ドゥーラの話を補足しておくことにしよう。
パパスの父にして、リュカの祖父に当たる玄佑王リオネル一世は、『治世の明君』として世界史に名高い、永明王ルーベル三世の嫡子であり、父が四十三歳の若さで崩御した後踵継したが、玄佑王は明君と呼ぶには些か語弊がある。パパス王の父と言うことで、明君のイメージはあるが、玄佑王は治世・勇武においてはこれと言って際だった功績を遺している訳ではない。
それよりも玄佑王は名うての名家志向の持ち主であったという。俗に言うなれば、『名家おたく』とでも言うのだろうか。
天空八勇士が魔王の脅威から世界を救った、いわゆる魔族擾乱時代。玄佑王はその八勇士の末裔から、当時彼らが巡り巡った王室・名族・縁の者らに至るまでの末裔を一手に捜し出し、グランヴァニアに招聘しようと思ったほどであったと言う。
内務・外務の末官に至るまでに勅を下し、数年をかけて探索せよと言った、半ば無茶なこともしたとされる。
しかし、勇者の末裔の手がかりは、千余年に亘る歴史の風化と、中世期における地盤変動での混乱を経て、資料・家系図などの貴重品は散逸・紛失したため心許なく、玄佑王が夢みた八勇士再結集は結局叶うことはなかった。
しかしその一方で、実は玄佑王の名家志向は老婆……いや、ドゥーラに意外な転機をもたらしたのだという。
ドゥーラは語る。
――――『天空創世史抄』に依れば、かつてこのグランヴァニア大陸近郊に存在したと伝えられておる、貧民窟ロンガ・ディセオ――――。
そこに永年在った、“サリイ”なる鍛冶匠人(たんやしょうじん)の記述がある。
万氷洞の深淵にありて腐朽著しかった錆剣を、匠人サリイは聖祖が熱情に動き、七日七晩、爐火に向かいて鍛え鑄り、それをして後に“天空の御劔”と称せられし名剣とせしむ――――。
「伝承とは言え儂の家は、その匠人サリイの血を継いでいてのう。家業が古来より鍛冶であった由縁かも知れんが、それが、偶然にも玄佑王のお目に止まったというのじゃ。……まあ儂も些かではあるが家業を嗜んでおってのう、雨水で湯浴みせんばかりにあった家のためとも考えて、玄佑王の招聘に応じたのじゃよ」
ドゥーラは豪放磊落な一面もあったことから玄佑王に気に入られ、近侍したこともあったという。それゆえに、グランヴァニアの国情、朝廷の内情に一定、通じているのも当然だった。そして、正嫡アニキス王子の異母弟であるパパスの気性に惹かれ、そのたっての所望で、今、リュカの手元にあるその剣を鍛え上げたのだと言った。
亡父の剣を通じた意外な関係に、リュカは良き言葉が思い浮かばないでいたが、ドゥーラは続けた。
「アニキス王子が急逝され、玄佑王がパパス王子に王位を譲られた後、儂も身を引く決意を固めたんじゃよ。……まあ、パパス王――――英邁王には引き留められたんじゃが、英邁王が国を奔らんとした時に、ようやく儂は宮廷を出た訳なんじゃ」
正直なところは、宮廷の水が合わなかったと言うことなのだろう。
しかし、縁者はグランヴァニアに留まり、或いは渡海しルラフェンなどへ四散していったが、ドゥーラはやはり玄佑王への義理、英邁王への憂心を払拭できなかったのだろう。この地へ留まり、知己の助けを得て隠棲したのだという。
「御前さんがどの様な由縁があって、その剣を持たれているのかは深くは訊くまいがな。この時世じゃ。刀剣・料理の包丁匙柄杓にいたるまで、手入れは欠かさぬぞ。怠れば、それだけで生死に関わる事もあり得るんじゃ。気をつけねばのう。ひっひっひ……」
奇怪な笑い声は癖ゆえ気にするなと、ドゥーラは惚けた。しかし、それは別にして、リュカはこの山小屋に在するいち老婆が、名匠の末裔にして王国朝廷に出仕した人物であったことに驚き、敬服した。
リュカの出自について、ドゥーラは既に気付いていたのかも知れない。しかし、朝になっていよいよ出立するときになっても、そのことについて触れることもなく、近いニュアンスすら見せなかった。
「一宿一飯の御恩、生涯忘れません。ありがとうございました――――」
フローラが深く礼をした。ドゥーラははにかみながら、フローラの手を握り、そのまま革袋を渡した。
「高原の頂には宿場町があるのじゃが、その途次は厳しい。特に嬢ちゃん。あんたにとってはな」
「??」
フローラはきょとんとする。
「山を下りるまでの間、日が暮れる前にこの薬草玉をひとつずつ飲みつづけなされ。その方が、身にとって安全じゃからの」
フローラは革袋に詰められた小粒の薬玉を見て、何故か不思議に嬉しく思った。
それが自分が眠りにあったときに、ドゥーラが用意してくれたものだと、察したからだった。そこまでしてくれた。言葉に従った方が良いと、確信できた。
そして、別れ際に、リュカは天空の剣をドゥーラに示す。ドゥーラは家祖直々に鍛冶した伝承の名剣を前に、感動するどころか、こう笑って皮肉った。
「何と卦体な装飾よ。伝えとは見まごうてしまうわい。余程、先祖が誂えた物は無器用じゃったのかのう――――ひっひっひっひ」
それは多分、剣としての威力ではなくて、見た目のことを言ったのだと思った。鍛冶職は、見栄えにもこだわるとも言う。
グランヴァニアに渡るために越えねばならない大東嶺・紫連山脈はグランヴァニア大峡谷が分断して、東西に複数の高山を擁する、天嶮中の天嶮だ。
リュカが辿った、ペテルハーバー、いわゆる大東嶺西路から、東路に続く道は曾てはなかったのだという。
現在からおよそ二二〇年ほど前。
グランヴァニア現国王・安寧王オデュロンより十四代、パパスより十三代遡る、英嘉王グリュンヘルゼが、大東嶺・紫連山脈の交通を開拓し、大峡谷に道を通したという。
その時、大チゾット高原に駐屯した兵士・文民たちが興した高山街・チゾット。
天然の要塞という役割もいつしか色褪せ、今は純粋な宿場町として、山頂にあると言うが、そこまでたどり着くのが相当厳しいのだという。
西麓からチゾットの町までは健康な若い旅人で五日はかかる。
ドゥーラの話では、リュカたちは馬車もあり、夫人や魔物も随行しているので、端的にも十日前後を見た方がよいと言った。
それでもまだ登りは良い方だが、チゾットの町から東麓に続く道はずっと下りだ。身体的にはそちらの方が厳しいとも、忠告してくれた。
切り立った断崖の壁が陽光を奪う。洞窟のように天上をすっぽりと囲んでいる訳ではないが、それでも中途半端な薄暗さというのは、閉塞感、窮屈さに事欠かないようだ。
僅かな地熱もあるためか、高原特有の清涼感の中に、不似合いなほどに蒸し暑さのような不快感。入りくねり、時折襲ってくるダックカイトや、ベロゴンロードらには予想外に手こずる場面もあった。
リュカはセント・ヴェレスでの生活で慣れていた部分があったが、フローラは取りわけ不慣れな高原の空気に若干、中てられている様子であった。リュカの意向を受けて、ガンドフ、プックル、ドラきちらが、フローラをサポートしていた。
まるで螺旋のように続く緩やかな上り。馬車の車輪を良く弾く悪路。
しかし、それでも人の知恵というのは、事細かいことよくよく感心させられる。
時々見上げると、岩盤には彫刻したように、山村までの距離が刻まれている。一部はすり減って見えなくなってはいるが、お陰で大まかな目算が取れるのが助かった。
「リュカ。あなたの判断は正解でしたね」
ピエールがそう言う。フローラに徒歩を勧めたことだ。
「すべて覚悟の上だけど……やはり疲れた表情を見るのは忍びないものだな」
心なしか青白い顔の妻を見るたびに、リュカは心が痛む。
「山村まではそれほど長くかかりません。私どもにお任せ下さい」
「ああ、頼りにしているよ」
リュカがピエールの頭に手を載せた。
ドゥーラの山小屋を発って七つめの夜が明ける。
両側に峙つ高い岩盤の彼方に見える空の色が確実に薄く、澄み切っているのが判る。
幸いにも高山地域にありがちな気候の激しい変化はなく、順調に西路を登ってゆけた。
チゾットの山村もいよいよと迫ったその夕暮れ。
プックルの暖かい毛皮に、くるまるようにフローラは靠れたままになっていた。ここでの空気の薄さと常の登りは、フローラではなくても、相当の負担に変わりはない。
「今日はここで休もう。明日は山村に入れる」
「御意」
仲間たちがてきぱきとキャンプの準備を整えてゆく。すっかりと手慣れたもので、スラりんなぞはどういうところで役に立っているのか不思議なほどである。
そして、設営も終わろうとしたときだった。 岩壁の陰からの魔物の気配に、リュカと仲間たちは瞬時に身構える。
「……隠れているようですね。リュカ、どうしますか」
「数は多いようだな――――いずれにしろ、放っておく訳にもいかないだろう。ピエール、マーリン」
「はっ――――!」
「何なりと仰って下され」
「取り敢えず、撫で斬りだ。フローラが沈んでいる。長引かせることは良くない。一気に叩くぞ」
「畏まりました」
「派手に呪文を見舞わせましょうぞい」
連係は瞬時に成立した。リュカはドゥーラに鍛えられた父の剣を、ピエールも得手を構えて相棒を奮起させた。
目配せの合図が一秒足らず。寸隙なくリュカたちは飛びかかる。
夕闇に浮かび上がったのは、死者の徒。死霊の皇帝と称される、デッドエンペラーと、その近衛、死神兵。
魔王の穢気によって刀山から昇天してきた、死霊界屈指の練兵どもだ。
「はあぁぁぁ――――――――!」
「キエェェェェェ――――――――!」
気合い一閃。リュカは鋭利に研がれたパパスの剣を下段に構え横殴りに薙ぐ。ピエールは変則的な剣攻撃を畳み掛ける。
「やれやれ……恨むならば、魔王の狂気を恨みなされや――――浄化の炎、ベギラマ――――!」
リュカとピエールの剣の軌跡を縫うかのように、マーリンの魔炎が奔る。
リュカと仲間たちの格段の連係に圧倒されて、死神兵の集団は殆ど瞬時に討ち取られた。
かろうじて立ち上がっていた死神兵も、リュカとピエールの返す刀で斬り伏せられた。
ほぼ瞬殺された親衛隊を、死霊の皇帝はどう思っていたのだろうか。いや、思う心、感情の微塵もなかったのだろうか。
リュカは剣を天に放り、外套を翻して跳躍した。逞しい筋肉のバネが、リュカを高く舞い上がらせる。
予想外のリュカの動きに、魔物は身を竦めてしまった。
そして、くるくると美しい円を描きながら落ちてくる剣。その物打がデッドエンペラーの戴冠の真上に定まった瞬間、リュカは柄をがっしりと握りしめ、喚声を上げて、真一文字に、一気に降下した。
ざくり……
ドゥーラによって研磨された鋭利な剣が、異形なる死霊の皇帝に、名実共に冥界へ渡る切符を切る。綺麗に寸断されたデッドエンペラーは、残骸を遺すことなく、霧消した。
「…………」
剣を納め、息を整えるリュカ。珍しく、その瞳にやや血走りがある。
「殲滅したか。ピエール、残党は祓ってくれ」
リュカはそう腹心のスライムナイトに言った。目下の魔物は全て薙ぎ倒したが、周辺広域の魔物の討滅を、リュカが求めたのである。
「リュカ。ここを動かなければ、明日までは私たちだけでも大丈夫です」
ピエールは魔物狩りに等しい、リュカの求めには抵抗があった。
「ああ。しかし――――」
リュカの瞳にはフローラが映っていた。辛そうな妻の様相に、リュカは余計、襲いくる魔物たちに神経を尖らせていた。
「僕も一日、徹夜を厭わない」
リュカが珍しくそわつく。ここに来て妙に、落ち着かない。
フローラはそれから間もなく体調を取り戻した。微笑みながら、良人や仲間たちを見回す。
「あなた――――心配しないで下さいませ。大丈夫です。これも、ドゥーラお婆様の薬丸のお陰ですわ。随分と、楽になりますし……」
それでも、若干顔色が褪めている。高山の薄い空気に因るものではあると思うのだが、リュカは何故か、普段以上に妻のことが気がかりになっていた。
「とにかく、君は無理をするな。グランヴァニアに入るまでは、御身に無理はさせられない」
良人の言葉に、フローラは思わず笑ってしまった。
「うふふふっ、おかしなあなた。御身に無理は……だなんて、まるで私が身重のよう――――」
有職故実にも浅学あると言うリュカだったが、何故その様な言葉が出たのか、意識などは無かった。ただ、素直にそう感じただけだった。
「そ、そう……なのかい?」
返答に躊躇するリュカ。
「そうですわ。うふふっ。……でも、嬉しい。私の身体をそこまで心配して下さって。……本当に、あなたの――――を」
最後が消え入りそうな声色だった。
食事も終え、山気いよいよ冷気を頂点に包まんとする頃。互いに照れ合い気遣い合う鴛鴦の夫婦がはにかみ、場がそれとなく和み始めんとしたときだった。
ピエールと交代し、周辺の魔物を祓うために巡回していた、メッキーがリュカの傍らに寄り立ち、囁くように言った。
「やっかいでやんすよ。“メッサーラ”が彷徨っていやす――――」
「メッサーラじゃと。魔界将校の精鋭ではないか」
マーリンが愕然と叫ぶ。
「ご主人、メッサーラは魔王幹部の信頼も厚い屈指の連中です。避けられるならば――――」
その言葉に、リュカは一瞬、思考を巡らせた後、言い切った。
「いや、叩こう。フローラのことも心配だ。見過ごすことが、後に災禍の種となることもある。今は良く周りを掃蕩しておく」
ピエールは承知した。
「ご主人、メッサーラは少なくとも、今まで遭遇した魔物よりも確実に強い筈じゃ。叩くならば、とにかく機先を制すべきですじゃ」
「判った」
リュカはフローラを見つめて微笑み、休むように言った。フローラはこくりと頷く。リュカが頷き返すのもよしとばかりに、剣をぐいと握りしめ、立ち上がった。
「行くぞ」
ピエールとマーリンらが続く。
山村へと続く道とは別の岨道。高山植物が生い茂る見晴らしがある。メッキーが指摘した、メッサーラらしき魔物の姿が、確かにそこにあった。
しかし、不自然な程にメッサーラの動きは鈍い。山芒の間から様子を見ていたリュカは、ゆっくりと剣を抜き、腰を深く落として鋒を突き立てる。
「ヤ――――――――…………!」
間を置かず、リュカは喚声を上げた。文字通り機先を制し、疾風の如く敵に斬りかかる。
(はっ…………!?)
メッサーラは瞬時に気付いたのか、驚いた様子で意識を振り向けた。その瞬間、リュカが突きつけた刃の軌跡が、メッサーラを掠める。
「ち、しくじったか」
刃に手応えがなかった。寸隙で、メッサーラがかわしていたのだ。
(こんな時に…………)
リュカの頭に響く声。それは、眼前の敵メッサーラの発した声のように思えた。
(仕方がない…………)
メッサーラは体勢を立て直す。結構な図体をしている割に、瞬時だった。
「リュカ、避けて下さい!」
言うが早いか、ピエールが猛襲する。しかし、ピエールの剣も辛うじて受け流されてしまう。
次の瞬間、リュカの周囲が妖しく、紫色の光芒に包まれた。
「うぅ……、これは拙い。ご主人、すまぬこと!」
マーリンが悔しそうに臍を噛む。メッサーラが瞬間放った、封呪(マホトーン)の呪文であった。マーリンは離脱を余儀なくされ、リュカ自身も一部の魔術を封じられてしまったようだった。
「くっ――――面白い。白刃は望むところだ」
リュカは眉をつり上げ、再び剣を構える。 しかし、優位に立ったはずのメッサーラは何故か逡巡している。
「…………」
様子を見るリュカだったが、それでもなお、メッサーラは自ら攻撃を仕掛けてくる気配を感じさせない。
「仕方がない。ならば遠慮など――――」
きっと眦をつり上げ、リュカは渾身の力を込めた。そして、踵を思い切り弾ませて斬りかかろうとしたその瞬間だった。
――――だめです、斬ってはいけません――――!
玲瓏とした疳高い叫び声が、山膚に谺した。
その声にリュカは咄嗟に剣をぐいと引き、腕を振り上げて地面に叩きつける。ざくりと岩の剔れる音が山間に響き、勢い余ったリュカが倒れ込んだ。
「っ――――」
咄嗟に声のした方を振り向く。息を切らしながら、フローラがとてとてと駆け寄ってきた。メッサーラは驚いた様子で、それでも反撃の様子を見せない。
「リュカ、お待ちを」
「御内儀――――」
ピエールとマーリンが思い止まる。フローラは良人の上体に両手をあてながら、メッサーラに向かって言う。
「ごめんなさい。何も知らないから、悪気はないのよ。待って」
メッサーラはずいと一歩退く。
「どういう事だ、フローラ」
リュカがゆっくりと立ち上がる。すりむいた両膝に回復呪文(ホイミ)をかけ、痛みを消す。そして、地面に突き刺さった剣を抜き、土埃を払った。
フローラはすうっと瞳を伏せ、メッサーラを向きながら言う。
「子連れですから――――いくら魔物とはいえ、母親を討つのはあまりにも酷うございます……」
「子連れ……母親だって?」
リュカが愕然となる。剣を構え警戒をしながら、足を前面に押し出す。山芒の奥、峙立するメッサーラに守られるかのように、小さな悪魔の仔が数体、怯えるように寄り添っていた。
「貴様、母親だと」
メッサーラに向かい、リュカはそう聞く。
(私がここで死そうが子達は護る)
「このようなところで、何をしていた」
(そのような話、人間にする謂われはない。私はここにいた。それをお前達が攻めてきた。私はいい。だが、子らを思えば――――)
「あなた、子を思う気持ちに、貴賤人魔はありませんわ。魔物掃蕩も良いとは思いますが、どうか、慈愛の精神をお忘れ無きよう――――」
愕然とするリュカに間を置かず、フローラがそう言って膝を折りかける。慌てて、リュカが抱き留めた。
「さあ、お行きなさい。敵対するつもりが無ければ、この人はあなた達を討つつもりはありません」
フローラがゆっくりと足を整えると、メッサーラの母親に向かって毅然とそう言った。
(私を殺そうとした人間の男は気に入らぬ。しかし、人間の娘よ、お前に命を救われたこと、忘れぬ)
メッサーラはリュカに聞こえる声でそう言うと、我が仔らを導くように、ゆっくりと闇の帳に消えていった。
魔物の気配が完全に周囲から払われたことを確認したリュカはすうっと闘気を収めて剣をしまった。
「それにしてもフローラ、君は無茶をする。もしもあの魔物が――――」
リュカが窘めようとする、その唇を、フローラは上体をやや伸ばし、自分の唇で塞いで止めた。
「あなた。焦らないで、苛つかないでほしいの。私のせいなの。あなたの足を引っ張ってしまっているから――――」
その言葉に、リュカはゆっくりと首を横に振る。
「ごめん、フローラ。……僕自身、君の言葉に目が覚めた。――――そうだったね。魔物たちに対峙する想い。ピエールやマーリン、スラりんやドラきちたちを迎えたときの心、忘れかけていたかも知れなかった……」
「あなた…………」
フローラはきっと赤面していただろう。
「でもね、フローラ。君のせいなんかじゃ、無いんだ。……何でだろうか。ここ最近、無性に君の身体のことが気になる」
「へっ!?」
そう言った瞬間、フローラは素頓狂な声を上げ、あからさまに真っ赤になった顔面を、途端に俯いてしまった。
「ああ、いやいや違うんだ。……なんて言うのかな。グランヴァニアに辿り着くまでは、君を特に愛おしむ。極端に言えば、道の落石すらもどかしく思えるほどに」
「くすっ。ありがとうあなた。嬉しいですわ。……でも、少しばかり過保護ですわね。まるで私、不治の病に罹っている人のよう」
「あ、ああ……」
余裕の妻に対し、良人の返答は半ば色よくない。
「それにしても、あの魔物を斬るなだなんて――――、君は母子連れだって事、どうして……。僕にはそんなこと全然判らなかったのに」
「それは――――くすっ。そうですわね、きっと、『女の直感』――――。そう言うことにしておきませんこと?」
フローラはそう言ってはぐらかした。
女性特有の直感、洞察力、想い。その奥深さはリュカにとっては永遠の迷宮。そんな気がした。