第5章 ヒルダの苛立ち

 かつて、『獣王山』と呼ばれた王家聖廟の址近くで羽を休めたシャオルーンがマオに語る。
「心のフォルス?」
(数多のフォルスの中でも、最も静かで、最も気高くて、そして何よりも“強い”。それが、〈心〉のフォルスなんだ)
「ちょっと待ってよ。フォルス……能力者たちって、みんな物理的な力を備えているはずでしょ? それに、フォルス自体が〈心の力〉なんじゃないの?」
(フォルスは心の力……その心にも、フォルスがあるんだよ、マオ)
「うーん……と。よく、わかんない。でも、実際心のフォルスなんて、目にも見えなくて、音としても響かないのが何よりも“強い”だなんて、ありえないと思うんですけど」
 マオが嘆息する。するとシャオルーンは限りなく深い、澄んだ瞳を細めて笑う。
(マオ。ボクをからかっちゃいけないなあ。キミ達がユリスを倒したのは何――――?)
「ユリスを――――――――あ…………」
 マオがシャオルーンを凝視する。シャオルーンは無邪気に笑顔を浮かべながら頷く。
(そう言うこと。だからボクは“ヒト”が好きなんだ。ヒトの心って、言うなら“奇蹟”を創り出せる。ボク達が敵わなかった、あのユリスさえ、倒すことが出来る奇蹟。人が人智を超える力を出すなんて、面白くて、すごいことだよ。奥が深くて、ボクたちも予想がつかない。わくわくするんだ)
「そんなものなのかな……。それよりも君が、今さらフォルスだなんて――――」
 シャオルーンのような万物創世の聖獣が、彼らにとっては瑣末に等しいフォルスの力などを語ることに、マオはいささか怪訝な表情を返す。
「うーん……それを言われちゃうと元も子もないんだけどね――――。君やヴェイグ、そしてボク以外の聖獣たちはどう思っているかは知らないけど、ボクはどうしてもやっておきたいことがあるんだ」
「やっておきたいこと……?」
 シャオルーンの言葉に、マオが細い眉を動かす。しかし、シャオルーンは瞳を細めて口許を宝玉の後ろに隠す仕種を見せると、言った。
「うーん……まあ、それは時機が来たら話すよ。……それよりもマオ、お願いがあるんだ」
 それは、シャオルーンがしばらくの間、ヴェイグたちに自分が戻ってきたと言うことを伏せておいて欲しいというものだった。マオは事の次第を把握出来ないながらも、約束を交わした。

 謝肉祭は形式張った式典を経て開幕するわけではない。カレギアを愛する民、そして何よりも祭り好きな気性を持つ人々が先頭に立って踊り、歌い、食に始まる。それが自然に広まってゆく。いつしか、カレギア全土が陽気な音曲に彩られてゆくのだ。
「どうだヒルダ。ちょっと街に行ってみねえか」
 ティトレイが遠く聞こえてくる音曲に身を疼かせている。
「なに? 私あまり人ごみは……」
 ティトレイの誘いに、椅子に足を組みながら腰掛け、澄ますように本を読んでいたヒルダが渋るように顔を上げる。
「ヴェイグたちよ、今日あたり来るんじゃねえか。それに、アニーやユージーンにも、まだ会ってねえしよ」
「ヴェイグたちはともかく、アニーとユージーンだったら、黙ってても顔を見せに来るわよ」
「いや、ホラ――――ん、なんて言うんだ。せっかく祭りの雰囲気を楽しみたいって言うかさ、ん――――。やっぱ、この前のような目に遭わないとは、限らねえだろ」
 するとヒルダは呆れたようにため息をついて返す。
「それはあんたの不注意。巻き込まれるのは御免だわ」
「ヒルダ――――」
 窘めるようにミリッツァが言う。困ったように苦笑するティトレイ。
「しゃあねえか。……ミリッツァ、付き合わねえか?」
「え……えぇ!?」
 突然の指名に愕然となるミリッツァ。
「驚くことはねえよ。仰有ってる通り、ヒルダはダメだとさ。二人で行くしかねえよな」
「…………」
 困惑するミリッツァ。するとヒルダが思わず身を乗り出し、声を荒げる。
「行くしかないって、ちょっとティトレイ。何勝手に決めちゃってんのよ。ミリッツァは行くなんてひと言も……」
「行く……行きます」
 何か強い決意を秘めたかのように、ミリッツァは真剣な表情で言う。
「ちょっとミリッツァ、あんた……」
 意外な反応にヒルダはやや困惑気味に眉を顰める。
「よっしゃ、決まり決まりっと。じゃ、早速――――」
「…………」
 あくまで我が道とばかりのティトレイ。ヒルダは言葉を繋ぎきれず、おろおろとしたように瞳を泳がせ、ミリッツァは何を思っているのか、俯き加減に瞼を閉じていた。

「ま……待たせて、す、すまない」
 ティトレイの前に、緊張した様子のミリッツァがいた。
 王の盾・“四星”としてかつてはカレギア全土にその威名を轟かせていた一人。虹のフォルスを駆使して何度もティトレイたちの前に立ちふさがってきたハーフの女傑も、やはり一個の“女性”であった。
 あまり目立つようなものを好まない彼女らしく、前髪を解き、背中でしおらしげに三つ編みにした鳶色の長い髪、控え目な萌葱のワンピース。戦いの最中であれば殆ど意識もしなかったが、ミリッツァもヒルダに匹敵するほどの美麗な容姿をしている。ヒルダの肌が輝かんばかりに燦々とした昼の白ならば、ミリッツァは南国の夕暮れを思わせるような、見事な褐色。それがまた別に色気をも感じさせる。
「お、おう。……そんじゃ、行くか」
 彼女の緊張が伝わったのか、ティトレイも思わず声が上擦ってしまう。
 ミリッツァの返事も待たず先に立って歩き出すティトレイ。ミリッツァは気にするように、黙々と本に目を落としている親友に眼差しを向ける。
「行くよ……ヒルダ」
「…………」
 しかしヒルダはわずかに瞳を揺らしただけで、無言のままだった。ティトレイとミリッツァは互いに目を合わせると、小さく頷いてゆっくりと部屋を出て行った。
「…………」
 しんと静まる空気。やがてヒルダは自分の息づかいが何故か煩く感じた。本の文字がちらつき、目に入らない。
 まるで虫でも這っているかのようなもやもや感が下腹部から湧き上がり、苛立ちを更に助長させる。
「ああっ、もう!」
 怒号を散らしながら、ヒルダは本を打ち捨て、蹴るように椅子をはね除け、扉の方を凝視していた。

「おっとっと」
 文字通り、人波に呑まれてしまいそうになるティトレイを、ミリッツァが慣れたように裾を掴まえて押し止める。
「だ、大丈夫か」
「ひゃぁあ、やばかった。いや、すまねえミリッツァ。助かったぜ」
 まるで溺れかけから助け出された人間のように、ティトレイは肩で息をする。
「この街でうかうかしてたら、もしかしなくても、命落とす?」
「そんなはずはない。慣れれば、どうって事は……」
 真剣な眼差しでティトレイを見るミリッツァに、ティトレイはにいと白い歯を見せた。
「そうだな。考えてみりゃ、都会なんてどこもこんなもんなんだ。……よっしゃ!」
 両の二の腕に力こぶを作り、気合いを込めるティトレイ。
「……ふふっ……」
 その様子に不意に聞こえる小さな笑い。ティトレイが目を瞠ると、ミリッツァは顎を引きながら瞳を細め、わずかに表情を綻ばせていた。
「お――――――――」
 ティトレイがわずかに感歎すると、それに反応するように、ミリッツァがティトレイを見上げる。
「ミリッツァ。君の笑った顔、初めて見たな」
「え……? あ――――」
 ティトレイの言葉に、ミリッツァは反射的に顔を背けてしまう。
「何も恥ずかしがることはねえよ。ただ、女の子はやっぱ、笑ってた方が良いぜって思ってな」
「…………」
 言葉の持つ意味を解っているのかいないのか、ティトレイはミリッツァの見せる表情をそやす。
「もっと自信を持てばいいんだよ。ヒトは笑顔で損することはねえ。ましてミリッツァ、君は女の子だろ。女は笑えば笑うほど得するってもんだぜ」
「得をする……。笑えば、笑えば、良いことがあるというのか?」
 ミリッツァがティトレイを見つめながら聞き返す。
「ああ。俺の姉貴なんてさ、俺が大ケガしちまっても、ニコニコ笑顔でいてくれるぜ、きっと」
「そう……なのか。いや、それは少しばかり薄情ではないのか」
 ミリッツァに、微妙な差異はあまり通じない。ティトレイはやや困惑した様子で瞳を少しばかり泳がすと、徐に掌をミリッツァに向け、頬に掛かる髪の毛に触れるように傾けながら、ゆっくりと言い直した。
「その……なんだ。笑顔が素敵だ、ミリッツァ。笑っていれば、君はもっと幸せになれると思うぜ」
 ティトレイの言葉に、ミリッツァは一瞬、きょとんとするが、刹那。驚くべき速さでティトレイに背中を向けてしまう。
「か、からかっているのか。わ、私はそんな……」
 心臓が激しく脈打つのがわかる。胸元で合わせた手をきゅっと握りしめ、瞼を閉じる。
 そんなミリッツァの様子に、ティトレイはようやく自分の言葉の意味を噛みしめる。
「あー…………っと。別にからかっちゃあいねえんだけどよ――――ん……」
 そこはかとなく居心地が悪いような雰囲気になってくる。そして、互いに意味もなくため息を漏らす。途切れず囂しい往来にあっても、その吐息が妙に煩わしく感じた。
「こ、ここは往来が激しくて不便だ。別道を行かないか」
 お互いと往来の間で意識が散漫してしまい、それがかえって心を苛立たせていた。
 ミリッツァはティトレイに振り返ることなく先に立って歩き出す。ティトレイもそうするのが当たり前とばかりにミリッツァの後につき、隘路を縫っていった。
「…………」

 地元人でもあまり認識していない裏道。その名の通り、王の盾が首都の治安を負託されるために知らしめたような通路……と呼ぶにはいささか語弊があるかも知れない。
 塀やら垣根やらどこぞの民家の屋根やらと、いかにも『道ならぬ道』を歩まされているような気がしてならなかった。
 さすがミリッツァは慣れた様子で越えてゆく。時々目につく眼下には“公道”を行き交う人々、舞い踊る若者達。彼らを一瞥しながら、ようやく混雑の緩和している一角にたどり着き、ひと息をつく二人。
「やはり、普通の道の方が良かったか」
 小さく肩で息をしているティトレイを、ミリッツァは心配そうに見る。
「かなり充分な道程で、大助かりだぜ、ふう」
 苦笑。そして、ふと目に入った露店に目を輝かせる。
「運動した後は冷たい飲み物ってな。何にするミリッツァ?」
「え、え? わ、私は……」
 激しく躊躇するミリッツァ。
「遠慮は無用だぜ。……んー、まあレモネードでいい?」
 それが無性に飲みたい気分だった。ミリッツァが否定するはずがない。
 ティトレイが小走りに露店へと駆けつけ、良く冷えたボトルを手にする。
「二本で150ガルドね」
 ガジュマの店主がすいと掌を差し出す。
「うわ、高ッ。オッサン、それって暴利って言うんじゃねえのか」
「何言うてん。今はかき入れ時よ。野暮なこと言わんと、少しくらいの儲けに協力してくれ」
 ちなみに、普段は一本30ガルドくらいである。
「おいおいー、俺だって中都に帰りゃ、しがねえ日雇い人足なんだよ。安い食い扶持でも不満――――――」
 ここは格好良く決めたいところだが、さすがに2倍以上の価格を吹っ掛けられれば面子よりも生活である。
 たかがレモネードで言い合いするなぞ稚拙な光景だが、結局ティトレイの勢いに押されて、30ガルド値引き折れた。精神力を消耗し、ただでさえ渇いている喉がすっかりとガラガラに。時間も無駄に費やしてしまったようだった。
「うぅ――――、さぞやレモネぃド、うまかろーぜ……」
 と、そんなぼやきを往来に流した時だった。
「ティトレイさんっ」
 一際、大きく聴き慣れた声が、彼を呼び止めた。
「お、その声は――――」
 ぴたりと足を止め、反射的に振り返るティトレイ。
「よお、アニーじゃねえか!」
 長い旅、長い戦いを共にした戦友。その少女の姿と共にいる、かけがえのない親友の姿。
「それに、ヴェイグとクレアさんかよ」
 いちいち大袈裟な反応だ。
「…………」
「こんにちは、お久しぶりです、ティトレイさん」
 ため息をつくヴェイグに、ぺこりと頭を下げ、心からの微笑みを向けるクレア。
「お久しぶり、クレアさん。それにヴェイグとアニーも。へえ…………」
 再会の挨拶もそこそことばかりに、ティトレイは何故かじっとアニーを見廻す。
「な、何ですか……」
 ティトレイの視線に、思わず後退るアニー。そして、意味深に唸りながら鼻の頭を二度ほど人差し指で掻くと、顎をゆっくりと撫でながらにやりと笑った。
「見違えたな、アニー。うんうん、お兄さんはウレシイやら、寂しいやら。いや、ウレシイ哉」
 と言いながら、両手を前に突き出し、湾曲を描く。
「ふへッ?」
 ひどく間抜けな声を上げてしまうアニー。
 しかし、その仕種の意味を察知した途端、アニーの表情が素に戻る。
「ティトレイさん。何かよくわからないですけど、黙って聞き逃してはいけないような気が……」
 両腕を交差させて上体を防御するアニー。女の防衛本能というやつだろうか。
「ま、詳しい話はまた後ほどゆっくりとって言う感じかな」
 上手くかわすティトレイ。
「何だ、急いでいるのか」
 ヴェイグがやや寂しそうに言う。
「ああ、ちょっとな」
「あら、ティトレイさん。もしかして、ヒルダさんと?」
 クレアの言葉に、愕然と瞠目するティトレイ。
「な、なぜにそこでヒルダの名前が」
「何故に……って、あそこにいるの、ヒルダさんじゃないの?」
 と、クレアは徐にティトレイの背後の雑踏を指さす。
「え……」
 驚きと妙な不安感にティトレイの心臓が高鳴る。そして、ゆっくりとぎこちなく振り返ると、雑踏の隙間から一際目立つ烏羽の美髪を靡かせたハーフの美女が、窺うようにこちらを見ていた。
「おぅぁ!」
 不意に首を絞められたかのような声を上げるティトレイ。そしてそのヒルダ、ティトレイたちの視線に気がつくと、大慌てに首を引っ込める。
「ティトレイ。お前、何かしたのか」
 怪訝な眼差しを向けるヴェイグに対し、ティトレイは思いきり首を横に振る。
「て、言うか、何であいつがここに……」
「何でって、ティトレイさん、ヒルダさんと一緒じゃないんですか」
 アニーの言葉に頷くティトレイ。そして、ヴェイグたちに経緯を簡単に説明する。
「なるほど。それじゃ、ミリッツァを待たせちゃ駄目だな」
 ヴェイグの言葉に、ティトレイは思い出したかのように肩を竦める。
「まじぃ。おいヴェイグ、みんな。積もる話はまた後でだ。ヒルダのこと、よろしくな」
 そう言ってティトレイはヒルダの方を一瞥すると、身を翻していった。
「何かヘンですね、ティトレイさんとヒルダさん」
 アニーが視線を何度も往復させる。一方でくすくすと微笑むクレア。
「なるほどね。いいなあ……」
「ん? どうかしたのか、クレア」
 ヴェイグがきょとんとしながら訊ねると、クレアは小さくため息を返して言う。
「それより、ねえヴェイグ? ヒルダさんに声を掛けないと」
 その言葉に、ヴェイグは目を見開いて慌てた。
「そ、そうだな。確かに」
 クレアに促されるように、ヴェイグは身を潜めているつもりのハーフの美女にゆっくりと近づいていった。

「元気そうで何よりだ、ヒルダ」
 ヴェイグがそう言ってわずかに微笑むと、ヒルダはやや照れたように睫を伏せ、頷く。
「お互いにね」
「便りがないのは元気の証拠だって言うけど、やっぱりこうして、実際に会うと、すごく嬉しいわ」
 クレアがそう言いながらヒルダの手を包むように握りしめると、ヒルダもまた、わずかに瞳を滲ませてクレアを見る。
「ごめんね、クレア。あれからやっぱり、色々と立て込んじゃって、なかなか時間が取れないのよ」
「ううん、気にしないで。私たちの方こそ、なかなか遊びに来られなくてごめんなさい」
「ヒルダさんは私の所属する保健省と公安府の負託で、人心綏撫のお仕事もなさってますから」
 アニーがヒルダに向かいぺこりと頭を下げる。
「さすがだな。占術師の本領発揮と言うことか」
 ヴェイグがそう言うと、ヒルダはわずかに頬を染める。
「大して役に立っているかはわからないけどね。ま、私なりに出来ることと言えば、これくらいしかないから……」
 復興への道。カレギア民主共和国樹立の第一歩とともに、ヴェイグたちユリスを滅ぼした勇士たちの、それぞれの小さな第一歩。ヒルダも確実に前へと歩み出している。
「バルカの人たちだけじゃなく、わざわざイースタリアからもヒルダさんの評判を聞いてやってくるのですよ」
「アニー……」
 褒めちぎるのは止めろとばかりのヒルダ。
「それは冥利に尽きるというものだろう、ヒルダ。もっと自慢しても良いはずだ」
「ヴェイグの言う通りよヒルダさん。誰にも出来ない事を自慢するのは間違いじゃないと思うの。だから、もっとアピールをしなきゃ」
 クレアが言うと特段、説得力がある。ヒルダは声を呑み、頬に朱を射した。
「ありがとう。そう言ってもらえると、すごく嬉しいわ。やっぱり、私のただひとつの取り柄だから……」
 そして三人は謝肉祭の期間に開設されているオープンカフェを見つける。幸運にもワンテーブル空いたばかりだった。
「ふふっ。喉がからからだったの。やっぱり、この熱気のせいかしら」
 下を湿らす程度にアイスティーを含み、安堵の表情を浮かべたクレアが言った。
「バルカの夏は蒸し暑くなるわ。無理もないわね」
 北都ノルゼンとの月交易が夏の期間得に盛んになる理由もわかる。製氷産業がクジラやタラなどの交易を上回ることなど極めて珍しい。
「ところでヒルダ。あんなところで何をしていたんだ」
 ヴェイグがそう訊ねると、ヒルダの顔色がさっと変わる。
「え。な、何って……その――――」
「ティトレイの話だと、お前が誘いを断ったから、ミリッツァと出かけたと。それなのに、お前がいる――――。偶然とは、思えないが」
「…………」
 黙り込むヒルダ。ヴェイグが更に言葉を繋げようとしたその時、クレアが徐にヴェイグの服の袖をきゅっと摘む。
「ヴェイグ。それ以上は野暮って言うの。……ごめんなさい、ヒルダさん――――」
「ううん……いいのよ。……ふぅ――――」
 繕った微笑みを浮かべながら、少し斜を向き、切なげなため息を漏らすヒルダ。その美貌に憂色を加えると、さすがのヴェイグすらもどきりとさせられる。
「あいつ……変わらないわよね――――」
 不意に呟くその言葉に、ヴェイグとクレアは一瞬、瞳を合わせ、再び何かに悩む表情の友を見る。
「ヒルダ。何か悩み事があるなら、言って欲しい。ティトレイじゃないが、気が楽になると思う」
「う…………ん――――」
「?」
 心ここにあらずと言う感じか。殆ど目減りしないヒルダのティーグラスの氷が消えかかっていた。