第1章 旅立ちの夜 ~noticed love to you~


 イセリアの夜空は、もう二年にもなるあの厄災の日と変わらない星屑を(ちりば)めていた。
 ディ・ザイアンの凶刃に破壊し尽くされし神託の村も、ユグドラシルの野望瓦解の後、村人たちの挙党一致の復興事業が活性化し、かつての平穏で純粋に民が信奉する神を祈り、畠を耕し、狩に出で立ち、時折訪れる行商のキャラバンを受け入れ活気づく年一の収穫祭に踊る、在りし時のイセリアの姿を取り戻すのに、そう遠くかかることはないだろうと、誰もが確信していた。
 ロイド・アーヴィング。町外れの街道沿いに立てられている物見櫓(ものみやぐら)に登り、遙かなる星を真っ直ぐに見つめていた。
 先日、育ての父・ドワーフのダイクに二度目の別れを告げたばかり。
 ユグドラシルらクルシスの野望で犠牲となった、エクスフィアを追弔(ついちょう)する意味での新たなる旅立ちを決意した彼は、おそらく二度とこの故郷に戻ることはないという思いに、今複雑な心持ちに揺れていた。
 『世界再生の神子』として身を捨つる覚悟で旅立った、幼なじみの少女・コレットをただ『守りたい』一心で、彼女に襲う度重なる苦難・試練を守り抜き、途方もない戦いと、語りきれない思いと共に“守り抜いた”。数えきれぬほどの出会いと別れ。かけがえのない仲間(とも)。そして、今は遠ざかるデュリス・カーラーンと共に行く、実の父クラトス。
 ロイドは愛おしそうに、星空を見上げていた。普段あまり親しまない星空。恩師であり、かけがえのない仲間であるリフィルから、かつて強引に叩き込まれた天文学も、形を変えて好きになれそうな気がしていた。
「…………」
 静かな夜だ。ついこの間までは剣戈と法術さんざめく戦いの最中にあった世界とは思えない。マナ壊滅の危地にあったシルヴァラント。イセリアのように明るい未来が開け始めた場所ばかりではない。世界の真の復興。
 今まで以上に過酷であろう、大きな旅の意を安んじるような夜の静寂(しじま)だった。

 ……タッタッタッタ……

 澄んだ夜気に軽く儚げな足音が次第に大きくなって行く。

 ……タッタッタッタ……ポテッ……

 躓いた。
「……」思わず瞼を潜めてしまうロイド。
「あ――――こんなところにいたっ☆」
 どんな緊張した雰囲気も一気にくだけてしまう妙な抑揚を持つ澄んだ声が響いた。
「……あはは」
 ロイドが大地を見下ろすと、土埃(つちぼこり)が付着した衣服をぱんぱんとほろいながら、腰の下まで伸びた美事なまでの真っ直ぐなプラティナ・ブロンドの髪を微風に靡かせた美少女が、あどけなさを失わない澄んだ笑顔を、櫓上(ろじょう)のロイドに向けていた。
「冷えてきたよ、だいじょうぶ?」
「ああ、平気。……ちょっとさ、(そら)、きれいだったから……」
 ロイドが答えると、少女は屈託(くったく)無く微笑む。
「……ねえロイド。私もそっち、行ってもいいかな」
「え……ああ。良いけどさ……コレット、お前……」
 ロイドが苦笑いを浮かべながらコレットを見下ろす。
「……落ちるなよ」
 するとコレットは、暗くてもわかるほどに顔を赤らめて頬を膨らませる。
「へ、平気だよ――――!」
 と、半ば自棄(やけ)気味に梯子(はしご)を伝い登るコレット。後、三,四段で登り切るかと思った時だった。
「あっ…………」
 ブーツが滑った。自信に満ちた言葉とは何とも信用できないのだろう。この高さからすれば、さすがの彼女も尻餅程度ではすまないはず……。

 ぐいっ……!

 落ちなかった。
 ロイドの手が素早くコレットの腕を掴み、顔面に血を上らせて歯を食いしばりながら、彼女を引き上げた。
「ふぅ……あはは、あぶなかったねぇ――――」
「…………」
 しっかりとロイドの腕にしがみつき、彼の傍らに腰を下ろしたコレットが無邪気にそう言いながら、わずかに舌を覗かせる。呆れたロイドはもう慣れ親しんだか、言葉も出ない。
「ホント……ロイド、(たくま)しくなったよね……」
 不意に、コレットがそう呟く。
「……? 何だよ、いきなり」
 ロイドは思わず瞠目(どうもく)し、コレットを見る。
「私のこと、持ち上げてくれたよ――――」
 (こわ)れてしまいそうなほどにか細い声でそう呟き、微笑むコレット。
「ロイドの腕――――強くて……、あったかくて……とても安心できるんだ――――」
「……ああ」
 良く考えてみれば、無意識だったとはいえ、コレットを抱きかかえるなんて事は今日までの記憶には(かす)む。改めてこの少女から告げられると、何となく意識をしてしまう。
「…………」
 再び、何げに空を見つめ続けるロイド。その横顔に、コレットの小さな胸中に、ちくりと細微な(とげ)が刺さったような痛みが走る。
「きれいな星だね――――」
「ん――――そう思うだろ? まるで、今までのことが嘘みたいな気さえしてくるよ」
「あはは。私はさすがにそれはないけど……」
 笑い合う二人。
「クラトスさんのこと……本当に、ロイドは……」
 間が空くのを躊躇(ためら)ったコレットが思わず口に出した言葉。
「ああ。……正直言うとさ、ちょっと悲しいけど……生きてさえいてくれれば、また巡り合える可能性がない訳じゃないだろ? 俺はそれで良いよ」
「……ごめんね。何か、また当たり前のこと訊いちゃった……」
 わかっている答え。自分自身を勇気づける勇敢な幼なじみの少年を、コレットは眩しく感じていた。
「こらっ!」
「きゃっ」
 突然、ロイドがコレットの頭を掴み、繊細な髪をくしゃくしゃにした。驚きに思わず素っ頓狂な声を上げてしまうコレット。
「あやまりぐせ……叩き直してやる!」
「そんな……無理だよお」
 なまじ寝相最悪の長髪人間の寝癖以上に尋常ではなくなってしまった髪の毛にあたふたしながら、コレットは涙目を浮かべていた。
「あーん……ひどいよロイド――――」
 数多くの危難を受け、心にも決して浅からぬ傷を負っただろうこのか弱き少女の強さは、四界転覆の狂気に打ち克った。
 それでも、ロイドが知るコレットらしさを、彼女は失わなかった。今、ロイドに弄ばれる彼女の表情・仕草だけを見れば、今は懐かしささえ感じる、あの旅立ち前の此処イセリアの日々を得る。
「ん……? どうしたの?」
 ロイドにじっと見つめられ、コレットはどきっとなった。次の瞬間、その華奢な体躯は逞しい少年の胸に包まれていた。
「あ……え……、あ……あの……!?」
 瞬間に、コレットの思考が止まった。ロイドはただぎゅっと彼女の背中に腕をまわしているだけで、ただ抱きしめているという感じだ。
「ろろろろ……ろ、イド……??」
 真っ赤に紅潮する顔面。普段本当に悲しくなるほどに白い肌だから余計紅く見える。

「俺は……お前のことを離さない――――」

「…………え…………?」

 コレットの心臓が、どくんと大きく昂鳴(たかな)った。
「もう……俺の側から離れるな……コレット」

「……ロイド……? ……うん……」

 その言葉が意味するもの。少なくともコレットにとっては、至上に匹敵するものがあった。無器用に“抱きしめる”ロイドの腕に幸福を感じる。
「く……くるしい……」
 ひたりつづければ幸福死してしまう。
「あ、ご、ごめん……」
 ロイドは慌てて彼女を解き放った。
 微笑みながらひとつ深呼吸するコレット。
「ふぅ……ありがと、ロイド」
 再び、ロイドのそばに寄りそうように座る。
「あ――――そんなことよりお前、何か用があったんだろ?」
 ロイドの問いかけに、コレットは刹那、思考を駆けめぐらし、思い出したように声を上げる。吹き出しに電球が見えた。
「リフィル先生とジーニアスも一緒に行くって!」
 嬉々としてそう告げる。驚くロイド。
「一緒に……って。でも先生たちは――――」
 嬉しいが、それぞれに二度目の旅立ちは目的が違う。かつてのように、いつまでも共にいられる共通の目標はない。
「急ぐ旅じゃないし、それに、しいなやリーガルさんにも会いたいから……って」
 シルヴァラントとテセアラ。いずれは別れるだろう二つの世界。せめて行き交える時くらい、仲間の絆を求めても良いじゃないか。
 それはロイドも心の裡で強く思っていたことだった。
「また、一緒に旅が出来るね……」
 明確な別れを知る、新たなる旅立ち。でも、そんな旅だからこそ、一秒一秒の時を、仲間のひとつひとつの言葉を大切にしてゆきたいと思えるのかも知れない。
 どんなものにもかけがえの出来ない絆。そして気づかなかった心。
 共に見上げる夜空に馳せる想い。それは、ロイドが目指す、エクスフィアを求める旅の成功などではなく、ただ隣に寄りそう、自分を守り抜いた少年剣士への恋心の成就だったのかも知れない。そして今までの過酷な戦いの旅以上に辛い、自分の想いとの戦いを、未だ若いコレットもロイドも知る由がなかった。