それくらい、わかっている……。
どんなに似ていようが、たとえ同じだろうが、檜月彩花はいない。ここにいるのは、秋山萌なんだ……。
俺の心が、そう言っていた――――
でも…………それでも…………惹かれてゆく…………君に――――
「私と彩花さん、ねえ――――どっちが好き?」
翳る俺の横顔に、萌はそっと囁く声でそう、訊ねてきた。それは、何よりもはかりがたい難問。比べられない、無限回廊の扉――――。
「いままでは……彩花。……でも、今は……萌」
都合のいい答えだろうな。そう……そんなこと、比べられないよ。
「ふふふっ」
彩花そのままの声と仕草で、彼女は笑う。意味深な笑みだ。
「どうしたんだ?」
「ううん、なんでもなぁい」
小悪魔っぽくそう答えると、さっと腕を絡めてくる。優しい感触、雰囲気……。
萌にせがまれてのドライブ。海岸沿いの遊歩道を散歩した。
夏の陽射し、輝く青色の海、碧の風、蝉の声……。
こうして手を繋いで歩くのは本当に久しぶりのような気がする。
彩花と別れてからは、他の女性は当然、唯笑とでさえ手を繋いだことはない。
小さくて毀れそうなほど、華奢な少女の手。振り向けばそこに、彩花と……一人の少年の姿……。
俺か――――
中学の制服を着た俺が、彩花と手を繋いでいる光景――――。
眩いばかりのビジョン――――
あの頃過ごした、何気ない日々が、今はこんなにも大切なんて……。
ねえ智也――――今日ね、お弁当作ってきたのよ――――
へえ――――そりゃあ、楽しみだ――――
サンドウィッチにね、智也の大好物、挟んでみたの――――
俺の――――? それって、もしかして……
「たくあんじゃないわよ」
「え?」
はっとなって振り向くと、萌が小さく頬を膨らましながら、俺を見つめていた。
「すごく久しぶりだったから、自信はないんだけど……」
「な、何のこと?」
柄にもなく動揺する俺。だが、萌は意地悪っぽく微笑む。
「お弁当。今日のために昨日の夕方から下拵えしてきたんだからね。食べてみて」
「あ、ああ。ありがとう」
おもむろに開かれたランチボックスに目を向けると、俺の動揺はまたひとつ大きくなった。
「こ、これは……」
それは、彼女にしか思いつかないはずのアイディア……。
「普通、挟まないだろ、これって」
思わず、そう返す。この言葉を口にしたのも懐かしい。彼女は微笑んだ。
夕日に染まる景色を、俺と萌はしっかりと手を繋ぎながら時を忘れたように見つめていた。
寄せては返す波の音が、心を深く、安らげてくれる。
――――あの日、夕陽に融けてゆく彩花を見て、寄る辺ない不安に怯えたんだ。
このまま、彩花がどこかに行ってしまいそうな……そんな気がしたんだ――――
あの日と同じ彩(いろ)の陽に映された彼女の表情。愁いを帯びた、儚く、美しい横顔。真っ直ぐで繊細な髪が、汐の微風に揺れる。
(智也――――)
萌が、俺の名を呟いた気がした。そして、こうも言った気がした。
――――ただいま、智也――――