ビスタの港を発ち六日。リュカたちはサンタローズには寄らずに、そのままラインハットとの国境・東関を目指す。なだらかな平原が続き、すこぶる天気も良好だった。
フローラが得手とする明星鎚の技法も、ピエールの指導で格段に上達し、今では近辺の魔族らを大概一蹴まで追い込むほどにダメージを与えるまでになった。
そして、今まで治癒呪文の一、ベホイミを使うことにあくせくしていた魔法技術も、マーリンらの指導の甲斐もあり、破障呪文(ルカナン)、鼓舞呪文(バイキルト)を会得するまでになった。
「御内儀は吸収が早うて、わしらとしても実に楽しい」
「フローラがこなす鎚の術、稀に見る才幹です」
「お二方のご指導があればですわ。何事も良い師に学ぶことが、最高の道なのですから」
ピエール、マーリンの智勇両腕の仲間たちに讃えられても、フローラは赤面して謙遜する。
「もっと自信を持てフローラ。二人とも、君をそやしているわけではないんだから。君の力を、そのまま評している」
「はい、あなた」
リュカの言葉に、フローラははにかんだ。ふっと笑みをこぼすリュカに、マーリンが耳打ちをしてくる。
「御内儀は将来、かなりの使い手となるやも知れませぬな」
「そう……なのか?」
思わず、リュカの表情が素に戻る。
「極めれば、伝説の元素縮爆呪文(イオナズン)すらも自在に使役するやも知れませぬ」
「そ、それは本当なのか」
愕然とするリュカに、マーリンは頷いた。
物質を構成する元素を極限まで圧縮・破壊し、一定範囲の空気中の酸素を燃やし尽くすとされる、古代呪文イオナズン。その威力は浅はかに想像すら出来ない。当然、使役するとなれば魔界鎮撫に甚だしい与力となるだろう。
「ううん……想像つかないかなあ」
清楚な乙女が駆使する史上最強の破壊呪文。その時の妻の様子を、リュカは思い描こうとしたが、映像が浮かばなかった。
「ねえメッキー、ラインハットのご城下まで、あとどのくらいかしら?」
屈託のない笑顔で先頭を飛ぶメッキーに声を掛けるフローラ。
「そ、そーでやすね……えーっと、ざっと…………えーっと……」
純情キメラ、失念してしまい狼狽する。
「ざっと、五日と言ったトコろかなあ」
スラりんがぴょこんと馬車から姿を覗かせて補足する。
「そう、そうでやす。後、五日ばかりでやすよ」
「そう? ありがとう」
メッキーはぷいと昊天を見上げると、わざとらしく大きく羽ばたきをする。フローラは肩を少しだけ竦めて笑った。
三日後、リュカ達は東関へと辿り着いた。思えば、この場所が幼い日の彼の運命を大きく変えたとも言える。
少しだけ乱れた息を整えて、リュカは足を踏み入れた。
東関衛士のトムは、元々の身分が違えども、ヘンリーのいわば幼なじみのような関係である。
悪戯好きのヘンリーを追懐しては涙し、再会した瞬間のその喜びようは見ている方も思わず顔が綻んでしまいそうな程であった。
「リュカどの。ご無沙汰致してます。関を通られるとはお珍しい」
彼だけではないが、ラインハットの国民は救国の勇士リュカが瞬間移動呪文(ルーラ)を使えることを知っている。
「まあ、元々あの呪文は好きじゃないし、それに……」
ちらりと、リュカは妻に視線を送った。すると、フローラは少しばかり緊張した面持ちでぺこりと頭を下げる。
「これは、これはリュカどのの奥様ですか。お噂はかねがね承っております」
「まあ――――それほどまでに有名なのですの?」
意外とばかりに眼を細めるフローラ。
「大方、ヘンリーの吹聴だろう。何を言ったか知らないけど、話半分に聞いといてくれないか」
リュカがため息まじりにそう言うと、トムは苦笑する。
「及ばずながら、そのように理解しておりますのですが……」
トムはフローラをちらりちらりと見ながら言葉を呑み込む。
「いや、時にヘンリーさまは真っ当なこともおっしゃるものかと」
「まあ――――うふふっ」
フローラが相好を崩すと、トムはその美しさに思わず顔を背けてしまう。
「ありがとう、トム。時に君もいずれ本国に栄転して近衛の将校となるか」
「いいえ。私はここ東関守衛に命を懸けておりまするので」
トムの言葉に、フローラが驚く。
「国軍の士官ともなれば、近衛の大将を夢見るものではありません? それを衛士で良いなんて……」
フローラの言葉に、トムは苦笑した。
「なんて言いましょうか……僕には性に合わないのかも知れませんね、宮中勤めというものが。まあ、元々奴婢として宮中に仕えしこの身なれば、士官となることすら破格の昇級。これ以上は、望むべくもありません」
「そう言えば君は、贋太后によって士族になったんだっけ」
リュカの言葉にトムは小さく頷く。
「今となれば、東関衛士を拝命されたことを感謝しますよ。……それに、人には分というものがあると思うので――――」
「分?」
フローラがくり返す。
「私はこの場所が一番、落ち着きます。仕事も、気持ちよくさせてもらってますし」
トムの屈託のない笑顔に、フローラは思惑を巡らせていた。
「本分か――――。君は実に無欲なんだな」
「まあ、ヘンリーさまがどうしても城へ戻れ! とおっしゃるのならば、そういたしますがね」
今となってはそう言うこともないだろうと確信をもって、トムは語っていた。
「ところでリュカどの。ラインハットへ行かれるのですよね?」
改めて訊ねるまでもない。
「何か、頼まれましょうか」
リュカがそう言うと、トムはとんでもないとばかりに首を振る。
「あまり、驚かれませぬよう」
「?」
リュカとフローラが互いに顔を見合わせる。結局、トムはその先をぼかしてしまったままだった。
「あの方、出世に無頓着なのですわね」
国境を越え、ラインハット領に抜けた後、フローラが不意にそう言った。
「無頓着というか……彼はあまりそう言うことに興味がないだけなのかも知れない。欲がないというか、ヘンリー一途と言うか」
「そう……なのですの? よくわかりませんわ。宮仕えの男の人って、常に権力のことを考えているものとばかり思っておりましたから」
「おお。それはもしや、ヘンリー殿も含みですか?」
にやりと笑うリュカ。すると思惑通り、フローラはみるみるうちに顔を真っ赤にして首を横に振る。
「あ、あなたと、パパスさまと、お父さまと、アンディと、ヘンリーさまは違いますわ!」
「それじゃ、フローラの知っている男の人全てだ。あはははっ」
「も、もうあなたったら、からかうなんて、ひどい!」
頬を軽く膨らますフローラ。全く、そんな表情も美しい。
(分か……忘れかけていた言葉だよ)
「え? あなた、今何か」
「ああ、何でもないよ」
リュカは笑顔を浮かべて誤魔化すと、東関から北東へ、首都ラインハットへ目指して馬車を向けた。フローラも、さほど気にとめなかった。
伝説の八勇士の一、英武公・ライアンの流れを汲むとされるラインハットの歴史は古い。
かつてバトランドと呼ばれた驍兵国家が存在した時、時のバトランド王はその退位に際し、ライアンへの禅譲を求めたと言われているのだが、沈勇廉潔の士・ライアンはそれを固辞し続けた。
しかし、ライアンの没後八十有余年が経ち、隣国・ガーデンブルグの女性主権国家が、代々女王の夫となるジェニス家(灯下氏)・カシュー家(夏修氏)の、所謂“二大大公家”の内紛に重ね、女王隠淪による政情不安に陥ると、時のバトランド王は、ライアン六世の子孫・ライネル(聖成王)に、ガーデンブルグの後嗣である王女との婚姻を奨励し、ライネルもその意を汲んだ。
かくして事実上、ガーデンブルグはバトランドの治世下に加わり、バトランド王はかつての王家の願い通り、英武公の血筋・ライネルに至上位の禅譲を推進したといわれている。このライネルこそが、ラインハット王国の開祖と伝えられ、その末裔が今に至るのだ。
しかし、十余年前。時のラインハット国王・ラルフ(恭和王)の崩御後、その王妃であったミシュリーの専横が国政を紊乱させた。
ミシュリー太后は、ラルフ王の第二夫人であったが、贈后妃レティシアの嫡男、正統なる皇太子・ヘンリーの廃嫡を企み、我が子であるデールを国王に据えた。
しかし、この醜き野心が魔物につけいる隙を与え、自らも地下牢に幽閉される身となってしまったのである。
ミシュリー太后に化した魔物によって、ラインハットは一時、世界征服への強権体制を布くに至り、パパス・リュカ父子の思いが深きサンタローズを始めとする諸町村が劫火に焼かれた。
しかし、その強権体制もやがて、苛酷な年月をリュカと共に過ごし、心身共に格段に成長した廃太子ヘンリーによって討ち倒され、ラインハットは太古に誇った荘厳国家としての復権への道を歩み始めたのである。
不本意ながら王座にあった少年王デールは、賢兄帰還に際し王位返上を求めたが、ヘンリーはこれを固辞。王政への参画を望まぬ事を伝えたのである。
しかし、ラインハット国民への示しとして、当座・名誉職である『公爵・枢密卿』への叙位を受け、宮中での生活を取り戻した。
贋太后追討からしばらくして、ヘンリーはかねてから想いを寄せていた修道女・マリアを妻に迎え、リュカとフローラの婚礼にも、夫婦として参列したのである。
「賑やかな街ですわね……。皆さん、笑顔が輝いておりますわ」
城下の街並みを目にしたフローラが嬉々とした表情で言う。
それはサラボナやポートセルミ、オラクルベリーには遠く及ばぬ、むしろ強権体制の傷痕が色濃く残っている様相であったが、行き交う人々の笑顔は、知りうる街よりも輝いて見えた。
「ヘンリーが帰還してから、一段と人々は明るくなった――――。なんだかんだと言って、国民に思慕される素晴らしい男だよ、あいつは」
リュカがそう言って顔を綻ばす。
「くすっ。ええ、わかりますわ――――」
フローラの頬に、無意識に薄い朱が走る。
「どうかしたのかい、フローラ」
「ふふっ、何でもありませんわ」
声を呑むフローラを、リュカは少しだけ訝しげに見遣った。しかし、フローラは何故か上機嫌に微笑みを向けている。何となくリュカは小鼻を膨らませた。
デール王の施政方針は今までの強権体制の裏返しで、とかく内政や経済の再建が重点的なものであった。
幸か不幸か、贋太后専横のそれまでの軍事偏重の政策のため、国軍の兵力・士気は共に申し分なく、元々穏健凡庸なデール王にとっては、とかくこの時世において致命的な欠点を穴埋めしてくれていたのだ。実に皮肉なものである。
地場産業の推進、文化振興などの奨励政策は、魔王の恐懼に包まれつつある世界の諸国家の中で、ラインハットが際立って特出していた。
後にこのデール王の施政を“勇怯の範”と記す史書がある。まあいずれにしろ、政事に一線を画したとされるヘンリー卿の意向がどこまであったかは定かではないことは確かである。
宮城正門に続くメインストリート。と言っても、露店が連なる生まれたての賑わいなのであるが。その一角に足を止めたリュカたちは、その小麦色の泡立つ飲み物に思わず舌を鳴らした。
「麦酒ですか」
「まあ……美味しいですわ」
フローラは小さなコップに注がれたそれを、ぐいとひと呷りしてしまう。
「ヘンリーさまがルラフェンに立ち寄られた際に、地元の人から献じられた地酒に触発されて、デールさまが是非新たなラインハットの名産にと開発を奨励して下さっているのです」
「ルラフェンの地酒……か」
それは噂には聞くがリュカ自身、まだ一度も相伴に与ったことがない。月の女神を般若に変えるほどという不味さとだけは聞くのだが。
「ラインハットは大麦が良く穫れる。麦酒とはよう気づかれたものですよ」
露店主は上機嫌にリュカとフローラにお変わりを注いでくる。お世辞抜きでも、それは美味かった。
「あ、お気遣い無くお願いしますね」
などと言いながら、フローラは笑顔でそれを口に運ぶ。
リュカとフローラはほんの僅かに高揚した気分で露店を見て回る。人々の生活に欠かすことの出来ない品を揃えた商人達が仮設の店舗で声を掛け合っている。
ラインハットは魔法が国学ではないために、さすが魔法系の商品は極少ではあったが、行き交う人々の中には魔法使い風の人間もいるようで、区画の賑わいに、ムラというものがない。オラクルベリーなどとの交易が効いてきている、デール施政のにじみ出てきた成果なのかも知れなかった。
露店列の最端にある大きな食材屋。
ここもかつての強権体制下にあって、極めて深刻な経営難に陥っていた。無論、それは贋太后への上質な食材を一気に上納するようにとの命を、主人が『人民の生き甲斐まで捧げることは出来ぬ』と突っぱねたからだ。
稀世の料理師と知られる主人を、傀儡王であったデールが必至に庇った。しかし、彼の店は当然、贋太后の圧力があって倒壊寸前まで追いつめられていた。
終に自縊を考えた矢先、ヘンリーやリュカが贋太后を討ち取り、国と主人を救ったのだ。当然、リュカのことは忘れるはずもない。
「うふふっ。ねえ、あなた? せっかくですから、たくさん買ってゆきましょう」
リュカの腕に腕を絡めながら言う。
「たくさん買っても、生物は長期保存が出来ないだろ」
リュカが苦笑すると、フローラは自信ありげに微笑む。
「イエッタが頑張ってくれますわ」
イエティのイエッタ。かつてのラインハット周辺でリュカの傘下に加わった古参の魔物で、氷系呪文(ヒャド)に熟練し、炎の指環のガーディアン・熔岩原人の鎮撫に大活躍した。
「なるほど。冷凍保存」
「はい」
にこりと頷くフローラ。今や馬車組である仲間の魔物の役割を良く振り分けるようになってきた。リュカは氷室代わりのイエッタに少し申し訳ないと思いつつも了承した。
「ありがとう、あなた。うふふ、今度は私が美味しい料理を拵えて差し上げますわね」
異様に張り切っている。妻の澄んだ碧い瞳が俄に炎を秘め始める。
フローラの作る“本格的な料理”を想像して苦笑するリュカ。その時だった。
「……リュカさま!」
突然、リュカに声を掛けてくる、質素な絹のローブを身に纏い、大きなカートにバスケットを備え、新鮮な野菜や果物、酒類を山と積めた女性。驚いて振り向くリュカ。
「……あなたは――――」
一瞬、この若き主婦が誰だかわからなかった。目を瞬かせて、女性を見つめる。
じっと見つめられ、女性は思わず頬を染めた。
「まあ、リュカさま。私をお忘れですか。――――マリアです」
そう名乗った瞬間、リュカは思わずあっとなった。
「えぇ、マリアッ!?」
愕然となるリュカに、くすとマリアは笑い、フローラは訝しそうに二人を見遣る。
「披露宴以来ですわね。おめでとうございます、リュカさん」
サフラン色のまっすぐに伸びた艶のある髪が心象に強く、触れれば文字通り折れてしまいそうなほどに華奢な容姿。控え目で清楚な微笑みが愛らしい中に美しさを秘めた美貌。贔屓目で見ずとも、雰囲気はフローラと優劣付けがたい。
彼女こそ誰であろう、ラインハット枢密卿公爵・ヘンリーが妻、マリアであった。
リュカとヘンリーが彼女と出逢ったのは、忌まわしき大神殿での奴隷生活からの逃亡を間近に迫ったある日の出来事からだった。
“光の教団”の教祖であるイヴールという者が大切にしていたという食器を落として毀してしまったという、実に些細なことから逆鱗に触れ、信者であったのにも関わらず即日奴隷落ちにされてしまったからであった。
それから幾日も経たない時、容赦なく鞭笞を打ち振るう鞭男の一人の足に石を落としたことが切っ掛けで激しく打ちのめされた。
リュカとヘンリーはいたぶられるマリアの姿に耐えきれず飛び出し、鞭男を殴殺せしめてマリアの命を救った。
しかし、それが逆に二人の命運を危うくしかけたのだが、彼女の実兄・ヨシュアが大神殿の獄吏を務めていたのが、三人の運命を大きく好転させる切っ掛けになったのだ。
後に贋太后討滅にも力を合わせることになり、リュカ、ヘンリー、マリアの三人は文字通り知音の関係であった。
「あ、フローラさんも。ふふふっ。ご夫婦で旅を……良いですわね。羨ましいです」
マリアの言葉に、フローラは思わず照れてしまい言葉を失する。
「しかし君がこんな所にいるなんてビックリするよ。どうしたのいったい。……それに、その食材――――」
確かに、救国の英雄兼王兄の“妃”が、庶民の普段着を身に纏い、城下の露店街の食材屋でにこやかに一人でニンジンやジャガ芋、リンゴや桃などを吟味している姿は想像しがたいものがある。
しかし、そんなリュカの疑問に、マリアは彼女らしい淑やかさで答えた。
「ヘンリー様に食べて頂く料理の材料を求めているのです。ここへは頻繁に訪れてますわ」
「手料理……」
ふと、フローラが呟く。
「え、まさかマリア。君が直々に作っているの?」
リュカの疑問に、マリアはくすと微笑む。
「あら、それってどういう意味ですか? ふふっ、ええ。本当は給仕の方や采女の方がなさるのですが、ヘンリー様とする食事の準備は、どうしても私がしたいとわがままを――――」
言いながら頬を染めて羞じらうマリア。
「君の料理は、食べたことなかったなあ」
何となく、惜しいような気がした。
「…………」
すっと、フローラの手が背中に触れる。何となく棘の雰囲気を感じ、リュカは声を呑んだ。
「修道院で料理の手解きを受けましたから……。人前に出せる様になったのは、ヘンリー様と結婚した後でしたけど、ふふ」
なるほど、それはどのみちリュカには無理な話であったか。
「それよりもリュカさま。もしや夫に……?」
何故か、マリアの美しい顔が微妙に引きつっているように見える。
「ああ。フローラとのハネムーンと、サラボナでのお礼も兼ねてね。それに、あの時は何かと慌ただしかったし、これからしばらくの間、会えなくなるかも知れないからさ、その分ゆっくりと話をしたくて――――」
リュカの言葉に、マリアはどこか雑音が混ざる微笑みを絶やさない。
「……? どうか、なさいましたの? マリアさま」
フローラがきょとんとしてマリアを見つめると、マリアは慌てて乾いた笑いをする。
「いい…え、あの――――ほら、ヘンリー様って、少し……その、才藻奇抜なところがありますでしょ?」
「少しどころか、あいつは十二分に突拍子もない」
あっさりと切り返すリュカ。苦笑するマリア。
「……ですから――――その……またリュカさまたちに――――」
「??」
フローラはきょとんとしている。
「せっかく来たのにな。もしかして、会わせたくないの?」
リュカの言葉を、マリアは咄嗟に否定する。
「そ、そうじゃないんです。……ふぅ」
困ったようにマリアは瞳を泳がす。
「そう言えば、東関のトムも、何か驚くな……とか言ってたけど」
「えっ……まさか――――あぁ……」
明らかに動揺している様子のマリア。
「……その。リュカさまやフローラさんが大丈夫ならば……喜んで――――」
全然、そういう風には見えない。
「僕は全然平気。と、言うか慣れてるし。……フローラは?」
「えっ! わ、私は……その……リュカさんの意のままに――――」
思いを巡らせているところを突然リュカに振られ、大慌てでフローラは結論を出した。
「……と、言うわけです」
マリアはリュカとフローラを見、思い切ったかのように息をついた。
「わかりましたわ……。ふふっ、そうですね。私よりもリュカさまの方がヘンリー様のことをご存知なのに……」
語尾が小さくなるマリア。
「ごめんなさい、少しだけお待ち下さいますかしら」
マリアは一言そう謝ると、カートを牽いた。ただでさえ満杯の食材が更に積み重なる。レジの女性と親しげに話をしながら、会計を済ませてゆく。
「ねえ、あなた?」
フローラがマリアを見ながらリュカを呼ぶ。
「ん……?」
「もしかすると……ヘンリーさんたちって、大食漢なのかしら」
「へ?」
突飛でもないことを言うフローラに、リュカは思わず間抜けな声を発してしまった。
「だって……あの食材の量――――とてもお二人で召し上がるには……」
「う――――ん……」
本気でそんなことを言っているのか、リュカは返す言葉を失してしまった。
そしてリュカもまた、フローラが収集した山となる食材を曳き、レジを通した。
イエッタの氷系呪文による保存状況から量れば、合わせて実に三ヶ月分くらいは買い込んだ。独り身からすれば、考えられない量。自分が妻帯したことを実感できる瞬間なのだろう。
「なあ、マリア。ヘンリーの奴、何かしてるの?」
ラインハット城へ向かう途中、ふとリュカが訊ねると、マリアは再び苦笑する。
「え、ええ。まあ……。最近、ヘンリー様ったら、はまられていることがありまして――――」
そことなく飄然とした感じのヘンリーが、凝り性であったとは意外であったとばかりにリュカは瞳を輝かせる。
「何。あれほどマリア一途なヘンリーが、そこまでのめり込むものがあるなんて、ビックリだ」
なぜかリュカが嬉々とすると、マリアはしゅんと肩を落とす。
「少しばかり、寂しゅうございますわ」
城門衛士に声を掛けると、マリアは城内へとリュカ達を導いた。そのまま厨房へ買い込んだ大量の食材を運び入れると、身軽になったマリアが小さく息をついて微笑んだ。
「それでは、覚悟を決めてヘンリー様のもとへ参りましょうか」
腕まくりをせんばかりに愛らしい気合いを入れると、思わずフローラが笑った。
しかし、マリアが向かったのは階上にあるヘンリー夫妻の住居ではなく、広い中庭の方だった。
「え、ここらって……」
リュカは戸惑ったが、マリアは小さく頷きながら言った。
「ヘンリー様は、こちらですわ」
ふと、リュカとフローラの耳に、怪しき唱呪のような呻きが聞こえてきた。
「え、え……なんですの?」
怪しく響いてくる呻吟に、思わずフローラは身の毛がよだち、リュカにしがみついた。
「何かの……儀式――――なのか。まさか……!」
リュカがはっとなってマリアを凝視すると、マリアは眼を細めて、口許に笑みを浮かべていた。