穏やかだが熱い風が時折、吹き抜けてゆく。ルーシは土手に大の字に横たわり、流れる雲を見つめている。
カチュアもまた緑の風に髪を靡かせ、夏の雲を眺めている。
「マルス様は私に炎の紋章を託して下された。そのときから、私はマルス様に真の忠誠を誓ったんだ」
「心の広い方よね、マルス様って・・・」
ルーシの話は続く。
馬の嘶き、甲冑剣戈の音が朝からけたたましく、ワーレン外れの解放軍陣営に鳴り響く。
グルニア軍との再戦。一度目は大敗に近い打撃を受けた。そして二度目の出陣となる今日。間違っても敗れるわけには行かない。無論、引き分けるわけにも行かない。勝つのみ。解放軍諸将たちはそんな緊張の中、出陣式へ臨む。
風があった。強い風は砂埃を巻き上げ、軍旗は休む間もなく開き続け、風の唸りが耳にうるさい。
「出陣はいいとして、あのルーシという男が解放した新兵たちは未だ戻ってこないな・・・」
タリス近衛隊長オグマがそう呟く。
「戻ってくるはずがありません。これから戦いが始まるというときに、自ら命を差し出す人間がどこの世界にありますか」
ビラクが嘆く。
「マルス王子も性根からルーシを信用しているとは思えないが・・・そう思わないか、ナバール」
オグマは隣の紅の剣士ナバールに問いかける。
「俺には関係のないことだ」
素っ気ない返答はいつものことである。
そして居並ぶ諸将たちの後方からどよめきが巻き起こった。
「ん? ・・・どうしたのだ?」
オグマが身を乗り出して後方を見る。そして、さすがの彼も驚かずにはいられなかった。
マルスとニーナ王女が並び、ゆっくりと前に進んでくる。しかし、その二人の前に、黒衣を身に纏い、裾を風に靡かせた若者が、右手に金箔の箱、そして左手に宝刀を携え、マルスとニーナの歩調に合わせて歩み進んでくる。
「あれは・・・ファイアーエムブレムではないか」
「伝国の紋章がなぜあの男の手に」
「奴め、何を考えているのだ」
諸将は口を揃えてそう言っていた。どよめきの中、三人は表情を変えずに壇上に上る。そして、更に驚かされたのは、マルスもしくはニーナが座るべき席にルーシがついたことである。マルスとニーナは、さながら近侍のように左右の端に据えられた席についた。
ルーシはマルスとニーナに視線を送る。そして確認したかのように小さく頷くと、毅然と前を向き、唖然とする諸将を見下ろす。ルーシは、金箔の箱と宝刀を恭しく拝し、前に置く。そして一つ息をついてから、厳然とした声を発した。
「これより、ドルーア帝国平東将軍・カナリス追討の出陣に際し、アカネイア神聖王国ニーナ王女の名において、指令を下す。各諸将は謹んで命を受けられよ」
意表をつかれすぎたその光景に、言葉さえ失うハーディンたち。ルーシはそんな彼らの心境をよそに、次々と諸将に号令を下してゆく。
「先導官」
「はっ!」
部隊先導担当の兵士が前に進み出る。
「そなたはこれより北ワーレン峠に行き、グルニア軍の動静を探るのだ。そして、逐一報告せよ」
「かしこまりましたっ!」
「兵糧官」
「はっ!」
「そなたはワーレンから調達した食糧を調べ上げ、報告せよ。そして、その半分を北ワーレン峠の麓に運び、厳重に保管するのだ」
「ははっ!」
「中央公路守衛官」
「ここにっ!」
「そなたは引き続き中央公路の守備の任につき、グルニアもしくはマケドニアの軍勢が現れたならば守りを固め、三日間足止めさせよ。危急の際はこの書簡に計が記してあるゆえ、その通りに行動せよ」
「必ずっ!」
「ワーレンの守り」
「はいっ」
「そなたは海岸線一帯の防備を強化し、万が一のためにペラティ海賊団の来襲に備えよ。怠ってはならない」
「解りました」
「諜報官」
「はっ!」
「そなたは陣に控え、待機せよ。時期が来次第、命を出す」
「畏まりました」
迅速で的確な号令に、マルスは感嘆し、ニーナはいちいち頷いている。
「ふん、大したことはないな・・・」
ハーディンがそう呟き、横目使いで壇上のルーシを見ている。
「カイン、アベルっ!」
突然名を呼ばれて二人は呆気にとられた。呼んだのは無論、ルーシである。
「カイン、アベル、前へ」
(なんだよあいつ、偉そうに・・・)
(ったくよ、何様のつもりなんだ?)
そう呟き合いながら渋々前へと進み出る二人。
「二人は先鋒だ。それぞれ五〇〇の兵を率いて直進し、峠を一気に駆け抜けよ。峠を抜けたところに集落がある。狼煙にて合図を送るゆえ、狼煙が上がったならば、敵と戦わずに峠まで引き返すのです」
そっぽを向いている二人。聞いているのかいないのか。しかし、ルーシは怒りもせず、二人の名を呼んだ。
「お二方、今私が申し上げたこと、聞いておられたか」
その問いかけに、アベルが投げやりに答える。
「峠を抜けたところで待機して、合図を待てってことだろ」
「・・・・・・」
ルーシはゆっくりと瞼を閉じてから声を発した。
「先導官」
「はいっ」
「そなた、ワーレン地方の地形には精通しているな」
「もちろんです。それがお役目ですから」
「カイン・アベル殿に峠の地理をお教えしてくれ」
「はい・・・。峠は西へ大きく迂回し、抜ければ西側に林。林の手前には民家二〇軒ほどの小さな集落があり、峠道を一望できます。参謀殿の仰るとおりです」
その言葉にカインとアベルは投げやりに頭を下げて自分の席に戻る。
「カシム、ゴードン」
「はいっ」
「はっ!」
ハンター・アーチャーの二人は、素直に前に進み出、拝礼する。
「そなたたちはそれぞれ50の弓兵部隊を率いて夜間に峠北側の森林に潜む敵兵を倒し、敵の伏兵になりすますのだ。そして合図があるまで待機せよ」
「承知いたしました」
「森林に潜む敵兵は100に満たないはず。ハンターであるカシムを先導とし、夜間に行動すれば、味方に損害は出ない」
カシム・ゴードンは力強く頷く。
「オグマ、ナバール」
二人の傭兵は無表情にカシム・ゴードンと入れ替わる。
「そなたたちはそれぞれ峠道の両端に潜み、号令を待つのだ。急襲を得意とする二人には峠越えの作戦には欠かせないゆえ。今、作戦を言う」
ルーシは振り返り、マルスを見、拝礼した。マルスは立ちあがり、ルーシの言葉を待つ。
「盟主殿にはカイン・アベルの後詰めとして出陣してもらいます。新兵300を率いてカイン・アベルの後に続いて下さい。岩山に潜む伏兵、並びに敵正規軍が前方に姿を見せたならば、戦わずに背走するのです。三度背走すれば、敵は術中にはまり、主力軍を峠道に誘い込むことが出来ます」
「わかった」
そして再び、前を向くルーシ。
「時を見て狼煙が上がったならば、カインとアベルの部隊は集落から出撃し、峠道を塞ぐのです。おそらく、敵はソシアルナイト・ホースメン等の騎馬部隊が先陣ですので、狭い峠道は自由に動けません。戦闘力の高い部隊も、上手く裁けば子供の手をひねるよりも容易に倒せます。騎馬部隊を殲滅すれば、後続はアーマーナイトやアーチャー部隊。オグマ、ナバールにはこれを討っていただく」
二人はなおも無愛想に会釈を送ると、自分の座へ退いた。
「シーダ」
シーダはまさか自分が呼ばれるとは思っていなかったらしく、上の空だったが、隣のレナから言われて半ばびっくりした様子で前に進み出た。
「はい・・・・・・」
「そなたはペガサスを駆り、東の沿岸に進んでもらいたい。ペラティ海賊団の根城があるゆえ、これを制圧するのです」
「私一人でですか? ・・・そんな・・・」
ルーシの家以来、二度目の悲しそうな表情をするシーダ。しかし、ルーシは言った。
「海賊団は特に夜間に厳重な警戒を見せる。それに、我々は前の敗戦により、戦意が回復していないと思っているゆえ、油断がある。夜間に攻撃をせず、裏をかき昼間に襲撃すれば、たとえ女性であれ、容易に勝てるはずです。ご安心を、必勝は私が保証します」
おまえに保証されたかねえな、と呟いたのは例によって、カインとアベルの二人である。シーダはマルスの方を一瞥した。無言で頷くマルス。シーダは微かに笑みを浮かべ、ルーシに向かい頭を下げた。
「ハーディン公」
そして、ルーシを一番に嫌う名将の名が呼ばれる。一瞬、ハーディンは足を止めたが、マルスやニーナを気遣い、渋々前に進み出る。そして、にらみ付けるようにルーシを見る。
「何なりと指示されよ」
棘のある言葉にもルーシは怯まず、あくまで毅然とした態度で言った。
「ハーディン公には陣に残り、諸将の統率に当たって欲しい」
「何だと!?」
明らかに不快な表情を見せるハーディン。他の諸将もさすがに愕然となった。まさか草原の狼と異名をとる猛将ハーディンが出陣しないとは、誰も思いもよらない事であったからである。
オレルアン以来、常に解放軍の中核として、逸る諸将を抑え、マルス・ニーナからの信頼も厚く、ジェイガンと並ぶ参謀であった。そんな彼が、この危急存亡の秋、パレスを目前にしての重要な一戦に不参陣とは、あまりにも意外で、常識外れだった。
「ルーシ、ハーディンがいないと全軍の士気に関わる。再考してくれないか」
マルスが嘆願する。だが、ルーシはただ畏服するだけであった。
「ハーディン公の威名は遍く知れ渡るところ。しかし、こたびの作戦は大公の手を煩わせるには及びません」
「・・・・・・」
マルスはともかく、ハーディンの顔面は紅潮し、髭が逆立つ。唇は血がにじむと思えるほど強く噛み、肩は震えている。言いようのない怒りが名将の心を夜叉に変えてゆく。
「し・・・承知した・・・」
それでもさすがは天下の英雄。理不尽とも言えるルーシの指示に、心の中にわずかに残った自我を前面に出し、暴挙を起こすことはなかった。
「ルーシ殿」
ご主君を愚弄されたと思い込んだウルフが、語気を強めて進み出た。
「出陣はいいが、あなたが解放した志願兵たちは未だ戻ってこないようですね。いかがされるのです?」
ウルフに続き、ビラクも声高らかに言った。
「志願兵の代わりに、ルーシ殿、あなたが敵の矢面に立たれますか?」
その言葉に反ルーシ感情の諸将たちの間に嘲笑が起こる。
「皆がマルス王子を魚にたとえ、ルーシ殿を水にたとえているが、水が毒水であれば魚は逃れるすべなく死ぬというもの。ならば一層のこと毒水を敵に浴びせようではないか」
と、ザガロ。尽きることのない誹謗がルーシに浴びせられる。それに狼狽えるのはマルス、ニーナ。同じ壇上にいるルーシは、平然としている。そして、笑いもおさまりかけた頃、その声が一際大きく響いた。
「志高き勇士たちっ、喊声を上げよ」
その瞬間、居並ぶ諸将の後方から、津波のような衝撃波がわき起こった。
「参謀殿っ、ご命令をっ!」
「参謀殿っ、ご命令をっ!」
「ドルーアを討ち、我らがアカネイアを守れっ!」
「ドルーアを討ち、我らがアカネイアを守れっ!」
皆は愕然となって振り返る。すると、そこには圧倒されるような闘志を漲らせた、凛々しき男たち。整然と隊列を組む彼らを直に目の当たりにすると、異様なほどの威圧感がする。
ロシェは特に驚いていた。二日前に見た新兵だとは思えない。前の戦いで率いた歴戦の精鋭に相当・・・いや、それ以上の兵士たちに、まるで生まれ変わっていた。
そう、彼らはこの一日半でそれぞれの心残りをすべて晴らしてきたのだ。家族への思い、愛する者への思いを。新兵たちはルーシの言ったとおり、この二日で精鋭以上の猛者となって全員、帰還してきたのである。感嘆する面子をよそに、言葉を失う反ルーシの面々。
ルーシが右手を高く掲げると、喊声がぴたりと止み、再び風の音が鳴り始める。
ルーシは一度、諸将を見回してから、ゆっくりと金箔の箱を両手に掲げた。
「私は無能で若輩ながらも、盟主並びにニーナ王女に全軍の指揮を委ねられる栄誉を賜った。この戦、必ずや大捷し、皆のご恩に報いる。計は必ず成功する。各々、その力を十分に発揮して欲しい」
再び、もの申す様な感じがするアベルたち。しかし、ルーシはこれ以上は言わせなかった。マルスの宝刀を掲げ、毅然と言い放った。
「命に従わぬと言うのであれば、斬るっ!」
そこへマルスが口を開く。
「戦いに策は欠かせないもの。私はルーシの策を信じ、指揮を委ねた。ルーシの言葉は私の言葉と同じ。みんな、ルーシを信じてくれ。この戦いに敗れれば、私たちは終わってしまう。頼む」
何よりもマルスの言葉は重い。アベルたちはこれ以上、ルーシを叩くことは出来なかった。
(ならばあの野郎のお手並み拝見と行こうか、カイン)
(そうだな・・・話はあとでゆっくりつけてやる)
そしてルーシは最後の指令を下す。
「ジュリアン、レナ、マチス」
「へいっ・・・じゃなくて、はい!」
「はい」
「はっ!」
何ともぎこちない、元盗賊のジュリアン。シスター・レナ。その兄マチス。
「そなたたち、明後日までに、ささやかな祝宴の準備をしてくれ。無論、兵士たちも含め全人数分のな」
ルーシは微笑んでいた。三人が下がると、一際強い風が吹き、軍旗が大きくたなびいた。そして・・・
「指令は以上っ」
ルーシの後、マルスが出陣の号令をかけた。
「全軍、出陣っっ!」