ディール要塞内の敵スナイパーにはさしものオグマでさえも容易に近づけず、オグマは肘に矢を受けて負傷してしまった。
「大丈夫か、オグマ」
マルスが倒れかかるオグマを支える。
「ああ、何とか生きているみたいだ。・・・だが気をつけろ。奴の腕は今までの弓兵どころの問題ではない。まともに受けたら即死だ」
マルスはオグマの肘から矢を抜き放つと、傷薬を当てがる。
「くっ・・・あと一歩でマリア王女のところまで行けるというのに・・・」
唇をかみしめるマルス。口惜しそうな表情をするのはマルスにしては珍しい。
「俺が行く」
恐いほどの表情をしたナバールが、得手であるキルソードを両手に足を踏み出す。
「ナバール、貴様でも無理だ。奴は俺たち以上に俊速だ。出ていった瞬間に討ち取られる」
オグマの言葉に、沈勇な紅の剣士はふっと鼻で笑った。
「あの程度にやられるとは・・・オグマ、お前も腕が落ちたものだな」
「自信満々だな。だがな、奴をなめてるとあっという間にご昇天だぞ」
「ふっ・・・・・・奴など、私の敵ではない」
ナバールは柱の影に身を潜め、敵スナイパーの動向に神経を集中させた。身じろぎ一つで鋭い矢が飛び、固い壁に突き刺さる。だてにオリオンの洗礼を受けた昇格弓兵ではない。
だが、それでさえ、歴戦の勇士・紅の剣士と異名を取るナバールの前では無力であった。彼は不意をつくため、二息ほど間をおいてから、二刀流の一本の剣を素早く放り投げた。
金属音と矢が壁に突き刺さる音が同時に発した瞬間、ナバールの姿は柱の影になく、気づいたときには真っ二つにされた敵スナイパーが血塗れで床に倒れていたのである。
「さすがだな、ナバール」
オグマが捨てられたキルソードを差し出してニヤリとする。
「気にいらん・・・」
不愛想にそれを受け取りながら紅の剣士は呟いた。
「得手を投げ捨てなければ、こいつは斬れなかった・・・ことがか?」
「・・・・・・」
図星だったのだろう。ナバールは軽く頷くと、キルソードを鞘にしまい込む。それ程、スナイパーという卓越した弓戦士は震撼させる存在であった。
要塞はスナイパーという強敵を倒したことが大きく響き、後に残った敵兵は所詮マルス達に対抗でき得るほどの力はなかった。不意に現れた解放軍に鋭気を養う間もなく、反撃を試みるもまるで赤子の手をひねるが如く呆気なく斬られ、主だった者は降服してしまった。
そしてマルス達は、マリア王女が監禁されている部屋の前に構えていた最後の一兵を斬り倒す。
「ジュリアン」
「はい」
ジュリアンが鍵を巧みに外すのと同時に、マルスが扉を開けた。
「マリア姫っ!」
マルスの叫びが広い空間にこだまする。そして、広間の片隅に踞っている少女を発見したのである。
一方、騎馬隊はその頃、指揮官ジューコフ籠もるディール砦目指して邁進していた。敵は解放軍の突然の来襲に慌てて応戦した形になるも、容易に突破されるほどの未熟者たちではない。ルーシも不慣れな剣を取り、襲いかかる敵兵を突く。だが、カインやアベル、ハーディンらのように勇武の才に優れているわけではない。むしろ、隙だらけであった。ゆえにハーディンらに守られるような形で、馬を進めていた。
「ルーシ殿っ!」
「はっ・・・・・・」
その声に振り返った瞬間、ルーシの脳天目掛けて剣を振り下ろそうとしていた敵兵が、ハーディンの槍に串刺しにされていた。ルーシの心臓は破裂しそうなほど高鳴り、危うく落馬しそうになる。
「大丈夫か」
「も、申し訳ございません大公殿下。足手まといになってしまい・・・」
「その様なことはないが、あまり無茶をされるなよ」
ハーディンがほっとしたように息をつく。そこへカインが現れた。
「ハーディン公、参謀殿。こっちはあらかた片づいた。後は砦を落とすだけです」
「竜騎士団はどうなっている。姿が見えぬようだが」
ハーディンの言葉に唸るカイン。
「大丈夫です。ドーガ、ゴードンらが竜騎士団をせき止め、敵足を遅らせているはず。我々はこのまま砦を目指しましょう」
その時、要塞から大きな声が響いてきた。
(マケドニアのマリア姫、助け出したぞ!)
ジュリアンの声が響きわたる。敵も味方も、その視線が一斉に要塞に向けられる。そして、ハーディン、カインらが思わず歓声を上げる。かたや茫然とする敵兵。
「ああ・・・・・・よかった・・・・・・」
ルーシは力が抜けたように馬の背にひれ伏す。
「よしっ、後はジューコフの野郎を捕らえればかたがつくな」
カインが手綱を引く。
「マリア姫を失った今こそ好機。・・・さあ、ルーシ殿。行こうか」
ハーディンの呼びかけに言葉も出ず頷くルーシ。そして、大義を失い、士気が喪失した敵兵を容易に駆逐し、騎馬部隊は一気に砦に攻め込み、ただ狼狽するジューコフを捕らえた。
一方、マリア救出をひたすら願いつつ、積極的な攻勢をかけないままでいたミネルバは、マリア救出の声に心が熱くなるのを感じた。そして、まさに攻勢をかけんとしていた竜騎士団に対し、反旗を翻したのである。
「降服しろ、さもなくばお前たちを斬らねばならぬ」
ミネルバは竜騎士団に対して最初で最後の呼びかけを行った。しかし・・・
「征北将軍、裏切るか」
「裏切り者には死あるのみだっ」
誇り高き竜騎士団が、『反乱軍』に寝返った裏切り者に降服などするはずがない。ミネルバに対する罵詈雑言が一斉に巻き起こり、矛先を向け、突撃してくる。しかし、赤い竜騎士と異名を取る、大陸随一の猛将の前には、竜騎士も風に舞う木の葉。次々に倒されて行く。そんな竜騎士団の姿は、哀れ無惨だった。ミネルバは心ならずも同胞を斬ったことを怺えるように唇を噛みしめ、剣戈鳴り止んだ要塞に駆け入っていった。
「ミ・・・ミネルバ姉様っ!」
「マリアッ!」
ひしと抱き合う姉妹。この悲運の姉妹は、ミシェイルの父王暗殺で引き離されて以来、実に五年ぶりに再会を果たしたのである。互いの存在を深く確かめ合い、ミネルバとマリアはマルスに対し跪く。
「わが願いをお聞き入れ下さり、感謝の言葉もございません。今まで敵対してきたこと、許されざることですが、願わくばマルス王子にこの身を預け、共に戦いたい」
「お立ち下さいお二方。それはこちらから願い上げること。大陸解放のためには、あなた達のお力が必要です」
マルスがミネルバの手を取り立たせる。こうして、大陸を震撼させたマケドニアの赤い竜騎士・ミネルバはマルスに帰順した。だが、それは彼女に課せられた哀しい運命を変えることには、ついにならなかったのだ。
マルスたちが要塞を完全に制圧する間、騎馬部隊とルーシは、ディール指揮官ジューコフを捕らえ、砦は一気に沈黙した。彼らはミネルバがすでにマルスに帰順していることを知らない。
縄で雁字搦めにされた敵将が、アベルに引きずられるように引き出される。ハーディンの隣にいたルーシがものすごい形相でつかつかと敵将の前に歩み、乱暴に髪を掴む。
「ジューコフ・・・貴様だけは許せない・・・」
震える声でルーシは言った。しかしジューコフは高飛車な態度で返す。
「何のことだ。私はお前のような奴から恨みを買った覚えはない」
確かにジューコフの言うとおりだ。ルーシとジューコフは面識がない。ルーシ自身、ジューコフから直接的にも、間接的にも危害を受けたことはない。だが、この男だけは、どうしても許せなかった。マリアを監禁しつづけ、ミネルバを苦難に陥れた。だが、それはルーシ自身の失策、そしてその現実から逃げたという責任を逃れるための逆恨みなのかも知れない。しかし、現実を見つめれば、この男は悪逆を尽くした。私情を捨てても斬らねばならない。
ルーシは震える手で剣を抜き放つ。
「ま、待て。悪かった、私が悪かった。こ、降服する。何でもする。だから許してくれ」
必死に助命を叫ぶジューコフだったが、ルーシは聞く耳を持たずにジューコフの胸板に剣を突き刺した。
「ぐわああぁぁっっ!」
鮮血が飛び散り、ルーシの白衣を真っ赤に染めて行く。それでもルーシは憎悪の表情を崩さず、なぶるように何度もジューコフを刺す。そのたびにむごい悲鳴が砦に響く。
「ルーシ殿っ」
「参謀っ」
まるで人が変わったかのようなルーシに愕然となったカインとアベルが、背後からルーシを抑える。
「放してくれっ、こいつは・・・こいつだけは苦しみを与えながら殺さなければならない・・・」
もがくルーシ。しかしカインとアベルの二人がかりでは引き離すことなど出来ようはずがない。
「参謀殿、落ち着けよ」
カインの叱咤。
「あんたの恨みがどれくらいかはわかんねえが、同じ殺すにしてもこいつぁひどいぜ。これじゃあドルーアの連中と変わりがねえ」
アベルの言葉にようやく冷静さを取り返すルーシ。力無くその場に崩れ落ちる。
「ジューコフ、覚悟」
ハーディンが断末魔の呻きを上げているジューコフの首を一気に刎ねた瞬間、砦は完全に静まり返った。
「参謀殿・・・」
カインが床に額を打ちつけているルーシの背中に手を当てる。
「カイン」
アベルがカインと目を合わせて小さく首を横に振る。カインは小さく頷くと手を離した。そして、間もなく砦の入り口が開き、マルス達が駆けつけてきた。
「要塞は制圧した。マリア姫は無事に助け出したぞっ」
嬉々とするマルス。その声にルーシははっとなり頭を上げる。そして、マルスのすぐ横に立つ、赤い髪の騎士に気がつくと、ルーシはまるで時間が止まったかのように唖然となった。
「こちらはマケドニアのミネルバ王女だ。これより私たちにお力を貸して下さることになった」
マルスが赤い竜騎士を紹介すると、カイン達は軽く会釈をしながら自己紹介をする。カイン達の影になっていたルーシにマルスやミネルバは最初気づかなかったが、カインらがミネルバと握手するために動いた瞬間、ルーシに気づく。
「あっ、ルーシ・・・その顔は・・・」
マルスの言葉終わらないうちに、ルーシは慌てるように立ち上がり、血塗れの顔を隠すようにして砦を出ていってしまった。
静まり返った戦場。初夏の太陽が照りつける。大地から立ち上る熱気は、戦死者の体から水分を奪うのに充分だ。
ルーシは諸将の合流の場から隠れるように去り、砦裏の井戸で返り血を洗い流していた。
「まさか・・・まさかあの方がここに・・・」
ルーシは何度も冷たい井戸水を頭からかぶる。予想だにしなかった、あまりにも不意で、あまりにも突然な再会。もう会うことはないだろうと思っていた、ルーシの心を強くしめつけていた悩める王女。おのがせいで愛する妹マリアを救えず、無用な苦しみを与え、事もあろうに自分だけ逃げてきたこの五年。そんな卑怯な自分が、今更彼女に対しどこに合わす顔があろう。恨みこそすれ、許してくれるはずなどない。
「ああっ・・・」
ルーシは水を浴びつづけた。照りつける太陽の中、身体が冷えて震えるほど、何度も水を浴びた。このまま体温が下がり、死してもいいと・・・
「ルーシ」
不意にルーシの背後から声がする。驚いて振り向く。そこに立つ二つの影。逆光線の翳りが薄れ、ルーシの瞳に映ったのは、マルスと赤い髪の騎士だった。
「どこに行ったのかと心配したよ。・・・カイン達から事情は聞いた。お気持ちは解りますが、あまり思いつめないで下さい」
「も・・・申し訳ございませんっ」
ルーシはどっとその場に平伏した。
「あっ、紹介するよ。こちらはマケドニアのミネルバ王女。今度から私たちに力を貸して下さることになった」
「ミネルバです。よろしく・・・」
ミネルバはルーシがルーディであることに気がつかないようだった。かたやルーシは身体が震えてならなかった。それが寒さからくるものでは、決してない。
「どうされた。お顔をお上げ下さい」
ミネルバはあの時と変わらない、優しい口調で話しかけてくる。ルーシは辛かった。五年もの間、苦しみつづけた気丈な女性は、自分が口先だけの無責任な男であることを知らないとはいえ、変わらないでいたと言うことに。ルーシは心をきつくしめつけられ、やがて一つの決意をした。
(これ以上・・・逃げるわけには行かない。ミネルバ様はもう充分に苦しまれた。その償いを、今こそ払うとき)
「ミネルバ様っ!」
ルーシが突然顔を上げる。きょとんとするミネルバ。間が空くが、まだ彼がルーディであるということに気がついていない。
「何か・・・」
ミネルバが微笑む。
「お気づき下さい、ミネルバ様。私のことを」
「えっ・・・」
ミネルバは真っ直ぐに自分を見つめるルーシの顔を見つめた。そしてゆっくりと、長く、長く辛かった、5年という歳月の中で起こった数多の苦難な出来事を遡らせてゆく。ルーシは決意を滾らせた瞳を動じさせることなくミネルバの瞳にそそぎ、ミネルバは彼の言葉を追い、記憶の糸をたどって行く。時間が止まったかのように、一分がとても長い。
やがて、ミネルバの表情が変わる。
「ま、まさか・・・・・・・・・あなたは・・・・・・・・・・・・ルー・・・ディ・・・か・・・」
ルーディはゆっくりと、深く、頭を下げる。
「・・・・・・・・・」
ミネルバは後の言葉が出なかった。彼女にとっても、あまりにも不意で、突然な再会だった。思えば父王暗殺後、一通の手紙を残して忽然と姿を消したルーディ。だが、ミネルバは彼を恨むどころか、この五年の歳月、ルーディの言葉を頼りに生きつづけてきた。何にも勝る、恩人だった。彼を忘れたことはない。だが、今、目の前に伏しているルーディは、まるきり別人のように思えた。あの輝かんばかりの白金の髪はよもや老人の如く艶がなくざんばらで、顔色も優れず窶れているようにも見え、無精ひげに覆われた顔はまるで物乞いか朽ち果てた廃人の印象さえ受ける。公然と父王や兄ミシェイルを貶して堂々たる振る舞いを見せた気丈な少年の面影はない。
「ルーディ・・・どうしてしまったのだ? その変わり様・・・尋常ではない」
思わず、ミネルバはそう言った。気がつけば、マルスは気を遣ったのか、その場にはすでにいなかった。二人は知り合いなのかなどという問いをするほど、野暮ではない。二人が知り合いだったという雰囲気を感じて、そっと去っていったのだ。
「ミネルバ様・・・・・・お願いがございますっ」
ルーシは声を上げて哀願するように言った。
「どうか、どうかこの私をお斬り下さいませっ」
いきなりの科白にミネルバは愕然となってしまった。ルーシは震えながら、ただひたすら、地に額をこすりつけていた。