第10話 信頼

 ルーシの話は続く。さすがに疲れたのか、一旦話は中断した。
「のど渇いたね。何か飲み物見つけてくるわ」
 カチュアは身軽く跳ぶように立ち上がる。
「おいおい、陣営まで戻るつもりかい?」
 距離が距離だ。往復三十分はかかる。その間に脱水にでもなったら、それこそ意味がない。だが、カチュアは笑顔で答えた。
「大丈夫。ルーディ君、私が快足なの、知ってるでしょ? 十分・・・うーん、十五分で戻ってくるわ」
「無理するとぶっ倒れるよ」
「こう見えても、体力だけには自信があるつもり。待ってて」
「あ、ああ・・・」
 さすがの謀士も女性の前では良策も巧言も思いつかない。ただ、肯定するだけだ。
「大丈夫、すぐに戻ってくるわ。だって、これからが面白いんでしょ?」
 いとも簡単にルーシの心境を見破る。女性に心を看破されるようだと修行が足りない。いや、それは見栄だ。ルーシにとって、カチュアにだけはどうも勝てる気がしない。戦略ではなくて、対の時。カチュアはあの時と変わらない笑顔でルーシを見ていた。
 この五年で、カチュアは変わったのかも知れない。だが、表情も言葉も五年前と何ら変化がない感じがする。ルーシが話している間、彼女は目を輝かせて、嬉々とし、哀々とする。ルーシも自然と、五年前のカチュアと過ごしたときに戻る。
 カチュアが振り返る。だが、彼女の脚は止まったままだった。
「ミネルバ様っ!」
 視力の良い彼女は、河原道の彼方の人影を見逃さなかった。彼女の声に反応し、平服の紅い龍騎士は早足で近づいてくる。
「カチュア。そなたもここで涼んでいたのか」
「はい。ルーディ君もおります」
ルーシはミネルバと視線が合うと、小さく会釈した。
「そうか、お邪魔だったようだな」
「そんなことありません。・・・あっ、そうだ! ミネルバ様も一緒にお聞きしません? ルーディ参謀の軌跡」
「軌跡?」
 首を傾げるミネルバ。ルーシは顔を真っ赤にして言葉を割り込める。
「カチュア、何を言うんだ。ミネルバさんの、ためになる話じゃあない」
 だが、カチュアは無視してミネルバに話す。
「この五年の間、私たちを放って、何をしていたのか聞いていたのです」
 にやりとしながら、やや意地悪を込めてルーシに横目を使うカチュア。
「ほう、それは興味深い話だ。実は私も聞きたいと思っていた」
 ミネルバもカチュアに同調する。
「ミネルバ様。私、飲み物を持ってきます」
「すまない」
 カチュアはルーシの横にミネルバを案内すると、頭を下げてから小走りに河原道の向こうに消えていった。
 短い時間、若き謀士と若き龍騎士は同じ雲を見つめていた。互いに話すことは山ほどある。ルーシにとっては、初めて自分を信じてくれた人であり、ミネルバにとっては、おのが悩みを真剣に話し、相談できた人物。不器用だったが、それでも信頼し合えた。何から話せばいいのだろう。ルーシはこの五年間に彼女がどんな苦境に立たされたのか、自分の不甲斐なさのために、どれほど辛い目に遭ってきたのか、聞きたいし、謝りたかった。ミネルバはルーシの言葉に支えられて五年の間、じっと時を待ってこられた。苦境を責めるなんて事は考えていない。むしろ感謝の言葉さえ飽き足らない。そして、ルーシの五年間の境遇を聞きたかった。何から言い出そう。選択肢は無数にあった。
 そして、最初に口を開いたのは、ミネルバだった。
「・・・今から思うと、あなたとは必ず再会できると思っていた」
 ルーシははっとなりミネルバを見る。その美しい瞳で、青空を流れる雲を追っている彼女の横顔は、とても大陸を畏怖させた猛将とは思えない、とても穏やかで、優しく、美しかった。
「なぜかはわからない・・・・・・ただ、そう信じていたから、私はここまでこれたのかも知れない」
 意味深な言葉だ。決して、飾り付けた言葉なんかではない。ミネルバ自身、正直な気持ちが、そのまま言葉に出たのだ。
「・・・・・・」
 ルーシはあえて、何も言わなかった。休日の穏やかな晴れのひととき。難しい言葉も、格好つけた言葉もいらない。多忙さのなかで、忘れかけていた大切な気持ちが、自然と蘇る。
「本当に、無事でよかった・・・。今、心からそう思う」
 心なしか、ミネルバの声が震えているように感じた。
「お互いに・・・」
 ルーシも、優しい微笑みをたたえながら、そう答える。
「お持ちしましたっ!」
 ゆっくりとしたひとときに、カチュアの声が春眠を醒ますかのように響いてくる。
「あれ? 何か声掛けちゃ悪かったかしら」
 カチュアのとぼけたような科白に顔を真っ赤にして慌てる二人。
「カチュア、君まで何を言うんだっ!」
「ま、全くお前ってやつは・・・」
「ふふっ、ごめんなさい。それよりハイッ、椰子の実ジュース持ってきたわ。ああ、ルーディ君、残念だけどオレンジジュースはなかったわよ」
 木製の水筒を二つ、差し出すカチュア。苦笑するルーシ。
「充分だ。ありがとう」
「すまない」
 ルーシとミネルバがそれを受け取ると、カチュアはルーシのそばに座る。ミネルバと、ルーシを挟むように。両手に花だと聞きはよいのだが、ルーシは何分女性の前だとまるで無能人。緊張のあまり、心臓が張り裂けそうになる。
 カチュアはルーシの事ならば大概のことがわかる。五年の歳月が経っていても、不思議と忘れることがない。ルーシの今の心境を察知して、耳元で囁く。
「ルーシ君、私とミネルバ様と、選ぶとしたらどっち?」
「なっ・・・・・・」
 ぽかんと呆けた表情をするルーシ。予想通りの反応にくすと笑う。
「ん? 何の話だ?」
 不思議そうな表情をするミネルバ。呆気にとられるルーシ越しに、カチュアは笑って答えた。
「何でもありません。さっ、ルーシ君、話の続き。ほらっ、ぼーっとしてないで」
 肩を揺すられ、我に返るルーシ。そして、カチュアとミネルバを交互に見てからさえない苦笑をこぼした。

 出陣の号令がかかると、諸将たちはルーシの立てた作戦に渋々従う形で退出していった。そして、その第二次ワーレン平定戦の先鋒となるのは、否応なく、ペラティ海賊団の追討を受命したシーダであった。彼女は自他共に認める、事実上のマルスの恋人であった。ゆえにこの令嬢は、タリス決起以来、片時もマルスの側を離れることはなかったのだ。そして今、荒くれ海賊の根城に単独で乗り込めという。出陣の号令後も退出せず、その騒ぎようは尋常ではなかった。
 ルーシの説得は当然聞かず、マルスの言葉でさえも涙をぽろぽろこぼす始末。そしてルーシはシーダを指さし、ついに激しく叱咤した。
「命に従わぬと言うのであれば、武器を捨て、さっさと国に帰るがよい。そなたは女性ゆえ、斬ることは出来ない。だが、このままだと全軍の士気に関わる。戦意のない者は無用だ」
「ルーシ、それは言い過ぎだ」
 シーダをかばうマルス。だが、ルーシは同情などしない。
「盟主殿、これは生死をかけた戦です。私情は仇となります。志を遂げるおつもりがあるのならば、よくよく考えて下さい」
 結局、二時間近くにも及ぶマルスの説得によって、シーダも折れた。ルーシは腫れ眼のシーダに告げた。
「もしも海賊団の一人があなたに刃を向けたならば、私はこの命を差し出しましょう」
 シーダもマルスも、一瞬、唖然となった。ルーシの言葉がよく理解できなかったからだ。ルーシは言い直した。
「一人でもあなたに武器の先を向けるようなことがあったら、私は責任を取りましょう」
 突拍子もないことを言う男だと思った。戦に刃を向けない者などいるはずがないだろう。
「そんなこと、言わなくてもいいです。わかりましたから」
 半ばやけっぱちのシーダ。
「本当は言いたくなかったのです。あなたに油断が生じてはならないと思い・・・」
「?」
 マルスの方が怪訝な表情をする。
「前にも申し上げたとおりです。今の海賊団は千刃の前に立つ裸像の如き者たち。シーダ様どころか、十の子供だとて敵ではありません」
 素っ気なく言うルーシに、思わず息をのむマルスとシーダ。
「ガルダの海賊を相手に戦われたシーダ姫には経験がある。故に、適任という訳なのです」
 そしてシーダはペガサスを駆り、ワーレン海岸に拠を構えるペラティ海賊団の根城を目指した。
(いいですか、敵の油断しているところを一気に潰して下さい。躊躇ってはなりません。あなた様は敏捷ゆえ、それを生かせばわずか十分で、敵の機能は完全に停止します。)
 根城である岩陰が近づいてくるにつれ、ルーシの言葉がシーダの脳裏に繰り返す。
「そんなこと言ったって・・・あの人が戦う訳じゃないから・・・」
 確かにそうだ。だが、シーダ自身このときは気づいていなかった。意外な結果が待っていると言うことに。
 シーダは細身の槍を構えながら、ペガサスを低空飛行させ、岸壁寄りに根城に近づく。見張りの者の姿など無く、殺気も感じられないのが不思議だった。そして、岩陰をのぞき込むように海賊の拠点を見ると、シーダは驚いた。何と、一〇〇人近い荒くれ者たちが上半身むき出しに、武器もなく泥酔していたのだった。完全な無防備状態。
「まさか・・・あの人の言うとおりだわ・・・」
 シーダはそう呟くと、槍を構え直し、手綱を捌き、一気にそこを襲撃した。
「むおっ! な、何だ貴様っ!」
 呂律の回らない海賊たちに、シーダの甲高い叫び声が突き刺す。
「え~~~~~いっっ!」
 海賊たちは突然の急襲に大混乱に陥った。気づいたときにはシーダの槍にかかった者は二〇余名。武器も無く、一方的にやられてしまっていた。しかも酩酊状態なので、満足に身体も動けず、まるで案山子のようだった。そして、ルーシの言ったとおり、一〇分とかからないうちに無抵抗なペラティ海賊団の根城は、シーダ一人に制圧されてしまった。
「そんな・・・、信じられない」
 自分の成し遂げたことに呆然とするシーダ。沈黙する辺りを見回し、腰が抜けたように地面に座り込む。

 北ワーレン峠に近い解放軍の本陣。マルスはやはりシーダが気がかりなのか、どうも落ち着きがない。しかしルーシは余裕綽々と笑っている。
「まずは落ち着かれませ。我らの初勝利の報は近いですよ」
「しかし・・・」
「はははは」
 そんなルーシを見て落胆の嘆息をつくマルス。そして、注進兵は間もなくやってきた。
「申し上げますっ! ただ今、シーダ様がご帰還されましてございます」
「何っ」
 驚くマルス。変わらない笑顔を見せるルーシ。
「は、早く通すんだっ!」
 マルスの急かす口調に注進兵も慌てて下がる。やがて、項垂れ、力無く少女はやってきた。
「シーダッ!」
 マルスの言葉にも、彼女はわずかながらに顔を上げただけで、すぐに項垂れてしまう。
「シーダ? どうしたんだ・・・どこか怪我でもしたのかい?」
 しかし、彼女は慕うマルスを無視して、真っ直ぐルーシに近づく。そして、微笑むルーシの足下にがくりと跪いた。愕然とするマルス。慌てるルーシ。
「シ・・・シーダ様、何をなされますっ・・・早くお立ちください」
 ルーシは片膝をつき、シーダの手を取ろうとしたが、シーダは悲痛な声を上げた。
「わたしはっ! ・・・・・・恥ずかしくて・・・・・・ルーシ様に・・・・・・合わす顔がございません・・・・・・でも・・・どうしても謝りたくて・・・・・・恥を忍んで参りました・・・」
「何を言われますか。何故その様なことを」
「・・・すべては・・・あなた様の仰ったとおりでした・・・・・・」
「ならば、海賊は?」
 無言で頷くシーダ。一つ間をおき、ルーシは小さく笑った。
「そうでしたか。しかし、その様なことで私ごとき者に合わせる顔がないと言われますか。シーダ様の戦功だというのに」
「え・・・?」
「私はただ作戦を述べたに過ぎない。それは勇敢な将あってこそ成し遂げられるものです。シーダ様は、海賊を討滅せしめた。立派な功績ではありませんか。胸を張ることはあれ、跪くなどもってのほかです。早くお立ちください」
 そう言ってシーダを立たせる。そして今度はルーシが恭しく拝礼した。
「お礼を申し上げるのはこの私の方です。シーダ様、本当にありがとうございます」
「ルーシ様、やめて下さい。そんなことされては困ります」
 ルーシの手を取るシーダ。そのあどけない容貌には、戸惑いと慚愧の思いからか、とても哀しげに見える。そこへマルスが、シーダの肩をぽんと叩き、口を開いた。
「ルーシ。実を言うと、私もあなたには謝らなければならないと思っています」
「盟主殿・・・」
「私は正直言って、心の底からあなたのことを信頼しているとは言えなかった。ファイアーエムブレムを託したのは、一種の賭のようなものだった。・・・だけど、あなたの言ったとおり、シーダは傷一つ負うこともなく、海賊団の根城を潰した。あなたはまさに奇才です。今、ようやく胸のもやもやが晴れた気持ちです」
 頭を下げるマルス。シーダも一緒に頭を下げて言った。
「ルーシ様のこと、あんなにひどく言ってしまって、本当にごめんなさい。これからは私で良かったら、何でも指示して下さい。お願いします・・・」
 ルーシは苦笑して二人の手を取った。
「お二方も、もうおやめ下さい。これしきのこと、礼など無用でございます。それよりも、戦はこれからです。峠越えを成し、敵主力軍を潰さなければ、私たちに本当の勝利はありません」
 ルーシが指さす方角は北ワーレン峠。マルスもシーダもルーシの指す方角を見る。
「そろそろ夕刻です。盟主殿、カシムとゴードンに手はずを整えさせましょう。今晩は新月ゆえ、絶好の機会です」
「わかった。すぐに伝えさせる」
「ルーシ様、私が行ってきます」
 シーダが名乗り出る。だが、ルーシは微笑みながら返した。
「シーダ様は功を挙げられたばかり。それにこれから夜ゆえ、危ないです。今日はお休み下さい。あ、それと、私の事は呼び捨てでお願いいたします」
「あっ、ごめんなさい、ルーシ・・・・・・えーと、ルーシ・・・さん」
 少し照れ気味に呟くシーダ。小さな笑いが起こる。
「では盟主殿、これよりカシム・ゴードンの元に参ります」
 ルーシはマルスとシーダに会釈を送ると、素早く身を翻して本陣をたった。