終章・一 哀しき名将

 休戦日が終わり、解放軍の将兵たちは、再び戦乱の渦へと、その身を投じた。
 グラでの戦いは、カミュ大将軍がグルニア本国へ突如撤退したこと、そしてグラの傘下にあった勇者アストリアが聖騎士ミディアの説得で寝返ったことが大きく響き、悲壮なほど解放軍がグラ軍を圧倒。マルスの父コーネリアス王を裏切り、アリティアを滅亡に追い込んだ国王ジオルは、命運尽きたとばかりに座所に火を放ち、劫火の中で自害して果てた。
「シーマよ・・・我が仇を討て」
 それがジオルの最期の言葉となった。戦乱は怨恨が怨恨を生む。父を殺され、その息子が今、雪恨を成せば、仇敵の子が今度はその息子を仇敵と成す。避けられない宿命とはいえ、それは哀しみに余りある。世人は言う、《哀しみの大地グラ》と。第二のアリティアと呼ばれた英雄アンリ恩顧の国は、代々その宿命を背負っていたのだ。後の英雄戦争で、ジオル王の娘シーマ王女は、さもグラ人の宿命から逃れるすべなく、悲運の道をたどることになる。そして、そんなグラの宿命をも変える、救世主となることも。
 グラの制圧を成し遂げた解放軍の進路は、魔道都市・カダインの平定に向けられた。
 ルーシによって、アリティア攻撃前にカダインの平定が妥当と判断。そこは最高司祭ガーネフの拠点であり、背後からの襲撃を防止するため、そして、彼によって奪われた神剣ファルシオンの行方がつかめるという一石二鳥の上策であった。だが、ガーネフの黒魔法マフーの前に敗れたマルス達の前に、大賢者ガトーの道標を得、ガーネフは撤退。カダインは平定された。
 そして、ついにマルスの故郷・アリティアの奪回目指し、解放軍の士気は最高潮となる。
 ルーシの立てた計略によって占領軍守将・ホルスタットの手勢は次々と打ち倒されてゆく。驚愕したのも束の間。城門で指揮を取っていたホルスタットは、カイン・アベルの槍を受け、オグマによって首を取られてしまった。
 勢いに乗る解放軍はアリティア城内に突入。マルスは万感の思いを胸に秘め、玉座を占拠する仇敵・ドルーア帝国の左将軍、魔竜モーゼスを、ドラゴンキラーで一刀両断。ここに、ドルーア侵攻から約二年。懐かしき故郷アリティアは、マルスの元に帰した。
「アリティアは我らに帰した。だが、本当の戦いはこれからだ」
 マルスの言葉通り、解放軍の眼前には、大将軍カミュ、そして、征軍元帥ミシェイルという強敵が待ち構えていたのだ。
 バヌトゥの手によって、神竜族の末裔・チキを迎えた解放軍は、いよいよグルニア・黒騎士団との決戦をするべく、辺境グルニアの地へと入っていった。

 ルーシとミネルバはあの日以来、顔は合わすが話はしていない。心通じ合っているから、などと言う格好つけたものではないが、互いの素直な気持ちは、離れていても解る。それだけだ。ルーシは軍略を練り、ミネルバはその類い希な力量を存分に活かす。表面的には何も変わりがない。
 一方、パレス以降の同行を願い出たアカネイアの皇統ニーナの真意は、カミュに逢いたいという、所詮叶わぬ思いからであった。グルニアに近づく度に、この悲劇の王女の表情には、切なさがにじんでくる。
 度重なる敗戦によって、さしものグルニアが誇る黒騎士団も、ついに本城に追いつめられ、ここに、名将カミュは騎士の名の下、自ら陣頭に立ち、解放軍と決着をつけることを決意したのである。
 決戦の前夜、ルーシはカチュア・パオラとともに軍議を行っていた。飛行部隊の布陣経路についての協議。ルーシの顔には、今やトレードマークとも言うべき口髭が整然と顎の下まで伸びている。人の意見を聞くたびに、その髭をなぞる仕草が癖となっている。
そこへ、見張り役の兵士がやってきた。
「失礼いたします」
「うむ・・・いかが致した」
「参謀殿に面会したいと申す者が参っております。いかが致しますか?」
「ほう・・・誰か」
「道着で身を覆った、怪しき者にございます。追い返しますか?」
「いや・・・、構わぬ。通せ」
「はっ」
 兵士が去ると、心配そうにカチュアがルーシに向かって言う。
「誰かわかんないのに会うなんて・・・。刺客かも知れないわよ」
パオラも言う。
「本当。いきなり短剣でも投げられたらどうするの?」
 そんな二人にルーシは笑って答える。
「ここには君たちがいるんだ。たとえ精鋭の刺客でも、そう易々と私を殺すことなんて、出来ないだろ」
 そんなルーシの態度に呆れるカチュア。
「まったくもう・・・これだから安心できないのよね」
小さく笑うパオラ。
「まあまあ・・・ルーディ君がそう言うのなら・・・私たちが守ってあげましょ?」
「もう・・・甘いんだから姉さんは」
 そこへ兵士に連れられて、覆面の人物が現れた。
「お連れ致しました」
「・・・・・・」
 覆面の人物は無言でルーシの前に立つ。カチュアとパオラがルーシの両脇に立ち、剣の柄に手をかけている。
「私が総軍準参謀・ルーシです。・・・私にご用とか」
 ルーシがそう名乗ると、覆面の人物はくくくと嗤いだした。そしてその声が大きくなる。カチュアとパオラが剣を抜きかけたとき、覆面の人物が男の声で口を開いた。
「ルーディ・・・それにパオラにカチュア、久しぶりだな」
 その言葉に呆気に取られる三人。男はゆっくりと覆面を外す。その顔を見た瞬間、ルーシは思わず声を上げた。
「ラルム・・・ラルムではないか」
「えっ?」
「あっ・・・」
 にやりと笑うその男は、何と三人の学生時代の友人・ラルムであった。ルーディ・ペトゥス・ニッケルと共に四秀才と言われ、机を並べていた親友。だが、彼はミシェイルに通じ、弑逆に荷担。ルーディをミシェイルに仕えさせようとしたが、ルーディの方が一枚上手だったため、頓挫。以来、全く会うことはないままだった。
「久しぶりだなラルム。元気だったか」
 ルーシが親しげにラルムの側により、肩を揺する。
「何とか生きていたよ・・・それなりにな」
 ルーシの手を払い、ぶっきらぼうに答えるラルム。

「それにしてもお前、なぜこんなところにいるんだ。ミシェイル王の元にいるんじゃなかったのか?」
 その問いを聞くと、ラルムはふうとため息をついてから言った。
「ミシェイル王の元にいたよ。ついこの間まではな」
「この間までって・・・じゃあ、今は?」
「カミュ大将軍の元にいる」
 その答えにルーシたちは驚かされた。
「大将軍の使いとして、開戦前の挨拶に来た。そして、お前達にもな、最後の別れを告げに来たのだ」
「最後って・・・ラルム、それってどういうこと?」
 カチュアが驚いたように声を上げる。
「まあ、落ち着いて聞けよ」
 ラルムは言う。
 ・・・ミシェイル王の雄才に惹かれ、オズモンド王弑逆の計を立てることに荷担し、そのまま王の懐刀として、マケドニア軍を指揮し、神聖アカネイアを討ち滅ぼす事に成功した。
 王のために計を巡らし、悉く成功し、そのたびに王から信頼され、俺の前途は揚々だった。
 そして、ミシェイル王が天下の覇者となった暁にはミネルバ王女を俺の妻とし、やがて天下の権を俺に分け与えるとまで言って下さっていた。
 ・・・だが、その夢は天につづく道に突然現れた崖に落ちるかのように、潰えていった。
 レフガンティの敗戦、ディールの敗戦、パレス失陥、アリティア失陥・・・。
 反乱軍を討つ俺の計略が次々に外れてゆき、王は俺を憎むようになった。その上、ミネルバ王女の心をつかむことが出来なかった俺は次第に荒んでもいった。
 ・・・そしてとうとう、俺は追放された。失意に打ちひしがれた俺は、この地に流れ着き、自害しようとした。
 だが、そこをカミュ大将軍に出会った。大将軍は俺の事情を聞かれ、登用して下された。反乱軍との決戦を間近に控え、そなたの才を活かす場はないかも知れぬ。それでも良いかと。
 俺は快諾した。ミシェイル王と共に天下の夢を見た俺が、最期は路上で果てるのかと思った。大将軍はそんな俺にとっては雲間から覗く太陽だった。たとえ我が夢、尽きようとも、俺は大将軍に従い、果てることにした。
「・・・それにしてもルーディ、お前が反乱軍の軍師になっていたとはな・・・このところの反乱軍の緻密な用兵、隙のない布陣・・・よもやとは思っていたが、やはりそうであった」
 やや恨めしげに、ラルムは言う。
「ラルム、君がミシェイル王に従っていたことは気がついていた。私はそれを知りつつ、君をだましてマケドニアを去った。友情を裏切ったことに変わりはない。・・・そのことを恨んでいるならば、謝ろう」
 ルーシがそう言うと、ラルムは鼻で笑った。
「馬鹿にするなよルーディ。確かにあの頃はお前らと机を並べていた。だがな、俺は一度たりとも、お前などに友情を感じたことはなかった。あるのはお前の才能に対する嫉妬だ。・・・お前には叶わない・・・。先帝やミシェイル王を貶し、ミネルバ王女に道を諭したその才知。どれをとっても、俺はお前に劣っていた。それはあの頃からよく判っていた。・・・だがな、俺は俺なりにミシェイル王に従い、マケドニアを一大強国に伸し上げた自負がある。こそこそと逃げ出したお前とは違う」
「ラルム、君は・・・」
 ルーシが喋ろうとするのをラルムは遮った。
「・・・仕えるべき主君を誤ったか? ・・・時勢を観る目に欠けていたか?・・・ふっ、お前から見ればそうだろうよ。お前は野に隠れすみ、大将軍の誘いを断り、反乱軍についた。結果、現実はお前が従っている反乱軍が、我が大将軍率いる黒騎士団を追いつめ、今まさに我らは滅びんとしている。端から見れば、俺はお前が言わんとしてる通りかも知れない・・・。だがな、少なくとも俺はそうは思ってはいない。俺は俺の信じた道を歩んできたつもりだからな。たとえ今、お前達と戦い死そうとも、悔いはない」
 淡々と話すラルム。そこへカチュアが悲壮な声を上げる。
「なにバカなこと言ってんのよ。黙って聞いていると負け惜しみばっかり。ラルム、あなたそれでも男なの? このままで、本当に悔いはないの?」
 だが、ラルムは冷たく笑う。
「負け惜しみか・・・ミシェイル王から追放されるまでは、確かにそう思っていたよ。・・・だがな、今は違う。優劣など関係ない。今の俺は大将軍のためにある、一武将だ。大将軍に忠を尽くし、運命を共にする。男として、悔いはない」
「だけど・・・」
 言いかけるカチュアをルーシは静かに止めた。そして、真っ直ぐに級友を見つめる。
「そうか・・・。君がそう決意しているならば、私は何も言わないよ。これも運命・・・お互いに、主君に忠を全うしようじゃないか」
 そう言うルーシを見ながら、ニヤリと笑うラルム。
「そうだった。言うのを忘れるところだったよ。・・・エストは今、我が軍の手中にある」
「えっ!」
 愕然となるカチュアとパオラ。
「安心しろ。大将軍はエストを開戦前には解放する。無論、危害などは加えていない」
 その言葉にほっとする二人。
「それからルーディ、大将軍からお前にこう言いつかっている・・・『私の答えは、今だ』、と」
「何っ・・・・・・・・・・・・そうか――――――――」
 ルーシはカミュが言った意味を瞬時に理解できた。
 彼はアカネイアの王家九族を鏖殺し、ニーナを助けた時点からこうなることが解っていたのだ。報国尽忠を信義とし、あくまで祖国グルニアのためにドルーアに従い、血の洗礼を浴びつづけた忠烈漢。忠・愛両立成し難きことを解りつつ、彼もまた推し量りきれない苦悩の日々を送りつづけてきた。
 ニーナを擁した解放軍が、破竹の勢いで次々とドルーア勢力を平定していっても、彼はおのが信義を貫く道を選んだのだ。
 あの時、ルーシはカミュに言った。あなたとは進むべき道が違う、と。ここに来てルーシはそれがはっきりとわかった気がした。カミュは国に忠を、自分はマルス個人への忠を、と。一概に同じと言われてしまえば、元も子もない。だが、彼は斜陽のグルニア王国の大将軍として、黒騎士団を率い、おのが愛を捨て、同胞と運命を共にするつもりなのだ。自分はマルスに対し忠を誓った。それは、言い換えればこの戦争が終われば再び自由となれる。そして、ミネルバと共に道を歩んで行ける。忠を尽くし終え、後には愛を得る。仮にカミュが勝利し、再びニーナを得ることが出来ようとも、彼はニーナを迎えることはしないだろう。死するまで、その身を国に捧げるはずだ。
 国と命運を共にする、ニーナをよろしく頼む・・・。彼は暗にそう言っていた。かつてルーシの才を求めて草廬に足を運んだカミュ。出馬を拒んだ彼を執拗に誘わず、いずれ敵として自分の目の前に立つことを予感しつつ去っていった、悲運の名将。ルーシの瞼に熱いものがこみ上げる。
「ラルム・・・大将軍にお伝えして欲しい。『答えは、まだ出ていない』と」
「・・・・・・」
 ラルムはルーシの目をじっと見つめた後、ゆっくりと力強く頷いた。そして、この短い再会の時間も終わりの時が来る。テントの入り口にゆっくりと向かったラルムが、ぴたりと足を止め、不意に振り返り、ルーシを見る。そして、小さく微笑んだ。
「時が時ならば、今頃互いに酒でも酌み交わしながら明日を語り合えたことだろうな・・・」
「出来るさ・・・生きていれば・・・絶対に」
 そう返すルーシの声は、小さく震えていた。
「さらばだ。戦場で会おうぞ」
 きびすを返し、ラルムは翻然と去っていった。思わずテントの外に駆け出したルーシ、遠のいて行く級友の後ろ姿に、そっと呟いた。
「・・・死ぬなよ・・・ラルム・・・」
本音の思い、届いたか否か。グルニアに吹く初秋の風は時折冷たく、頬を掠めていった。

「全軍、出陣っ!」
 マルスの号令が掛かる。解放軍十万、カミュ大将軍率いるグルニア黒騎士団精鋭五万は、ついに本土決戦の火蓋が切って落とされた。
 その合戦は暗黒戦争戦史上、最も熾烈を極めた戦いとして、後世に様々な謎やエピソードを残すものとなる。
 数の上では圧倒を極めていた解放軍だったが、カミュ自ら指揮する黒騎士団には、ようやく優勢、いや、ほぼ互角であった。
 ルーシの妙計にはラルムが迎え撃ち、カミュ自らも兵書三略を会得した知才を活かしてことごとくルーシの計を破って行く。名だたる解放軍の勇卒たちも傷を負い、平野を血で染め、川の流れを血で赤く染めた激戦は七日七晩にも及んだ。
 だが、それも終焉の時が近づいていた。
 黒騎士団の主だった将の戦死、砦城の陥落。その悲報は、グルニア城前に本陣を構えるカミュの元に次々ともたらされる。
 カミュは注進兵の報告をじっと背を向けて聞いていた。両手を後ろに組み、瞳を閉じてグルニア城を仰いでいる。美しい黒衣を身に纏い、直立不動のその姿は名将らしい威風をたたえながらも、どこか寂しさを彷彿とさせている。そして、最後の伝令がもたらされた。
「ラール副将軍、戦死っ・・・・・・支城はすべて・・・敵の手に落ちましたっ!」
 それでも、カミュは身じろぎ一つせずに、ただじっと城を仰いでいる。
「・・・大将軍・・・」
 身体中に傷を負ったラルムが、静かにカミュの背中に話しかける。
「このラルム、敵に斬り込み・・・、死して大将軍のご恩に報いまする・・・。お許し下さい」
 カミュは無言だった。ラルムは彼の背中に深々と拝礼すると、剣を取り陣を出ようとした。その時だった。カミュがさっと振り返り、毅然たる声を上げた。ラルムは立ち止まり、振り返る。
「グラディウスをもてっ」
 兵士がカミュの得手、伝承の名戟グラディウスを差し出すと、カミュはそれを手に取り、三尖の矛先を、目を細めて見る。
「ラルム・・・そなたが死ぬことはない。このカミュ、そなたには何もしてやれなかった。・・・今敵に投降しても、義には背かぬ。さすれば、そなたはマルス王子に重く用いられよう」
 その言葉に愕然となるラルム。
「何を言われます大将軍っ!・・・このラルム、不肖な才なれど、忠義の道は心得ております。なぜにみすみす敵に降られましょう。・・・かつて私はミシェイル王に仕え、夢破れその元を去り、放浪の野にて朽ち果てようとしておりました。されど、この身を大将軍にお救いいただき、私はこの上ないご恩を賜りました・・・。大将軍のご高恩に報いずして生き長らえ、ましてや敵に降ってまで、生き恥を曝したくはございませんっ!」
 震えながらそう叫ぶラルムの言葉を、瞼を閉じてじっと耳を傾けていたカミュであったが、やがて突き放すように言った。
「これは我が命である。死ぬこと許さぬ」
 カミュはラルムの横を通り抜け、最期の決戦へと赴こうとした。その時、ラルムが思わず声を上げた。
「ルーシはっ・・・・・・『答えは、まだ出ていない』、とっ」
 一瞬、足を止めるカミュ。そして、何も答えずに彼は白馬に跨り、少数の配下と共に解放軍の矢面に向かっていった。その後ろ姿を茫然と見守っていたラルム、ルーシのその言葉の意味を今、理解した。
(大将軍を・・・ここで死なすわけにはいかない・・・)
 ラルムは決意した。身代わりとなってもカミュを死地から救い、痛悔の念から解き放たん、と。彼は今ここで命を擲つ。それで報国尽忠の正義は尽くした。後は愛するニーナ王女のためだに、生きられる。死して名折れ、生きてこそ名を全うできよう。それが、ラルムがカミュに出来る最初で最後の報忠だった。
「誰かっ!」
「ははぁっ!」
 ラルムは在陣の兵全てに対し、密計を打ち明けた。兵達はラルムの計を聞くと途端に涙に暮れ、地に伏した。そして、彼の叱咤が下ると、兵達は号泣しながら陣を去っていく。そして、そこにラルム以外、誰もいなくなった。
「ルーシ・・・これでいいのだな・・・お前はやはり・・・天下の奇才だ」
 虚空に向かいラルムはそう呟くと、剣を構え、ゆっくりと陣を出た。そして、無人の本陣に秋風が寥々と吹き抜けていった。

 "黄金の髪たなびかせグルニアの鬼神かくやと秋の風"

 アカネイア宮廷蔵書館に残る、【暗黒英雄戦史・グルニア戦譜】の最初の名節。

 六〇四年初秋――――アカネイア大陸十諸国一万諸侯を震撼させた、稀代の若き名将カミュは、ここにマルス率いる解放軍と、最期の決戦を会した。
 突き進む解放軍兵士に、伝承の神鎗グラディウスの洗礼が、容赦なく浴びせられる。彼に従った十数人の部下達が、獅子奮迅の活躍の中、万箭を受け、槍を受け薨れてゆく。このときだけで、解放軍の勇卒はゆうに千人以上失ったと伝えられる。しかし、多勢に無勢。激闘四時間、陽が赤く染まる頃、最後の部下が命尽き、鬼神はただ一人になった。一瞬にして訪れる静寂。皮肉にも、暮れゆく太陽は、グルニアの、そしてカミュの命運を示すかのように煌然と照りつけている。血に染まった白馬。跨る名将の顔は、使命を果たした男の、とても穏やかな表情だった。
「マルス王子との一騎討ちを所望したい」
 静かに、彼はそう語った。そして、カミュを包囲する兵達を除け、マルスが馬に跨り、静かにカミュの前に現れた。
「カミュ大将軍・・・お久しぶりです・・・」
「マルス王子・・・騎士として、貴公とここで雌雄を決することが出来ることを、神に感謝するぞ」
「大将軍、私はあなたとは戦いたくない・・・もう、戦は終わりました。万民のため降服し、私たちにそのお力を、お貸し頂けぬでしょうか・・・」
「・・・そのお気持ち、ありがたく頂く。・・・しかし私は国を裏切り、義に背くこと出来ぬ。今、まさに国滅びんとしている。私は一将として、国の命運と共にする」
 その二人のやりとりを、ルーシは最前で見つめていた。
「あなたがここで死すれば・・・ニーナ様が・・・悲しまれます」
 その名を聞くとカミュの顔に寂しさの色が滲む。だが、彼はそれを振り切るように言った。
「ニーナを・・・頼む・・・貴公の手で、守ってあげて欲しい・・・」
「大将軍っ!」
 マルスの悲痛な叫びにカミュは二度答えず、グラディウスを構えた。
「・・・さあ、マルス王子。決着をつけよう」
「くっ・・・」
 マルスは唇を強く噛みしめて銀の剣を構える。
「行くぞ、王子」
「大将軍っ」
 やああああぁぁぁっっ・・・・
 はああああぁぁぁっっ・・・・
 万兵が見守る中、両雄は立ち向かう。竜虎相撃つとはまさにこのことだった。合わされた武器同士が甲高い金属音を上げ、夕陽に照らされてもなおはっきり判るほどの火花を散らす。
 ルーシは五、六合ほどの打ち合いを見ると、右手を差しだし、振り払う仕草をした。
 すると、包囲の一角が徐々に開かれてゆき、そこに道が出来た。
 両雄、共に互角の戦い。馬は前後左右に揺れながら、自然とその道なりに進んで行く。ルーシはそれを確かめると、微笑みながら小さく頷いていた。
 気がつくと、マルスは川と夕陽を背にし、カミュは彼に対峙していた。ゆうに五十合は打ち合ったのだろう。両雄とも全身に怒濤の如く汗が噴き出し、眼に汗が入るほどの勢いだった。
「これほどの使い手と戦えるとは・・・このカミュ、武人冥利に尽きるぞマルス王子」
夕陽を受けて汗まみれの顔が輝き、息を切らしながら、カミュはそう言って笑った。
「大将軍・・・」
 かたやマルスはなおも哀しそうにカミュを見つめている。
「そろそろだな・・・」
「はい・・・」
 カミュは折れかけたグラディウスを構え直し、マルスは綻びかけた銀の剣を構え直す。
 そして・・・
「やあ――――――っっっ!」
「はあ――――――っっっ!」
 両雄は一際大きな喊声を挙げ、同時に馬に鞭打ち、互い目掛けて突撃した。

 カ―――――ン・・・・・・

 剣戟の叫びがグルニアの大地に響きわたる。そして、互いに背を向き合い、互いがいた場所に立つ。余韻が消えると、長い、長い喧噪が止み、静寂が戻る。
「マルス王子・・・・・・見事だ・・・・・・」
 斜陽燦然と降り注ぐ中、神鎗グラディウスの柄が折れる。そして、名将の雄壮なシルエットが、ゆっくりと傾き、大河の中に沈んでいった。
 グルニア王国・大将軍カミュ――――享年二十九。滅び行く祖国に忠義を貫き通した悲運の名将は、夕陽と悠久なる祖国の大河に抱かれて、永久の眠りについた――――。
「カミュ大将軍―――――!」
 マルスの叫びが、激戦を終えた寂寥の大地に虚しく響きわたって行く。そして、彼は痛感し、決意を新たに心に誓った。
 ――この悲劇がつづかぬよう、きっと・・・きっと必ず、ドルーアを打ち倒す―――と。そして、マルスの歓声が響きわたる。
「敵将カミュ、討ち取ったっ! 歓声を挙げよっ!」
 その瞬間、天地を揺るがすほどの山鳴りが巻き起こる。いつまでも、永遠に鳴り止まないほど、歓声の山鳴りはつづいていった。
 
 解放軍勝利の歓声を背に、ラルムは兵士達に運ばれてきた重傷の武将を見つめながら、何度も大地に額を打ちつけていた。涙で汚れた顔、出る言葉は嗚咽のために聞き取れないほどだった。
「ご命令に従い・・・私は生きまする・・・ただし・・・あなた様も共に・・・」
 その言葉に兵達も大泣きに崩れる。
「このアカネイアは・・・あなた様には狭すぎる・・・このラルム・・・共に新天地で・・・あなた様についてゆきます・・・」
それだけ言うと、ラルムは再び突っ伏して、息がつけないほど嗚咽しつづけた。
「私も、共に参りますっ・・・」
 彼を囲む兵達が、次々とそう言って大哭する。
 黄昏のグルニアに、勝者の歓声が延々と響き、敗者の慟哭が寥々と吸い込まれていった。
 そんな中、一人川面を眺めながら佇む男がいた。ルーシである。
「頼んだぞ・・・・・・ラルム・・・・・・」
 そう呟くルーシの横に、夕陽と同じ髪の女性が近づき、無言のままそっと寄り添うように立つ。ルーシがそっと彼女の肩を抱くと、彼女もルーシの肩に頭を預け、共に黄昏の西空を見つめつづけていた。

 それから数日後、解放軍がマケドニアを目指してグルニアを出立した頃、ある海岸から数隻の小舟が海原に向かって船出していったという。・・・だが、その舟に誰が乗っていたのか、誰も知る由もない・・・。