第4話 すれ違う旧友-変わらないまま-

 アカネイアから統治権の禅譲を受け、事実上の大陸の王となったマルスは、自国の復興と重ねて、戦争で荒廃した随従諸国の再建に忙殺されていた。
 戦後、ルイ国王亡き後のグルニアは、幼少の王子・王女の後見・守護職として腹心のドーガを派遣した。
 内紛によって荒廃し、後継の王女の退位によって王座が空白となったマケドニアに対しては、十日間、深夜にも及ぶ国公会議を経て、暗黒・英雄両戦争を共に戦った、マケドニア三姉妹の長女パオラをマケドニア守衛総督に、次女カチュアを内務卿にそれぞれ封じた。
 他に王妃シーダの故郷タリス、ワーレン自治区、ペラティ自治区、テーベ自治区、カダイン魔道自治区、そしてハーディンの故郷オレルアン王国など、マルスは連夜諸国の対応に追われていた。
 そして、議題は英雄アンリ恩顧の国、隣国グラの統治者を誰にするかということになった。
 暗黒戦争初期、突然アリティアを裏切り、コーネリアス王を破滅に追い込んだ仇敵ジオルと共にこの親藩王国は滅亡した。
 暗黒戦争終結後は、ジオルの庶子シーマがグラの地を継いだが、アカネイア帝国の傘下にあって、再び潰えた。
 英雄戦争が終結すると、シーマは勇者サムソンと共に隠棲の道を選び、第二の故郷アカネイアパレスに移住していた。マルスの王位継承の要請に固辞を示した後、グラの統治者問題は凍結化されていたのである。その間、グラは事実上アリティアの傘下にあり、主教であるマリクが人民を統括していた。
 しかし、マルスはグラとアリティアの合併を、断固として拒絶する姿勢を固めていた。
 グラは事実上滅亡したと言ってもいいのだが、人民がすべてが祖国の滅亡を信じているわけではなかった。
 また、容易に自国と併合などすれば、必ずや大小なりの反乱が起こるだろう。愛国心はアカネイアの連合諸国それぞれに、強く根付いているのだ。グラはアンリ恩顧の国だ。しかもアリティアの隣国ゆえに、対処は難しくなる。王女の隠棲という事態が、マルスの指針を大きく揺るがせることになってしまった。
 王座のないグラの管轄には度重なる試行錯誤が必要不可欠となった。
 結局、一時アリティアの庇護を受けるという形で、主教であるマリクを派遣し、人心収攬に当たらせていたが、それもやはり国主ほどの権限はないので、とうとう行き詰まってしまったのだ。
 そして、マルスは悩み抜いた末に、ひとつの結論を出した。
「シーマ前王女を、グラに帰還いただくことにした」
 マルスはそう言った。苦肉の策である。
 一度王位を捨てた者を再び王座につけることなど、前代未聞である。だが、こうするより他に方法はなかった。
 シーマはグラの直孫で父親と正反対に、グラの民の信服を得ている。他に適任者は誰もいなかった。その決断に、騎士団長カインを始めとするマルスの忠臣たちは、非を唱えることなく賛同した。
「マリク。君にはパレスに在するシーマのもとに行ってもらい、勅書を届けてもらいたい」
 マルスは真顔で議決を聞いていたマリクに向かって言う。
「シーマ殿がお受けになられるでしょうか?」
 マリクの聞き返しに、諸臣の間から軽いため息が漏れる。『またか…』という感じだ。
 マルスはやや疲れたような感じで答える。
「たとえ断られたとしても、こればかりは受けてもらわなければならない……。シーマ以外に、グラを治められる人物はいないからね」
 マリクは言う。
「しかし、シーマ殿の王籍返上を尊妃(ニーナ)に諮られたのは陛下ではありませんか。それに、シーマ殿はパレスにてサムソン殿と共に農事に携わり、平穏に過ごされております。今この時になり、再び王籍をとなれば……悲しまれます」
 マルスは、はぁ…とはっきり判るようなため息をついて答える。
「マリク。今はあの時とは事情が違うんだ。グラはやはりシーマがいなくてはあまねくは治められない。それはマリク、君自身が一番よく解っているはずだろう」
「はい。それは重々承知しています。しかし、それはこの私の不徳の致すところであり、行き届かない点があったからです。何もわざわざ、隠棲した人を連れ戻すまでもありません。この私にお任せ下さい」
 マリクはなおもマルスの意向に意見を述べる。
 マルスもそうだが、騎士団長カインを始めとする同志たちはマリクの態度に苛つきを蓄積していった。
「……王の勅書はシーマ殿にお届けいたします。しかし、仮にシーマ殿が断られたならば、私は強制的に行動を取ることは出来ません。それに、マケドニアの場合も、いざとなればミネルバ殿を王籍に復すのですか」
 その瞬間、怒号が響き渡った。
「マリク主教、無礼ではないかっ!」
 それはカインであった。席を立ち、顔面を紅潮させて、マリクをにらみつけている。
「黙って聞いていれば、マルス王のご意向に対し、いちいち意見をつけ加え反対する。王のお人柄が良いことにつけ込むとは――――。いかにエリス様の許婚であり、王の幼なじみであろうと許せんっ!」
 その言葉にさすがのマリクも怒りを覚えた。
「カイン将軍、それは言い過ぎではありませんか? この私がいつ、陛下のお人柄につけ込んだのです?」
 カインはマリクをにらみつけて言い放った。
「以前から常々そう思っていた。あなたはニーナ尊妃より禅譲の詔が下されたときも、ありもしない言いがかりをかけてこれを断るように唆し、以後もあなたは王の信頼を傘に着せ、何かと王のご意志を軽んじてきた」
 マリクは愕然とし、カインを睨視する。
「カイン将軍、黙って聞いているとどれもこれも勝手な推測ばかり。王の信頼を傘に着せるなどと……侮辱するにも程というものがありましょうっ!」
「侮辱などするものか。私はありのままの真実を述べているだけだ」
「私がいつ、王のご意志を軽んじてきたのですっ! 私がいつ、王の命に従わなかったというのですかっ!」
 激昂が積もり重なり、二人の同志の間に亀裂を走らす衝動となる。激怒の声は場にはげしく反響し、外庭にまで響き渡る。

 二人ともやめてくれっ!

 ひときわ大きな声がアリティア城を駆け抜けて行く。
 ぴたりと止まる、言い争い。会議の場には似つかわしくない、静寂が訪れる。
 マルスは机に両手を置いて立ち上がっていた。険しい表情だが、瞳をきつく閉じ、唇をかみしめている。
「カイン……それは言い過ぎだ。マリクは私を蔑ろになんかしていないぞ。旧友として、忌憚のない忠告をしてくれているだけだ。誤解しないでくれ……」
 マルスが疲れ切ったように言うと、カインは軽く頭を下げ、着席する。
 マルスは再び、長嘆してからマリクに向けて言葉を発した。
「マリク……、君の気持ちはよく解る。しかし……もはや以前のように、仲間一人一人のことを考えていることなど、出来ないんだ。私はアリティアの王……そしてアカネイアの至上位を継いだ者として、個人のことよりも、国を慮らねばならないんだ。わかるかい?」
「…………」
「今の私は、昔の私ではない。君と共に過ごした頃の、私ではないんだ」
 その言葉を聞いて、マリクの心に衝撃が走った。一番気にしていた言葉が、マルスの口から発せられてしまった。
 人それぞれよりも、国を重んじるのか・・・。
 友を、仲間を誰よりも愛し、喜怒哀楽を分かち合ってきた、心優しき、小国の王子・マルス。
 マリクはそんな少年時代の姿を、今のマルスに重ねていたのか。
 それは、愚かなことなのか。昔と変わらないマルスを望んだことは、愚かなことだったのか。
 茫然と立ちつくすマリクは、数秒の間にかつて共に遊び、共に戦ってきた日々を、走馬燈のように脳裏を過ぎらす。
 思えば、メディウス追討の理想に燃えていた戦争までの日々は良かった。今は亡き有志たちと、夜のささやかな宴に談笑し、戦勝に酔い、敗戦に涙し、悩みあれば共に悩み、吉報があれば、共に喜びを分かち合ってきた。
 マルスはそうだった。誰よりも純真無垢で、強かった。
 反面、とてももろく、一人涙する時もあった。恋人シーダと共に、マリクはマルスのよき心の支えとなった。本当の親友として、何事も忌憚なく話をし、お互いを実の肉親以上に理解し合っていたのだ。
 しかし、マルスは変わった。
 マリクのそんな思いは、今のマルスからみれば、幼稚で、甘ったるい感情に映っているのかも知れない。
 マルスは、幼なじみの思いを知る由もないように、疲れたように言った。
「マリク主教、君がパレスに行かないと言うのならば、無理強いはしない。だが、これは国王としての私の意向であり、詔でもある。これに添わなければ、君にはそれなりの・・・」
 言いかけるマルスを、マリクは制止した。
 マルスが何を言おうとしているのかは判っている。国王の意、評決に添わないものには厳重な処罰が下されることになる。
 以前のマルスならば、そんなことは考えもしなかっただろう。しかし、今のマルスならば、ためらいながらでも、それがたとえ肉親の情を超えた親友であっても、実行するだろう。
 個人の情よりも、規律を重んじるようになった、彼ならば・・・。
「申し訳ございません。大変無礼なことを申しました……。王、カイン将軍、どうかお許し下さい」
 マリクは深々と拝礼した。不意に、エリスの言葉が彼の脳裏を過ぎったのである。

『お互いに示す道が違って、言い争い、仲違いをすることもきっとあると思う・・・希望もあると思うけど、絶望することもあるわ。どんな辛いことがあっても、マルスを支えてくれる?』

 彼はその言葉を思い出し、自分を戒めた。
(そうだ。今の僕は、エリス様のためにあるんだ。エリス様がおっしゃっている事って、このことだったのか。……僕は道を誤るところだった。マルス様と仲違いをすれば、私はエリス様を悲しませることになるんだ)
 彼は彼自身の中で、《マルスに従う=エリスの期待に添う》という式を成り立てていた。
 エリスとの愛を貫くことは、マルスに終生従い、ついて行くということになることなのだ、と。多少の思想の相違があっても、自分自身を抑えて従順になれば、エリスとの愛は更に深くなるのだ。
 マリクがマルスとカインに謝罪して、パレスへの勅使の任を受けると、マルスは大いに喜び、旧友の手を取って歓喜した。
 マリクは微笑んでいた。だが、心の隅に押し込めた思いが燻り、それは本当の笑みではなかった。

 パレス城に準司祭として出仕していたリンダが、女官たちの会話を耳にした。
「アリティアから勅使が来るんだって」
「へえ。マルス様が至上位をお継ぎになって初めての勅使? ・・・で、何の勅命なのかしら」
「それがね、どうやらシーマ様をグラの王位につけるための詔が下るらしいのよ」
「シーマ様って、あのシーマ様?」
「そうそう」
「ねえ、よくわかんないけど、それって、ちょっとひどいっていうか、マルス様らしくないんじゃないかしら」
「どうして?」
「だって、シーマ様って一度王族の身分をお捨てになった方でしょ? マルス様もお認めになって王位を退かれたと言う話を聞いたことがあるもの。何の事情があるかは知らないけど、王族の身分を捨てるなんて、よっぽどの覚悟がなきゃ出来ないわよね。マルス様もそんな事情を思って認めた訳じゃない。どんな事情があるにしろ、今更また王族に戻れなんて、なんかね・・・ここだけの話、ずいぶん勝手じゃない?」
「うーん・・・よくわかんないけどね・・・」
 彼女はその話を聞いていて、まっ先に思い浮かべたのはマリクのことであった。以前、エルレーンがもらしていた言葉が真実だとするならば、女官たちが言う内容は嫌でも理解できる。マルス王の変貌を遠回しながらも感じることが出来る。しかし、そうだとすると彼ははげしく苦悩しているだろう。昔の、少年の頃のマルスを見つづけている、彼にとっては。
「・・・で、勅使になる人って?」
「詳しくはわかんないけど、主教のマリク様っていうもっぱらの噂よ」
 その名を聞いた瞬間、彼女は思わずあっと声を上げそうになり、辛うじて抑えた。
「まあ。あのマリク様が? カインさんとかじゃないんだ」
「カインさんって、どっか“カタブツ”って感じがしない? あの方が来ると、きっとシーマ様と大喧嘩になってしまうわよ」
「あら? どうして?」
「多分、シーマ様はマルス様の詔を断られると思うの。カインさんとか、他の人たちって、マルス様一筋じゃない? だから、もしシーマ様に断られると、怒って話にならないと思うのよ。その点、マリク様は穏やかで、人の心をよく解ってくれそうな感じがするじゃない。だから、シーマ様を説得できるのは、マリク様をおいて、他にはいないと思うの。勝手な推測だけどね」
 女官は実に説得力のある話をする。彼女自身もそう思っていた。
 何よりも、どんな形であれ、彼に会いたいという思いの方が強くなっていたことに間違いはない。
 そして、思い込みに過ぎない、気が早いと言われてしまえばそれまでだが、彼に会えるという期待感がどうしようもなく彼女の心を占めていた。
 そして、そんな彼女の一途な思いは裏切られることはなかった。朗報はすぐに届いた。

マルス王の勅使・主教マリク、アカネイアパレスに下向す―――――

 マリク自身の複雑な思い、そしてリンダ自身の純粋な恋慕が交錯する中、勅使の一行はパレスに入国した。
 時に611年の春。アドリア山脈に残雪彩り、大地に新芽息吹く季節のこと。英雄戦争が終結し、三年目の春を迎えていた・・・。