第6話 夏の雨

 その瞬間、強烈な稲光が目を眩ませ、停電する。断続的に奔る閃光にのみ映し出されるお互いの姿。下手なドラマのようなお誂え向きだ。

 雷鳴の中、俺も唯笑も無言だった。雷に滅法弱かったはずの彼女。
 だが、今、微動だにもせず、ただじっと瞳を閉じ、俺の行動を待っている。
 多分、雷に強くなったのじゃない。彼女の中の何かが、雷の恐怖さえも凌いでいるのだろう。

 だが――――

 どれくらいの時が経っても、俺と唯笑は、そのまま動こうとはしなかった。
 いや、俺は――――動けなかったのだ――――。

 窓ガラスを奮わせるほどの轟音と、まともに見れば目を焼かれると思うほどの閃光とともに、激しい雨が落ちてきた。屋根を打ちつける音は、まるで砂嵐のテレビを音量最大にしたかのようだ。

 それは、彩花がかつて望んでいたような雨――――。

 哀しみに、胸が押しつぶされてしまうような、激しい雨――――。

 孤独と不安に打ち震える胸を、優しく抱きしめてくれるような、安らかな雨――――。

「…………るね?」
「え?」
「私……帰るね。ゴメンね、長居しちゃって」

 俺から身を離した唯笑が、小さく笑ってそう言った。

「大丈夫か――――?」

 普通なら引き留めるだろう。外は深い夜の闇、しかも堰を切ったような豪雨だ。いかに唯笑の家は近いとは言え、傘を差しても濡れてしまう。

 送っていこうか――――

 当然のように、唯笑はそれを断る。だが、俺は黙って、彼女の身体を包み込むように肩を抱き寄せながら、豪雨の中を彼女の家へと向かった。
「それじゃあ――――おやすみ……」
「ああ、おやすみ……」

 素っ気ないほどの別れ。俺は全身、滝に打たれたかのようにずぶ濡れになっていた。
 本当に細かなトゲが、ちくりちくりと刺激するような胸の痛み。
 唯笑の姿が玄関に消えると、俺はひとつ大きなため息をつき、振り返った。
 すると、視線の先に傘も差さずに佇む人影が、じっと俺のことを見ていた。見覚えのある影。そう……

「渡辺……」
 俺の呼びかけに、彼はわずかに微笑みを浮かべた。
「お前――――どうしてここに……それに傘も差さないで、風邪引くぞ?」
 だが、彼は俺の声が聞こえているのかいないのか、ただ微笑みを浮かべながら、まっすぐに俺を見つめている。
「?」
 気のせいか、どこかしか彼の姿が白く輝いて見える。ただ単に外灯に照らされ、彼を打ちつける飛沫が光っているだけなのだろうか。
「あ、あのさ渡辺――――」
 と、俺が話しかけたとき、突然、雨音が遠のき、渡辺の声が脳に響いてきた。

 トモ――――彩花は還ってきたんだよ――――

「えっ……」
 目の前の彼を凝視する。だが、彼はただ俺を見ながら、微笑んでいる。

 ――――君に逢いたくて――――ずっと――――君だけを――――

「どういうことなんだ、渡辺――――?」
 俺は叫んでいた。“彩花”という名前を聞いただけで、何故かムキに声を荒げてしまう。

 彼は微笑んでいた。ただ、微笑んでいた。
 やがて、微笑んだ表情のまま、両目から大粒の涙だけが、ぽろぽろと落ちてゆく。

 ――――悲しみは―――もう、たくさんだよ――――

「…………」

 彼はさらに何かを言っているように見えたが、強くなって行く雨音に遮られて聞こえなかった。ただ、彼はそのままの表情で、哭泣している。
 瞬間、稲光が視界を眩ませ、轟音が周囲を切り裂いた。

「……渡辺?」

 はっと気づき、前を見るとすでにそこには渡辺の姿はなかった。

 ――――悲しみはもうたくさんだよ――――

 幻か否か。だが、彼の声ははっきりと聞こえたことは確かだ。
 そしてその言葉は、俺に対して発せられたものだけじゃないと、何故かそう直感していた。