第3章 テセアラへ… ~Another painful separation~
港町・パルマコスタが大樹暴走の地殻変動によって壊滅した後、砂漠の花トリエットには四散した旧市民の一部が難民として流れていた。
パルマコスタ壊滅を最後まで見届けた総督ニールは、瀕死の状態をユアンの部下によって救出され、シルヴァラント・ベースにて療養している。いずれ旧市民達が帰還して壊滅した街の再建に乗り出すのだと、オアシスの街に休息する人々の気勢は驚くほどに高かった。
「テセアラに行く前に、もう一度会っておいた方が良いんじゃない? ロイド」
不意に、リフィル師が声を掛けてきた。
「え? 誰に……」
「心残りは、いつでも晴らしておくべきね」
リフィルの言葉の後、ロイドがジーニアスに目配せすると、彼はわずかに瞳を伏せ気味に微笑んだ。
「カカオさんと……ショコラか――――」
この母娘とロイドとの因縁は深かった。そして、全てが清らかな水に流れたとは言えなかった。ショコラの祖母マーブルは、ロイドによって心ならずも斃れ、ショコラはクルシスの野望に巻き込まれて数奇な運命を辿り、カカオもまた、パルマコスタ壊滅の時に一命の危険にさらされた。
カカオはニール総督によって天地鳴動の大地を彷徨い、長い流浪の果てにトリエットにたどり着いていた。イセリアの人間牧場に囚らえられていたショコラは、ロイド達によって救われていたが、マーブルを巡るわだかまりは、完全に拭い切れてはいなかったのだった。
トリエットの郊外にいつしか出来ていた難民の居住地に、ロイドは足を向けていた。
「私も行くっ!」
コレットは何故か焦るように語気強くそう言い、ロイドの腕を掴んだ。
「ショコラたちに挨拶をしてくるだけだって。すぐに戻ってくるさ」
「私もショコラに挨拶しないといけないの」
コレットの頑とした意思はさしものロイドでも簡単には覆すことは出来ない。ショコラに会うだけなのにそこまで力が入る理由はわからなかったが、会いたいというのを無理に押し止めることもないだろうと、ロイドは頷いた。
難民居住地には、それでもなお、人々の活気立つ笑顔が鏤められていた。
『落ち込んでばかりじゃ、何も始まらない。出来ることは、笑うこと。笑えば、きっとそこから、小さくて大きな力が出るはず』
難民の一人が吐露したその言葉が、ロイドの胸に強く染みいっていた。
難民の仮住まいとは言え、トリエット太守ルーチェス侯の寛容な心遣いにより、多くの人々は生活に不自由はなく、住居も一般住民の暮らす石造りに遜色はない比較的立派な長屋になっていた。
教えられたカカオとショコラの住む区画。その家の前に、行商人と一般客の姿があった。
「なんだろ……」
コレットが首を傾げて訝しがる。
「行ってみるか」
ロイドとコレットはゆっくりと近づき、人だかりの間から覗いた。
「あぁ、これは……っ!」
思わず、ロイドは嬉々とした声を上げた。
「ロイド……?」
コレットはなおもわからず、憂色をたたえた蒼い瞳をロイドに向けたまま逸らさない。
「コレット、見てみなよ――――!」
ロイドの口調が何気に熱くなる。促されるままに視線を向けたコレットの目に映ったのは、整然と並べられた、緑色の硝子瓶。そして、意気揚々とそれを売り捌く、気丈な女性の姿だった。
「……わかるだろコレットッ。これは……」
コレットが答える前に、女性はロイド達に気づいたようだった。
「あなたがたはっ――――――――!」
「カカオさん――――っ!」
久方振りの再会であった。
テセアラを目指すロイドにとって、正直最も会っておきたかった一人。会うまではどこかしか気が退け、会ってしまえば、生存に心底から喜びが湧き上がる。何度ともなくくり返してきたこと。だが、いつもそれがうれしくてたまらなかった。
「良かった――――生きていてくれて。本当に――――!」
今はただ、それだけが強く心に思う。
トリエットにたどり着いた経緯は波瀾万丈と言うには物足りない。ただ、カカオは自信に満ちた笑顔を向けて言った。
「あたしの家系はパルマコスタに根付く根っからの商人さ。これくらいで、易々とは根を上げないよ」
パルマコスタワイン。父祖伝来受け継いだ製造技法は、パルマツールズ秘伝商魂と言えるのだろうか。それとも、元々商人とは杉菜の如き逞しさを秘めているのだろうか。
トリエットで生み出されるパルマコスタワインは評判は上々で、見ての通り、毎日が大盛況の様相だった。
ロイドがほっと胸を撫で下ろしたその時だった。
「お母さんっ、あれ足りないみたいっ。ベクトルさんいるかな――――」
家の中から、元気の良い少女の声が響く。ロイド達がはっと目を向けたと同時に、少女は姿を現した。
「しょうがないなぁ。私行って――――……あっ…………」
少女はロイドを見つけた瞬間、威勢を失って、にわかに俯いた。
「ショコラ――――」
ぎこちなさげに視線を交わすロイドと、一介の街の少女。意味深な無言に、コレットは『横槍』を入れる隙もないまま、否応なく不安を募らせてしまう。
「ショコラ……君と、どうしても話しておきたいことがあるんだ――――」
ロイドらしからぬ神妙な口調。
「はい――――」
コレットは必然的に待たされるように、その場から数分ほど離れたオアシス公園に歩いてゆくロイドとショコラをただ、見送るしかなかった。
トリエットのオアシスは文字通り、人々の癒しの場、とりわけパルマコスタ難民の人々にとっては、今や心の拠り所となっている。
荒涼とした砂漠の風景の中にあって、その緑色の風景がもたらす美しさは、何とも筆舌に絶えない。
ロイドは前置きなく単刀直入にショコラに旅立ちを告げた。
『気休め』が傷を残すことを知ったロイドが、隠すことなく事実を告げる。そうすることの大切さを知ったからだった。
「そうですか……行って、しまうんですね――――」
ショコラはそう漏らすと、瞳をわずかに伏せた。
「シルヴァラントには、戻るの……?」
「……わからない。はっきりしたことは、今は言えない――――」
……だから、一縷の残念を置いたままで、再び異世界へ往くことは出来なかった。
「ロイドさん。どうして、ここに? もう、私は何も恨んではいないわ――――」
カカオが囚われた時を彷彿とさせるような頑然とした眼差しを、ロイドに向けるショコラ。
「……ありがとう。気を遣ってくれたのよね……」
ふと、彼女の横顔に寂しさが趨る。
「君には、まだ正式に謝っていなかった。俺の中で――――俺自身の中で、最後のケリをつけてから、往きたかったんだ……」
「…………」
すっと、ショコラは首をずらし、ロイドの視野から容を隠した。
「今は君やカカオさんと出逢えて、本当に良かったって思えるよ……。マーブルさんのことがあったからって訳じゃなくて、今こうして、やっとみんなが……未来に向かって歩き出せるのも、きっと……マーブルさんに出会えたから……そして、君やカカオさんが、僕を戒めてくれていたからだって――――」
「……イドさんってさ……」
「…………え?」
あまりに小声なショコラの呟き。ロイドの言葉が止まる。
ショコラはゆっくり、ふうと深呼吸をすると、一度顔を上げて空を仰ぎ、ロイドに振り向いた。
「…………ロイドさんってさ、すごく、いい人なんだよねっ!」
笑うと、それこそ母親に負けぬ太陽を思わせる美しい少女に変わる。真っ白な歯を覗かせて、笑っていた。
「いい人だよ……ロイドさんは……だって…………」
しかしその笑顔はまるで秋のように澄み切った青空の中にある純な陽光。秋の移ろいやすい天象のように、突然曇る。
「……でも……やっぱり少し……許せない――――」
そう言いながら、ショコラは突然、ロイドにしがみついてきた。
「!」
愕然となるロイド。ふわりと掠める甘い髪の香りに、思わず胸の鼓動が大きく高鳴った。
(……人の気も知らないで……さよならなんか――――)
両腕が空を彷徨う無様な格好のロイド。そして、ロイドの胸の温かさを頬に感じながら、ショコラは呟く。
「ショ、ショ、ショコラ……??」
こんな時に声が上擦るとは情けない。交錯する思いに、ロイドの精神も若干不安定になる。
「……ははっ」
無邪気に笑って、ショコラは身を離した。
混迷を極めるロイドの表情を、実に楽しげにさえ見つめる。
「これが私にとっての『敵討ち』。……ありがとう、ロイドさん…………」
ショコラの笑顔に茫然とするロイド。
「…………えっ、と……」
「ロイドさんの気持ち……もう、十分です。私も、お母さんも……とっくに救われていたんです――――。……お祖母ちゃんが……楽になれたこと、本当は……ずっと感謝していたんだから――――」
脳裏に過ぎる様々な想い。ショコラの言葉に乗せて、ロイドの胸の中につっかえていた本当の意味での最後の
「……ありがとう、ショコラ。俺、本当に良かった。これで心置きなく、
ロイドらしい笑みが浮かぶ。ショコラもまた、笑った。
「気をつけてね。私たち、ずっとロイド達のこと、祈ってるから」
真っ直ぐな瞳でロイドを見つめる。ロイドは大きく頷き、ショコラの手を握った。
「また会えるさ。この空が繋がってる限り、そして何よりも、俺たちの思いが繋がっている限りはね――――」
それは永劫に君を忘れはしないという、ロイドの強い想いの表れ。
ロイドの手のぬくもりはショコラにとってとても心地よいものであったに違いない。何度も手を振り別れを惜しむたびに、熱いものが身体中を駆け巡った。
「きっと……倖わせにしてね……きっと……」
「…………」
結局は置いてけぼりにされたままで冴えない表情のコレットに謝るたびに、彼女は無理な微笑みを見せる。しかしロイドが視線を外すと、途端に
「……それじゃあ、明日はユアンのところね――――」
リフィル師はロイドに次の目的地を言った。
ロイドが頷くと、リフィルは優しい眼差しで頷く。そして、ジーニアスの表情に、若干の
「……ショコラ…………」
昼間の元気な様子とは一転。夜、娘の部屋から聞こえてくる小さな嗚咽に、カカオもまた、沈んだ。
娘の嗚咽の原因を推し量ると、どうしようもないことへの歯痒さとともに、新しい未来へ歩み出す為の小さな試練を、自ら乗りこえようとする必然の藻掻きを見守る親心を自覚していた。