第12話 夢

「ええっ! そんな、大怪我じゃない。大丈夫だったの?」
 カチュアが心配そうにルーシの身体をまじまじと見つめている。
「しっかり生きているからこうしていられるんだろうなあ」
 惚けた感じで言うルーシ。
「そなたは華奢だ。弓矢などまともに受ければ、死んでもおかしくないだろう。本当に運が良かったな」
 ミネルバが微笑む。
「運が良かったんじゃなくて、悪運尽きないって言うことですよ。本当に死に損ないってやつでして――――って・・・おい、カチュア。何やってんだ?」
 ルーシが話している最中、カチュアがルーシの服に手をかけている。呆れたような目つきでカチュアを見るルーシ。
「んー・・・ちょっとその傷跡見ようかなあー・・・なんて」
 そんなことを言いながら無邪気な笑顔を向ける。無論、手を止めるわけがない。
「ばかなことするなよ。男の服剥くなんて、前代未聞だ」
 カチュアの手を振り払う。カチュアはニヤリとしながら嘯く。
「もう、これだから世間知らずって困るのよね。今時男の人を脱がす事って、女の子の世界じゃ当たり前なのよ。ね、ミネルバ様」
 ミネルバもまた笑いながら言う。
「その通りだ。私もそなたの受けた傷、見てみたい」
「勘弁して下さいよ。そんなもの見たって面白くも何ともないですよ」
 だが、二人の美女の前ではルーシも無力。カチュアと目で合図し合ったミネルバはルーシの両腕をいきなり掴んだ。
「ルーシ。これも運命だ」
「ちょ、ちょっと・・・そんなむちゃくちゃ言わないで下さいっ!」
「いいじゃない、それ~~~~」
 カチュアがルーシの衣服を巧みに剥いて行く。そしてルーシの悲鳴が青空に吸い込まれて行く。
「とほほ・・・」
 上半身裸にされたルーシは赤面して顔を両手で覆う。やせた身体を人前、それも女性二人の前にさらし、天下の知将が、なんとも情けない。
「あ、本当だ。ミネルバ様、ここ」
「ほう・・・しっかり痕が残っているな・・・」
 二人の視線はルーシの右上半身に集中している。赤い腫れ痕の矢傷が点々と・・・。
「ねえ、触ってもいい?」
カチュアの甘ったれた声に、恥ずかしさのためにやけっぱちになるルーシ。
「そんなに珍しいものなのかいっ?」
「だって私たち、弓矢なんて受けたことないよ」
「まあいいじゃないか。これも愛嬌だと思えば」
 ミネルバも意外とこじつけが上手い。なんだかんだ言っても勝てるはずがない。
「ひゃややややや」
 口が歪み、情けない声が発する。二人の美女の、ひやりとした手のひらが傷跡をなでるように滑るとくすぐったさのほかに、変な気分になる。
「へえ・・・意外と深かったんだ」
「うーん・・・よく死ななかったものだな」
「あ、こんなところにもある」 
「ほう、急所すれすれだな」
「うわあ・・・痛そう・・・」
「まだ完治していないのか、ここは」
「あ、こんなところにも・・・」
「男の勲章だな」
「きゃーっ! ほくろ見つけた」
「いーかげんにしてくれ・・・・・・」
 あちらこちらとさすられ、ルーシは羞恥を通り越してわなわなと震えていた。
「あははは。今日はこれで勘弁してあげる」
 屈託のない、無邪気な笑顔を見せつけられると、ルーシの怒りも一瞬にしてため息に変わる。何度もため息をつきながら服を纏い直す。
「男の割には白い身体をしているな。あまり兵書ばかりに親しまないで、たまには外で武芸の稽古でもしたほうがいい。私が相手になるぞ」
「ははは・・・」
 苦笑するルーシ。
「あれ? ミネルバ様って色黒の人がタイプなんですか?」
「そんなことはない。ただ・・・な」
 言葉を詰まらせるミネルバ。
「最後までおっしゃって下さいミネルバさま」
 だだをこねる子供のようになるカチュア。
「まあ、いいじゃないか。そんなことより話の続きだ。さあ、ルーシ」
「は、はい」
 カチュアのつっこみをかわし、ミネルバはルーシの言葉に耳を傾ける。

 ハーディンの抜け駆けによって、ルーシが誤って重傷を負ったという知らせは、即座にマルスに伝えられた。
「なんていうことを・・・ハーディン・・・あなたはそこまでルーシがお嫌いなのですか・・・」
 哀しみと失望の涙声。シーダは両手で顔を覆い、声にならない声を上げている。そしてルーシが運ばれた陣営では既にシスター・レナが懸命な治癒をルーシに施していた。シーダが苦痛に呻くルーシの側に駆け寄り、その手をしっかりと握る。
「レナ。ルーシの容態は・・・」
「ええ・・・傷が急所を外れていたのと、ゴードンさんの応急処置のおかげで、命に別状はありません」
「そうか・・・よかった」
 ほっと胸をなで下ろすマルス。
「でも、当分は安静にしておかないと、命に関わるかも知れません」
「わかっている。ルーシにはしばらく休養を取ってもらうことにしようと思う」
「マルス様っ!」
 シーダが声を上げてマルスを呼ぶ。マルスとレナは、慌ててルーシの枕元に駆け寄る。
「・・・め、盟主殿・・・」
 か細い声はいかにも辛そうだ。
「さ・・・作戦は・・・大きく変わりました・・・」
「ルーシ、何も喋らないでくれ。あなたは深手を負っている。今日はゆっくりと休んでください」
 小さく首を横に振るルーシ。
「と・・・峠道の敵兵は・・・弓兵隊と・・・は・・・ハーディン公により・・・潰えるはず・・・この上は・・・いたしかたない・・・明日・・・全軍をもち・・・い・・・一気に総攻撃を・・・」
「わかった。言う通りにする。頼む、ルーシ参謀。もう、休んで下さい」
 マルスの嘆願にルーシは息も絶え絶えに瞳を伏せ、それから何も言わずに眠りについた。マルスはそれを確認すると、シーダに目配りを送り、その場を離れた。
「シーダ様、ルーシ様は私が付きますので、どうかお休み下さい」
「いいえ。私もルーシ様を看ます」
「しかし・・・」
 心配そうにシーダを見るレナ。だが、シーダは毅然と言った。
「レナさん、お願い」
 レナはそれ以上、何も言わず、無言で頷いた。

 何故か私はこの校庭の前に立ち、誰もいない校舎を見つめている。
(ここは・・・学校か・・・)
 そう呟いた私の胸に、熱いものがこみ上げる。何か久しぶりに訪れた気がする。快晴の空の下、優しい静寂に佇む、その懐かしき光景。
 私はなぜか校舎には入らなかった。何となく、校舎の周りをぐるりと廻ってみようと思った。
(何もかも変わっていない・・・)
 自然と言葉が発する。だが、不思議と視線を送った先は光茫にかすみ、よく見えなかった。いくら目を凝らしても、何故か見えなかった。
 どこからか、子供の声がする。私はその声に惹かれるように、足を進めた。
 校庭だ。光茫が徐々に薄らいだかと思うと、二人の子供が校庭の真ん中で仲良さそうに遊んでいる。白金の髪の少年、そして赤い髪の少女。なにをして遊んでいるのだろうか。年の頃五,六歳の少年、十歳くらいの少女だろうか。だが、よく見えない。私は無意識のうちに歩み寄ろうとした。しかし、一向に距離が縮まらない。代わりに少年と少女の声はまるで、そばで話しているかのようにはっきりと聞こえてくる。
(ねえ、キミが大きくなったら、私のこと、守ってくれる?)
(はい! ぜったい、かなしいめにはあわせません)
(約束よ。私、大人になってもずっと、キミのこと好きだからね)
(ボクも、このそらよりもでっかいくらい、あいしています)
(じゃあね・・・証拠みせてみて)
 少女の瞼が閉じられる。少年の瞼もゆっくりと閉じられた。私はなぜかとても懐かしい、もやもやとした心地になっていた。吸い込まれるように、その少年との意識が溶け込む感じがする。だが、そんな白く淡い光景に突然、霆のような激しい暗闇が襲いかかった。
(きゃあああっ・・・)
 少女の悲鳴、黒のエクトプラズムが少女を背後から抱き包む。少年は何かを叫んだ。が、聞こえない。そして、黒の空気は一瞬にして人の形になる。黒衣に身を包んだ、得体の知れぬ男。顔はよく見えない。だが、光芒の中で赤く鋭い眼光を放っている。口許に不敵な笑みを浮かべながら・・・。
(お遊戯はおしまいだ)
 低く、嗄れた声でそう、男は嗤っている。
(返せ・・・やめてくれ・・・)
 無意識のうちに、私はそう叫んでいた。だが、男は私に気づいていないのか、立ちつくす少年を見下ろしている。巨大な黒の空気に抱かれながら、少女は涙散らして少年に助けを求める仕草をする。だが、少年はただ悔しげな表情をするだけで、おろおろしている。
(何をしているんだ・・・早く・・・早く助けろ・・・く、くそっ!)
 私は必死になり駆け出そうとするが、身体が動かない。男は不敵な笑みをたたえたまま、低く、異様に反響する声を発した。
(私のもとで働け・・・ともに富貴を分かち合おうではないか・・・)
 少年に向けられた言葉だったが、少年は何度も首を横に振る。
(・・・後悔するぞ)
 すると、黒い空気は少女の身体を徐々に覆い隠して行く。それは何者にも断ち切ることの出来ない、運命の蜘蛛糸のように、か細い少女を縛り上げて行く。何も出来ない、ただ茫然たる表情で見つめている少年。私は必死に叫ぶが声にならない。男の嘲笑だけが永遠と反響し行く。やがて、声が吸い込まれて行き、私は突然、意識が失う感覚に襲われたかと思うと、周囲の景色が一転し、朽ち果てた瓦礫の中に踞っていた。
(ルーディ・・・ルーディ・・・)
 私の名を呼ぶ声がする。その声に反応し、私は恐々と頭を上げる。すると、瓦礫の向こうから、かの少女を抱えた、赤い長髪の男性が、ゆっくりと私の方へ近づいてくる。傷つき、瀕死の重傷を負っていながらも、男性は眠る少女を両の腕に抱えながら、寂しげに私を見つめている。私は目の焦点が定まった瞬間、声を上げていた。
(ミ・・・ミシェイル殿下っ!)
 それは反逆の王子ミシェイルだった。
(我が夢・・・潰えたり・・・)
 口許から血を流し、ミシェイルは力無く呟いた。
(ルーディ・・・俺になりかわり・・・この子を幸せにしてやってくれ・・・)
 ミシェイルはおのが腕に眠る少女に優しげな眼差しを向けながらそう、言った。
(俺の愚かさで・・・この子たちまで不幸にしてしまった・・・悔やんでも・・・悔やみ切れぬ・・・)
(その子はっ!?)
 私は叫んだ。確かに声は聞こえる。しかし、ミシェイルには聞こえていないのだろうか。私の言葉に反応を示さず、言い続ける。
(やはり・・・この子とお前は・・・離れさせるべきではなかった・・・俺は・・・幼き頃のお前の才能を妬み・・・無理やり追い出した・・・。だが・・・まさか今になってお前の手でやられるとは・・・因果だな・・・)
 ミシェイルがどっと膝をつく。
(ふっ・・・・・・俺がお前を受け入れてさえいれば・・・道を誤らずにすみ・・・この子も幸せな道を歩けたものを・・・)
(ミシェイル殿下っ! ・・・その子はまさか・・・)
 ルーディの言葉に反応したのかしないのか、ミシェイルはうつろな眼差しをルーディに向ける。
(ルー・・・ディ・・・ミネ・・・ルバを、たの・・・む・・・・・・・・・・・・・・・・・・)
 ミシェイルは最後にそう言うと、ルーディに少女を託し、血を吐いて倒れ、それきり動かなかった。
(ミネルバ・・・? まさかっ! ・・・・・・この少女が・・・ミネルバ王女だというのかっ!)
 私は愕然となって叫んだ。だが、少女は私の腕の中で安やかに眠っている。私の頭の中が真っ白になる。
(ならば・・・あの少年は・・・・・・)
 私自身なのか・・・。そう思った瞬間・・・・・・・・・・・・
(ぐっ!)
 背中に激痛が走った感覚に襲われた。
(・・・・・・・・・)
 振り返ると、あの黒衣の男が両脇に狙撃手(スナイパー)を従え、嗤っていた。
(後悔するぞと、申したであろう・・・・・・)
(き・・・貴様は・・・・・・・・・)
(私に抗う者には死あるのみ・・・)
 私は血走った眼と口の端から赤い糸を垂らした顔で、その男に向かって叫んだ。
(いつまでも・・・貴様の思い通りにはさせない・・・)
(ふっ・・・その娘ともども闇の彼方に消し去ってくれる・・・)
 男の手には、魔道書と呼ばれる書物。読経の様な声が男の口から発せられる。
(たとえ死しても・・・この子だけは・・・護りぬかんっ!)
 私の叫び声と同時に、男の眼が赤い閃光を放つ。暗黒の波動が私たちに襲いかかろうとした、その瞬間・・・
(ルーディッ!)
 私の胸に抱きしめられた少女が私の名を叫んだ。はっとなり少女に視線を送ると、そこにいたのは、忘れようとも忘れられない、哀々たる瞳・・・・・・。
(・・・・・・ミネ・・・・・・)
 そして、私の意識は消えて行く。最後にどこからともなく、誰かの声がする。
(お前は選ばれし者ではない・・・・・・いずれ定めは尽きよう・・・それでも、虚しく戦い抜くか・・・お前を愛する者を捨ててまで・・・戦い抜くのか・・・)
 私の最後の言葉が吸い込まれて行く。
(かまわない・・・あの時から・・・覚悟は出来ていたから・・・私は・・・・・・・・・)

「・・・さま・・・・・・ルー・・シさま・・・ルーシ様?」
 ルーシの瞼がゆっくりと開かれる。ゆっくりと焦点が定まると、目の前にレナとシーダが涙を滲ませて唇を震わせていた。
「気がつかれましたのね・・・良かった・・・」
 レナはほっとしたのか、がくりと肩を落とした。
「ん・・・・・・ここは・・・? 私は・・・・・・」
「ここは本陣です・・・ルーシ様は昨夜、矢を受け重傷を負われて・・・」
 シーダの声は嗄れていた。眠っていなかったのだろう、目元にはくまが微かに生じていた。ルーシの身体には滝のように汗が流れていた。
「今は・・・何時ですか」
「もう、夜更けです。もうすぐ、日付が変わります・・・」
 その答えに、瞳を閉じてふうとため息を漏らすルーシ。
「丸一日近くも・・・」
 静寂が続く。急報を受けたときと変わらない、静かな夜。
「夢を・・・見ておりました・・・」
 ルーシの呟きに、レナはルーシの顔面に流れる汗を拭いながら言った。
「ずっと・・・、うなされて、おられました・・・」
「申し訳ありません・・・私ごとき者のために・・・」
「そんなこと言わないで下さい・・・。ルーシ様にもしものことがあったら・・・私たちは・・・」
 レナは興奮気味に声を高めたせいか、貧血状態になってルーシの胸のあたりに状態を崩し倒れた。
「レナさんっ!」
「ああ、構いません・・・。寝ずの看病をされていたのでしょう・・・このままに・・・。シーダ様・・・私はもう大丈夫ゆえ、あなた様もどうか、お休み下さい・・・」
「ごめんなさい・・・・・・私も・・・何か・・・眠く・・・」
 シーダもまた、急激な安堵感からか、ルーシの足下に崩れるように倒れ、瞬く間に深い眠りに落ちていった。