第2部 故国瑞祥
第26章 星下の宿命

 性急に求めるわけではない、たまらなくリュカを欲しているというつもりもなかった。心も、身体もリュカは十分すぎるほど愛してくれている。
 何かが、フローラを熱く煽っていた。寄せても寄せても呑みきれないほど、彼女にとって大きなリュカという存在。フローラの裡に飽くなき冒険心が滾々と満ち溢れ、伴侶の温もりに現実を逃避するかのように浸かる。
 鋼鐵の様なリュカの躰に、フローラの華奢な身が重なる。
 細く形の良い、白く滑らかでしなやかな太股が、リュカのごつごつとした太股に触れるたび、フローラの肌がぴくぴくと痺れ、直にリュカの脳芯をも撃ち抜く。
 捉え、絡まる互いの眼差し。情慾の熱気は病のように清楚なる美人を妖しく変貌させ、艶めかしい笑みを創る。
 フローラの微笑に心が疼く。星明かりをうっすらと含みながら、つつと肌を伝う汗。濃紺の空気を吸い、上気した肌を侵すかのように背中に貼りつき、リュカの胸板を擽る真っ直ぐで柔らかな髪。普段を思わせぬその媚態が、蟲が背を這うかのような感覚ほどに美しい。美しすぎて、リュカの躰が動かなくなる。
「あ……ん…………」
 燃えるように熱く煮立つフローラの“女性”
 耐えきれずに流れ落ちる熱き涙が、太股に一条の線を描く。
 ぬめる秘部、血管が浮き出て激しくいきり立つリュカの男に、なかなか津波は押し寄せてこない。女の喘ぎ、熱く湿った空気、理性を直接責め立てるような女の匂い。
「あ……くぅ……フ……ローラ――――!」
 清楚可憐なる淑女、いつもはリュカの心奥底に潜む嗜虐に任せて、優しく、愛おしく、激しく体奥を突き立ててきた。
 だが、フローラに抑圧され、思い通りにならない事が、逆にリュカをいきり立たせた。
「うっ…………く…………」
 フローラが自らゆっくりと腰を動かし、熱い蜜が溢れる河口をリュカに宛がう。不慣れな先導にフローラの全身が小刻みに震えている。芯頭から伝わる振動がリュカの欲望を更に煽ってゆく。
「ん……ぁ……ん……ふぅ……んん」
 唇を重ねて舌を絡め合う。フローラの可憐な唇から涎が淫猥とリュカの口の中に注がれてゆく。甘いと言うよりも、酸っぱい匂い。白薔薇・フローラの楚々たるイメージとはかなり懸隔がある、生々しいほどの妙齢な女の匂い。薄目の奥に覗くフローラの瞳は恍惚として虚ろに霞み、ただ心から自分を開ける男・リュカだけを求めてだらしなく笑みを浮かべているように見えた。
 ぐ……ちゅ……
 腰を蠢かすと、糸を引くほどの糊の海を這いずるような、特殊な粘音が響く。一瞬固まる、柔らかな躰が、女の恐怖にも似た途惑いを滲ませる。ばくばくと、意志を超越するかのような胸の鼓動、微妙に重なる息遣い。それだけが欲望をかき立てる旋律となる。
「う……ふぁ……あぁぁ……!」
 リュカ自身が深く熱い滾りに呑み込まれてゆく感覚に悶えた。自由自在にそこを蹂躙し、思うがままに吸い尽くし、それを満たし、濫す。翻弄さえ出来る女の奥泉。
 予測がつかない快感は、リュカの官能を強く刺激する。灯台下暗しのシチュエーションに、リュカは瞬く間に呑み込まれてゆく。窒息してしまいそうな程の、愛する女の嬌態。
「動きたい……」
「……んぁ……ぁ……や……」
 静かで本能的な欲求も、フローラの柔和な表情と神経を直接擽るような喘ぎ声に、封じられてしまう。
 ぐちゅ……ずちゅ……
 普段の二人の雰囲気からは全く想像がつかない、淫猥な粘音。フローラの潜在にある性感の壺を本能的に探る。
 かき抱くたびに、新しい快感を得るフローラの躰。そして滾々と尽きず斬新な愛欲を注ぎ込む、リュカのすべて。
「あっ……うぅん……はっ……はぁん……」
 脈動する男の芯を自在に肉体の奥に刻みつけ、心の奥にも強く、深く甘いリュカの愛に溢れた言葉の刀身で傷をつけてゆく。
 腰を動かすたびに、擦れるフローラの部分。やはり、自在に動けると、本能的に性感を刺激する部分を識り、勝手にそこを重点的に押しつけてくる。
「フロー……ラ……、フロー……す、すごい……!」
 リュカも負けじと責め立てようとするが、ゲージは大幅にフローラに傾き、主導権をリュカが握るのには、新鮮な快感が障壁となってしまっていた。
 中天を過ぎた月に照らされる若い夫婦の情交は、また神妙に艶めかしい。僅かに乱れた青い髪。すらりとした曲線を描く白い背中につつと伝わり、月光湛え輝く透明の汗。仰け反るたびに、激しく打ち震える腰、懸命に抑えようとしても意味を成さない喘ぎ声は、白薔薇に似つかわしくないほどの魔物を呼び寄せるかのような色。
「ふあっ……あっ……ああっ……リュカ……リュカぁ……!」
「フローラ――――フローラ――――」
「ふあっ……わた……わたくし……わたくし……あぁ……ああっ」
 フローラの一方的とはいえ、それでも二人の波長は密接したまま高くなって行く。比翼は更なる高みに昇るとき、羽ばたきを同じくする。
 フローラの奥に呑み込まれているリュカを、彼女の熱い肉襞が容赦なく絡みつく。不規則なその動きは決して慣れず、リュカの片翼を、大きく羽ばたかせる。
「うぅ……僕も……僕も……もう――――!」
 そして、互いの翼が昊天の限りに辿り着きかけたときに、最大の快感が二人の全身をあますことなく包み込んだ。
「いくよ……いく……――――!」
「うあぁぁっ、はぁぁ――――――――!」
 一瞬、鈍い電流がリュカの脳天から発せられ、躰の中心を駆け抜け、芯を突き抜けた。
 その次の瞬間、フローラの体奥を占拠していたリュカの先端から、男の液体が一気に噴出した。
「あぁぁぁ――――――――!」
 熱いものに満たされてゆく快感に、フローラも遂に歓喜の叫び声と同時に、全身が一瞬硬直したかと思うと、リュカを包んでいた肉の隧道が一気に緊縮、リュカ自身を強く締めつけてきたのだ。
 ぞくぞくとなる快感、それはどうしてだろうか、今まで幾度とない情交を重ねてきたはずの二人が、その時ははるか倍以上に愛されていることと、交わることの悦びを感じる時間だった。
 脈打つリュカの芯が、絶え間なくフローラに注ぎ込まれてゆく。ありあまった液体が、やや泡立ちながら、二人の愛の結び目から、じわりと溢れ出し、微かな月の光に、得も言われぬ輝きを放っている。
「あぁん…………リュカ……すごく……気持ちがいいの……」
 力が抜けたように、フローラはそのまま、リュカの胸にゆっくりと倒れかかる。汗ばみ、火照った白い身体を、リュカは抱きしめ、唇を重ね、唾液を吸い合う。

「何か……今日の君は、違って見えるね」
 リュカがそう言ってくすりと笑うと、フローラは微笑みながらも、やや色合いを強めたピンク色の唇を少しだけ尖らせ、指で軽く、リュカの鼻を摘んだ。
「あら……そんなこと、ありまして?」
「ひだい……」
 全く痛くないのに、リュカの訴えにフローラはもどかしげに指を離し、再びリュカの胸板に唇を寄せる。
「私だって、一人の女ですわ。た、たまには……その……――――な気分にもなります」
「んん?」
 声のトーンが極限に落ちた部分が妙に気になったリュカが聞きただすも、フローラは顔を真っ赤にして、拒絶する。
 リュカは笑ってあしらうと、気勢の失ったフローラを優しく抱きしめ、汗を含み、千々に乱れた青い髪を梳く。
「…………」
 情交の時に、リュカはフローラの髪を優しく指梳きする。フローラにとって、この時が、快楽とはまた違った、安堵に浸れる時。だから、リュカの指梳きが大好きだった。
「君の想い、それ以上の何かを、感じられたような気がするんだ」
「まあ……それはどういうことですの?」
 恍惚とした表情で、フローラは微笑んでいる。
 リュカは瞳を交わし、西に傾き始めた月を見つめながら、ゆっくりと言った。

「今日ほどに、君をより深くこの身に感じたいと」

 何かを求めるかのように、あるいは、何かを確固たるものにするために、心が強くうねった。
 不思議なくらいに惹きつけ合う。まるでこの世界全部の気がこの時のためにあるのかと子供じみたことを考えてしまうほどに、自然の祝福を全身で感じていた。
「くすっ……」
 不意に、フローラが笑みをこぼした。その笑みを怪訝そうに見返すリュカに、フローラは言う。
「そのことを言うと、きっとあなたは笑ってしまうと思っておりましたわ」
「あ、もしかして君も同じ事を考えていた?」
 リュカが訊ねると、フローラは恥ずかしそうに頷いた。その答えに、リュカはたまらなく嬉しさを感じる。
「私も……あなたを強く求める気持ちを抑えきることが出来なかったの――――。あぁ、なんて事を思っているのかしら……」
「…………」
 リュカが再びこみ上げる笑いを抑える。それと同時に、また違う愛しさ。手放したくはない、漠然とした、無性な欲求が湧き上がる。
 温かい互いの肌、昂奮から冷めやらぬ息遣い。感触と気持ちがより強く融合する。

「ねえ、あなた……」
 しばらくして、ふとフローラが口を開いた。瞳を向けるリュカ。フローラは少しだけ恥ずかしそうに顔を斜に向けると、ゆっくりと話し始める。
「もし……もしもです。私たちに子供が授かったならば……私たち、どう変わるのかしら」
 それは、フローラの口から初めて聞く言葉。人が歩む人生のありふれた道。愛し合う夫婦。蜜月を超えて、二人の血を継ぐ新しい命の息吹を迎える、生涯の新展開。
 しかし、フローラの言葉は、決してありふれたものではない。リュカにとっても、フローラにとっても、その言葉が持つ意味は大きくて深い。
 リュカはしばらく思いを巡らせてから、小さく微笑みながら答える。
「……まずは、僕たちの子供の名前を考えようか――――」
 考えていたこととは違うリュカの返答に、フローラは少しだけ残念そうにため息をつく。
 そんな妻の様子に、リュカは言う。
「子供か――――。正直言って、今は想像がつかないな。……ん、僕が父さんになる――――君が、母さんになる……。ああ、いきなりで頭の中が、漠然とするようだよ」
 想像すると、躰の奥から、無性に鈍い熱さがこみ上げてくる。
 生まれ来る命。それは月並みな比喩で言う、リュカと、愛する妻フローラとの結晶。それがどんな価値のするものなのか、今すぐに解釈が出来るわけがない。
 自分たちの子供という概念すら、フローラの言葉がなければ、リュカ自身意識することはなかった。激しいセックスを重ねていることが、自然とそこに繋がっていると言うことの意識が、リュカには正直欠けていた。
「…………」
 フローラはくすと微笑んでいる。しかし、リュカは意識の遅延に、内心で焦燥感が急速に芽生え始めてきていた。
 そして、不意に思いついた言葉があった。
「子供の名前を考えよう。僕たちの子供……、一生――――きっと僕たちが老いて逝くまで呼びつづけるだろう、美しくて素晴らしい子供の名前を……二人で考えないか」
「……幸運を招く御名――――考えましょう」
 フローラがそう言うと、リュカは少しだけ苦笑する。
 リュカは機を捉えたとばかりに、今度はフローラに尋ね返す。
「君は、どう思うの?」
 フローラの問いかけをそのまま返す、リュカの言葉。
 フローラは身を少しずらし、そっと月を仰いだ。月の光がその深い色の瞳に触れて、穏やかに揺れた。
「私は――――あなたと、私…………、お父様、お母様。そして、子供たち――――家族が毎日、元気な姿に触れあえること……今はその様な日々を迎えられることを……願いに込めて――――」
 その言葉にふと、リュカは思った。父、パパスが懐いていた不変の思いを、ほんの僅かでも触れることが出来ただろうか。
 フローラが夢見る未来像を、リュカはすぐに理解することは出来ない。
 格好を付けず言うならば、女を抱く術は心得た。しかし、家族の温もりと言うことに関することは、ほとんど無知なのだ。
 リュカはフローラが言う、家族の温もりを求めている。父を奪われ、物心がついた頃には既に話の中の人だった母を捜していた。
 想像の中の母マーサも、きっとフローラのような白い肌も、乳房の柔らかさも、甘く玲瓏とした声も聴かぬまま、リュカは旅路にあったのだ。
「――――そうだね。いつか、きっと……僕らがその日を迎えられるように――――」
 今は藪の中にある未来に途惑うだけだった。
 父パパスは、きっとリュカという名前に決まるまで、相当に悩んでいたのではないかと想像できる。しっかりとしていて、勇武に優れた好漢パパスも、そう言った部分には極めて柔弱なところがあったのではないだろうか。
 子供が出来たらまず名前を……というリュカの答えも、彼の性格を思えば、誠心誠意の良人の責務であった。フローラは、いつになるかわかろうはずがない未来図を示したことに若干引け目を感じながら、リュカの項にそっと唇を寄せる。
「……でも、今は――――あなたとこうしていられることが……」
「…………」
 不思議な高まりがそこにあった。頬を赤らめるフローラの言葉が、力強く、切なく響く。 リュカの感情が再び揺れたとき、血が再び滾った。
「ん…………あ…………!」
 同時に、フローラが甘い声を上げる。二人は、まだひとつになったままだった。フローラの熱い中で、再び脈打つリュカの男自身。
「フローラ……」
「あ…………ん……リュカ――――?」
「今度は僕が、したい……何度でも、君と繋がっていたい――――」
 少し躊躇った後、フローラは小さく頷いた。
 リュカは微笑みを向けながら、ゆっくりと体勢を変え、フローラを縁に凭れさせ、腰を突き上げさせる。
「リュカ…………これは……私…………」
 後ろからの体勢を、フローラは何故か激しく躊躇する。しかし、リュカはこの方がより強く、フローラを突き上げながら、より深く彼女を感じ、愛することが出来る。
「……いくよ――――!」
 一度抜きかけた男芯を、ぐっと打ちつける。
「はああぁっ!」
 ぱんという乾いた音と共に、嬌声が響く。フローラの表情が、激しい快感に歪んだ。
 いきり立ち脈打つリュカの怒張が、より深くフローラの中を剔りながら、掻き回してゆく。雷撃のような痺れがそこで惹起してふたりの躰を貫く。
「あん……や……はぁう……リュカ……リュカぁ……!」
 求めるように、良人の名前を呼びつづけるフローラ。喰らいつくように、フローラはリュカを呑みつづける。
 時にはフローラの片脚を担ぎ、ずんと深く強く打ちつけるリュカ。立ちながら開脚するような恥ずかしい格好が、逆にフローラの性感を高めてしまう。
 ぐちゅ、ぐちゅ……にちゃ……
 まるでそこだけ別世界とばかりの淫らな音と匂い、女の喘ぎと男の荒ぶる息遣いが、人間として必要な本能の深部を具現しているようだった。
「あっ、あっ、んんっ……はっ……ああ」
 律動が早まる。絶頂が迫る。フローラの玲瓏とした声も、時々嗄れる。
「ふあぁ、リュカ……わたくし……わたくしもう……!」
「はっ……はっ……僕も……僕もそろそろ……」
 高まる波長、それがいよいよ限界に達したときだった。一瞬、動きを止めたリュカは、繋がったままフローラの内股に両腕を廻し、そのままぐいと持ち上げ、フローラを仰向けにした。そして、膝を抱えたまま背中を抱えて持ち上げる。
「ああ……いいの……!」
 フローラがリュカの背中をぎゅっと抱きしめながら甘い声を上げ、無意識にリュカの肩を噛む。
 フローラを抱きかかえながら、リュカは激しく腰を動かす。月光が融け合う男女を朧に照らし、世界が静かにその時を待っていた。 そして、電源が落ちたように鈍く力が抜けたような感覚に、リュカは怒張をぎりぎりまで引き抜く。
 しかし次の瞬間、それはとどめを刺すかのように、猛然とフローラを貫いた。
 ぐちゅ――――――――!
 一際、大きい粘音が響き、リュカの躰が硬直した。

「ああぁぁぁぁぁ――――――――――――」

 フローラの喜悦の悲鳴が大海に吸い込まれ、痙攣と共に、千切れるほどにリュカを締めつけたのだ。そして、溢れ出す熱い思いの限りがフローラを満たしてゆくのを感じた。

 波が絶え間なく続き、船は東へと進んでゆく。情愛の涯に辿り着き、今はただ心地よい脱力感にひたりつづける若い夫婦。
 汗をしっとりと含んだ青い髪を梳きながら、リュカが囁く。
「今日の君は……すごく良かった……」
「ふふっ……私もあなたのお陰で、とても満たされましたわ」
 夢見心地の体でフローラがそう返す。
「いつか――――」
 ふと、リュカが口を開く。
「いつか、僕たちに子供が出来たとしたら――――」
「あなた……?」
 フローラが、真っ直ぐリュカを見つめる。
 リュカは胸一杯に、風を吸い込む。
「せめて、剣を取り哀しみに向かうことのない世界で生きていって欲しいかなと思うよ……」
「哀しみのない世界――――」
 優しい瞳を見つめながら、フローラはリュカの言葉の意味が自分のことのように思えてならなかった。
 だからこそ、フローラはこう言えた。
「私も、たとえこの先どのようなことが待っていても、きっと、あなたとともにそこを目指してゆきますわ」
 限りなく深く刻み合い、確かめ合えた営みの後に交わす、“信頼”の言葉。
 リュカも、フローラもそれが月並みでありきたりの響きとは違う、何か忘れてはならない、大切な雰囲気を感じていた。