君と巡りあうために
 僕はきっとここまで来たのかも知れない

 だから手をつなごう
 懐かしいこの街を歩き乍ら
 二人過ごしてきた時間

 そして今日までの
 語り尽くせないほどの
 想い出を聞いて欲しいから――――

 かけがえのない 君に……

 第1話 旧友からの便り

 特に梅雨時ともなると、俺は無性に胸が痒くなる。
 まるで大昔の古傷にちくりちくりと、とげが刺さるように鈍い痛みを呼び起こすような、雨音がもどかしい。

 もう、とうの昔の、出来事なのに――――

 瀟々と降りつづく雨。暗澹とした空。
 思えば思うほど、あの情景に……近づいてゆく……。

 ……キーンコーンカーンコーン……

「……せい? 三上先生っ」
「……ん?」
 どうやら俺はぼうっとしていたらしい。学級委員の女子生徒が怪訝な眼差しで俺を見ている。
「授業、終わりですけど……」
「あ、ああ。スマンスマン。――――それじゃ、今日のところはテスト範囲の中でも重要なところだ。よく復習しておけ」
 一斉にざわめきたつ教室を出ると、廊下はすでにホームルームを終えて帰路につく生徒たちであふれかえっていた。
 さようなら、バイバイ、また明日ねーなど、毎日恒例の別れの挨拶が交錯する。ありふれた午後のひととき。
「三上せんせー、ばいばーい!」
「ああ、気をつけて帰るんだぞ」
 俺にも声をかけてくる生徒たち。それに笑顔で答える俺。

 いつか、俺も過ごしてきた日々――――
 遠ざかる記憶の中で、いつも・・・
 ふと窓の外向ける眼差しが、その面影と重なってしまうのだ。

「智ちゃ……じゃ、なくって三上先生、上がりですか?」
 セミロングのサラサラとした髪をよそがせながら、唯笑が話しかけてくる。

 今坂唯笑――――俺とは幼稚園時代からの幼なじみだ。年こそ同じだが、どうもこいつのことは歳の離れた妹のように思えてならない。
 高校生の頃までは、その物言い、仕草、考え方・・・すべてが子供のようで、もう一人の幼なじみ、彩花と俺が先に立ち、唯笑が後からついてくる。気がつけばそんな関係だった。

「ゆえ……ご、ゴホン……今坂先生も?」
「はい。そうだ、もしよろしかったら、ご一緒に帰りませんか?」
「そうですね――――特に用もないので、かまいませんが――――」
 ギクシャクとした会話だ。別に喧嘩をしているわけではない。
 しかし、一応教師という立場上、職場ではプライベートの時のような言葉を交わすわけにはいかない。唯笑もいまだに慣れない丁寧語を、所々引っかかりながら連ねる。

「ねえねえ智ちゃんっ、あのね――――」
 校門を出ると、途端に大人・唯笑は子供・唯笑に還る。
「何だよ。妙に嬉しそうじゃないか」
「あたりまえじゃん! だって昨日ね、双海さんからエアメールが来たんだよ」
「ふたみ? ふたみ……フタミ……」
「ほらっ! 高2の秋にフィンランドに転校しちゃった同じクラスの子。覚えてない?」
「あ……ああっ、思い出した。双海詩音か」
「そうそう。その双海さんがね、もうすぐ日本に戻って来るって」
 唯笑に送られてきたという、級友のエアメール。
 双海が帰って来たら歓迎会をしなくちゃいけないとか、同級生たちを集めて同窓会もしなくちゃいけないとか、よほど嬉しいのだろう、俺の声も耳に届かない様子ではしゃいでいる。
 高校時代か……

 それもなつかしい想い出と、なった――――

 信の奴は高校3年の時、何を思ったのか、急に俺は『一流のシェフになるぞ!』と豪語して、高校卒業後、フランスに留学していった。気まぐれな奴のことだから、どうせすぐに挫折するんだろうと思ってはいるのだが、意外なことに続いているらしい。
 フランスの何とか何とかという一流のレストランでシェフが一目置く存在になった――――と、この間国際電話で話したばかり。

 双海――――音羽――――みなも――――小夜美さん――――

 皆、俺の記憶はあの頃のまま止まっている。
 遠ざかる時と共に、想い出となって行く青春の影……。

 そう言えば、唯笑と外食する約束があった。
 俺は急いで校舎のにおいが染みついたスーツを脱ぎ捨てるために家に戻った。
 玄関ドアの鍵を差し込んだとき、ドアの新聞口に一通のハガキが差し込まれているのが見えた。
『三上智也様』
 俺宛だ。差出人は――――
『渡辺 聖』
 渡辺……渡辺……わたなべ…………
 思い出せない俺は、黙って裏を返せばいいのを、真剣に差出人の名だけで何かを思い出そうと、余計な労力を使っていた自分を恥じる。

『前略 
 突然のお便りをお許し下さい。
 藍が丘二中の頃、三上君や檜月さんと親しくしてもらっていた渡辺聖です。
 憶えていますか?』

 積み重ねられてきた記憶の糸を辿ると、その名を探し当てることが出来た。
 渡辺聖。
 確かに、その名前に憶えはある。比較的大人しい奴で、俺や彩花ともよく話をしていた、友人だった。
 しかし、彼は両親の都合とかで、途中他県に転校してしまい、別々となって、それ以来いつしか音信不通となっていった。
 内容は中学時代の想い出や感慨に満ちた物が前半、近況が中盤、そして、後半はこうだった。

『――――ぜひ、檜月さんや今坂さんにも声をかけて下さい。お待ちしております。  草々』

 それは同窓会と呼ぶには仰々しいとも言える、飲み会への誘いだった。

「そうか――――渡辺は知らないのか――――」

 彩花は――――

 渡辺からのハガキを何度も読むうちに、胃から肺へと熱いものが逆上する感覚に襲われ、思わず胸を鷲掴みにしたくなる。
 俺は、こみ上げるものを覆い隠すように、旧友からのハガキをそっと机の引き出しに押し込むと、急ぎ気味に普段着に着替えて家を出た。