第14話 ミネルバ

 主導権を掌握したまま増援軍を撃破し、砦を占拠した解放軍主力部隊は、マルスの本隊がワーレン守城を包囲してから二日後に合流していた。
 マルスはこれ以上の流血を避けるために、守将カナリスに降服を呼びかけていたが、カナリスもさすがはドルーア帝国から平東将軍の地位を得ている男である。降服は拒絶しつづけていた。しかし、気迫だけで所詮は軍司令官としては無能な男は、実弟のエイベルと、監軍のラングという男に裏切られる形で呆気なく捕らえられてしまった。
 城門の前に解放軍の幟旗が威風堂々とたなびき、数多の兵が、蟻の這い出る隙間もないほど整然と並んでいる。マルスとルーシは城門の前に並んで馬に跨り、白旗を見つめていた。
 やがて城門がゆっくりと開かれ、エイベルとラングが身を低くして進み出る。その後に縄で縛られた守将カナリスが二人の兵士に引きずられるように連行されてきた。
「ワーレン守官エイベルでございます」
「監軍のラングでございまする」
 二人の叛将は媚びるような口調でわざとらしくマルスの馬の前に平伏する。
「勝敗は既に決し、これ以上の流血は当方とて臨まぬところにございます。ご盟主殿の寛大なる呼びかけに、我らは痛く心打たれ、降服の意向を示しましたが、カナリス将軍は人心を無視し、あくまで無謀な決戦を唱えておりました。ゆえに、将兵を慮り致し方なく将軍を捕らえここに降服の証と致します。何とぞ、将兵をお助け下されますよう・・・」
 まるで台詞の棒読みのような見え透いたエイベルの言葉に、ルーシは小さく鼻を鳴らした。マルスは何度も頷きながら、エイベルの言葉に感心しているようである。
「両人ともお立ち下さい。よく決心されました。このマルスの心境を察していただき、有り難うございます」
「ははっ、これもすべてご盟主殿のご威光の賜物にございます」
 ラングのあまりにも下手な甘言に、ルーシは背筋にむず痒さを感じた。
 マルスを先頭に解放軍はワーレン主城に入城。遂にワーレンの制圧を成し遂げたのである。時に解放軍がワーレンに入ってから約一ヶ月。パレス目前にしての苦戦を重ねた戦いは、ここにようやく一区切りがついたのである。
 そして今回の戦いに参加しなかった将兵や、シーダ・レナ・ジュリアン・リカードらはニーナ王女を伴いその日の夕刻にはワーレン城に入城。諸将は戦勝を歓喜した。
 そんな中、ワーレン城・別広間にて、マルスとルーシ、そしてカイン・アベル・オグマ・ナバール、謹慎の解けたハーディンら解放軍中核の将たちは、戦後処理の一つとして、降将の処遇を行っていた。
 マルスとルーシの前に、エイベルとラングが跪いている。中核の将たちは利き手を剣の柄に当てて、じっとしている。
「エイベル・ラングのお二方は、ワーレン平定の功績者。このまま、ここの守将として残そうと思うが・・・」
 マルスの言葉に微かに口許に笑いを浮かべる二人の叛将。しかし、ルーシがマルスを止め、毅然と突きつけるように言った。
「カイン、アベルッ!」
「はっ!」
「はいっ」
 反射的に二人の壮士は剣身を覗かせてエイベルとラングの背後に立つ。
「この者たちを捕らえ、処刑せよ」
「はっ!」
 その言葉に愕然となる叛将。思わずルーシを見上げるも、二人ともすでに両腕を背後で押さえつけられた格好になっている。
「な、なぜでございますかっ!」
 とりわけ思惑が外れたのか、まるで天地鳴動の如く狼狽する叛将。
「その方ら、義を知らず自分たちの保身を図り、そのためには直属の上官をも裏切り寝返る。何という奴らだ。そのような恥知らず、生かしておいては後に禍根を残すことになる。・・・構わない、連れ出して斬れっ!」
 カインとアベルは一礼してから二人の叛将を引きずるように連れ出そうとした。
「お、お助け下さいっ!」
「お、お許し下されっ!」
悲壮な叫びが響きわたる。
「待てっ」
 そこへハーディンが手のひらをかざしてカインとアベルを制し、前に進み出る。
「ルーシ参謀、マルス殿。このハーディン、謹んで申し上げる。・・・今、我々はワーレンを抑えたばかりで城兵は完全に信服していない。そのような状況でこの者たちを斬れば、この者たちに従った将兵たちは不安を募らせ、暴発する可能性が高い。それよりも一死を減じ、官の安堵を保証されれば、将兵らは我が軍に従うと思う。沙汰は追って伝えることとして、ここはこの私に預からせて頂けぬだろうか」
 顔を伏したままハーディンに視線を送る二人の叛将。さながら己たちの助命を嘆願しているようにも見えたのだろうか。ほっとしたような顔つきをする。
「盟主殿、大公殿下はそうおっしゃっておられますが・・・」
「ハーディンの言うこと、最もです。私も彼らを斬ることは気が進まない」
「承知いたしました。・・・カイン、アベル、申し訳なかった。二人を放してあげてくれ」
 カインとアベルが手を放した瞬間、叛将は咄嗟にルーシに向かい平伏し、額を何度も床に打ちつける。
「お助け下さり、かたじけないっ」
「礼ならば私ではなく、盟主殿と大公殿下に申し上げろ」
 すると今度はハーディンとマルスに向かって平伏する。本当にわざとらしく、ルーシもとうとう呆れ気味になってしまった。
「よいか二人とも。本来ならば死罪なところ、盟主殿と大公殿下の寛大なお心によりその命、預けられるのだ。これよりは解放軍のために働き、決して二心を起こすな。よいか、万が一異心を起こせば、その時は容赦なく斬るっ」
「ははっ、肝に銘じて、お仕え申し上げまするっ」
 二人の叛将はまるで逃げてゆく鼠のようにそそくさと去っていった。
 後の話になるが、許されたエイベル、ラングの二人は、この暗黒戦争では全くと言っていいほど役に立つことはなかったのだが、英雄戦争時、エイベルはアカネイア神聖帝国の鎮西将軍として、グラ騎士団の司令官に成り上がり、マルスの故郷アリティアを占領した。一方、ラングは同じく征西将軍としてグルニア占領軍の総司令官に成り上がり、マルスたちを翻弄、悪逆の限りを尽くすことになる。しかし、このときはそんなことは誰も予想だにしなかった。
それに比べて、引き出されたワーレン守将カナリスはまだましであった。味方の裏切りで捕虜となってからはしばらくの間混乱していたが、今は覚悟を決めたようにじっと瞼を閉じて、マルスたちの前に跪いている。
「ドルーア帝国平東将軍カナリス、貴殿の失政はワーレンの人民に多大な苦難を与え、恨みは消えることがない」
「・・・・・・」
 ルーシの冷たい言葉にも、カナリスは何も返さない。とはいえ、『敗将は語らず』などという美意識から来るものではないのだが。沈黙するカナリスを見ていたマルスは、ルーシに向かって言った。
「将軍は味方の裏切りで捕らえられただけです。命だけは助けてあげたらどうか」
 しかし、ルーシは軽く頭を下げてから答える。
「盟主殿の寛容な心、痛み入ります。しかし、ワーレンは長年にわたりドルーア帝国に対し重税を納め、生活はまさにどん底をはいずり回っていた状態です。将軍はドルーアの規定した税に上乗せして私腹を肥やしていたとも聞いておりますゆえ、将軍を助ければワーレンの人民の不安は取り除けません。人民はドルーア帝国ではなく、カナリスを恨んでおります。ここで首を刎ねることで、ワーレンは我が軍に帰順するでしょう」
 人心の安定は、解放軍の目的の一つであったため、マルスはこれ以上何も言わなかった。ルーシはカナリスを自らの手で斬首すると、兵に命じて城下に彼の首を曝した。その首を見たワーレンの人民は、ドルーア帝国からの完全な解放を歓喜し、解放軍を讃え、夜通しのお祭り騒ぎとなった。
 こうして、予想外の苦戦を強いられたワーレンの戦いは、ルーシという知将の献策によって大勝し、いよいよ聖都パレスへの先行きの道が開いていった。

「・・・それで、ちょうどその後、私がやってきたって言う訳なのね」
「そう言うことだ」
「ミネルバ様、ルーディ君ったら、ホントにひどいんですよ」
 カチュアはルーシ越しに使者として解放軍に赴いたときの経緯を語った。ミネルバは微笑んでいたが、ルーシは冷や汗をかきながら苦笑している。
「そ、その話はよせって言ってるだろう」
 カチュアは頬を膨らませながらルーシをにらむ。
「女の子に剣を向けるなんてねー・・・」
 だが、事実は事実だ。百の言い訳も適わない。事実を認め、謝るしかない。カチュアはルーシの立場をわかっていたから意地悪半分で言ったのだろう。ルーシの反応を確かめてから一笑に伏した。
「ルーシ」
 ミネルバがルーシの名を呼ぶ。ルーシはぎこちなく反応する。話をしているうちに、夢のことを思い出した。だが、そのことは話していない。ミネルバは全く変わらずにルーシを見ているが、ルーシはなぜかミネルバを直視できなかった。
「どうしのだ?」
「い、いえ。何でもありません」
「本当に今から思えば、ディール要塞でそなたと再会しようとは、夢にも思わなかったな」
「はい」

 カチュアの哀願を聞き入れたマルスは、諸将がこれは罠だという諫言を退け、パレスを目指さずに、ディール要塞に向かった。
「ルーシ、納得はいかないだろうけど・・・」
 馬上でマルスはそう言う。
「いいえ。これがたとえ罠であったとしても、盟主殿は絶対死なせません。それに、ディール攻略の策はありますので、ご安心下さい」
 ルーシは心のどこかでカチュアに対する信頼があったのかも知れない。それに、自分の不甲斐なさでマリア姫を救えなかったという慚愧の思いは、ルーシ自身、自らの手でミネルバを救いたいという使命感に駆られていたのである。
 ミネルバは、ディール要塞の指揮官ジューコフに妹マリアの安否を確かめるべく、面会を求めた。だが、ジューコフは鼻を鳴らしてあしらった。
「この期に及んで何を言うのだ」
「頼む。ここ数年、マリアには会っていない。反乱軍とは戦う。だが、その前に一目だけでもマリアに会わせてはくれないか」
 ミネルバは涙を浮かべて跪く。
「征北将軍、立たれい。その様な見え透いた芝居など無用」
「・・・・・・」
「貴公の魂胆はすでに見通しだ。マリア王女に面会すると称してこれを救い出し、反旗を翻すつもりであろうが、そうはいくまいぞ。レフガンティでの失態を雪がず、この上マリア王女に会わせろとは、ちと虫が良すぎるのではないかな?」
「・・・・・・」
 俯くミネルバ。端から見れば憂いなる表情をした美女はどこか色気がある。そんな彼女に色めきだったのか、ジューコフは妙になれなれしい声でミネルバの側に近寄る。
「ま、まあ・・・貴公次第では・・・考えてやらなくもないがな・・・ん?」
 欲情のこもった言葉にミネルバは動じず、身を翻してジューコフから遠ざかる。興ざめさせられたジューコフは不機嫌たらたらに吐き捨てた。
「早急に反乱軍を潰せっ、さもなくば妹の命は保証せんっ!」
 その言葉に、ミネルバはジューコフを睨みつける。その時だった。衛兵の一人が慌てて駆け込んでくる。
「指揮官っ、一大事ですっ!」
「何事だ」
「は、反乱軍が東方に現れ、要塞の攻撃を計っております」
 その報告を受けた瞬間、ジューコフは愕然となり、ミネルバは表情を変えずに狼狽するジューコフを冷たい目で睨みつづけていた。
(マルス王子・・・)
「なぜだ・・・なぜ反乱軍がここに現れる・・・・・・ええいっ! 何をしているか。早急に援軍を要請し、竜騎士団に出撃を命じ、主力軍は敵を迎え撃つように命じよっ、早うせいっ!」
 ミネルバはジューコフの言葉がかかる前に退出していた。彼女の姿がなく、ジューコフは強く鼻を鳴らして床を強く踏みつけていた。

 マルスたち解放軍主力部隊はディール要塞の東側に陣を構えて作戦を練っていた。そこへルーシが放っていた諜報部隊が要塞から帰還する。
「・・・それで、要塞の様子はどうであったか」
「はい。確かにマリア王女と思われる少女が要塞の最上階に監禁されています。しかし、要塞にはスナイパー、勇者部隊が待ち構えており、容易に近づくことは出来ないかと思われます」
「ご苦労であった」
 ルーシは顎をなぞりながら地図を見つめている。マルスを始めとする諸将らが、じっとルーシの言葉を待つ。そこへ再び注進兵が駆け込んできた。
「申し上げます。敵将ジューコフは竜騎士団、騎馬兵団に出撃を命じ、更に援軍を要請した模様です」
 ルーシはその報告を受けてから言葉を発した。
「どうやら罠ではないらしいな・・・・・・よし、ここは正攻法で行きましょう。盟主殿とオグマ、ナバール、ゴードン、ドーガ、ジュリアン、そしてマリクは要塞を攻め、カイン、アベル、シーダと大公殿下はジューコフの本隊を攻撃しましょう」
「その方が妥当だな、確かに」
 オグマがぼそりと言う。
「して、参謀殿は?」
「私はカイン殿らとともに行動いたします」
「それはありがたい」
 カインが思わずそう呟いた。
「ルーシ、無茶をしないで下さい」」
「ご安心下さい、大丈夫です。敵は我々がここに現れるとは、予想にもしなかったようです。ゆえに混乱状態にあり、ジューコフも慌てて増援軍を要請したとみえます。今、敵の士気は格段に低いゆえ、一気に片を付けましょう」
「よしっ。みんな、出撃だ」
 マルスの号令の下、解放軍主力部隊は、ディール要塞に囚われているマリア姫を救出するために出陣した。マルスたちが要塞内に突入して行くのを確かめると、騎兵部隊とルーシは、要塞を通り過ぎて北進、ジューコフ籠もる砦を目指して馬を駆った。
「参謀殿、なぜマルス王子と共に要塞に行かなかったんだい?」
 アベルの質問に、ルーシは珍しく熱い声で答えた。
「ジューコフ・・・奴だけは何としても私が斬らなければならないからです」
「相当な事情があるわけか・・・よし、わかった。ならば参謀殿に借りを返すためにも、ジューコフの奴を俺たちの手で捕まえようぜ」
「任せておいてくれ参謀殿。あんたの恨み、すぐに晴らさせてやる」
 アリティアの両翼の言葉に深く頭を下げるルーシ。
「戦いに私情は禁物だというのに・・・本当に、有り難うございます・・・」
「よよよよ、よせって。そんなことよりも、とっとと行こうぜ」
 焦ったようなアベルの科白に小さな笑いが起こる。ルーシは刺し違えても、ジューコフだけは自らの手で斬らずにはいられなかった。マリアを監禁せしめ、ミネルバを苦しめつづけてきた、悪辣な男。己の不甲斐なさへの呵責。そして、何よりもミネルバに対する罪滅ぼし。ルーシの心に、静かにわき起こる、使命感。ルーシはその地にミネルバがいること、そしてミネルバも解放軍にルーディがいることを知る由もなく、一つの目的の中で運命の再会をすることになろうとは、思ってもみなかった。