目ざめたフローラがそっと瞳を横に向けると、自分だけの特権となった、穏やかなリュカの寝顔がある。
カーペットに落ちていたシルクガウンを纏い、着替える。しかし、鏡台でメイクする自分の顔を見つめていたフローラは、少しばかり浮かない表情の自分に軽いため息を漏らした。誰の所為でもない。良人の仲間とはいえ、魔族と共に旅をすることとなる自分の決意に、激しく葛藤していた。
眠れるリュカを起こさぬように身嗜みを整えたフローラは、寝室を出る。
「おおフローラ、リュカ君は」
「お疲れのようですわ。もうしばらく、お休みに」
ルドマンにそう言うと、フローラは外出する。何となく、空の下で過ごしてみたかった。
愛犬であるリリアンを伴い、街を散歩する。
「おや、フローラさん。一人かい」
「え、ええ……」
「おめでとうフローラさん、素敵な式だったわね」
「あ、ありがとう……」
「若旦那さんはお休みかい。わははは、俺だったら四六時中あんたのこと眺めてやまねえがなあ」
「くすっ、相変わらず、お上手ですわね」
サラボナの人々は口々にリュカとフローラの結婚式を誉め讃えている。その度に、フローラは、リュカと結ばれたことに、現実感を覚えてはにかむ。
しかし、リュカという青年が、同時に大いなる目的を懐いてサラボナを訪れ、フローラと結婚したという大雑把な経緯を、人々は当然の如く知らしめられた。
魔族擾乱に八勇士が集い戦った時代、女性の国にあって極めて硬骨の廉士であった、女王大公マクベスが、美しい女王への愛を誓ったとされる伝国の宝具を、リュカが運命を決める選択の場で毀敗に及んだことが、否応にも彼の知名度を一挙に高めることになったのである。
リュカが遠く別離していた幼馴染みではなく、フローラを選んだことが、街の人々の関心を高くし、時にリュカの“英断”を褒めそやして止まなかった。
よもや深窓の美姫を旅路に連れ出すことはあるまいと思っているのか、口々に嶮岨な旅を続けるであろうリュカを、当地で温かく見守る、奥ゆかしき良妻像を重ねている。それが逆にフローラにとっては重荷に他ならない。
自分の思いとずれがある人々の称賛を切り抜けるように、フローラは市中を抜け、郊外の眺海台へと足を向けた。
半ば息が詰まりそうな熱気が過ぎると、爽やかな潮風がフローラを包み込む。
「はぁ――――ふぅ…………」
軽く腕を伸ばして深呼吸をしてみた。
普段は腕を突き上げて脇の下をさらけ出すなど、淑女の致すことではないと言われてきた。
それは況やリュカの前以外で、その細く雪のような美しい脚を晒け出すような感覚。少しだけドキドキし、また、楽になった。
しばらく緩やかな坂を登ると、リュカの仲間たちが逗留する、馬車がそこにある。
「…………」
しかしそれを思うと、フローラは無意識に歩が重くなった。やはり、どうしても魔族に対して、簡単に色眼鏡をかなぐり捨てることは出来ない。
(このままじゃ……いけない――――)
馬車の車輪の許に、紅い鬣に黄色に茶の斑点が美事な猛獣、キラーパンサーが身をくるめて休んでいた。
地獄の殺し屋・キラーパンサー。修道院や父たちからそう教えられ、怖れられてきたモンスター。人に懐かないはずの野性の猛獣が、リュカに従い、プックルと名付けられた刎頸の友だという。
時々、身じろぎするたびに呻き声を上げ、鬣が戦ぐ。フローラは思わず血の気が引き、身震いした。
その時、どこからか話し声が風に乗ってフローラに届く。
慌てたフローラは、咄嗟に近くの小木の草むらに身を潜めてしまった。
(ああ……私としたことが――――)
魔物の気配とはいえ、全てがリュカの仲間たちである。思わずとも身を隠してしまう自分を、フローラは恥じた。しかし、一人で身を乗り出し、彼らの前に立つという踏ん切りがつかなかった。
「リュカの出立は、いつ頃になりそうですかね」
スライムナイトのピエールの姿が見えた。
「そうじゃなあ。早くても、四,五日と言ったところかのう?」
魔法使いのマーリン。
「えーっ、そんなに待ってなきゃなんないのー。早く次いこうよ!」
ぴょん、ぴょんと跳ねる青い色の魔物、スライムだった。
「スラりん、急がしちゃ、だめ」
一つ目に鋭い牙むき出しの赤いリンゴの魔物、エビルアップル。
「ぶぅ、アプールは気楽で良いよねー」
ぴょこんと、アプールと呼ばれたエビルアップルの上に乗るスライム・スラりん。
「スラりん、アプール。飽きましたか」
ピエールが穏やかな口調で訊ねる。
「んー……ボクは平気」
アプールが身を左右に捩る。
さっとアプールの上から飛び降りたスラりん、今度はパトリシアの背中にちょこんと飛び乗り、ピエールたちを見下ろしながら言う。
「飽きたって言うより、早くリュカと一緒にいたいよ。リュカがいないとつまんないんだもん」
「ほっほっほ。スラりんらしいのう。じゃが、御主人のご都合も、考えてあげんと大人とはいえんぞい?」
と、マーリン。その言葉に、スラりんは口を窄める。
「マーリンに言われちゃ叶わないケドッ。リュカがいないと寂しいのは同じでしょ!」
「スラりんはリュカのこと大好きですからね」
ピエールがそう言って笑うと、スラりんは得意気に声を張る。
「あたりまえサ。なんて言ったって、リュカの最初の仲間は、このボクだからネ!」
「ならば、リュカのお気持ちも、一番良く解るでしょう、スラりん」
「モチロン」
「…………」
「…………」
「…………」
仲間たちの眼差しが一斉にスラりんに向く。
じっと見つめられたスラりん。少しだけ、考えてみた。
「あ……わかったよぉ――――」
急にトーンダウンしてぴょんとパトリシアの背中を降りる。
「解ってくれて有難いですよ」
「さすがだね、スラりん」
アプールがごしごしと身をすり寄せる。撫でているつもりなのだろう。
「……いずれにしても、御主人の出立はそう遅くはならんよ」
マーリンの言葉に、不安げな眼差しを向けるスラりん。
「あのお方……ですか」
ピエールの声が少しだけ沈む。
「あのお方……あー、リュカと“めおと”になった、エーっと……エーっと……」
言葉に詰まるスラりん。
「フローラさん」
アプールが補足する。
「そそそそ、その人ダ」
「と言うより、どこで覚えたのか、めおと……」
呟くように突っ込むピエール。
(…………!)
フローラはドキッとなった。
「スラりんは、どう思いますか。フローラさんも、共に私たちの旅に出たいと思っていたとするならば」
ピエールの言葉に、スラりんはにこりと笑う。
「そりゃー、ダイ賛成だよお。リュカの“めおと”でしょ。一緒に旅が出来たら、すっごく楽しくなるよッ」
予想通りの答えだった。
「アプールは、どう思いますか?」
するとアプールは大きな目を僅かに細め、口も少しだけ淋しげに傾けて言った。
「ボク……うれしいけど――――きっと、きらわれる――――ボク……こんな姿だし……人間からみれば……こわいし……」
くるりとアプールは後ろを向いた。
「そんなことないよアプール。だって、ボクたち仲間じゃん」
スラりんの言葉に、マーリンは頷きながらも、言った。
「スラりん。いかに我らがそう思っていても、現実はアプールの申す通りなんじゃ。我ら魔族の多くは、魔王に隷従し、人間を苦しめ続けている者ども。御主人は特別やも知れぬよ。……ご内儀とはいえ、我らのこと快く思わぬのも、不思議なことではのうて、むしろそれが自然というものじゃてな」
マーリンの言葉が、フローラの胸を突く。
「そんなコトないよ。だって、だってリュカのめおとなんだよっ。きっとボクたちのこと、わかってくれるよ」
「それは……私たち魔族のエゴイズムなのかも知れません」
ピエールの静かな声に、スラりんの声は甲高くなる。
「ピエールはいつも冷静ダよネ。ボクたちのこといっつも気遣ってくれてるんダ」
「スラりん。ピエールを責めぬ事じゃよ。誰も悪くはないからのう」
マーリンの宥めに、スラりんはぐっと言葉を呑み込んだ。
「私たちが今、リュカとフローラさんに出来ることは、仲間として、朋としてお二方の幸福を祝うことですか。いかなる答えが待っていたとしても」
「一歩じゃ。一歩じゃよピエール。孰れにせよ、ご内儀は解って下さる日がこようてな」
マーリンがそう言った後で、後ろを向いていたアプールが口を開いた。
「ピエール……ほんとうは……どうなの? フローラさん……」
その問いかけにピエールは一瞬、言葉を詰めた。その様子に、マーリンが顔を綻ばせる。
「我らの間じゃ。強がりは無用じゃからのう」
「…………」
ピエールはしばらく俯く。スラりんがじとっとその顔面を見ている。思いを巡らせていたのか、ピエールは軽くため息をつくと、言った。
「私も、出来ることなら……共に旅を、望みます――――」
「あーっ、やっぱりダぁ」
ぴょんと跳ねるスラりん。くるりと振り返るアプールが微笑みを重ねる。マーリンも、何も言わずに笑い、頷いた。
その様子に、フローラは赤面し、深く恥じ入ってしまっていた。瞳を閉じ、唇を強く結ぶ。
脳裏に過ぎったのは、修道院の日々。
魔物は諸悪。魔族擾乱の災禍に人間族を鏖殺せんとした魔太子から始まる反魔族の歴史教義。
元々、魔族に家族を殺害されたり、村や集落を攻め滅ぼされた老人・女性・子供たちが身を寄せる修道院の歴史教義に、『生きとし生けるもの皆、神の裔』などという理想は現実との乖離が顕著であった。
長い年月を経て、いつしか魔物を卑賤の凶徒と位置付け、決して人間と相容れぬ形を、自ら作ってしまったのだ。
フローラもその教義に与り、無意識に魔物に対する偏見差別が心裡に芽生えて久しい。
リュカと出逢い、激しく惹かれてゆくうちは、リュカが魔物使いであることを特段に意識はしなかった。
しかし今、愛する良人が、魔物使いであること、彼ら魔物が間違いなくリュカの朋友であることを見せつけられ、フローラの『常識』が、心を大きく揺るがしはじめたのだ。
(はるかに絶する厳しい旅――――覚悟以上の覚悟――――)
リュカの言葉が心の中でくり返される。
「あの魔物たちは……私のことを――――」
魔物たちの会話のストレートな気持ちが、フローラにも解るような気がした。
間もなく、食糧調達のためにピエールたちは馬車から再び離れる。プックルは相変わらず眠っている様子。どこぞ具合でも悪いのかと疑ってしまいそうなほどに爆睡状態だ。
「…………」
しかし、ピエールたちの前に姿を出す時機を失したフローラは、ごろごろと喉を鳴らしながら眠っているキラーパンサーを見る瞳に、怯えの色を消し去ることは出来ずにいた。それを自覚しているからこそ、葛藤していた。
サラボナは西大陸随一の商業都市でもある。大抵の品物はこの街で揃えることが出来、港湾都市ポートセルミと比肩する程、潤沢な賑わいを絶やさない。
それも古の八勇士聖商侯・トルネコより十六代の裔エルストの開闢と伝承するこの街は、太守家の繁栄に並び、正しくトルネコの末孫と共にあり、そのご威光の賜物と言われても不思議ではない。
その街で、太守ルドマンの娘フローラと結ばれたリュカは、冷めやらぬ祝福の余韻を浴びながら、道具屋で薬草や羊麻草(どくけしそう)、満月草、落紙などの必需物資、乾物店では長期保存が利く食材を揃え、来る旅立ちの日へと、着実に準備を整えていた。
武器や防具も、父公の計らいで、仲間の分も揃えてくれた。これで、今後しばらく強い敵が現れたとしても凌げるだろう。
真新しい旅の物資が詰まった袋を肩に担いで防具屋を出ると、丁度そこに碧色の美しい髪を靡かせた少女、フローラが佇んでいた。
「フローラ」
「……あ、あなた――――」
リュカが声を掛けると、フローラは少し驚いた様子で振り返り、美しい微笑みを浮かべた。
「僕が起きたら、君はもう出かけたって。寝坊してしまったらしい、ごめん」
顔を僅かに染めてはにかむリュカに、フローラはふるふると、小さく首を振る。
「私が早起きしただけですわ。……まあ、もしかして、お父さま、あなたのことお叱りに?」
不安の色を滲ませてリュカを見つめる。
「ううん、そうじゃなくて。ただ……ほら――――」
「ただ? ほら?」
きょとんとするフローラ。顔の赤らみが一層増すリュカ。
「目覚めて、君が見えなかったら……ね」
それは新婚の成せる雰囲気。
「まぁ……」
今度はフローラの頬が、ぽっと桜色に染まる。
「うふふ。すごく嬉しいですわ。……そうだわっ。明日から、リュカさんが起きるまで、寝顔を見つめていようかしら」
「あははははっ、それは緊張するかも」
周囲から見れば随分と幸福な若夫婦。全く言葉通りの上に、この二人は稀世の美男美女ときている。余人を代表して羨み、誰ぞサラボナの青史に、二人の名を記すと言っただろう。
「お持ちしますわ――――」
フローラはリュカが抱える袋のひとつを手に取った。
「あ――――!」
瞬間、ずんと強い重みがフローラの華奢な腕を引き、がしゃんという金属音と共に袋が地面に吸い付く。
「フローラッ」
リュカが少し慌ててフローラを庇う。
「ご、ごめんなさい……」
「いや。良いけど、これは重いよ」
フローラが取ったのは鉄、鋼鉄の武器防具などが収納された鞣の袋だった。仲間用のためにさほどではないが、華奢な女性が背負える重さではない。
「こっち、頼むよ」
しゅんとなるフローラに、リュカは薬草類の袋を渡した。両手で持つほどの大きな袋だったが、乾燥した薬草類は、フローラでも十分なほど楽々と持てる。
「あ、ありがとうございます、あなた……。ごめんなさい――――」
「フローラ」
リュカは微笑みながら妻の頬に軽くキスをする。
「あ――――」
往来で突然キスをされ、フローラは驚愕した。大きな瞳をぱちぱちさせて、リュカを見る。
「遠慮はいらない……だろう?」
リュカはそう言って大笑する。
良人の笑いに一瞬、唖然となったフローラだったが、やがて意を体して恥じる。
「もう……恥ずかしいわ。そんなに笑わないで下さい――――私……」
「一旦、別邸へ運ぶよ。大丈夫?」
振り返ったリュカが言う。
「もう、聞いてますの?」
ほんの少し頬を膨らませるフローラ。リュカは唇の隙間から白い歯を覗かせて笑うと、ゆっくりと歩き出す。フローラは渋々と良人の後ろについた。
「少しだけ怒った表情(かお)、見っけ」
しばらくしてから突然、リュカがそんなことを呟いた。
「え……あ――――っ」
フローラはどきっとなって思わず、歩を止める。
「どんな表情も、好きでいられる……これから、君のことをもっと知る楽しみがあるね」
リュカも立ち止まり、妻を振り返る。穏やかな瞳で見つめたフローラは、切なげに睫を伏せて斜を向いていた。
「フローラ?」
「…………」
「あ、もしかして本当に気に障った……かな」
リュカがトーンダウンすると、フローラは軽いため息まじりで、それを否定する。
「すごく……すごく嬉しいの――――。でも……でも、あまり慣れていないから……もっと、もっと慣れなければ、いけませんわね――――」
ぎくしゃくとした言葉。微妙な空気。リュカは、何となくフローラの言葉を勘繰ってしまう。
別邸に物資を揃え、リュカはそのひとつひとつを確かめる作業に入る。
「いざというときには、金銭よりも、食糧や薬草が、金銀に勝る価値となるんだよ」
命を失くせば豊満な財宝など無意味となる。フローラの疑問に、リュカは優しくそう答えた。
「…………」
何の変哲もない薬草類や乾物類を事細かに確かめる良人の姿を、フローラはじっと眺めていた。
厳しく、凛々しい良人の表情は、自分に見せる優しく逞しいリュカではない。見るだけで苛酷な旅を乗り越えてきた、旅人の表情だった。
間もなく、リュカは身を起こし、屈託のない笑顔をフローラに向ける。
「もう、終わりなのですか?」
「取りあえず、数確認だけ」
予想以上に早く終わった作業を訝しんだフローラに、リュカは言う。
「リュカさん……私のことは――――」
困惑するフローラに歩み寄り、リュカはそっと抱きしめる。ふわりとした感覚がフローラの身体を包みこむ。
「今は……こうしていたいから」
さらさらに流れる碧い髪に唇を寄せ、甘い香りを吸う。
リュカの温もりが身体に伝う。しかしフローラの心は揺らぎ、彷徨った。
リュカへの想い、旅への思い、リュカの仲間たちへの思いが複雑に絡み合い、胸がドキドキとなる。
更にそれに連動して、金色の髪の少女・ビアンカの姿が浮かぶ。
(ビアンカさんは……どうだったのでしょう……)
プックルの名付け親。冒険好きの活発な少女。心の動揺が、自分とリュカを巡って確執を生んだライバルの存在を呼び起こしてしまう。それが、フローラ自身の中で、新たな不安の種となって行く。
リュカと、その美しき幼馴染みの関係が、フローラの中で割り切れたかと言えば、それは嘘になるだろう。
(愛するビアンカ以上に君を愛している)
リュカがビアンカへ寄せる想いを昇華させて、フローラへ向けられるとするならば、彼は偏に神霊をも超す徳仁であろう。
切ないほどに、リュカの温かさが愛おしい。失いたくないと思うほど鈍い苦しみがフローラを包む。
「ずっと……こうしていて下さいませ」
「…………」
フローラの言葉に、リュカは無言で、腕に力を込める。
リュカにとっては一時の休息に他ならない、甘く、優しい時間。決して長く浸ってはいられないもどかしさがそれを特に引き立ててくるのだろうか。
「フローラ、君は残れ」
「――――え…………あなた?」
唐突のリュカの乾いた口調に、フローラは愕然となる。
「やっぱり僕の旅は、君にとって厳しすぎるだろう」
「リュカさん!」
どんっ……。リュカの胸板が音を立てた。
リュカを押し退けたフローラが、声を荒げて反論しようとした。しかし、リュカは変わらぬ穏やかな眼差しを妻に向け、言葉を封じる。
「一度外界に出でたとき、些細な迷いや強がりは、刹那に生命を落とすことがある。……それでなくても、君のその清楚な想いと、全てを汚さなければならないことを考えると、断腸の思いなんだ」
「私……私は――――」
見抜かれた言葉、彷徨う瞳。リュカは更に付け加えた。
「君じゃなかったとしても、僕は同じ事を言ったよ」
「…………!」
思わず良人を凝視するフローラ。瞬きひとつせず、リュカはフローラを見返している。
「足手纏い……ですか」
「フローラ。そうじゃなくて――――」
「……わかっております。私はあの方のように強くもない――――呪文も、武器も、使えません――――」
自責を始めるフローラを、リュカは強い言葉で止めようとした。
「そう言うことを、言っているんじゃない。フローラ、僕は……」
しかし、フローラはリュカの言葉を耳に入れず、駆け出す。
扉に手を掛けたフローラ。
「……それでも……それでも、私――――あなたのことが――――!」
そう言い残すと、扉を思いきり開け放ち、猛然と走り去ってしまったのだ。
「待て、待てフローラッ!」
突然の激情。リュカは思わず後を追おうとしてぴたりと足を止める。
「フローラ……冷静になって考えてくれ。今の君じゃ、後できっと後悔するから――――」
リュカはそう、呟いた。
夜。
遅くなっても、フローラはなかなか戻ってこなかった。
不安になったリュカは、別邸を出て本邸に向かう。きっと、自分の部屋で物思いに更けて眠ってしまっているのではと思った。
しかし、本邸の門に足を踏んだ瞬間、突然、本邸の扉が開く。
狼狽した様子の父公ルドマンが、息を切らせながら飛び出してきた。
「おお、リュカ君。丁度良い」
リュカの姿を見つけた父公は、激しく喘息しながら息を整えた。
「フローラ、フローラは戻ったか」
「…え? 僕も今、お義父さんを訪ねようとしていたところです」
「な、何と……ならば――――」
「いかがなさいましたか」
「夕食の支度があると出たきり、戻ってこぬのだよ。私はてっきり、君とともにあると思っていたのだが――――」
「…………」
リュカは唇を噛んだ。どす黒い不安が精神を激しく痙攣させる。
「僕の……僕の責任ですッ!」
リュカはそう叫んで低頭すると、間髪入れずに駆け出していた。
「あ、リュカ君ッ、どういうことだね」
ルドマンの言葉は、空しく夜の静寂に吸い込まれてしまった。