルーシ殿」
「これはこれはロシェさん。どうですか。ご覧下さい」
ルーシは笑顔でロシェを迎える。ロシェは驚きの表情を兵士たちの方に向けながら、ルーシの案内で喊声轟く新兵の隊列の中に入って行く。
「陣形を変えよ」
ルーシの一声で万人の兵たちは、寸分も乱れず、指導された隊列を組んで行く。それは整然たるを越えて、美しいほどだった。ロシェはなおも呆然とした表情で視線は宙を舞っている。
「ロシェさん、ご覧下さい。鋭気だけならば精鋭軍にも勝る。彼らに足りないのは実戦を想定した訓練と、武器を使いこなす技術力、そしていかに命令の伝達を浸透できるかです。厳しい訓練を三日も続ければ、一人で一万の敵に当たれるほどの精鋭となります」
そう自信満々に言い切るルーシに、ロシェはようやく感嘆の声を上げた。
「驚きました。まるで別物を見ているようです。私が指揮をしていたときは、剣の鍛錬どころか、意志疎通でさえままならなかったのです。それをあなたはたった二日でここまで・・・いや、本当に素晴らしいと思います」
「軍の勝敗は一人一人の兵士の活躍に左右されるもの。日頃から飴と鞭を使い分けた訓練を積めば、常勝は間違いありません」
ロシェは何度も頷きながら、みちがえった新兵たちに視線を送り続ける。
「よしっ!今日はここまでとする。出陣は明後日ゆえ、明日は休養を取り、戦意を養いなさい。各々、ゆっくりと休養を取るなり、家族の元に帰るなり、明日一日、自由に過ごしてくれ」
その言葉に新兵たちの間からは、一斉に歓喜の声がわき起こった。
「参謀殿、ありがとうございますっ!」
「参謀殿、ありがとうございますっ!」
ルーシは二日後の昼前までに戻るように指示を下す。新兵たちは跪いて深々と拝礼をすると、ざわめきたちながらそれぞれに散っていった。
そして誰もいなくなると、ルーシは途端に大きな欠伸をし、両腕を思い切り天に突き上げる。
「ルーシ殿、なぜ兵士たちに休養などを。まだ一戦も交えていないというのに」
「疲れたからですよ」
「えっ?」
「はははは。冗談です。・・・厳しい鍛錬は確かに必要。しかし、時としては心身共に解放し、自由を与えることも立派な鍛錬のひとつです。飴と鞭ですよ」
「なるほど・・・」
「ロシェさん、大丈夫です。見ていて下さい。二日後、彼らは今までより更に磨きが掛かった兵になって帰ってきますよ」
ルーシは自身高らかに笑った。
「ならば明後日は・・・・・・いよいよですね」
ロシェは感心と期待に声を弾ませていた。
「何? 新兵たちを解放した?」
ハーディンがロシェの報告を聞くと怒りを大いに顕わした。
「マルス様が誠意を尽くして召集した貴重な戦力を・・・何と言うことだ」
アベルが失意のため息を漏らす。
「しかし、彼の訓練法は今まで私たちが試みたものとはまるで違っておりました。新兵たちの意気も格別です」
「ロシェ、志願兵というものは、どこでも意気だけは盛んなものだ。だが、それに恃み即戦力になるものかと思えば、それは違う。いざ戦になれば途端に士気くじき、敵前逃亡するもの。ゆえに時間をかけて訓練をし、敵にも畏れぬ精神を磨き上げねばならない。それをたった三日で精鋭にも勝る勇卒に育て上げるだと? 大言も甚だしい」
ハーディンに続きアベルも吐き捨てるように言った。
「おまけにむざむざ解放するとは・・・何を考えているのか、さっぱりわからねえな」
「もしかすると、真っ先に敵前逃亡するのはあの野郎かも」
「カイン、それ言えてるわ」
カインの嘲笑に更に嘲笑が加わる。
「あっ、ジェイガン軍師」
ロシェの言葉にぴたりと笑いの止まるその場。
「何を笑っているのかな」
威厳のある嗄れた声が響く。アベルが口を開いた。
「ジェイガン様、よいところへ。一つお伺いしたいことがありました」
「ルーシ殿のことであろう」
聞かずとも、雰囲気を見ればわかる。
「あの若者の事をあまり悪く言うのはよすのだ」
「なぜです? まさか、ジェイガン様はあいつのことを・・・」
ジェイガンは頷いた。
「あの若者の唱える計はまさに奇策中の奇策だ。この私ですら思いつかなかった」
意外とも言うべき答えだった。愕然となる一同。それよりも、どこかに出かけていたのだろうか。挙兵以来、昼夜万事を指示していた古参の重臣ジェイガンは、鎧姿で息をかすかに切らせていた。
「軍師、どちらへ行かれていたのです?」
「王子とルーシ殿と共に峠まで視察に行っていた」
「何とっ!」
ハーディンが奇声を発する。
「出陣は明後日の正午! 各々、鋭気を養っておくのだ」
「明後日っ! ・・・そんな、聞いておりません」
「好機は明後日の一日にかかっている。これを逃すわけには行かぬ」
新兵を解散させた後、ルーシは休む間もなく、盟主マルスに呼ばれて本陣営に赴いていた。
「ルーシ参謀。新兵たちを解散させたと聞いていますが」
「盟主殿、ご安心下さい。新兵は明後日までに、精鋭に勝る強者となって戻ってきましょう。これにて再度の出陣の目処はつきます」
ルーシの言葉に、やや安堵の表情を見せるマルス。
「ならば、敵を破る策は・・・・・・」
「策はございます」
「ならば・・・」
やはり不安げなマルスであった。ルーシは一呼吸を置いてから告げた。
「盟主殿。これから峠道に視察に行きますが、ご同行できませんか」
「峠に?」
マルスにとっては前の戦闘で散々なめに遭った魔の峠。しかし、そこを抜けなければ、ワーレンを突破できようはずがない。
「わかった。ならばジェイガンも同行しよう」
ジェイガンは比較的ルーシに好意的であった。それと重ねて、ルーシの胸中に秘めている策を聞くことも、彼自身楽しみであった。
三体の馬は北へと疾走していった。そして、約二時間後、解放軍が大敗を喫した峠道を一望する丘陵に馬を止める。
「盟主殿、ジェイガン軍師。あれに見えるのが北ワーレン峠です」
そこは街道が南から続き、西に大きく迂回をして北へ抜ける、起伏の激しい難所である。
北側には森林、南側は岩山。緑と土色という全く対照的な風景が望む。
「私たちの軍は、あの峠を抜けるところで敵の策に掛かり大敗してしまった。まるで昨日のことのように思い出します・・・」
マルスの声は沈んでいた。
「盟主殿。あそこは地形を利用した『擬兵の計』が最も功を奏します」
「擬兵の計?」
「つまり、少数の兵を、地形を利用し大軍に見せかける事です。あの森はそれ程密集してはいないゆえ、見通しは利きます。伏兵には向きませんが、逆に大軍に見せかけるには打ってつけです。おそらくグルニア軍は、森に擬兵を置き、岩山の方に伏兵を配置していたのです」
「岩山だと? そんなはずはない。わしは周囲を隈無く調べたが、兵の気配などはなかったぞ」
ジェイガンが反論する。
「ジェイガン軍師、ならば岩山も隈無く探索されたのですね」
「それは・・・・・・」
言葉に詰まるジェイガン。
「森に伏兵ありと感じ、障害物のない岩山の方には注意が行き届かなかった。グルニア軍はそこを突いたのです。・・・まずは当方が進軍し、頃合いを見計らい擬兵が動く。当方が気を取られている間に、岩山に待機していた伏兵が当方の背後に廻り、急襲をかける。混乱した当方を正規軍が前面から叩く。こういった感じだったのでしょう」
「むう・・・正しくその通りだ」
ジェイガンは唸った。
「なら、どうすれば・・・」
と、マルス。
「グルニア軍は緒戦でほぼ勝利したも同じ。擬兵の策は成功し、二度目の同計は、当方はかからないと思っているはず」
「そうだ。同じ手に二度はかかるものか」
ジェイガンが断言する。ルーシはかすかに微笑みを浮かべていった。
「ゆえに、次も同計で来るはずです。・・・おそらく、もう両側に兵は潜んでおりましょう」
「!」
マルスもジェイガンも愕然となった。
「ご安心下さい。一兵も失わずに敵を撃退する策はございます」
「早く言ってくれ」
ジェイガンの声が荒がる。
「主力たるソシアルナイトの部隊は一気に峠を駆け抜けさせ、アーマーナイトを次鋒とし、ハンター・アーチャー部隊は森に潜む敵を殲滅し、逆に敵になりすまします。盟主殿とマリク殿はわざと三度敗退し兵を後退させ、岩山の伏兵をおびき出し、森に潜むハンター・アーチャーとこれを挟撃し、一気に殲滅させるのです。さすれば、敵の士気をくじき、峠越えは成せます」
ルーシの言葉に一瞬の沈黙の後、ぱんっと、手を打ちならして嬉々とした声を上げたのはジェイガンだった。
「なるほどっ! 言われてみれば確かにその策、妥当だ。『虚をもってその虚を衝く・・・』いやあ、このわしでさえ思いつかなんだわ」
「そうか。勝てるのですね」
「これぞ妙計中の妙計だ。王子、この策ならば、確かに兵を損ねずに峠越えはなせますぞ」
「よしっ! ならば早速みんなに出陣の準備を整えさせよう。明後日には出陣することにしたい」
「皆にその旨、伝えますぞ」
マルスとジェイガンは笑っていた。しかし、ルーシはただ微笑みを浮かべているだけであった。
急な出陣の触れに、諸将たちはルーシの口車に乗せられたのだと、不満の声があちこちからわき上がっていた。
そんな中で翌日に出陣を控え、ルーシはマルスに再び呼ばれた。マルスは笑ってはいたが、不安な色は容易に見抜けた。
「盟主殿、ご決意はつかれましたか」
ルーシの言葉に、マルスはやや悲しそうに言った。
「出陣はするけど・・・何かね・・・」
「盟主殿の心に迷いがあってはいけません。軍は総帥の心一つで士気や勝敗に繋がります」
「それは解っているけど・・・やはり緒戦のことがね・・・」
「マルス王子」
マルスのことを『盟主殿』と呼んでいるルーシが、珍しく名前を言った。思わずルーシを見る。
「王子のお考えは、私の策が是か非か・・・と言うことでございますね」
「・・・・・・」
どうやら図星であったらしい。
「どの策を取るかは、王子の裁量一つにかかっております。・・・どうか、これ以上のお迷いなきよう」
ルーシが平伏する。マルスは静かに瞳を閉じ、じっと何かを考えていた。どれくらいの時間がたったのだろうか。十分が一時間にも感じたとき、マルスの瞳が開かれた。そして。
「紋章をっ!」
その瞬間、ルーシは思わず顔を上げてマルスを見た。マルスは真っ直ぐにルーシを見つめている。そして、近侍の兵が金箔の箱をゆっくりと運び、マルスの前に置いた。
「ルーシ。これはオレルアンを奪回したときに、ニーナ様から拝領した、伝国の『炎の紋章(ファイアーエムブレム)』です。これを掲げ、全軍に指令を」
マルスは金箔の箱を手に取ると、ルーシの前に歩み、それを差し出した。
「め、盟主殿っ! それはいけませんっ! ああ、畏れ多いこと」
ルーシはマルスの行動に愕然となり、思わずひれ伏した。
「このたびの戦、知謀を用いなければ、勝てることは適わないことを、あなたの献言を聞き、今ようやく気づいた。この紋章は私たち全員の象徴です。これを掲げ、指令をして下さい」
マルスの意は固かった。ルーシは恐々とそれを受け取り、強く言った。
「このルーシ、盟主殿のご期待に背きませぬ。必ずや、大捷をお約束いたしますっ!」
ルーシはマルスから炎の紋章を託され、ワーレンに押し寄せるグルニアの大軍を迎え撃つ指揮を取ることになった。それは同時に、解放軍の諸将たちの、ルーシに対する感情が、不信から信頼へと変わる一つの契機になろうとは、このときは誰も予想だにしなかった。