第1部 英雄関雎
第6章 初恋の旅立ち

「それでは――――」
「行くか」
 眺海台まで足を運んでくれたルドマンと、若夫婦は別れの挨拶を交わした。万感の想いが父公の御心を過ぎる。一言では表しきれない愛娘への愛。これに尽きるだろう。
「リュカ君、フローラのことよろしくな」
 その言葉だけで、充分に伝わる。
「はっ――――」
「フローラ、御事も身体を労り、よく良人を支えるのだ。よいな」
「はい……お父さま」
「そなたの旅、果たせた時ぞ、晴れて私も楽隠居といたそう」
 そう言って、ルドマンは笑った。苛酷な旅立ちにこそ笑顔が良い。リュカとフローラは、父公に並々ならぬ感謝の思いを懐きながら、結婚式後、ほぼ二十日の時をサラボナで過ごし、感慨深きこの街を後にしたのである。

 リュカたちは一路、港湾都市ポートセルミを目指した。サラボナから陸路ほぼ一月の距離。実はリュカたちのために、ルドマンは航海士レイチェルを先にポートセルミに向かわせたという。彼の航海・操舵技術ならば、危険な外海でも安心できる。獰猛な海洋の魔物に遭っても、易々と船を沈められる事はないだろうとのこと。侯家随一の船頭を派遣するとは、父公の意気が良くわかる。
「それでは、フローラ」
 ピエールがひょこと、リュカと語らうフローラの前に姿を見せる。
「あ、そうね。うふふっ、時間が経つの、忘れてしまいますわね」
「ん、どうしたの?」
「やだ……恥ずかしいですわ」
 フローラは照れながら言った。既にリュカの右腕的存在であるピエールの剣戟の術の凄さは、かつてポートセルミで、カボチ村の住人を脅迫しようとしていた、山賊ウルフたち蛮勇を誇る夷戎の民らを木の葉を舞い散らすが如く瞬時に薙ぎ払い、炎の指環の守護(ガーディアン)、熔岩原人を鎮撫したことで実証されている。
 フローラは明星鎚や軽い短剣系の武器の稽古を、ピエールに師事していた。実際、身のこなしや視線、攻撃範囲などを考慮すれば、ピエールは実に条件に近い。良人であるリュカでも良かったのだが、何分、仲間たちとの触れ合いも兼ねた、一石二鳥の考えだったのだ。
 リュカも時々、稽古を目にする。まだまだ不慣れなところはあるが、出奔未遂の時と較べれば、着実に敵を撲つ筋は良くなってきていた。また、一心不乱に鎚を扱う美しい妻の姿に、リュカは見とれ、飽きなかった。

 寝台が軋む。フローラの雪のような肌の上から重なったリュカ。舌が見た目とは裏腹に、強引に可憐でたおやかな花弁の唇を割り、ねじ込む。
「は……あ……」
 フローラの両の手首は、頭の上でリュカの広い右手に掴まれ、左手はふくよかで形の良い乳房を揉みしだく。
 サラボナを出て五日。西州の山洞を越え、『噂の祠』と称されている比較的大きな宿場町にたどり着いた。ここから更に十日ほど北上すれば、ルラフェンシティに着く。
 宿に着き、ひとまず休息を取った瞬間、リュカはフローラを押し倒した。他愛もない会話で、ふと見せた彼女の微笑みに、リュカの情慾が突然、沸騰した。
 出来たてほやほやの十代の若い夫婦。それも誰もが羨む、美男美女。紆余曲折が愛を更に刺激的にしたなどと不謹慎な言葉もよろしく、さすがにひと月弱も身体を重ねないのは異常だったろう。
 人間誰もが無意識に蓄積してゆく肉慾。若ければそれは分単位。
「ん……ん……ちゅ……ぷ……あっ」
 リュカは強引にフローラの唇を塞ぐ。後頭部に掌を回し、頭を持ち抱えながら、何度もフローラの唇、舌に吸いついた。前髪を払い、柔らかな頬や耳朶、首筋に掌をせわしなく這わせ、甘い香りを胸に溜める。
 フローラも求めた。心ならずも、リュカと愛し合えなかった時を取り戻すかのように、リュカの強引な責めを一身に受け入れようとする。
「ああん、あなた……いい……!」
 リュカが軽く突き出した桃色の胸の莟を執拗に啄み、不意に歯を立てると、フローラは背中を仰け反らせて喘ぎ、悦んだ。
 リュカは恍惚としている淑女の表情を愉しむようにフローラの潤んだ瞳を見つめると、再び唇を重ね、舌を絡めた。
「んぷ……くちゅ……はぁ……」
 一方的に唇を犯されながら、フローラの両手が藻掻く。リュカに押さえつけれて自由にならない不満。嗜虐的な肉慾にリュカは時々口の端に嗤いを浮かべる。
「あぁ……いやぁん……」
 胸を弄んでいたリュカの左手が、絶妙な線を辿りながら太股に到達する。白絹という言葉では物足りないほどの手触り、美しい形のそれは、触れているだけで飽きない。しっとりと汗ばんでくると、それがかえって欲火に油を注ぐ。フローラの湛える奥ゆかしさと羞恥、そして愛する良人を激しく求めたい獣慾に翻弄されるその表情や反応は、フローラでなければ見られない。そして何よりもリュカでなければ見ることが出来ない。そんな独占欲が、男が誰しも懐く、果てない肉慾を煽り立てる。
「すごい……すごく熱くて――――」
 リュカの掌が内股の付け根へと滑り込んでゆく。そこは明らかに温度が高く、湿っていた。
「あ……だめぇ……いや……はぁ…はぁ…」
 きゅっと脚を閉じて拒もうとするフローラ。しかし、そんなのは全くの無意味である。
 熱く滾る源泉に、リュカの指が至ると、フローラは疳高い悲鳴を上げかけ、必至に怺えようとした。その苦しいような表情が扇情的で、リュカの脳髄を刺激する。
「フローラ……君って――――」
「あっ……あっ……は…、恥ずかしい……」
 くちゅ…
 そこは触れるだけで火傷をしそうだった。リュカの指にまとわりつく灼ける液。
「あはぁ……あな…た……」
 焦れるリュカの愛撫にいらつくフローラ。
 リュカはフローラと視線が重なると、優しく微笑み、豹変して唇を塞ぎ、舌をこね回す。同時に、溢れ出す源泉をかき分けて指を沈める。
 ぐっ……くぷっ……
 少し押し込む、それだけで淫猥な音が響く。
「――――――――……」
「あぁ……そんな恥ずかしいこと言わないで……ください……」
 リュカが貝殻のようなフローラの耳に、あだめく言葉を囁きながら耳朶を甘噛むと、フローラは切なげにそう応えて身を捩ろうとする。
 そして、リュカはようやく、フローラの両手首を解放する。しかし、自由になったというのに、フローラの腕は行き場を失ったように空をうろうろするだけだった。
 フローラを責め立てるリュカは、左手をゆっくりと沈めてゆく。
「はぅぅ……」
 仰け反る頤(おとがい)、快感からもたらされる痙攣が前身を駆け抜ける。
 そして、リュカの右手は再び形の良い乳房をまさぐり、充血した莟を強めに摘み、弄ぶ。「あっ、あっ……あん……」
 悶えながら、フローラはリュカの指に両手を重ねる。しかし、リュカの攻撃対象は、片方に移る。
「すごいね……久しぶりだから?」
 息を荒くしながら、リュカは秘部に埋めた指を動かし始めた。
 ……ぐちゅ、ぐぷっ……
 清楚で可憐な乙女などどこへとばかりに、淫らな液が止めどなく漏出し、抑えられない音が室内に反響してゆく。
「ああん、いやだめぇ……もう……」
 強張る太股、ピンとせり出す爪先から、次第に抜けてゆく力。リュカはフローラの中を指で何度も掻き回しながら、往復運動を続ける。肉襞が強くリュカの指をしめつけ、絡む。
「だめ……だめ……あぁ……め……です……」
「ん――――いきそう?」
「あぁ……ゆびじゃ……ゆびじゃいやぁ」
 リュカは愛撫を緩めない。貌を激しく染めているフローラが、熱く潤んだ瞳を半開きに、リュカを見る。
「おねがい……です……あっ……あなたの……あなたの……ください……」
 哀願していた。つうと、眦から快楽の涙が伝う。
「ははっ……良く聞こえない――――」
 リュカはわざとらしく返す。
「そんな……あぁん」
 ぐんと、リュカは指を突き上げた。びくんと、フローラの肢体が跳ね上がる。
「もう一度……言ってご覧、フローラ」
 そう言いながら、リュカは親指でフローラの一番敏感な箇所に触れる。
「きゃぁん」
 その瞬間、一際疳高い嬌声を上げ、慌てて枕を噛むフローラ。
「だめ……あぁだめです……そこはだめぇ……」
 リュカの頭を抱きしめながら、本気の泣き声に変わるフローラ。空白期間が長かったためか、余りにもそこは敏感すぎたようだった。リュカは理性で、気遣った。
「もう一度……言って? 何が欲しいの?」
 リュカはくりくりとフローラの莟を転がし、押しつぶし、捻り上げる。
「そんな……はぁ……ああ……や……胸が……胸が――――」
 フローラのもう一つの搦手を把握するリュカ。笑みが浮かぶ。
「言わないと、わからないな……」
「あ……いや……恥ずかしい……です」
 子供がいやいやをするように首を振るフローラ。しかし、リュカはなおも執拗に言わせようとする。しかし、あまりに恥ずかしがったため、リュカもそれ以上、虐めるのはやめた。
 フローラの唇に耳を寄せる。
「あなたの……リュカさんの……――――ください……」
 それでも、小声で聴き取れなかった言葉。許した。
「フローラ……好きだよ」
 リュカはフローラの胸から手を離すと、それを背中に廻して、フローラを起きあがらせた。
「あっ……」
 するりと、もう片方の手も、フローラのそこから抜ける。
 身を起こし、向き合うリュカとフローラ。吸い寄せられるように唇を重ね、互いの唾液を吸い合う。
「フローラ、君のしたいように、するんだ」
 そう言って、リュカは寝台に身を投げる。屹立するリュカ自身が、フローラの瞳に飛び込み、瞠目してしまう。未だ見なれない、男の部分。
「…………」
 フローラは躊躇いがちに身を捩りながら、ゆっくりと脚を開き、リュカに跨る。羞恥でまともに顔を見せようとしないフローラを、リュカは下から見上げて愉しんだ。普段の廉士ぶりからは全く違う、嗜虐の徒。
「……どうしたい――――やめる?」
「いや……」
 フローラは力なく首を横に振りながら、ゆっくりと膝を進める。そして、微かに震える細い指を、リュカ自身に絡める。
「うぅ……」
 絶妙な感触に、リュカは思わず呻いてしまった。
 ずきんと、快感が中心から一気に駆け巡ってゆく。
「…………」
 フローラはリュカ自身に絡めた指をそのままに次を躊躇う。しかし、それが偶然にもリュカ自身を微妙に刺激することになった。自分でするよりも百倍も、しかも愛する女性に触れ、されると思えば更に何十倍も快感であった。じんじんと電撃が駆け巡り、血が奔る。
「あ…………」
 絡めた指に伝わる膨張感、熱さ。フローラが瞳を動かし、リュカを見つめると、リュカは切なそうに瞳を潤ませ、唇を半開きにして喘いでいた。
「あなた……気持ちいいの……?」
「フローラ……ああ……」
 リュカはたまらず、フローラの胸をまさぐり、腰に腕を廻した。
「フローラ、腰を下ろして……」
 リュカに言われるまま、フローラはゆっくりと腰を下ろしてゆく。
 ぐちゅ……ず……
 リュカの先端が愛液滴るフローラの部分に触れ、淫猥な音を上げた。
「んんっ…………あっ……」
 息を吸い込むフローラ。そして、ゆっくりと腰を沈めてゆく。
「ふああぁぁぁっ!」
 強い抵抗感を受けながら、リュカ自身がフローラの中へと侵入してゆく。待ち望んでいた快感に、フローラは一瞬、恥じらいを忘れて、悦楽の悲鳴を上げた。
「うぅ……くる……きます…あぁぁ……」
「ぐぅ……」
 脈打つリュカのもっとも敏感な部分に、淫靡に絡みつく、フローラの内襞。フローラが腰を沈めてゆくたびに、生き物のようにまとわりつき、恍惚の毒を吐く。
「ああ……すごい……すごいよフローラ、ほら――――奥まで……。見えるでしょ?」
「あはっ……んあぁ」
 ぷるぷると小刻みに痙攣する白い肉体。リュカの声に、必至で首を横に振る。
「動いて……君の好きなように……」
 リュカは腕を伸ばして、フローラの胸と莟を弄ぶ。
「あ…は……はいぃ……」
 リュカの胸板に両手を突き、フローラは快感に怠くなってきた腰をもぞもぞとさせる。
「くっ……うぅ」
 ずりゅ……
 肉が捲れる音、締めつける秘壺。少し動くだけで、夫婦はそれぞれ味わえる甘い痺れを堪能する。
 ぐちゅ……ずりゅ、ずっ…………
「あっ、あ、ああん……あっ」
 ゆっくりと、緩やかな波のように、フローラは律動を始めた。自分の秘所から溢れる蜜、淫靡な音に煽られ、脳髄に秘せられた性慾がフローラの喜びのツボを探り当てる。
 リュカの怒張を宥めながら、腰を捻り、自らを掻き回す。
「あぁぁ……いやぁ……いい……」
 律動が早まるたびに、無意識に高まる嬌声、火照り、玉の汗がどっと噴き出す。
「うあぁ、すごい……すごくいいよフローラ」
 リュカもたまらず腰を突き上げた。打ちつけ合うサディスティックな音。リュカのものが、何度も深くフローラの中に突き込まれ、そのたびに絶頂への波が大きくうねる。
「あぁ……あなた……リュカさん……きもち……いいですか……はぁ、はぁあん」
 とろけるような眼差しでフローラは良人を見つめていた。薄く開いた唇の端から、透明な一条の線が走っている。
「……いい……いいよフローラ。ぼ……僕もう……もういきそう――――」
 苦しそうな息づかいのリュカ。
「あぁん……私も……私も身体が……あぁ」
 フローラも近かった。リュカは直後、フローラの腰を両手で掴むと、一気に腰を打ちつけた。先端ぎりぎりまで引き抜くと、一気に根本まで突き刺す。
「うああ――――――――!」
 フローラは悲鳴を上げる。じんと、今までとは違った痺れが生じる。リュカも身体の芯から、重い電撃が駆け抜けてくる。
「はぁはぁ。行くよ……いくよフローラ」
「あぁ……リュカさん……!」
 リュカは衝動をぎりぎりで抑え、身動ぐ。
「あんっ」
 フローラを抱えて寝台に仰向けに寝かせ、自らその上に重なる。細く美しい両脚を肩に担ぐと、狙いを定めて、一気に杭を突き下ろした。
「ああ――――――――!」
 そして律動が瞬間、一気に加速する。そして、二人の理性が朦朧となり、限界に至った時。
「うあぁぁ――――」
 リュカの芯に発生した重い電撃は管を駆け抜け、フローラの体奥に噴出した。
「はああぁぁぁ――――」
 びくん、びくん……フローラはその瞬間、激しく前身を痙攣させ、髪を振り乱した。
 どくっ……どくっ……
 激しく止めどない慾望が、フローラの中に注ぎ込まれてゆく。
 ようやく全てを吐き出したとき、フローラの中で暴れていたものは落ち着きを取り戻してゆく。
 ぱたん……
 全てを受け入れたフローラは力が抜け、リュカもまた、フローラの側に身を崩した。
「すごい……気持ちよかったあ」
 汗で湿ったフローラの前髪を優しく除けながら、リュカは呟いた。
「うふふ……あなたって……本当はすごくえっちなのかしら」
 息を整えながら、リュカの首筋に唇を寄せ、フローラは呟く。
「そうなのかな……でも、フローラじゃなかったら――――」
 言いかけて言葉を呑み込む。
「……じゃ、なかったら?」
 甘えるように、フローラはリュカの鼻の頭を摘む。
「ふほーはひはいひ、はひへはい(フローラ以外、ありえない)」
「くすっ……ほんとう? 私以外の女性には同じこと、しないで下さいましね」
 フローラはきゅっと一際強く摘み、放してからそう言って笑った。
「そんな……、当たり前だよ。僕にはもう、君以外にあり得ない」
 そう答え、リュカは身を乗り出し、唇を重ねる。
「んっ……はむ……」
 フローラもすぐに応じ、舌を交わす。終わったばかりだというのに、血が滾る。フローラの胸に掌を這わせ、莟をまさぐる。
「……あぁん、もうあなたったら……」
 身を捩り形だけの拒否をするフローラの腕を取ると、リュカは自らの中心に、その細い指を導いた。
「あ……また……」
「ごめん……もいっかいだけ――――」
 フローラはぽっと頬を染めながら、躊躇いがちに指を絡めた。

 結局、三度目が終わった時、東の空低くうっすらとグラデーションがかかっていた。
 ひねもす解放されている浴場で互いの汗などを流し終えたリュカとフローラは、サラボナ特産の飲料・サラボンティーグルを手に部屋へと戻った。リュカの洗い髪は正しく烏の濡れ羽色と喩えられるほどで、フローラの濡れた碧髪は鮮やかに映え、彼女の美しさをより一層、引き立てる。
「どうしようか。今日一日ゆっくりしてゆく?」
 リュカが言う。正直、心地よいだるさに身を任せ、このままフローラと共に眠りたい心境だった。
「ええ……でも、先を急ぐ旅ならばあまりゆっくりとは――――」
 サラボナでの滞在期間を、フローラは気に掛けていた。
「ん――――そう?」
 残念だった。しかし、このまま一睡もせずに旅立ちは無理に等しい。
 一眠りしてから旅立とうと言うことで、二人は合意した。
 サラボンティーグルを飲みながら、心地よい疲れに肩を寄せ合い夜明けの空を見る。母マーサ、伝承の勇者を捜し求める苛酷な旅の途にあって、こんな時があるなどと夢にも思わなかった。
 疲れているはずなのに、なかなか眠気までは遠浅の瀬。
「あなた……?」
「ん?」
 リュカの肩に凭れながら、フローラは瞼を閉じながら言う。
「ビアンカさんのこと……気になさってますのね」
 突然の言葉にどきりとなった。
「どうして、そんなこと……」
「ふふっ。だって、先ほど……」
 悪戯っぽく微笑むフローラ。
「ああ」
 溜息をつくリュカ。
 しかし、フローラはリュカに身を寄せ、そっとその手を握る。
「お気になさらないで下さいましね。私も、ビアンカさんも、全ての覚悟を決して、臨んだのですから……。あなたと、ビアンカさんのことも――――あなたのお気持ちも……」
「フローラ……」
 リュカは思った。
(こうしている間も、二人は傷ついてんだよ)
 ヘンリーに叱責されたあの時。自分以上にどれほどこの少女は打ち拉がれ、傷を受けてきたのだろう。それでも、こんなに自分を愛し、危険を冒してでも伴侶としてついて行きたいと思えること。

 強い……誰よりも、この少女は強いんだ。

 白薔薇の乙女と謳われ、清楚可憐を絵に描いたようなたおやかな雰囲気。しかし、その裡に秘められた、一本の筋は頑強で、枉げられない。
(フローラだけを……)
 リュカはわかっていた。心のどこかで捨てきれないものがあることを。たとえ千金の秘宝でも、いつかは捨てなければならないものがあると言うことを。
 較べて随分、女々しいと思った。
「私……」
 ふと、口を開くフローラ。
「私、リュカさんが好き」
 突然、そんなことを言う。
「え……?」
 きょとんとなるリュカに、フローラは小さく笑う。
「うふふ……ねえあなた。私とあなたは多分、サラボナが初めての出会いじゃなかったのかも知れないのですわ」
「……? どういうこと、それって……」
 リュカと過ごす時の中で、彼の醸し出す雰囲気や匂いが、心の奥の檜筺に仕舞われた遠き日の記憶をかたかたと揺り動かし始める。
 それは、海辺の修道院で出会った“彼”よりも遙かに遠い、セピア色のノスタルジア。
「私……きっとあなたに恋していたのかも知れませんわ。知らないうちから、ずっと……」
 心惑う言葉だけを残して、気づいていたらフローラは安らかな寝息を立てていた。リュカの肩に、至福の微笑みを浮かべている美少女。
「フローラ……君を離さない――――」
 妻の寝顔を見つめながら、無意識にリュカはそう呟いていた。やがて訪れる本格的な眠気。
 リュカはそっとフローラを抱き上げ、寝台に横たえ、自分も傍らに身を投げた。フローラの髪を愛撫し、肩を抱き寄せながら、リュカもまた、夢境に向かった。フローラと同じ世界にあれることを祈りながら……。