レスト・トーク Vol.1 from 『喫茶店 GreenChristmas』

▼シスプリ――――僕たちが無意識に探している、忘れかけた大切なものの証
1980年代後半生まれの人はともかく、1990年初頭に日本を席巻したバブル景気を記憶されている諸兄ならば、当時を振り返れば、去来するのは懐かしさか、あるいは怨恨だろうか。長引く平成不況のただ中にあって、どうだろう……。よくよく考えてみれば、あの浮かれた時代こそが僕たちの中で、何か大切なものをどんどんと無くしてしまっていったような気がしないだろうか。
好景気と、繁栄が生み出した産物。手書きの文通から電話、そしてポケベルから携帯電話、メールへと人々の繋がりの形態は変わっていった。手書きの暖かみと言われた時代はもはや旧世代とばかりに、今は電子メールという、活字によって、一時の快楽、そして虚しい人間関係が生まれている。1990年代後半。文明と繁栄は、少年犯罪の増加、神戸事件からバスジャック事件。大人に至っては、池田小学校児童殺傷事件・中学一年生高速道路放置殺人事件へと広がっていった。
長引く不景気と、飽和状態の文明と繁栄のただ中で、シスター・プリンセス(=シスプリ)は誕生した。日本の美少女・アニメ・マンガ・ゲーム業界を震撼させることになる、妹ブームの火付け役となったものである。プラトニック・カオス。精神的混沌の中でなぜに今、妹ブームなのだろうか。
21世紀初頭、某ニュース番組の特集『幸福論』内で紹介されたとある美少女ゲームにもおけるように、現在私たちが無意識のうちに求めているものとは、ひとえに『愛』というものではないだろうか。KanonやAIRなどに代表されるように、感動イコール愛情。そして、シスプリの登場キャラクタである、『妹』たちに向ける愛情。それは、バーチャル・空想という範疇を越えて、この十数年来私たち日本人が失ってしまった、あるいは無くしかけている大切な何かを、僕たち自身、意識せずとも本能的に求めている結果なのかと考えてやまない。
▽鷹嶺流シスプリSS……たかが二次創作とかたづけてほしくはない
「つまらない」「ずいぶん堅苦しい内容のSSだな」。本編を読まれている諸兄の八割は、きっと思われていることだと思う。本家本元・公野氏によるジーズマガジンの連載、はたまたネット上で人気が高い作家先生のサイトのSSと比べればきっと鳥の糞にも劣るだろうし、ましてやこのSSを読まれて場面場面を天広氏のアートで想像せよと言うのはある意味酷かも知れない。でも、私はあえてこんな内容でもいいのではないかと思っている。
ただ、鷹嶺 昊は、決してシスプリの世界観を壊そうとしているわけではない。私は、シスプリ、そして妹ブームがたとえこの先数年後に過ぎ去ったとき、私のこのサイトに立ち寄った人が、この創作小説に触れて、何かを感じ、何かを見つけてもらえればいいと思ってるのだ。
僕が常々言っている、他サイトのSSとは違うと言い切れるのは、シスプリの流行が過ぎ去った後に、シスプリを知らない来訪者がこれを読み、心に深く伝わるものがある、私が言いたいことの数分の一でも伝わってくれればいい。そんな思いを、この12人の妹キャラたちを通じて訴えているということである。
栄枯盛衰が世の常というならば、今は人気が高い『シスプリ』が、いつか必ず、その存在が人々のノスタルジアをかき立てるものになる日が来る。
でも私は、この素晴らしい12人の妹たちを、未来永劫廃れることなく伝えてゆきたい。鈍足だが、鷹嶺 昊。私は私らしく、この考えを貫徹してゆきたいと思っている。ただ勘違いしないでもらいたいのは、今現在シスプリにはまっている人、あるいはこれからシスプリに触れる人に読んでほしくないと言うわけではない。当然の事乍ら、一番に伝えて行きたいと思うのは、シスプリフリークの諸兄たちなのである。
▼鷹嶺は世情に疎く冷めた視野を持つ隠者……数少ないだろう女性来訪者へ
格好つけた言い方だが、それを一般的には「やる気がない」と言うらしい。
まあ、おかげさまで延べ万台のご来館者を持つ『空色の宿 空色亭』なのだが、シスプリ短編集の創作に入るようになってから、ご来訪者もそこそこに増えるようになり、館主としてはいいプレッシャーになっているようだ。
館主として、怠慢だが一応プロ作家へのうたかたの夢を抱く身としてはふさわしくないと思うが、鷹嶺 昊はほとんどネット上のサイトは回らない。当然、数多のサイトの小説はほとんど目に触れない。他サイトに影響されない事が独自性を保つとよく言っているらしいが、これではプロ志向失格と言われても仕方がない。ほんとうにやる気があるのかないのか、とかくこの男、自分自身をよくわかっていないらしい。ただ、こいつは尊敬するプロの作家の本は良く読んでいるようだから完全失格とは言い切れまいが。と、この男の将来像はどうでも良いことだろう。
鷹嶺 昊は、この短編集について、特に女性層に触れてみてほしいと思っているようであるのだ。主人公が『兄』なのに女性層への推奨とはこれいかに? 鷹嶺いわく
『貴女自身から、この主人公たちを見てみて下さい。貴女の好きな男性が、こんな主人公だったら、どう思いますか?』
短編集の妹思いの主人公が、もしも、女性閲覧者である貴女の好きな男性だったとするならば……。難しいですかね(笑)
感動や笑い、同情や憐れみを求めてはいない。鷹嶺が描く物語は、読み終えた後、貴女の心のどこかで、今貴女が想いを寄せている男性のことを少し違う角度から見つめられるきっかけになれればいいなと思うのだ。と、言うことらしい。
◆亞里亞・雛子――シスタープリンセスじゃなくて、ニースプリンセス(笑)
ずいぶん堅苦しい話が続いたので、ここいらでプレミアムシナモンティーを飲みながら、短編集における意気込みを話しましょうか。ああ、タバコはやめましたからね。レアチーズでもいかがですか?
さて、誰がいちばん描きやすいか、という質問があるとするならば、そうですね。鷹嶺 昊個人の趣味というか、タイプならば咲耶ですね。次に春歌・千影・衛・可憐・鞠絵……と続きます。なにしろ、鷹嶺は肩がこる、腰が痛い、家に帰ると口癖のように「疲れた〜」を連発しているような年なので、極力実年齢に近いキャラクタが好きな傾向のようです。
ですが、これ不思議なものでして、好きなキャラクタだからと言って、自分の思うようにストーリーの中で操れるかというと、そううまくはいかないものですね。SS書いたことある人ならば、そう思ったこと多少なりともあるかと思います。
好きなキャラだからこそ、粗末に扱えないし、乱暴にも出来ない。たかがハッピーエンドに終わらせるのも味気がないし、ダークに行くのもお誂え向き……。
悩みこそすれ、独りよがりで書くと、ここの短編集みたくなってしまうわけで(汗) ま、書いてて減るもんじゃないし……などと、半ばマイペースでやる気なさげに行けば、自ずと道が開けてくるわけねーだろ!(田中裕二風)
さて、それはいいとして、12人の中でも僕にとってみれば雛子や亞里亞などは、妹じゃなくすでに、「姪」ですしね(爆) 彼女らのこと僕が書けば『ニースプリンセス〜おじさん大好き〜』になってしまいますなぁ(笑)
誰がいちばん描きにくいかとなると、そう言うわけで雛子と亞里亞になってしまうわけですが、特に亞里亞はなかなか描けないでしょうね。あの「くすんくすん」もさることながら、初登場時にかいま見たペロキャンで、「あっ、こりゃ無理だわ」と直感してますし。リクあれば何とかチャレンジしてみることもあるでしょうがね(ーー;)
◇複数との共演、或いは外伝風の創作はあるのか――――イメージCV 兄:貴方
多分、人気が高い他のSSサイトの秀作を拝見すると、複数の妹たちが同時に登場し、兄とのドラマを素晴らしく描かれているのが多い。実際、本家本元ジーズマガジンや、当地では放映されなかったが、テレビアニメ版でも共演されている。
ただ、鷹嶺流の短編集では、今のところ共演という形は全く考えていない。一人の妹を主役にし乍ら、主人公である兄や、その周囲の創作キャラとの和やかで、時には複雑なリレーションを描き、それを通じて作者自身が読者に伝えたいことを記したいのである。共演という形で、どちらかがサポーティングロールになってしまう形が僕は好かない。12人の妹たちはすべて主役であるべきと考えているし、一人一人に絞って活躍させた方が、まだ現実感があっていいと思っている。
外伝風の創作もまたしかり。鷹嶺流には考えていない。と言うよりもこの世界でどうやって外伝を作れと言うのかと言うことをお聞かせ願いたい。シスプリは創作への原野が無限に広がっている。あえて言うなれば、シスプリのSS自体が外伝と言える。
また、これ当たり前なことのようで意外と作者のこだわりであるのだが、鷹嶺流SSでは、主人公である兄役、そしてイメージCVは、読者である貴方ですということ。だから、文中、主人公の固有人名は出さないようにする。読者諸兄がSSを拝読されながら心の中で演技してもらえれば作者冥利に尽きる。サブキャラのイメージCV役の声優・俳優をご存知なければ、友人知人にでも当てはめてもらいたい(笑)

聞き手:チアリーディング部 竜崎氏