第2部 故国瑞祥
第38章 股肱の臣

 さて、かたやドリス。

宮城・秋穹殿(貴族宿舎)

「代王がお待ちです」
 安寧王付きの宮廷女官エディータが秋穹殿の一角にあるドリスの部屋の前にいた。ドリスが怪訝な面持ちでエディータを見ながら、扉を指差し、「中に?」と、口ぱくをする。両手を膝に合わせて恭しく頭を下げるエディータ。ドリスは苦笑をしながら後頭部を軽く掻きむしる。
「舌打ちははしたのうございます」
 しっかりとしたエディータの突っ込みに、ドリスは唇を尖らせ、きっと睨視で返す。
「そういや、帰ってきたらラッフェルに訊いてみなきゃならないことがあったよ」
 いかにもと言わんばかりのドリスの話。しかし、宮廷女官(いわゆるメイド)は、王侯貴族の無理難題を善く聞き対処する才能(スキル)が身につく……いや、つかなければならないようだ。
「わかりました。代王にはもうしばらく、お待ちして欲しいと、お伝えを」
「ゴメンね。それ、すっごい助かるから」
 手を翳して謝意を示すと、ドリスはくるりと踵を返す。
 しかし、状況はドリスに甘くはなかったようだ。
 ぎぎーと、重く軋む音が廊下に反響し、ドリスの踏み出しを強制的に止めた。
「やはり帰っていたか、ドリスよ」
 怒気を含んだ柔らかな声。エディータが驚き、低頭する。
(うゎ……やっば――――)
 僅かに舌を覗かせてそう呟くドリス。すぐに表情を愛想笑いに変換し、振り向く。あくまで至極上品に。
「オヤ……こほんッ。お、お父さま。ご機嫌麗しゅう――――ございますわ」
 舌を噛みそうな台詞。
「おや……ではない、まったく。そなたという娘は……」
 呆れ果てたように、溜息が目立つ中にそう言葉を入れる安寧王・オデュロン。
「突然癇癪を起こして城を飛び出しかと思うたら、匪賊の如くこそこそと――――そなたは、一国の王女なのだぞ。そこのところを――――」
「……っています」
「ん?」
「わかっています――――でも本当は……望まない貴顕であると言うこと、忖度くださいませ、おとうさま」
 声色を繕うドリス。しかし、安寧王はその静淑とした娘の擬態を見透かしている。
「普段からそのように貞淑であってもらいたいものだが、無理をしても嬉しくはない」
 するとドリスは小さく口の中で舌打ちをした。
「あ――――えぇ……と。ゴメンなさい。ごめんなさい。私の軽挙で、おとうさまには多大な心労をかけてしまいました。この通りです!」
 余計な説教は勘弁とばかりに、さっさと幕引きを図ろうとするドリス。
「よろしい。ならば今日はこれよりナムス少将の教示を仰げるな」
 その言葉の瞬間、エディータの眉がぴくりと動き、そしてドリスも一瞬、怯む。
「は、はい。も、もちろんです。ですので、早速、着替えて参ります」
 安寧王の傍らをすり抜けるようにして、ドリスは部屋へと入っていった。
「代王殿下」
 扉の方をじっと見つめていた安寧王に、エディータが声を掛ける。
「ナムス少将は外地からまだ……」
 すると安寧王は自嘲的な微笑みを浮かべて足を踏み出した。
「良い。グランヴァニアに吹く風はいかようにも遮れぬものだ」
 結局、安寧王の言葉に反して、指定された時刻にエディータがドリスの部屋を訪ねると、既にこの奔放な姫は自室の窓から遁げていた

 リュカがゆっくりと瞼を開ける。窓からは眩いばかりの青色の空が広がる。吸い込まれそうな青色に、一瞬、目を細めるリュカ。
 上体が裸だったためか、朝のひやりとした空気に、思わず身震いをしそうになった。
「おはようございます、あなた」
 寝起きの脳を呼び起こす、玲瓏とした声。
 微笑みながら、淹れたての豆茶を勧めるフローラ。肩を露出している、いつもの見慣れたドレスではなく、チゾットの山村で着ていたような、地味な普通の綿製の筒衣。下は膝までのスカートなので、綺麗な線のふくらはぎからつま先までは見える。
「おはよう、フローラ。今日は楽な服装だね」
「はい。あ、やはり……変……でしたか?」
「いや。それで良いよ。君は何を着ても似合う。羨ましいくらいだよ」
「まあ――――嬉しいですわ」
 話半分とばかりにクスクスと笑うフローラ。まあ、リュカの言ったことは本当なのだが。
 豆茶の苦味が更に目を覚ます。心地良い熱さが、気持ちいい。
「あなた。ところで今日はいかがなさいますの?」
「今日……ああ」
「国王陛下に、拝謁しなければいけませんでしょう」
 ややぼうっとしていた思考に、フローラの言葉が直に突き刺さった。
「そう……そうだった――――」
 消極的なリュカの声色。
「……あまり、気が乗りませんか」
「ん……確かに、二の足を踏んでいる自分がいる。時宜を外せばこの国に不要な混乱を招きかねない。そう思うと……ね」
 フローラは少し首をかしげ、思考を巡らせてから口を開いた。
「あの、ドリスさんに事情を説明してみればいかがでしょう。貴家の令愛ならば、話も易くなりましょうに」
「それも考えた。だけど、彼女を出汁にするようであまり気は進まない」
「しかし……他にグランヴァニアの知己はと言うと……。ああ、そうですわ、あなた、思い出しました。お父さまも加盟している、ポートセルミの海運商会が、西海交易を通じてグランヴァニア宮中にも顔が利くと、昔お父さまから聞いたことがあります。その伝手を辿ってみてはいかがでしょう」
 フローラが嬉々と声を上げた。
「そうか。うん。それならば僕も抵抗はない。ポートセルミの商会に頼ってみよう」
「はい」
 まあ、最終的には正面から宮城に乗り込み、パパスの子であると名乗っても良い……と、リュカは考えていただけに、フローラの言葉は無難な迂回路ではあった。

 朝食を摂るために食堂へ向かう二人。トーストの焼ける香ばしい匂いと、珈琲の香りが食欲をそそり、思わず目を細める。そして、二人が向けた視線の先に、見慣れた人物の姿がいた。
「やあ、ドリスじゃないか」
「あら。おはようございます、ドリスさん」
 二人の姿に気がつき、カタンと席を立ち上がり、ひとつ大きく上体を傾ける。布のシャツに鞣の上着、細く綺麗な脚を健康的に見せるグレイのショートパンツという、高貴な貴族の姫らしからぬ格好は、相変わらずのようだ。
「お、おはよう。……ま、また来ちゃいました」
 呆れられるのではないかと思ったのか、ドリスの視線はなかなかリュカに向かない。
 リュカはふうと微かに息をつくと、にこりと微笑みを浮かべて言った。
「邸宅には帰ったようだね。随分心配していただろう」
「え……あ、ああはい。まぁ、いつものことだったけど」
「それでも、姿をお見せすることの方が、何より大事なのですよ」
 フローラの言葉に頷くドリス。
「これから城下の市場でも観てみようかと思っていた。君もつき合ってくれるかな」
 リュカの提案に、ドリスはわかりやすく表情を綻ばせる。
「城下のことなら任せてっ。周り方にも色々とあるんだから」
「ああ。君の意向に従うことにするよ」
 リュカがそう言うと、ドリスはさっとリュカの背後に回り、背中を軽く押す。
「そうと決まったら、さ、早く朝食を済ませるっ」
 強制的に着座させられるリュカ。急かされるままに、用意された朝食を平らげた。

南シルベール街区・公設市場

「へえ。ずいぶんすっきりとした市場だね。それなのに活気がある」
「えへへー、そうでしょう」
 リュカに向かって胸を張るドリス。フローラは競りの声や露店に並ぶ農産・水産やら木工、金属等々の様々な商品を興味深そうに眺めたい様相だった。
 パパスより四代遡った、英定王ディルロ3世は、不正品や危険薬物、脱税などの交易上の負の部分の横行を抑止するために、基本的な交易を監視監督するグランヴァニアの王立農庁を設立し、市場の秩序を取り仕切る方策を打ち出した。
 英定王の方策によってそう言った不正や犯罪の数は劇的に減り、煩雑な店舗の乱立や、道端に露店を構えて往来の妨げになるような行動を商人に対して規制を強めた。
「だから、真っ当な商人にとっては、グランヴァニアほど交易のやりやすい都市はない! とまで言われてるわけさ」
 ドリスの話を感心しながら聞いているリュカ。
「それでも、英定王の頃は農庁役人の不正とかもあったらしいけど、ひいじ……じゃなくて、次代のヴァルカ文知王の時代には法を厳しくして、パンひとつ掠めただけでも、公職追放となったらしい訳。それにはさすがの役人たちもぶるっちゃって、今では治安が良い上に正当な売買が出来ると、もう聞く話は評判が良いのさ」
 顔見知りなのか、ドリスと顔を合わせると、笑顔で手を振る商人も少なくない。
 リュカはこう切り出した。
「聞けばポートセルミの海運商会が参入しているとか。知っているかい」
 その質問に、ドリスはんんと唸りながら暫時思考を巡らし、返した。
「うん、知ってるけど……ここのところは外海も荒れていて、海運商も開店休業状態だとかって、聞いているんだけど……」
「ならば、商会の方たちは……」
 フローラの不安を、ドリスは拭う。
「ポートセルミの商会かは良くわからないけど、何人かは市場の方で店舗を構えているはず。行ってみる?」
「是非」
「オーッケ。じゃ、付いてきて」
 無意識なのだろう。ドリスはリュカの腕に片腕を通して先陣を切った。

 ドリスに牽かれて南シルベール街区の外れに連れてこられたリュカとフローラは思わず瞠目した。
 そこは予想以上に閑散としている。中央市場と較べれば、まるで昼夜の様と言っても過言ではない。
「……まあ、あたしじゃなくても、この閑散っぷりを目の当たりにすりゃ、普通じゃないって事くらいわかるさ。あたしがここを出ようとした気持ちも、少しはわかるでしょ」
 リュカはドリスの言葉に相づちを打つ。
「さすがに活気づく市場とは思えないけど、それなりに人はいるようだね」
「まあ、商売が目的っていうよりも、情報収集って言うのが、主体のような気もするけどね」
 怪しい連中を見廻すかのように、ドリスは眉を顰める。
『よう、ドリス嬢ちゃん。今日も可愛いねえ』
『ドリスさま、あの件、取りなしてくれて感謝してますよ。本当に、助かった』
『しばらく顔を見なかったねぇ。みんな、心配してたよぅ』
 商会区域に店舗を構えている店主や従業員たちが親密な態度でドリスに接してくる。ドリスの人脈の広さというのが改めて実感させられるようだった。

「えっと。もうすぐ……ホラ、あそこがポートセルミの……」
 ドリスが指差した先には、ポートセルミの都市章である海鷹の旗標が風に靡いていた。 しかしその直後、突然ドリスの威勢が萎凋した。
「…………」
 まるで石化したかのように、ドリスは一点を指差して止まってしまっている。
「おい。おいドリス。どうかしたのか」
 驚いたリュカの強い呼びかけに、ドリスは意識の遠方より立ち帰る。
 そして、発条仕掛けの人形のような動作でリュカに振り返ると、何故か汗まみれの表情で苦笑している。
「?」
 怪訝そうな表情を浮かべるリュカに、ドリスは頓狂な声を上げて言った。
「ああ、ゴメンなさいリュカさん。ちょーっと用事、思い出しちゃったみたい……な感じ」
「用事。……急用ならば、仕方ないか」
「あははは、ホント、ゴメン! ああえっと、海運商会はすぐそこ。ホラ、あのオッサンがいるところだから」
 そう言って、ドリスが指を差した先。
 少し恰幅の良い、そこはかとなく和らぐような雰囲気を持った、初老の男性が、商店主と談笑を交わしている。
「そ、それじゃあ……リュカさん、フローラさん、時間があったらまた来るからさ」
「あははは。気を遣わないで、用を済ませたら、そのまま帰った方が良いから」
「ありがと。ん――――じゃあね!」
 言うが早いか、ドリスは脚をバネのように弾ませてリュカたちの視野から消えていった。
「何か、あったのでしょうか」
 フローラの言葉に、リュカは苦笑する。
「本当に面白い娘だよね。ああいう突拍子もないところなんか、他人とは思えないところとか」
「ご自分を見ているような……ですの?」
「かもね。はははは」
 そう笑い合ってから、二人はドリスが差した方へと歩を進めた。

「――――それは本当に佳い話です。力づけられますな」
 会話が聞こえてくる。低音だが、そこはかとない優しい声色。不思議と、リュカにとって心穏やかにさせてくれるような、懐かしさがあった。
 そして、その初老の男性の姿が、リュカの遠い脳裡の記憶をゆっくりと辿ってゆく。
「あなた……?」
 フローラが良人の名を呼ぶ。リュカは妻の声が耳に届かないかのように、じっと固まり、その方を見据えている。
 やがて、リュカの視線を感じたのか、初老の男性が、親しみと怪訝さを混淆させたような表情で、振り返った。
 短いが茶色の厚みある髪。カールがかったもみあげが眼を惹き、小さくもつぶらな両目、年季の入っていよう皺もあるが、恰幅が良いためか、肌つやの良さがある。
 その男性は決して金満風というわけでもない、高級貴族が持つ近寄りがたき気品があるというわけでもない。漂わせるのは、人の好さと柔和、年の頃故の落ち着きというものだろうか。
「あの……私めに何か」
 男性が問いかけてきた。じっと見つめるリュカ。
 それは、幼なじみ・ビアンカと再会した山奥の閑村のデジャビュに、どことなく似たような雰囲気。
 忘れかけた、或いは、心を揺り動かさねば一生涯忘れ去ってしまっていた、途方もなく大切なもの。地下深くに埋もれた、宝物か。リュカが見つけた、父パパスの遺言と、託された宝剣。
 漠然とした何かに近づくたびに、自然と心が高揚し、鼓動の速さが煩く聞こえ出すのだ。
「…………?」
 男性は時折その小さな瞳を細めながら、目の前に立つ偉容芳しからざる青年を見廻す。
 リュカが遡る記憶の河。それは、在りし日の、静かな街。その名を、サンタ・ローズ。

 パパス、ビアンカ、マルガリータ。妖精国のベラやポワン女王。今思えば、遙か遠き日の夢に描いたような御伽の時間。そして、その短き夢御伽の時間に、パパスや自分を甲斐甲斐しく世話をかけてくれていた、廝養の人物がいたことにたどり着く。
 その名を思い出した瞬間に、男性が震える声で、言った。

 ――――将やはた、リュカ坊ちゃん――――

「サン……チョ――――ですか」
 互いに確信しつつも、重ねて確かめるかのように、戸惑い気味の口調で訊ね合った。
 グランヴァニア国記の“壮賢英傑王伝目録副書”に、サンチョの在郷日誌がある。
 記述ではこの日のことをこう書かれている。

 ――――先王が出で征ち、長閑の郷、暴后の虐卒に亡び、臣故国に回帰し至上の還幸を俟つ。
 貢献王の高恩に与り臣籍の末席にありて微禄をもって奉献しつつ十余年。
 山州の冬を過ぎて瑞煙西北に繋がり、宿願の吉兆、到れる。
 英傑王、辛苦の装をして臣亭に還幸され、大いに駭かせり。先王の御子然もありと、臣大いに涙を覚えるを忘れず――――

「坊ちゃん……よくぞ……よくぞご無事で」
 サンチョと呼ばれた初老の男性が、膝を崩して平伏する。肩が震え、落涙著しく、地面をよく濡らしていた。
「サンチョ。立ってくれないか。これは紛れもない、父さんの巡り合わせ。父さんが、僕に……このリュカにサンチョと会えと、言ってくれたからに違いない」
 そう言うリュカもまた、言いようのない感激に胸が熱くなっていた。
 サンチョ。
 グランヴァニア王国の儀仗勲を世襲するバラック家に生まれ、八歳にして玄佑王リオネル一世に出仕。夭折した懐明王子トムスン、献太子アニキスの侍従を経て、十八歳にして英邁王パパスの内執事となる。英邁王出征の際も、彼は王国に留まらず、英邁王と行動を共にし、サンタローズに仮寓した。
 パパスに代わって生活財政を切り盛りした実務派執事として信頼も厚く、幼いリュカにとって見れば、まさに傅役と言っても過言ではなかった。ラインハットで起きた王后の変からの災禍を免れるべく、アルカパからポートセルミを経て、サラボナの商連の伝手を辿りながら、海運商会の商船に同乗して、故国であるグランヴァニアへと帰還していたのだという。
 安寧王オデュロンは、サンチョの帰還を殊の外喜び、国政への参画を願ったが、サンチョはこれを固辞し、バラック家の極官である儀仗勲のみを拝領して城下に退いていた。しかし、安寧王が特に乞う時には登城して拝謁、助言をしているのだと言った。
 十数年来の邂逅に感慨深き挨拶もそこそこに、傍らにきょとんと立つフローラに話の筋が移る。
「坊ちゃん。こちらの美しき方は……」
「彼女はフローラ。サラボナ太守ルドマン大公の御令嬢で……その――――」
 途端に顔が真っ赤になり、言葉が詰まるリュカ。すると、サンチョはぱんと柏手を打ち、破顔一笑、嬉々として言った。
「なんと。坊ちゃんは既に、鴛鴦を得ておられましたか。さても、さても妃殿下マーサ様に劣らじ婉麗なる姫さまですなあ」
 屈託のないサンチョの笑顔での賞賛に、フローラもまた久しぶりに心底恥ずかしくなる。
「は、初めまして。ルドマンの娘、フローラです……」
「サンチョでございます、若奥様」
「! ……わ、若……」
 “若奥様”という言葉に、リュカとフローラは妙に意識をしてしまう。
「それにしても、坊ちゃん。御父君パパス様も、振り返れば坊ちゃんと歳近き時に、やはり名族の御令嬢であらせられたマーサ様と……それはもう、周囲も羨むほどに。このサンチョめも、花が高うございましてなあ――――。いやはや、やはり坊ちゃんだ。こんな綺麗な若奥様をお連れになって、このサンチョめとこうしてお目もじが適うとは……あの時の旦那様と奥様を見ているようで、ううっ」
 感傷に浸る気持ちは解るが、どうも場所が悪いような気がした。
「サンチョ。積もる話は後でゆっくりとしたいもの。僕もサンチョには話さなければならないことが山ほどある。しかし……」
 リュカの言葉に、サンチョは大きく頷く。
「解っております、坊ちゃん。代王オデュロン殿下――――坊ちゃんの叔父君とのご面会についてでございましょう」
「リュカさんは、グランヴァニア王家への要らざる波紋を心配されています」
 フローラがそう言うと、リュカは愕然となる。
「フローラ。それは……」
「解りますわ、あなた。私も、紛いなりにもサラボナ大公家・聖商侯トルネコの末孫という名族の娘として育てられましたもの。仮に、今になって兄弟姉妹と名乗る人物が現れたとすれば、私じゃなくても、きっと動揺しますわ」
「…………」
 深く息をつくリュカ。
「ご案じ召されますな、坊ちゃん。代王殿下へはこのサンチョ、帰郷以来、旦那様や坊ちゃんの無事を信じているのだと、一貫して申し上げて参りました。……その……坊ちゃんの話を聞いて、旦那様については――――無念……ですが。それでも、坊ちゃんがこうして、生きて、元気で、それでこうも逞しくなられて帰ってこられたこと――――代王殿下は殊の外、狂喜乱舞されること、間違いございませんでしょう!」
「そうなんだ……僕は――――僕は叔父上や、この国の民たちに伝えるために……ここまで来たんだ。父さんがなせなかったことを果たすために……そして、魔界を討つ大望を、このリュカが正当に受け継ぐために……」
 それは、フローラも初めて見た、リュカの、何よりも真剣な表情と語気だった。傍らのサンチョは、一挙手一投足が、さもパパスの生き写しか、そのままかと見るように、いちいちと感動にひげやもみあげを揺らしていた。
「今宵は、このサンチョめの亭にて、積もるお話をお聞かせ下さいませ、坊ちゃん。宮廷への参内は、明日、すぐにでも取りはからいますので」
「ああ。それは助かる。思わないところでの、助け船だ」
「では、参りましょう、坊ちゃん、若奥様」
 サンチョは会話をしていた商店主へ挨拶をすると、どうやら買い入れた荷物を背負いながら、リュカたちを先導していく。
「……ところで、あなた?」
 ふと、フローラがリュカを向く。
「ドリスさんって、何故急に用事があるだなんて……」
「え……それは……何か急な用事が、あるからではないの?」
 フローラの指摘に対するリュカの詮無き答え。
「ん……そうですわね。ふふっ、ごめんなさい。ちょとだけ、まるでサンチョさんの姿に気づいたから……のような気がしましたの」
 するとリュカが笑う。
「そりゃ、宮廷高官の令嬢じゃあ、サンチョも知っているだろう。見つかれば大変だ」
「ならば、今日は……」
「おとなしく、邸宅に帰る。……いや、帰らざるを得ない」
 確信的に言うリュカに、フローラはくすっと笑い、リュカもそれに合わせて笑った。
 果たして、ドリスは行く中てもなくリュカの見解の通りに自邸に帰るしかなかった。