第2章 動き始める想い ~Unrequited love to collect~


 イセリアの人々はロイドたちを暖かく送り出してくれた。誰もが二度と()えぬ悲しみを口にしようとはせず、再会への希望に満ちた笑顔を向けてくれたのだ。
「この街は、もう大丈夫よ」
 リフィルはそう確信するように呟いた。彼女もまた、あの戦いでロイドたちの深い信愛に絆され、強くなった仲間のひとり。
 ハーフ・エルフという“狭間の種族”の束縛を克服しかけているのも、真の意味で世界再生の片鱗であると、彼女自身痛感していたのだ。
 何よりも考古に秀でた博学の士なのではなく、だからこそ、自らが種族安寧の大地を求める旅立ちを選んだ。
 彼女の厳しくも優しく、そして何よりも(あつ)薫陶(くんとう)を受けた、前途洋々たる若者を始めとして、誰もがリフィル師の第二の故郷を発つ決意を(よろこ)び、幸先を願ったのだ。
「うん……また、ロイドと一緒にいられるんだね――――」
 大好きな親友との再びの旅。それに寄せる心の底からの喜びも、どこか(かげ)る美しいライトシルヴァーの髪を湛える少年。
 (よわい)十二にて、その英知当代随一と評されることしばしば、才気煥発(さいきかんぱつ)で名を通し、時に政府高官をもその饒舌(じょうぜつ)に論破するとされた少年術士・ジーニアス=セイジ。
 リフィルの実弟としてその名を辱めることなく、英才を輩出するセイジ家の後継者として期待を得ていただろう。
 だが、少年は『名誉』や、組み敷かれたレールを辿(たど)る生き方よりも、ロイドというかけがえのない親友と共に、本当の自分らしさを求める道を選び、共にイセリアを発った。
 今から振り返れば、その選択が正しかったと、胸を張って自慢できる。
 だが、少年は常に身を潰すような重圧に耐え抜いてきた。ロイドや、彼の仲間たちがいなければと、想像もしたくないような悲しみを、この脆く澄んだ硝子の心を打ち砕いていただろう。ユグドラシルの野望が潰えた後も、ジーニアスの心には、自らの境遇が深く、完全に消し得ぬ程の影を落としていた。
「当たり前だろ、ジーニアス……、お前は俺の親友だって。いつでもな」
 あの戦いの旅の中で、ロイドはこの友に、この言葉を何度言っただろう。
 ありふれた言葉。それが、この孤独な少年……いや、姉弟にとって千金に勝る勇気をくれていたのだ。
「うん……そうだよね。よろしくね、ロイド」
 ジーニアスの笑顔はいつでも純粋さを失わない。だが、今日の彼は、いささか違和感があった。最愛の弟を気遣っていたリフィルが、何となく察知していた。
「ロイド、今日中には救いの小屋まで辿り着けるかしら?」
「え……はい」
 首を傾げるロイド。リフィルはふうとため息をつくと、弟とロイド、そして旅立ちに浮かれ気味に笑顔あふれるコレットをゆっくりと交互に見回してから、ロイドに視線を戻して言った。
「ロイド、あなたには今日から『戦記』の草案を手伝ってもらいます」
「…………は?」
 呆気に取られるロイド。
「ミトスとの戦い、そして今日から始まるこの旅の記事を、後世に伝え残すための歴史書の編纂(へんさん)です。ジーニアスとともに、草稿を書き綴りなさい」
 毅然とした突然のリフィルの言葉に、ロイドは不用意とばかりに反論の島もなかった。
「ジーニアスもいいわね? しばらくの間、ロイドと一緒に寝ることになるけど」
「うん……うれしい……かな?」
 躊躇い気味にロイドに眼差しを向けながら苦笑するジーニアス。
「こ、こんな時まで宿題かよぉぅ……」
 ロイドの脳裏には、昔夏休みの宿題提出を一日遅らせてしまった時の、あのリフィル先生の形相を忘れたくても忘れられぬ、「トラウマ」が植え付けられていた。
 美人は怒ると何とやら……。かつてゼロスが妙に真剣に語ったときの言葉の意味がよくわかる。
「よし。それじゃあ、今まで通り、しばらくよろしくね、コレット」
「はい♪」
 リフィル師の慈しむような笑顔は、コレットにしてみれば毎度のことだったが、ロイドにしてみれば馴染みが薄い代物。それが向けられる相手に対する、彼女なりの愛情の違いだと言わせればそれまでなのだろうが。
 二年前の世界再生と名の下の旅立ちは、決して揚々たるものではなく、死出の旅立ちと言うにはあまりにも直球過ぎる、実に悲愴感に満ちたものだった。
 それに比べて、今ロイドたちの後ろに並び歩くコレットとリフィルの笑顔は、きっと心からの笑顔に違いがないだろうと、ロイドは少年心にそう思っていた。
「そうなんですか――――あはは♪」
「あなたも大人になればわかるわよ、うふふ」
 あの旅の中で、彼女は今のようにこの晴天に吸い込まれそうなほどに玲瓏(れいろう)な笑い声を上げたことがあるだろうか。それを考えると、今でも時々胸が痛む。
「……どうしたの? ロイド」
 ジーニアスがひょいとうつむき加減のロイドの顔をのぞき込む。
「え……あ、あはは。何でもねぇよ!」
 慌てて顔を(ほころ)ばせ、語気強く返す。
「?」
 不思議そうに唇を尖らせ、首を傾げてロイドを見つめるジーニアス。意に返さず、ロイドはすたすたと歩を進めた。
「…………」
 気づかないうちにその後ろ姿を見つめていたコレットは、どこか寂しげな翳りを、そのコバルト・ブルーの瞳に滲ませていた。
(同じ……かな……)
「……え?」
 思わず口外してしまったリフィルの呟きに驚いてコレットが振り返る。
「あ、いや。こっちの話よ、はは……」
 苦笑するリフィル。どうもちぐはぐなそれぞれの思惑が行き交う中で、一行は街道途中の救いの小屋にたどり着いた。
「……ふう。やっぱり魔物は変わらず多いか……」
 手慣れた戦闘も、やはりミトス追罰後の世界にあってはいささか違和感を覚える。何となく、ロイドにとってはやりにくいものがあった。
「魔物たちも生きるために必死なのよ。だから私たちも、今まで通り、向かってくる者にだけ、鉄槌を下しましょう」
 リフィルの言葉に、ロイドも納得せざるを得ない。
「そうだよ、ロイド。がんばろ、ね?」
 コレットがそっとロイドの袖に手を添え、瞳を合わせて微笑んだ。その表情を見つめていると、ロイドはすうと気持ちが軽くなるような気がした。
「ああ。……それにしても――――」
 さすがは元天使と言いかけて言葉を呑んだ。
「なに?」
「お前っていっつも明るいよな。……そりゃ!」
 次の瞬間、凱旋後に開発したロイドの新技“髪くしゃ”攻撃が炸裂(さくれつ)した。端から見てもその美しさに目を惹くコレットの髪が見るも無惨な形に……。
「きゃっ! ……うわーん……ひ、ひどいよぉ…………」
「あーあ」
 呆れたように唸るジーニアス。
「ロイドッ、いじめちゃダメでしょ!」
 と、いつものリフィル師の怒声。
「あーん……ホコリまみれだから更にひどくなってるよ――――」
 両手で頭を抱えるようにしながら、ロイドを恨めしげに睨むコレット。相当のダメージを与えたことに満足して、ロイドはさっさと休息室へと向かっていった。
「……全く。いつまで経っても子供なんだから――――!」
 リフィルがすっかりと呆れ気味にため息をつく。
「でも……ロイドなりの照れ隠しなのかも知れないわね。許してあげたら? コレット」
「はい。わかってます。ロイドはいつでも私のこと……」
 コレットは言いかけて止まった。リフィルは間を空けずに返す。
「そうね。野暮なこと訊いたかも知れないわね。ごめんなさい」
「あ、そんな……謝らないで下さい先生。でも……でも、私、そんなロイドのことが……」
 顔を赤らめるコレット。
「うふふ。あなたの気持ち、よくわかるけど……、早くお風呂に入った方がいいかもね」
 筆舌に尽くしがたい状態の髪にリフィルは苦笑する。
「……あ……やだぁ!」
 ようやく自分の状況に気づいたコレットは、遂に顔を真っ赤にし、大慌てで旅人の浴場に駆け込んでいった。途中、ドスンバタンと言う大きな音を幾度となく聞いたと、他の旅人たちは口を揃えて言っていたという。

「…………ふぅ」
 早速、リフィル師から課せられたある意味で無謀なる重要課題に取りかかろうとしたロイドを、共同作業のパートナーである英才ジーニアス少年の怠惰的なため息が、瞬く間にやる気を損ねる。
「くぉら、ジーニアス! 何ため息なんかついてんの! こっちは色々とやる気出そうとしてんのにお前って奴は……」
 ロイドの怒声も上の空か何とやら。半分閉じかけた瞼をロイドに向けると、少年は言った。
「それって別に期限が決められている訳じゃないでしょ? だったら今日はいいじゃない。……疲れたから休もうよ」
 全くもってリフィル師が誂えた作業用具に見向きもしない。いつもの自分と逆だなどと、ロイドは自慢げに思っていた。
「……それもそうだな――――って、おいジーニアスッ、お前どうした?」
「はぁ…………別に――――何でもないよ」
 あの戦いの時から何となく気づいてはいたが、段々と“症状”が重くなっているような感じがする。
 自分を縛る血、運命……そうじゃない、もっと、自分自身を誡める、理性との戦い、耐え抜けば、永劫回帰(えいごうかいき)慚悔(ざんかい)に自我崩壊を惹起(じゃっき)することになりかねぬ、世にも恐ろしき想い。
「何、プレセアのことか?」
「かはっ! ……ごほっ、ごほっ、ぐほっ」
 愕然となり噎せるジーニアス。
「図星だな」
「ち、ち、ち、違うよっ。そうじゃないってばっ」
 声が裏返り、語気強く否定するジーニアス。意味深なため息を漏らして、ロイドが頷く。
「バーカ。お前反応分かりやすすぎ。それに、今さら隠すこともねえだろ」
「…………」
 強く反論できない。これぞいわゆる惚れた弱みとでも言うのだろうか。
「んで、単純にもう一度逢いたいと」
「…………」
 ジーニアスは(ほぞ)を曲げたように赤くなった顔に、おとがいを反らしている。
「それで、今度こそ覚悟を決めて、ちゃんと正式に想いを伝えたい――――」
 次々と的を射たロイドの推測に、次第に募るジーニアスの苛立ち。そして遂に…。
「あぁあぁ! もうロイドったら! わかってるなら訊かないでよ!」
 お約束なジーニアスの反応に、ロイドは思わず高らかに笑ってしまった。一方、からかわれた感じのジーニアスは、すっかりとふて腐れてしまった。
「んで? ……プレセアに告白して、どうするんだ?」
「…………」
 無視。ロイドは苦笑しながら言った。
「ま、お前だったら……大丈夫かな――――」
 何となく、ロイドはそう確信できた。

「…………ロイド…………」
 夢境に差し掛かる直前に、コレットはそう呟いていた。
 近くて遠い存在、遠くて届かない想い。仲間たちと過ごしてきた時間に培われてきた、信愛の種が、ゆっくりと芽生え始めるのを、一途な少年・少女は感じ始めていた。