第7章 戦友との再会

 ユージーンとマオが城下にくり出した時はその日の祭典の賑やかさも下火になりかけていた。道行く人々は多くが帰路についている。
「あぁ。ヴェイグたちも、もう宿に帰っちゃったかな」
「街を捜すよりも、その方が早いかも知れないな。行ってみるか、マオ」
「もっちろん!」
 握り拳に親指を突き立てるマオ得意のポーズを向けてから、二人はバルカ最大の宿・カレギアの栄光へと向かった。
 しかし……。
「いないね――――」
 バルカへの客で、そこは文字通り埋め尽くされていた。やっとその渦中に入るも、マオの顔は人々の身体に押しつぶされたり引っ張られたりしている。紅い髪の毛が寝癖が立った時のように、いや、それ以上にすごい状況になってしまっていた。
「これでは、ヴェイグもここには泊まれないだろう」
 ユージーンが両手を組み、困ったように唸っている。
「っていうか、ユージーン……?」
 マオは声のトーンを伸ばし、半分瞼を下げてユージーンを睨んでいた。
「何だ、マオ」
「ユージーンの力で、何とでもなったと思うんですけど……」
 するとユージーンは軽く笑うと、事も無げに答えた。
「職権濫用はしないぞ」
(うわー……ボクはただ、バルカにいるならいつでも予約してあげられるんじゃないって言ったつもりだったのに……何を考えてるの、ユージーン……)
「困ったな。もしかすると、バルカ港に引き返したのかも知れん」
「ちょ、ちょっと今から港へはかなりキツイんですけど――――。その前に捜そうヨ」
「おお、そうだな。その通りだ」
 マオの言葉に、ユージーンは苦笑し、頭を掻いた。

「あ、意外とあっさり見つかっちゃった。なんてネ」
 一発目、東区への通りに向かった二人は、すぐに彼らを発見してしまっていた。
「みんな目立つ格好で、捜すのが本当に楽だよネ」
「はははっ。何かそれは言って良いことなのか迷うところだな」
 ユージーンが頷きながら苦笑している。
「て、言うか、街を捜そうとしないで、真っ先に港へ行こうなんてユージーンって、すごくせっかちな所あるよネ。普段はすごくガッシリ構えているのにさ」
「あまり言うなマオ。木折だと見られてしまう」
「大丈夫だヨ。アニーは全て解ってるからサ」
「なぜそこでアニーが出てくる、マオ」
 妙齢の愛娘の名前をうっかりと出してしまった男を睨みつけるように瞳孔を細め、睨視するユージーン。
「言葉どおりだヨ。あははっ。ホラ、こうしてないで、早く合流しようヨ、ユージーン」
 ユージーンの腕を引っ張るマオ。ユージーンは呆れたようにため息をつくと、マオの導きに従った。

「……って、みんな押しかけられても……」
 東区のヒルダとミリッツァの家に、ぞろぞろと戦友の列。ドアの横で立ち、客を迎え入れるヒルダのこめかみに、微妙に立つ十字路。そして、最後に入りかけた男の頭をむんずと捕まえる。
「何でアンタまでいるわけ」
「べ、別にいーじゃねーかー。せっかくの再会なんだしよ」
 眼が泳ぎまくるティトレイ・クロウ。
「再会は良いし、夕食も結構。平旦まで飲み明かすのも一向に構わないわ……。で、聞いたんだけど……宿を引き払ったのは何故? 三十字以内で分かり易く説明してくれるかしら?」
 美しい眉を逆立て、一気に捲し立てるヒルダ。
「おいおい。どっかのセンセーみてえな事言うなよヒルダ」
「んん?」
 目が怒っていた。真剣に怒っていた。ティトレイはがっとヒルダの腕を掴み頭から外す。そして、それをゆっくりと包み込むようにして、ヒルダのしなやかな掌を包んだ。タロットカードを巧みに捌くものとは思えないほど、ひやりとして滑らかな女性特有の感触がティトレイを捉える。
「な……何を――――」
 愕然となり思わず頬が赤くなるヒルダ。ティトレイは瞼を閉じ、すうっと深く息を吸い込むと、ゆっくりと開き、真っ直ぐにヒルダの瞳を捉えた。

 ――――お前のことが気になったから。
 そばにいたかった。ただそれだけ。

「え……っ!」
 一瞬、ヒルダは、自分の胸の鼓動が激しく高揚し、意識が麻痺してしまうかと思うほどに動揺したのを実感した。
「ば、ばかじゃないの……アンタ……。や、揶揄するのは……やめてよ……私は……」
 見つめられたヒルダがわざと口を尖らし、悪態をつき、そっぽを向く。それでも、僅かに空いた間が、得も言われぬ甘い雰囲気を、一気に醸し出す……はずだった。しかし。
「どうよ。きっかり三十字だろ。ああ、モチロン句読点も一字に入るぜーヒルダ」
 快笑していた。全く嫌味のない、ティトレイらしい爽やかな笑顔。しかし……それは時と場合によっては何とも残酷な色に変わる。そう、本人がそれに全く気がついていなくてもだ。
「…………ッ!」
 空気が一挙に、ノースタリア雪原の極地並に冷え切る。笑いが引いた。それはまるで津波の前兆のよう。再びヒルダを見つめた時、ティトレイが見たのは、般若のような形相に大粒の涙を浮かべ、顔を真っ赤にし、唇を強く噛んだハーフの美女。
 ティトレイの手を力のままに振り解いた途端、容赦なくその胸板を叩きつけ、踵を返してさっさと家の中に入ってしまった。
「ってぇな、何だよヒルダ! そっちが訊いたから答えたんじゃねえか。まったく、訳わかんねーよ」
 仰け反り、危うく倒れかかるのを必至で堪え、二、三歩後退る。そして、憮然とした様子で扉をくぐり、ドアを閉める。
「ティトレイ」
 傍らには卑猥……というには語弊があるがそれに近い笑みを浮かべたマオの姿があった。
「おう、マオ。元気そうで何よりだ」
 ぱんぱんと少年の華奢な肩を軽く撲ち、改めて挨拶するティトレイ。
「元気なのはお互い様。そうだ! ねえ、ティトレイ。再会記念にひとつ、簡単なクイズしない?」
 ぐいと身を乗り出し、ウインクするマオ。
「何だよ、いきなり。お前もセンセー気取りか」
 何故か、微妙に身を退くティトレイ。マオは瞳を揺らし、忙しく思いを巡らせ、徐に口を開く。
「えっとね……ヴェイグにはありすぎて、ティトレイにはちょっとなさすぎるものって、何でしょう?」
「はぁ?」
 眉を顰めて唖然とするティトレイ。
「ヒントは、『たった今!』。さあ、制限時間は無制限!」
 マオの無邪気な笑顔に見とれている暇もなく、ティトレイは答えを迫られる。一分も経たずしてティトレイの口が開く。
「降参。わからねえよ」
 するとマオは、器用にも笑顔のまま呆れたようにため息をつく。そして、そのままの表情でティトレイの肩に力なく掌を当てて項垂れる。

「答えは――――デ・リ・カ・シ・ィ」

 マオは声を殺しつつも一語ずつ人差し指でティトレイの胸元を突き、最後に一回、強く華奢な拳を打ちつけると、さっさと奥に歩み去ってしまった。
(何で。何で俺、ヒルダとマオに叩かれなきゃならねえんだ?)
 ティトレイは反駁するきっかけすら得られず、いきなり凹んだように肩を落とし、仲間の輪の中に融けていった
「マオ。今、俺の名前を言っていなかったか……」
「何言ってるの。ヴェイグはもう――――あははは……そう……」
「こんにちは、マオ。あら。うふふ、ずいぶん見違えたわ――――」
 そしてそれは結局、ヴェイグやクレアとの会話の中で有耶無耶となってしまった。

 クレア・アニー、ヒルダ、ティトレイと厨房に並び立つ。磨かれた料理の腕前はそう簡単に廃れるものではない……というのがティトレイの主張。
「私はやはり……退いた方がいい」
「意外だな。君がイモの皮むきが苦手だなんて」
「いつもはヒルダや、他の友に手伝ってもらっている……」
 ジャガ芋の皮むきを必至でしようとするが、岩のようにゴツゴツとなってしまい、終いには豆粒のような大きさになってしまう。ミリッツァはそれでも、与えられた仕事を懸命にこなそうとする。
「あははは。ジャガ芋の皮むきこそ料理の基本。料理の腕が素晴らしいとは言っても、基礎の一つが欠けていちゃあ、いつか築いたものは崩れちまう。よしっ! ……いいかいミリッツァ、まずは持ち方はこう……」
 そう言って、ティトレイは躊躇いもなくミリッツァの手を取る。思わず身体をぴくりとさせるミリッツァ。頬にあからさまに朱が走り、男性特有のにおいが、強く不器用で無垢なハーフの彼女の鼻を刺激する。
「……って、聞いてるかー。ミリッツァー?」
「え……あ。あ、ああ。聞いている。す、すまない……」
「だからな。これをこう持って――――」
 その様子を固まったように見ている、黒髪麗しい美女の様子を、アニーとクレアは狐に小豆飯と言うような感じで見守っている。
「わ。ヒルダさん、眼に炎が見えます」
 とアニー。するとクレア、焜炉に掛けられた鍋を一瞥して曰く
「焜炉の炎が鍋に!」
「ウソ! まさかヒルダさんの眼に見える炎って……」
「本物だわ、きゃあ!」
 騒動はまるで、文字通り対岸の火事。アニー・クレア、ヴェイグらが元凶を鎮める。
「……退場。退場だヒルダ。ここはクレアに任せろ」
 ヴェイグがヒルダの視界を塞ぐように立つ。
「何故? 完成までもうちょっとよ」
 恨みたらたらとばかりにヴェイグを睨むヒルダ。
「……この辺りが灰燼となる前に、一旦、退却だ」
「カイジン……って、何よ?」
「あー、ボクさ、ヒルダの話、じっくりゆっくり聞きたいな。ぜひ、フセイなボクにごきょーじゅを」
「不才……ご教示」
 すかさず訂正す。さすがはヒルダ・ランブリング。いつでも沈着を忘れない。

 ちょっとした騒動を越えて出来上がった食卓。バルカ洋沖で水揚げされたばかりの白キスと小海老のスカペーチェ、サザエと新じゃがの香りバター焼き、アスパラガスとフルーツトマトのサラダカプレーゼ、穴子の白焼きとモルタデッラのピザにパスタ。何とこの季節に味噌おでんまでと来たものだ。
「では、改めて友の再会に――――ユージーン」
 ヒルダの振りに応え、最年長のユージーンが乾杯の音頭を取る。
「あー……では僭越ではあるが、私ユージーン・ガラルドはそもそも――――」
「ユージーン、手短でイイからネ」
 素早いマオの突っ込み。ユージーンの場合、こういう場では、放っておけばいつまでも喋り続けていきそうなタイプかも知れない。
「おお、そうか。……では乾杯!」
「うわ、今度はいきなりなんですけど」
 マオの声も掻き消され、乾杯の声が響く。
 余計な言葉など必要がなかったのかも知れない。戦友たちはまるで昨日別れたばかりの友同士のように、当たり前に自然に打ち解け合う。
「ク、クレア……。あまり見られると、食べにくい」
 ハムを五,六枚フォークに突き刺したヴェイグがクレアに見つめられ固まっている。
 ヴェイグとてたまには美食にがっつきたい。旅中、そうそうたる料理の名手が誂えた、パーティ料理なのだ。健康たる男子たるもの、その食欲こそ当たり前。
「そう? でも私、ヴェイグが何かを食べる時の表情、とっても好きなのに」
 そんな言葉に、ヴェイグは止まった。
「まさか……今までずっと、見てたのか」
「あ――――もしかして……だめ?」
 口にしてクレアはあっとなった。意識をしてしまった以上、ヴェイグの表情は自然に還らない。クレアは失言を少し悔いたかのように、口の端に苦笑を湛えていた。
「残念ね。くすっ。でも、忘れた頃にこっそり眺めているかも」
「クレア……それだけは勘弁してくれ――――」
 力なく、項垂れるヴェイグ。正直、飲み慣れない酒もごまかしになる。
「ティトレイ、クレアがお前の舟盛が食べたいと言っていたぞ」
「おお! そうなのか。いやーウレシイね」
「もうヴェイグったら、まるで私、すごく食いしん坊みたいじゃない」
 可愛らしく頬を膨らませるクレア。
「そ、そうだったか……すまない」
「あははは。まあ、今日は食材が調達できなかったけど、今度は腕によりをかけて舟盛を作るぜ、待っててな!」
 腕まくりをしてみせるティトレイ。
「ふふっ。楽しみにしています、ティトレイさん」
「ふぅ――――美味い」
 スールズで過ごしていた時よりも、はるかに酒量はかさんでいた。普段は飄々としているヴェイグの瞳に、力みを感じない。
 ヴェイグ・リュングベルという漢は、快楽に陥るような凡人ではない。一途に物事を思い、無欲ゆえに、時として死をも躊躇わないほどの気迫を持つ。
 思念の権化・ユリスを討ち滅ぼしたのは、ただ剣や魔術、想いの相乗だけではない気がしていた。正直、ヴェイグ自身、ユリスを斬ることが出来た本当の理由を、まだ知り得てはいなかったのかも知れない。

「ねえユージーン。……どうしよう?」
 マオが声を潜めて、ユージーンの耳元に囁く。
「ん?」
「ヴェイグたちに、話してみたらどうかな」
「…………」
 ユージーンは唸った。
「皆、謝肉祭を楽しむために呼んだのだ。今この場で、無粋な話を持ち出すことは出来ないだろう」
「んー……でも、何か良いアドバイスが聞けるかも知れないヨ?」
「それはそうかも知れんが――――」
 場は盛り上がっている。しかし、中将軍として国政に与っている立場と、世界滅亡の危機を共に戦い救ってきた、いち武人としての立場の間で、ユージーンは逡巡していた。
 そんな彼の様子を気づいてか、ヒルダがグラスを手に取りながら、ゆっくりと近づいてくる。
「ユージーン。どうしたの、『中将軍』殿の顔をしているわ」
「ヒルダ……。いやいや――――」
 ヒルダは徐にグラスを差し出す。
「桜桃のワインよ。キョグエン原産。……お口に合うかしら――――?」
 一瞬、ユージーンはドキリとした。ヒルダはまるで見透かしているかのように眼を細めている。
「むう……」
 ユージーンは一口に注がれたワインを飲み干すと、グラスをヒルダに差し出す。
「いただくわ」
 返杯を受けるヒルダ。果実酒をこよなく嗜むヒルダは、葡萄酒に加えてこの桜桃のワインにはまっている様だった。
「ユージーン。あなたは私たちの友人である前に、この国を導く顕官に与っている。私もあなたの恩恵を受けているわ。力になるわよ」
 するとそこへ、ミリッツァがやって来た。
「中将軍。私も中将軍から受けたご恩は限りなく……。公安府の一員として、死をも厭いません」
 ミリッツァの表情が一転、凛々しくなっていた。
 それを聞いたユージーンは、ミリッツァに向かって掌を翳す。
「死という言葉を使うなミリッツァ。何事も命より重い使命などと言うものはない。覚えておくことだ」
「は、はい……!」
 ユージーンは優しく微笑み、ミリッツァに杯を渡した。そして、マオを一瞥する。マオは小さく頷いた。ユージーンも、頷き返した。
「東都・キョグエンのことなのだが――――」
 ユージーンが一言そう呟くと、すかさずヒルダが言う。
「やはり。先日の時読みで、“東に鬼気あり”と出ていたのが気になっていたわ。……もしかして、キョグエンに騒動でも――――」
 さすがは当代屈指の占術師とばかりに感歎するユージーンとマオ。そして、二人が目を合わせ、困ったようにため息をつき、言った。
「向侯ではなく、戀姉妹のようなのだ――――」
 すると、ミリッツァが愕然とした様子で目を瞠る。
「戀姉妹――――まさか、戀唱・戀叶のことでしょうか、中将軍」
「そのようだな」
「あのトーマのことを……。これは――――」
 ミリッツァが言いかけた時だった。
「お前ら、なあにコソコソ話してんだー?」
 ティトレイの明るい声が、そこはかとなく重い緊張感で包まれかけていた一角をほぐす。
 ユージーンたちが振り向くと、ティトレイ・ヴェイグ・クレア・アニーが興味津々とばかりに視線を一斉にそこへ向けていた。
「……ユージーン。俺たちは、今でも仲間だ。そうだろう」
 ヴェイグの言葉に続いて、クレアが言う。
「ヴェイグも私も、謝肉祭を楽しむことよりも、ユージーンさんやヒルダさんたちに会えることを楽しみにしてきたの。もちろん、嬉しいことも、悲しいことも、全部ひっくるめて、お話をしに……。ね、ヴェイグ」
「ああ、クレアの言う通りだ」
 するとアニーは何処かわざとらしくヴェイグとクレアの間に割り込むように身を乗り出し、ユージーンを睨みつける。
「何か、シリアスっぽいですね、中将軍“閣下”――――? 私も、一応ですが、“保健省”所属の医官ですから、お忘れな・く!」
 ユージーンは苦笑し、一筋の脂汗を垂らした。
「マオ。どうやら私は、皆を見誤っていたようだ」
 するとマオが満面の笑顔を浮かべ、得意のポーズをする。
「いいのいいの! それがユージーンっぽくて最高だヨ。なんてネ」
 笑い声が包み込む。

 賑やかな食卓を整え、戦友たちはそれぞれ席について、ユージーンの話に耳を傾ける。
 マオが見聞した東都の対立のこと。領主・向侯のこと、東都の名士・戀氏一族のこと。大将軍として、ミルハウストが成すべきこと、自分たちに出来ることは何か……。
「向侯さんはともかく、そのレン…一族ってのは初耳だな――――」
 ティトレイが首を傾げる。
「戀景とその娘・戀詩瑠と戀祥河は王斤のためにずっと軟禁状態にされていたようなものだった。我々があの旅でキョグエンを訪れても、会うことも叶わなかっただろう」
 ユージーンの話にヴェイグがようやく口を開く。
「そんなに凄いのか。戀唱というのは」
 するとミリッツァが答える。
「昔、トーマがキョグエンを威圧するために向かった時に、戀姉妹の美貌の噂を聞き、力ずくでものにしようとしたことがあった。……しかし、途中で戀叶が仕掛けた陥穽の計略に嵌り、戀唱のために重傷を負ったことがあるのだ」
「何だと――――あのトーマを……?」
 ヴェイグが思わず肩を竦めた。
「王の盾がキョグエンを忌避した理由はそこにある。……まさか精鋭である四星の一人が、無名に近い女二人に完膚無き目に遭わされたと知れれば、威信に関わるからな」
「戀唱の腕前は」
 するとユージーン。
「弓を使えば、百歩離れて散る紅葉を貫き、武器は剣・槍・杖・鞭などを得手とし、百般に精通していると聞く」
「ユージーンやミルハウストと較べては」
「ミルハウストとも互角に……いやもしかすればミルハウスト以上に渡り合えるともっぱらの評判だ。私など、足元にも及ばない」
 ユージーンは謙遜だとは言え、ヴェイグの背筋に冷たいものが走った。
「ひゃあ。そんなすごい女、きっとごついんだろうなあ」
 ティトレイが表情を顰める。横目で睨みつけ、ふんと鼻を鳴らすヒルダ。
「いや。それがもっぱら見目麗しいそうだ。麗愍女王、或いはクレアさんやヒルダにも劣らぬほどと聞く」
「まあ、くすっ」
 微笑むクレア。頬を染めて斜に向くヒルダ。
(私の名前が出ない……ちょっとだけ複雑……)
「うーん……会ってみたいような、見たくないような……」
「ティトレイ、何故お前がそんなに悩む」
「え……あ、いや別に、悩んでなんかいないって」
 ヴェイグの突っ込みに、ティトレイは思わず笑って誤魔化す。
「そうね。ティトレイに行ってもらえばいいわ」
 唐突にヒルダが刺々しく言う。
「ヒルダ――――」
 ティトレイを睨みつけ、ヒルダが指を突き立てながら怒鳴る。
「アンタの流暢な弁舌ならば、きっと戀姉妹も絆されて向侯と和睦すると思うけど」
「………おいおい」
 ティトレイが苦笑しながら呆れたようにため息をつくと、ヒルダは一瞬、いきり立ちかけた。
「どうしたの、ヒルダさん」
 クレアの声が、止めていた。ヒルダはらしくない苛立ちに戸惑いながらも、不思議なほどにクレアの声で、極度の怒気は消えていた。
「ゴメン、クレア……。……ふんっ」
 クレアに謝り、ティトレイを一瞥して鼻を鳴らすと、再び斜に向く。
「……まあ、ティトレイはともかく、東都には一度、政府としても特使としてゆかなければならないだろう。差し迫った事態であれば、大仕事にも成りかねない」
「ユージーン。ひとつ訊いてもいいか」
 ヴェイグの瞳は真剣だった。ユージーンが頷く。
「向侯はヒューマ。戀一族はガジュマ。その対立は……やはり……」
 するとユージーンは一度瞳を閉じて小さく唸った。やがて再び瞳を開き、小さく首を横に振る。そして、マオに視線を送る。視線を受けたマオが頷き、素の表情でヴェイグを見つめた。
「ヒューマもガジュマも関係ないみたいだヨ。……なんて言うかなあ……良くわかんないケド、そんなみみっちい問題じゃないっぽい」
「み……みみっちい……?」
 ヴェイグが反芻する。ユージーンが頷いた。
「もしかすれば国難だが、ある意味では、ヒューマ・ガジュマという枠を乗り越えて始まる、人としての新たな関係の中での、最初の難所……なのかも知れん」
 ユージーンの言葉に、皆声を呑み込んだ。

 パーティを終え、ユージーンとマオは庁舎への帰路につくことになった。
「……みみっちぃ……」
「もうヴェイグったら、まだ言ってるの?」
 クレアが呆れ気味にヴェイグを止める。
「ヴェイグとクレアは家に泊まっていいわよ」
 ヒルダがにこやかにヴェイグとクレアを見る。
「すまない、ヒルダ」
「ご迷惑をお掛けします」
「水臭いこと言わない。自分家だと思って良いから。ま、クレアの家ほど温かみはないけどね」
「あの――――」
 機嫌の良さの隙をついて僥倖を狙う男が一人。
「アンタはだめ!」
 間髪入れなかった。
「そ、そんなつれない事を……ヒルダ姉さん――――」
「うるさい」
 美しい黒髪をふわりと靡かせてティトレイに背を向けるヒルダ。遂に泣き顔。自業自得とはいえ、仲間の家の前で野宿……切ない。
「あははははっ。ティトレイ、ボクのところに泊めてあげるからサ」
 マオが言う。ユージーンも大笑しながらティトレイの肩を叩く。
「この際、贅沢は言えないようだなティトレイ。素直に庁舎に来い。麺麭と茶くらいは出すぞ」
「がくり……」
 肩を落とし、男二人に支えられて虚しくティトレイはヒルダの家を後にしたのであった。