第16話 想い

 突然の言葉にミネルバは呆気に取られてしまった。
「何を言うのだ。なぜ、私があなたを斬らねばならない」
「私は・・・・・・この五年の間、ずっと現実から逃れる術を駆使して参りました。あの時、ミネルバ様が私に道を訊ねられたときも、正直申し上げて、巻き込まれることが恐ろしかったのです・・・。私は口先だけの出任せを述べ、あなた様や他の皆に多大な苦難を与える結果となってしまいました・・・。この罪、万死に値します・・・」
「・・・・・・」
 ミネルバはじっとルーシに視線を送りつづけている。
「こんな愚昧な私に、せめてものお情けがあるとするならば・・・どうか、どうかミネルバ様の手にかかりて死にとうございます・・・」
 ルーシは語る間、ずっと地に伏し、ミネルバの顔を見ようとしなかった。
「ルーディ・・・私を見るのだ」
 ミネルバはルーシの手を取り、上体を起こさせると、俯くルーシの頬にいきなり強い平手打ちを浴びせた。ぱんという渇いた音が静まり返った夏の空に吸い込まれて行く。
「ミ・・・ミネルバ様・・・」
 唖然とするルーシ。ミネルバは寂しさに潤んだ瞳を真っ直ぐにルーシに向けている。
「ルーディ、あなたはいつからその様な腑抜けになってしまったのか」
「・・・・・・」
「少なくても、五年前のあなたには、固い意志が身体中から満ち溢れていた。我が父や兄を貶すほどの自信があった・・・。だから私はあなたに道を訊ねたのだ。自分より年若き者に道を訊ねるなど、普通ではないと言われた。だが、私は信じた。高き志を持つ者に老若は関係ないと。・・・あの頃の私は混迷の中にあった。そう、今のあなたのように・・・。だが、あなたは死そうとする私の剣をはじき、道を示してくれたではないか」
「・・・・・・」
「私はあなたの言葉に勇気づけられた。世辞ではない。自信にあふれたあなたの言葉に、自然と元気がわいてきたのだ」
「しかし・・・私はあなた様や、マリア姫を救う事が出来ずに逃げたのです・・・。私は卑怯です・・・苦難に遭われることを知りながら・・・。恨まれこそすれ、許されることではないのです・・・」
「ルーディ、それは自惚れというものだ。運命など、神でない限り変えられるものではない。・・・確かに、現実はあなたの言われた通りに、事は運ばなかった。人から見れば、あなたは逃げたと言われるかも知れない。・・・だが、私はそう思わない。あなたがマケドニアを去ったことは正解だったと思っている。そして私が父を失ったことも、マリアと引き離されたこも・・・すべては私に課せられた運命なのだ。それを、自分の責任だと言うのは、自惚れと言うものではないか。人の運命は人が変えられるものではない。・・・あの時の私は、待ち受ける運命が恐ろしかった。あなたの言葉がなければ、私は今、ここにはいなかっただろう・・・・・・」
 ミネルバは懐に手を差し入れて、一通の書状を取り出し、ルーシに差し出した。
「・・・これは・・・?」
「五年前・・・父が殺されたと知らせを受けた直後に、あなたから来た手紙だ」
 それは正しく、ルーシが隠遁前にミネルバに宛てた直筆の文書だった。汗にまみれていて、文字は滲んでほとんど読めなかったが、紙に余分な皺はなく、綺麗に折りたたまれていた。
「あなたはその中で、こう書かれていた。《天の時を得るまで、兄ミシェイルに従い、血気に逸るな。パオラたちを信任し用いれば、道を誤らない》と・・・」
「・・・・・・」
 ルーシはどきっとした。すっかり忘れていたことだった。
「私はこの五年、悩むたびにこの手紙を開いてきた・・・。あなたからの、この言葉を信じて・・・今日まで来たのだ」
「くっ・・・くっ・・・」
 ルーシはぎりぎりと唇を噛み、嗚咽する。
「苦しかったこの五年間、私を支えてくれたそなたに、感謝こそすれ、恨む道理がどこにあるのだ」
「ミネルバさま・・・」
「あの時のように、自分に自信を持ってくれルーディ。私たちのことで、そんなに思い悩まないで欲しい。・・・あなたの身体はもう、あなた一人のものではないのだ。マルス王子・・・いや、解放軍全将兵のものなのだから・・・」
 ミネルバは優しくそう語り、涙にむせぶルーシの肩をそっと抱きしめた。夏の空に、一人の知将・・・いや、一人の若者の泣き声が、一層深く吸い込まれていった。

「・・・・・・」
 カチュアが恍惚とした眼差しで空を見つめている。
「ん・・・どうしたんだカチュア」
 不思議そうにカチュアの横顔をのぞき込むルーシ。
「そっかー・・・ルーディ君、心の奥でずっと思い悩んでたんだねー・・・・・・でも意外。ルーディ君が死にたいなんて言うなんて・・・学生の頃じゃ想像つかないわ」
「あっ・・・がっ・・・ごほっ」
 わざとらしく無意味な咳払いをするルーシ。そこへミネルバが穏やかな口調で話す。
「しかし、ああは言ったものの、私も実は反省しているのだ。・・・・・・やはりルーディを捜し、迎えればよかったと。そうすれば、あなたに無用な悩みなど抱えさせずに済んだはずだ」
「過去を悔いても致し方なきこと。今、こうして話すことが出来るのは、過去があってこそです」
「そうだな・・・確かに」
 微笑むミネルバとルーシ。だが、依然ルーシはミネルバを直視しない。かたやカチュア、今度はルーディの頭に手を添えている。瞼を半開きにしてさっと振り返るルーシ。
「お嬢さん・・・今度は何かな?」
「んー・・・ルーディ君って、ほんっっっとに、白い頭してるわよね」
 しみじみとしたその言葉に呆れて項垂れる。
「私は老人かっ。《白い》と言うなっ、《プラチナブロンド》と言ってくれっ。うーん・・・白金頭じゃ何か響きが情けないし・・・やっぱりプラチナブロンドだな・・・うん」
 一人で喋って一人で納得する。
「くすくす・・・ルーディ君って、見てて飽きないわ」
「本当だな。まるで印象が違う」
 そう囁き、笑い合う二人の美女。二人に囲まれ、まるで子供のようなルーシ。
 いつしか太陽は橙色に変わり、景色を染めていた。そこへ、声変わりのしない少年のような声が響いてくる。
「おーい、ルーシさーん、ミネルバさーん、カチュアさーん、そろそろ夕御飯ですー」
「もう、そんな時間か?」
ミネルバが呟く。
「誰? あの声」
 カチュアが声のする方に遠目を送る。
「リカードですー」
 カチュアの声が聞こえたのか、リカードがどこか情けない声で叫ぶ。ルーシが笑いながら立ち上がる。
「ああ、リカード。今行く」
「そーいえばー、さっき緑の髪のねーちゃんがーやってきましたよー」
「えっ・・・パオラ姉さんだわ」
 カチュアがすくと立ち上がる。
「おお、やっと来たか」
「ミネルバ様、私、姉さんに会ってきます」
 そう言うとカチュアは身を翻して颯爽とリカードの側をすり抜けていった。
「じゃあー、さき行ってますよー」
 リカードは最後まで甲高い声を上げながら去っていった。
 ルーシは軽く背伸びをする。
「・・・さて、それじゃ私たちも・・・」
「ルーシ」 
ミネルバを直視しないまま歩きだそうとするルーシに、ミネルバが思わず呼び止めた。
「はい・・・」
 振り返るルーシ。しかしその視線はミネルバの顔に向いていない。
「実は・・・」
 言いかけるミネルバに、そっと手のひらをかざして止める。
「諸将は皆、大食漢です。遅れるとあっと言う間になくなってしまいますよ。・・・さあ、参りましょう」
 そう言いながら微笑み、再び振り返る。
「あっ・・・」
 ゆっくりと歩き出すルーシに、ミネルバは再び声をかけることが出来なかった。

夕食の準備が進む解放軍本陣営で、ルーシはペガサス三姉妹の長女パオラと再会した。
「お久しぶりでございます、パオラさん」
 カチュアと話していたパオラにルーシは恭しく頭を下げる。
「あら・・・あなた、ルーディ君じゃない」
 どこかおっとりとした口調は変わらない。
「おわかりになられましたか」
「ええ、もう。雰囲気ですぐに判ったわ」
 にこりと微笑むパオラ。
「すごいね姉さん。私なんか最初、全然気づかなかったのよ」
「うそぉ? 面影あるじゃない」
「そうかなぁ・・・」
 まじまじとルーシを見つめるカチュア。パオラは三姉妹の中で一番、感の鋭い女性である。ルーシがルーディであることに気づいたことは不思議ではない。
「それにしても久しぶりね。今までどこに行っていたの?」
「ま、まあ・・・そのお話はおいおいと言うことで・・・・・・」
 苦笑するルーシ。
「失礼するぜ」
 幕の外から声がし、三人の視線がそちらに向く。幕が除けられ、アベルが姿を見せた。
「参謀殿、マルス王子が呼んでいます」
 アベルは瞳を伏せながらそう告げる。
「ああ、ありがとうございます。今、行きます。・・・では、後ほど」
 ルーシがカチュアとパオラに会釈する。カチュアがにこりとしながら一言。
「大変ね、参謀役って」
「まあね」
 ルーシが外に出ると、アベルはカチュアたちを一瞥し、小さく頭を下げるとさっと消えた。
「・・・・・・」
 固まったかのように茫然と立ちつくすパオラに気づくカチュア。
「姉さん、どうしたの?」
「・・・えっ?」
「何か、固まってたけど」
「ううん・・・そんなことないわ」
 微笑みながら小さく首を横に振るパオラ。
「ねえ、今の人、何ていう方かしら?」
「アリティア宮廷騎士団のアベルさん・・・だけど・・・」
「アベルさん・・・」
 そんな姉の様子に気づかないカチュアではない。どうやらパオラはアベルに一目惚れをしたようだ。しかし、アベルにはレフガンティの会戦で不意に出逢った三姉妹の末妹エストと密かな恋仲になっていたのだ。暗黒戦争終結から後の英雄戦争において、この三姉妹にはそれぞれの葛藤が交錯することになるのだが、それはまた別の話となる。

 休戦第一日目も、夜が更けてきた。夕食はレナが手腕を揮い、マリア、シーダ、そして意外にもジュリアンが自ら志願して手伝った菜食料理だった。散らばっている諸将を召喚する役目にリカードを使ったのも、理解できる。諸将達は肉のない食卓に一瞬唖然となったが、シスターが作った料理と聞くと、納得する。ジュリアンなどはいつも肉しか食べず、野菜は残すくせに、今日に限っては全部きれいに食べてしまっていた。怪訝に思ったオグマが、皿まで舐める勢いのジュリアンに冷やかし混じりで言う。
「お前、いつから野菜好きになったんだ?」
「いやですねー。もとから好きですってー」
 などと高笑いで答えるも、思わずげっぷが出ると、諸将の間から笑いが起こる。まあ、いずれにせよ、愛する女性の手料理は、嫌いなものがあっても、極端な話石が入っていても難なく食せるということなのだろうか。が、レナからおかわりをよそられると一瞬戸惑う。三杯目を終わると、のけぞるようにしてギブアップ。
「おいおい、まだまだこれからだぞ」
 オグマに軽々しく起こされ、グラスが前に置かれる。
「今日は、さっき合流したパオラという女の歓迎会だ。ジュリアン、飲ますからな、覚悟しとけ」
 ニヤリと嗤うオグマに兢々のジュリアン。
「昨日も死ぬほど飲んだじゃないっすかぁ、勘弁して下さいよ」
「うるさい。恨むなら俺の隣に座ったことを恨め」
「そ、そんなご無体な・・・」
 ともかく今日と明日は理由をつけて連夜の飲み会をする事になっていた。誰が言い出したわけでもないし、誰が仕切るというわけでもない。今日はパオラの歓迎会ということで言い出しっぺはオグマ。夕食が済むと兵士達によって酒樽が運び込まれ、諸将達のグラスにワインやら高アルコール酒、ジュースなど好みのものが次々に注がれてゆく。
 激戦の中でまともに会話できなかった者たちともゆっくりと話すことの出来る貴重な時間。
とりわけ何も語らないナバールの周囲には意外と人が集まってくる。謎の剣士の経緯を今こそとばかりに聞き出そうという興味津々な若い女性に囲まれる有様だ。
 マルスもほろ酔い気分でニーナ王女やハーディンらと話を弾ませ、その隣にはいつもながら無意識のうちにシーダがいる。
 酔いが浸透し、諸将達の間に笑いと嘆きが喧噪さを増してきた頃、ルーシはそっと立ち上がり、場を去った。
 熱気が通り過ぎ、夏の夜の微風が清々しい。
「さて・・・と」
 ルーシは一人、盛り上がる本陣営から歩いて数分ほど離れた輸送隊陣営のテントに入った。すると入り口にいた男が慌てたように声を上げる。
「さ、参謀殿っ!」
 見張り役の兵士がたった一人、手酌酒をしながらその場にいた。
「も、申し訳ございませんっ」
 慌ててグラスを片づけようとする兵士。ルーシは微笑みながら言った。
「構わない。さあ、皆本営の方で楽しんでいる。そなたも、もうここはいいから、本営に行き楽しむのだ」
「し、しかし・・・」
「よい。さあ、はやく行かぬと終わってしまうぞ」
「で、では・・・」
 兵士はルーシに深く頭を下げるとテントを出ていった。
 ルーシは懐から一冊の本を取り出すと、陣営内にある物資を見回しながら、何かを書き込んでいた。兵糧・武器などの在庫物資の緻密な記録。休戦中とはいえ、軍の命とも言える重要な作業を、ルーシは一人で行っていた。そして、それが終わると、台の上にアカネイア全土の詳細な地形を記した地図を広げる。グラでの会戦後の解放軍進軍経路における必要経費や物資等の考案・・・。苦難を一人で背負い込む性格のマルスを輔けんと誓った知将は、マルスの苦悩を和らげようと、誰にも告げずに軍務に勤しむ。
「アリティアを直接攻めることが得策とは思えぬな・・・。カダインの魔道軍の動向が気がかりか・・・・・・。と、なると・・・まずは迂回し・・・カダインの平定を成すが上策・・・」
 自然に独り言が漏れる。その時だった。いきなり入り口の幕が開き、呂律の回らない大きな声がルーシを驚かす。
「ルーシ参謀、ここにいたのか。捜したぞ」
 ルーシが顔を上げると、そこに立つは見事な程の金色の長い髪を後ろで束ねた痩躯の美丈夫。
「これはジョルジュ殿ではありませんか。失礼いたしました」
 誰であろう、アカネイア神聖王国にその人ありと言われ、百歩離れて金貨を射抜き、目隠しをして敵の心臓を射抜くとまで賞讃された、アカネイア騎士団スナイパー・ジョルジュであった。
 沈着冷静で度量が広く、忠義を弁え、アカネイア王家の九族皆殺しの際にもドルーア軍に最後まで抵抗、衆寡敵せず敗退するも王国再興を念頭に雌伏。パレス奪回直前にノルダで解放軍に合流してからは、瞬く間に軍の中核にのし上がり、ルーシが最も信頼し、尊敬する大将であった。
「また地図など広げて・・・そんなに我らが信頼できないのか」
 酔いのせいか、いささか口調が荒い。
「滅相もないこと。ただ、ちょっと思い出したことがあったので、忘れないうちに調べておこうと思い来ていただけです」
 そう言うルーシの横に千鳥足で近づくジョルジュ。邪魔ではないかと思うほど垂れた前髪越しに、ルーシを見る。
「俺に嘘をつこうとしてもダメだ・・・・・・。ルーシ参謀、みんな盛り上がってるんだ、あなただけこんなところに居られると、みんなしらけてしまう・・・さあ、参りますか」
「あっ!」
ジョルジュは地図を強引にたたむと、ルーシの腕を掴んで強引に外に連れ出してしまった。
「みんな心配している。黙っていなくなれては困る」
「わ、わかりましたジョルジュ殿・・・まずはお手をお放し下さい」
 苦笑いをしながらそう言うルーシを焦点の定まらない目で睨むジョルジュ。
「逃げないだろうな」
「も、もちろんですとも」
「よしっ・・・では放そう」
 ジョルジュは手を放した途端にいきなり笑い出して歌を歌い始めた。
「いや、俺は酔っている。久々に酔っている。こんな楽しい気分は久しぶりだ」
 その姿は普段の彼からはまるで想像がつかない。しかし、いつも緊張が張りつめた日々を過ごしていたことを思うと、今の彼の姿こそ、本当の姿ではないかと、そして、彼が語った言葉は、おそらく本音だろうと、ルーシは名将ジョルジュの後ろ姿に微笑みながら、ふとそう思っていた。