第1部 英雄関雎
第13章 奇想天外

「どうぞ。こちらですわ」
 マリアが中庭へ出る扉をそっと開く。その瞬間、太陽の眩しい光が差し込み、リュカとフローラの瞳を刺激した。
 怪しい呻吟渦めく中庭は、暖かな光と木の葉の薫りに満ちていた。
「??」
 きょとんとするリュカとフローラ。呻吟は絶え間なく響いてくる。二、三歩踏み出し、フローラがふと後ろを振り返ったその時だった。
 突然、視界を真っ白で無機質な仮面が覆ったかと思うと、その仮面がフローラの肩をいきなりぎゅっと掴んできたのである。

「きゃああ――――――――――――!」

 その瞬間、ぴたりと呻吟は吹き飛び、フローラの瞳孔は開き、意識を失ってしまった。
「フローラッ!」
 咄嗟に倒れかかるフローラを片腕で抱きかかえるリュカ。
「おのれ痴れ者、何をする」
 リュカは怒髪天を衝く勢いで樫杖を抛ち、剣を抜いた。
「あ、リュカさま」
「をわっ! 待った、待った待った待った」
 仮面は素っ頓狂な声を張り上げ、リュカから後退る。
「…………」
 リュカはフローラを驚かせた仮面を良く見た。
 その仮面の人物は、かつてサラボナでリュカがルドマン公と面会する時から、フローラを選択する時まで『礼装』とされた、東洋伝来の貴族服『狩衣烏帽子』に似た衣装を纏っている。
 違うのはリュカが身に纏ったような、袍や袴がシックな黒に統一され、濃紺の絹糸で竜と不死鳥の刺繍が施された厳粛で高貴なものではなく、リュカが纏ったものよりも、いわば少しルーズな軽装と言った感じか。烏帽子の方も、リュカが載せた程高くはない。
 仮面は手にしていた扇を袖に仕舞い、ゆっくりと両手を頭に当て、烏帽子をゆっくりと外した。すると、ふわりと束ねられた翡翠の髪が風に揺れ、陽光に輝く。
 そして烏帽子を胸元に収めると、今度は顔を包む真っ白な仮面に手を掛け、ゆっくりとそれを外した。
「お、お前は――――!」
 仮面の下には、あまりにも見なれた青年の顔があった。
 リュカは頗る呆れ果て、ため息をつく。マリアは何故か笑顔を浮かべながら青年の傍らに駆け寄る。
「よっ。驚かせて悪かったな、リュカ」
 事も無げにそう言うと、彼は額に浮かんだ汗を、マリアが差し出した布で拭う。
「驚かせて悪かったな……じゃないよヘンリー。フローラが――――」
 気を失っている妻を憐れみの眼差しで見つめるリュカ。ヘンリーは外した仮面をマリアに手渡しながらみだり顔をする。
「あっちゃー。スマネ、すまねえ。そこまで驚くなんて思わんかったもんで」
 ヘンリーは本当にすまなそうに、リュカの腕に抱かれているフローラに向かい両手を合わせる。
「あなた、少しやりすぎですわよ」
 マリアが微笑みながらも、こめかみに怒りのマークを浮かべている。ヘンリーは弱々しくごめんと言った。
「そんなことより、お前一体何やってんの?」
 冷たい視線で、リュカは親友を見る。
「おお、この格好か」
 よくぞ訊いてくれたとばかりに、ヘンリーは瞳を輝かせた。両側の袍の袖口を指先と掌に挟みながら目一杯に広げ、くるりと踊り娘のように一回転する。
「聞いて驚け、同志。今、俺は『狂言』を新たなラインハットの国劇にしようと試行錯誤しているんだ」
「…………は?」
 ぽかんとするリュカ。
「狂言は奥が深ぇぞ。なかなか本格的にとはいかねえがな。取りあえずは格好だけでも真似すりゃなんとかなる」
「…………」
 ちらりとマリアに視線を向けるリュカ。目が合うと、マリアは小さくため息をつきながら、諦めがちに微笑んだ。
「あの……それは良いんだけど――――取りあえず、“キョーゲン”って……何?」
 リュカが投げた極めて根本的な質問に、ヘンリーの独擅場は急激に崩落する。そして、何とも居心地の悪い沈黙が流れかけた。
「……なんだよリュカ。お前知らねえの? 狂言」
 ぐいと顔を近づけ、リュカの瞳を見るヘンリー。
「いや……普通、知らないだろ」
 ヘンリーから逸らすようにフローラを抱え直し、リュカはいや目がちにヘンリーを見返す。
「…………」
「…………」
 無言の会話が交わされる。リュカとヘンリー、互いの笑顔がむず痒い。
「少し、お前さんとは話しせなあかんな」
 と、ヘンリー。
「取りあえず、フローラ休ませてもいいか」
 返すリュカ。
「惚気は俺の話の後な」
「出来ることなら、耳にしたくないね」
「心にもないこと言うなや、同志」
 ヘンリーの言葉に、引きつり笑いを浮かべながら、リュカはフローラの背中、そして膕に腕を差し込み、持ち上げる。いわゆる“お姫様抱っこ”と言う奴だ。
「おお、まるで眠り姫。美しい。いや、実に良く合う」
「あまり望まない誉め言葉だな」
「何を言う。この俺がマリア以上に女を誉めることは滅多にねえこった。素直に聞き入れなや」
「フローラが目覚めたら、夜通しじっくりと聞いてやるよ」
「あの……二人ともその辺で――――」
 手慣れた様子で、マリアが仲裁に入る。放っておけば、いつまでも口論とは言えない言い合いが続いてしまう。
「ああ。マリア、脇方、囃子方。今日は取りあえずここまで。また明日頼むと――――」
「お伝えしておきますわ」
 粛然と膝に手を合わせ会釈をすると、マリアは中庭に控える楽隊に向かっていった。

 ラインハット城・北宮は、後院(国王譲位後の隠棲所)として創設され、玉座の間よりも上階にある。
 恭和王ラルフの崩御の後は、太后ミシュリーの在所となったが、贋太后誅殺後はミシュリーは政権を完全に放棄し、旧春宮に退いた。
 今は枢密卿公爵・王兄であるヘンリー夫妻の在所として一新された。
 フローラを抱えたリュカは、家僕に導かれるままに、北宮のヘンリー達の寝所へと入った。
「ヘンリー様の仰せでございます、リュカ様。取りあえず、寝台にてお休みになられますようにと」
「お借り致します。“マリア”に、よしなに」
「はっ――――」
 家僕が去ると、リュカは改めて北宮を見廻した。
 太后所在の時は、実に絢爛豪華な家財や装飾が施され、ラインハット院政の象徴的な威圧感すら漂わせていたその空間も、今は実にシックな感じがする、木目調の落ち着いた色にまとめられていた。
 家具、食器、寝台、化粧台、書棚……どれも高級な匂いはない。
(落ち着くじゃないか……)
 リュカはフローラをきちんとメイキングされた寝台にそっと寝かせた。
 大丈夫かと思われるほど、フローラは軽い。
 病的な痩身ではないが、白磁のような肌とぽきりと折れてしまいそうな感じがする首筋と二の腕は、良人であっても時々不安になる。
「…………」
 夕闇が迫る。しんとする空間。しかし、ただ無機質に静寂なわけではない。
 シックで温かみのある色調がもたらす、穏やかな静けさ。
 リュカは妻の眠る顔を見つめた。
 何度見つめても、飽きることのない、清楚な美貌。額に垂れる青絹の髪を指で梳く。
 そのまま、極上の髪を指に絡める。さらさらとした砂のように絡めてもするりと滑り、こぼれ落ちてゆく髪。こんな素晴らしい感触が自分だけのものだと思うと、不思議に心が高揚する気分になる。
 そして、フローラが横たわる寝台には枕が二つ並べられていた。その片方を、フローラが使わせてもらっているのだが、ここをヘンリーとマリアの褥だと思うと、妙な気分にすらなってくる。
 果たしてそれは当然なことなのだろうが、彼らもおそらく毎夜、身体を重ね合い、愛を交わし、肉慾を満たしているのだろう。
「…………」
 フローラの楚々とした寝顔を見つめながら、リュカは妄想を走らせた。
 ヘンリーはどのようにマリアを愛するのだろう。
 そして、マリアはどのように、ヘンリーの愛を受け、また愛するのだろう。
 昂奮が理性を欠くし、時にフローラのように、ヘンリーの上で激しく乱れたりするのだろうか。
 くらくらとした。何となく、罪の意識を感じた。魔性という感覚の心地良さ。妻の寝顔も、蠱惑的なものに変える。人間の心の弱さというのは、欲にあることはわかっている。
 しかし、この芯から突き上げてくるような甘い痺れ、鼻の奥がつーんとする感覚というのは、実に気持ちが良いものだ。
 リュカは妻の寝顔に顔を近づけ、唇を見つめた。うっすらと紅を差した花弁の唇は少しだけ濡れていて、控え目ながらもとても扇情的だった。
 夜道に狼藉をはたらく暴漢、寝込みを襲う、夜這い男のような心情と言えば大きな語弊がある。
 しかし、何度も交わし、感触を知り尽くしたはずの妻の唇を塞ぐことに、ここまで劣情をかき立てる心地良さは何なのだろうか。
 親友とはいえ、他の夫婦の寝台で情事を思い描く背徳感からなのか。
 リュカは、理性の中でそう思いつつ、心とは裏腹に優しく慈しむように、フローラの唇を塞いだ。
「ん…………」
 ぴくんとフローラの身体が反応し、小さく喘いだ。その瞬間、リュカの身体にびりびりと強く、甘い痺れが駆け抜けた。
 鎹のようにしがみつく理性が、リュカの暴走を抑え、ゆっくりと唇を離そうとする。
 しかし、リュカの頭は離れなかった。
 フローラの細い腕が、しっかりと良人の首に巻き付いていたのだ。
「いや……離れないで……あなた――――」
 気づけば、潤んだ瞳は青い輝きを秘め、狂おしげに良人を見つめていた。
「き……気づいていたのか」
 愕然とするリュカに、フローラは眼を細める。
「リュカさんのキス…………すごく好き――――ああ……」
 寝惚けているのだろうか。そこがどこなのか気がつく様子でもなく、フローラは熱い息を吐きながら甘える。
「ま、待て、フ、フローラ……」
 リュカは狼狽するが、フローラは恍惚とした眼差しをリュカから逸らさない。
「待たない……」
 リュカの首に絡める腕をすぼめるフローラ。
「んんっ……」
 引き寄せられるリュカ。フローラは求めるように再び、唇を重ね、小ぶりの舌を伸ばす。
 ちゅく…ちゅ……
 リュカもすぐさま反応し、フローラの舌に絡みつく。二人を繋ぐ銀の糸。淫靡な音がさらに欲求を煽り立てる。
 いかに自分が火をつけたとはいえ、リュカは懸命に踏ん張るに踏ん張っていた。
 ここで堪えなければ、見つかったヘンリーに何をされるか想像すらつかない。

「触れて下さらないの……?」
 まごつき、消極的な良人の様子を見、不意に、フローラがそう口にした。驚くリュカ。
「あの…………」
 昂ぶりにほんのりと色づく、フローラの白磁の肌。困惑するリュカ。一瞬見とれて時宜を失す。
 その時だった。

 コン、コン……

 いつもは水を差すとばかりの扉のノックも、この時ばかりは神の救いとばかりに鳴り響く。
「え……!」
 状況説明も要らない。フローラは突然、我に返ってリュカを解放し、身を起こし、胸元を隠すように腕を合わせた。
『うおーいリュカー。そろそろいいかー』
 何とも気の抜けるような親友の声が、熱くなりかけていた部屋の温度を下げてくれる。
「あ、ああヘンリー――――ごめん」
 ほとんど乱れてもないのに、慌てて居住まいを正すリュカ。
「え、え? ヘンリー……ヘンリー……って」
 状況が判らず、混乱気味のフローラ。
 がちゃ……
 扉が開き、朝臣の礼装に着替えたヘンリーが笑顔で姿を現した。
「あ――――――――あなたは…………!」
 フローラは目を瞠り、まっすぐヘンリーを見た。

(そんなことよりも、今貴女がリュカの元にいて何が出来る――――)

(ああ。全くわからねぇな。つけなくてもいい傷つけ合ってる、その心境がな!)

(――――その後、あんたたちはどうすんだ――――)

「ヘンリーさんっ!? え、え……なんで?」
 みるみるうちに顔を紅潮させ狼狽するフローラ。
「よう、フローラさん。オハヨーさん」
 軽い調子で、ヘンリーは片手をかざし、ウインクする。
 甘い蠱毒を抜かれたリュカが長いため息をつく。フローラに端的に状況を説明し、ヘンリーに向く。
「全ては、この男のせいだ」
 指を指され、咄嗟に否定してくるヘンリー。
「おいおい人聞きの悪いこと言うなよ。それよか、何。もしかして時宜外した? お邪魔だったかいな」
「なっ……!」
「まあ――――……ぽっ……」
 大口を開けるリュカ。頬に手を当て、斜を向くフローラ。
「ああ、俺らは全然かまわんぞー。せっかくの来賓だ。我が家のように使ってくれや」
 哄笑するヘンリー。全く、どこまでが本気か冗談か解らない。
「あのなー、ヘンリー……」
 言い返せないもどかしさ。
「まー、それはともかく、お前も少し見ねえうちに随分とまあ、逞しくなったんじゃねえの?」
 ヘンリーはわざとらしく感嘆すると、リュカの身体を見廻す。
「何か引っかかる言い方だな、それ」
 リュカが訝しげにヘンリーを見る。
「あははは。甘く考えちゃいけねえな。人間、日々進化を続けてゆくもんだぜ」
「?」
「リュカとかけて、緑滴る道畑の草ととく――――」
「??」
 突然の謎掛けに戸惑うフローラ。小さなため息まじりでリュカはつき合う。
「そのこころは――――?」
 ヘンリーはふふんと得意気に笑い、右足を上げ、とんとんと、軽く足踏みをした。
「踏まれても、しぶとく強い」
「あ――――!」
 途端にフローラが大きく感嘆する。
「うふふふっ、ヘンリーさんて、お上手ですわね」
 フローラが屈託無く笑う。
「いやあ、ありがとう御内君。しかし、残念。ひとつだけ、間違っている解釈があるんだな」
「え?」
 思っても見ない指摘に、フローラは再び戸惑った。
「世の中には自分の目と同じくらい、言葉ほど正確でだまされやすいものはないんだぜ」
「どうせだったら、簡潔に言えよ」
 リュカの言葉にヘンリーは僅かに唇を尖らす。
「俺はコイツのこと、一度たりとて誉めたこたぁねえよ」
「え? そんな……だって、今――――」
「ふぅ――――」
 リュカが長嘆した後、ヘンリーの言葉を遮って補足する。
「僕に対する誉め言葉が見つからないんだってさ。……まあ、別に良いけどね」
 苦笑するリュカ。こくこくと頷くヘンリー。
「御内君なら分かると思うけどな、どうよ」
 フローラはほんの少しだけ首を傾げ、人差し指を頬に当てて思考を巡らせた。
「…………あ――――――――」
 しばらくして、フローラは何かを悟ったように瞳を輝かせてヘンリーを見た。
「皆まで言われるな、それが正解です」
 フローラは何故かリュカを見つめて頬を染めると、ヘンリーに深く辞儀をする。
「そんなことよりもヘンリー。さっきの話の続きは――――」
「んー……まあまあリュカよ。果てない旅路の途、わざわざここに羈寓するんだ。慌てるこたぁねえ」
 両手でリュカの肩を叩き、宥めようとするヘンリー。
「慌てるも何も、振ってきたのは紛れもない君なんだけど……」
 リュカの呟きに、ヘンリーは笑いもそこそこに用件を伝える。
「ああっと、それよか同志よ。御上が夕食会楽しみにしてるぜ。余程、お前らが来てくれたこと、嬉しいらしい」
「それは恐悦至極」
 リュカが返すと、ヘンリーはにいと笑みを返した。
「突っ込んで欲しいか」
 と、リュカ。
「…………」
 ヘンリーはただ笑っている。リュカは言った。
「お前はどうなんだよ」
 途端、ヘンリーの表情は素に戻る。
「勿論、宗主として、属国の朝貢は良い報せに他ならない」
「はいはい、親分」
 リュカが一言でそう切り返すと、ヘンリーは何故か勝ち誇ったように哄笑する。
「と、言うわけでまた後で」
「ああ」
 ヘンリーが踵を返す。
「あっ。ヘンリーさん!」
 去りかけたヘンリーをフローラが呼び止めた。
 全く嫌味のない、爽やかな微笑みで振り返り、ヘンリーはフローラを見る。
「おう。何かな御内君」
「あの……あの時は――――本当にありがとうございます……」
 両手を膝に合わせ、ぺこりと頭を下げるフローラ。
「へえ――――」
 ヘンリーは微かに唸る。
「何かしたっけ、俺――――」
「その……サラボナで――――私が……」
 短くも語るに尽くせない、リュカを巡る、ビアンカとの葛藤。ヘンリーもその場の空気に触れた。
「ん――――――――」
 訝しげに唸りつづけるも、決して意地悪い感じではない。
 やがて、ヘンリーは戯けていない、清々しい微笑みをフローラに見せた。それは、裏というものがない、何よりの証明である。

 ……俺は最後までオーディエンス。
 思ったことを口にしただけ。
 俺は――――何もしていない。
 あなた自身が選んだ道の途中で、俺はここに立っているだけ。
 あなたが選んだ、道の結果。第二はない。
 すべては、あなたとリュカが決めたこと。
 だから俺は、何もしていない――――。

 そう言うと、途端にヘンリーは戯けモードに戻り、夕食のメニューが楽しみだなどと、実に庶民的な言葉を吐きながら、出て行った。
(もうじきだかんな、あんまり汚すなよ)
 ドア越しにそんな言葉を残し、ヘンリーの笑い声が遠くなる。

「全く……どういう意味だよ」
 ドアに向かって慍色を滲ますリュカ。
「……ねえ、あなた?」
「んん?」
 不意に呼ばれ、引きつったままの表情で振り向く。しかし、フローラは気に留めることなく、心なしか眼差しが虚空を向いていた。
「ヘンリーさんって、優しくて、すごく格好良いのですね」
「ああ、黙っていればね。見た目は良いし、実際にあいつ、女の人によく好かれていたからね」
 何となく、リュカは面白くなかった。
「それが優しいと言うことなのですよ、きっと。女の人なら誰もがきっと、ヘンリーさんをお好きになりますわ」
「へえ……。もしかして、君もそうなの?」
 冷気を秘めた良人の視線に、フローラはどきりとなる。
「い、いやですわ。も、もちろん私は……リュカさんだけです」
「ははははっ、冗談だよ。ん――――それに、フローラの言う通りだ。ヘンリーはああ見えてとことん無欲な性格――――。マリアを妻に迎えた経緯を聞いたときなんか、驚きすぎて眠れなかったなあ」
「無欲……と言うよりも、泰然自若。何事にも怖じけず、筋が通っていると言うことではないのかしら」
 フローラの言葉に、リュカは唸る。
「筋――――か」
「ヘンリーさんてきっと、ずっと…ずっとマリアさん一途だったのでしょうね。そう思うと、マリアさんてすごく幸せな方だなと思いますわ。くすっ……ええ、もちろん私には及びませんけど」
 リュカがはにかむ。
「言うね。すごく嬉しいけど、お互いの妻のことでまで張り合いはしたくないかなあ」
「まあ。それでは、これからゆっくりと、私の良いところ、見つけて下さいましね」
「多すぎて一言では表せないかも」
「うふふっ、お上手ですわ、あなた」
 しかしそれは何となく、本心だった。