第4章 巡り会いの予感 ~Sweet fate which begins to twine~


「ゼロスは我が国に仇成すつもりか、保興(やすおき)
 マリウス=テセアラ18世は、召還したミズホの副総領・藤林太賀保興(ふじばやしたいがやすおき)に向かって失意の念を漏らす。
「レザレノの復興事業は、民主導が第一。王の威光には傷つけ申さず。ご理解賜りたい」
 太賀の説得にも、マリウス王の表情は晴れない。
 この期に及んで神子ゼロス=ワイルダーの功を認めるとは言えない言動に事欠かない、暗愚とまでは言い過ぎでも、寛容の王とは言い難い。

 紅の髪をかきむしり、暇これ弄ぶとばかりに時に大あくびをかます美青年。
「シャキッとしなっ、このバカ!」
 美しい貌を(しか)め、黒髪の娘の竹を割ったような気持ちの良い声。と同時に、青年の背を撲つ乾いた音が門前に響き渡る。
「……ってぇなっ! どゎあーって、暇なんだからしょうがないだろーが!」
 顔を突き出し、思いきりしかめっ面を向ける。
「アンタって、いつになったらその軽い性格直るんだろうねっ。軽すぎて、そのままフラフラ~って行方知れずになっちゃうかもねぇ。ミズホの情報網ですら判らないところで野垂れ死ぬよ」
「ああ、さいですか~。だったらもっと軽くなって空を自由に飛び回ってみたいねぇ。世界中のマァイ・ハァニーの元に、一瞬で駆けつけられるほどのねぇ」
「くっ……この…………」
 ああいえばこういう。今にも大規模な喧嘩が起こりかねない状況を誰も制止しない。まるで、日常茶飯事のような雰囲気とばかりに、微かに笑う者もいる。
「そこまでにしておけ、しいな。ゼロス殿」
 太賀が苦笑まじりに姿を見せ、『いつもの事態』を止める。
「副頭領っ、お待ちしてました」
 助け船にしいなの表情が和らぐ。
「ああ、やっとのお出ましだ、保興様よ」
 ゼロスもほっとしたように息をつく。
 真顔に近い微笑みを浮かべながら、太賀は小さくため息を漏らした。
「その様子では、首尾は芳しくないのですね……」
 しいなの言葉に太賀はただ長嘆するばかりであった。
「言うまでもねぇな。東西広しとはいえ、あの国王ほど心狭い奴はそうざらには居ねぇぜ。……フンッ、人を信じることの出来ねえ野郎が、よく王になんかなれるもんだよナァ」
 憤怒たらたらとばかりにゼロスが紅の見事な髪を振り乱す。
「まあゼロス殿、そういきり立たれるな。王には王の立場というものがござれば、今回の件はそう易々と許諾に至ることは出来ぬと言うものよ」
 太賀が苦笑気味にゼロスを宥めると、彼は不本意気味に頭を掻きながら唇を歪めた。
「漏れ聞くところでは、寵臣カーネル内相が特にブライアン殿を忌避されているとのことだ」
「ふぅ――――――――全く、政府や貴族のお偉いさんがたは、自分たちより立派な人間が現れると妬むんだ。全く、大人げないよ」
 しいなの怒りにゼロスが驚いたような表情を向ける。
「おぉ、しいなちゃん。珍しく意見が合ったねぇ」
 するとしいなはうっすらと顔を染めて眉毛を逆立てる。
「う、うるさいよっ! 」
 凸凹コンビとは死語とばかりな、しいなとゼロスのやり取りをよそに、太賀は慚愧に堪えない言葉を漏らした。
「政府の支援が滞るとなると、レザレノの事業も色々と支障を来すことになりかねない。ブライアン殿や、プレセア殿に申し訳が立たぬのう……」
「副頭領……」
「むう……」
 さすがにしいなもゼロスもただ唸ることしかできない。
 テセアラ王家の援助取り付けを出来ぬままにメルトキオ宮城を後にしたしいな・ゼロス、ミズホの副総領・藤林太賀保興ら一行はひとまずゼロスの邸宅に逗留(とうりゅう)することになっていた。
「……まぁ、カーネルの糞野郎に目を付けられている分、ここもいずれ没収とにされるかも知れねえから、居心地良くねぇがな。今のうちは好きなだけ居りゃいいさ」
 教皇との対立に見る、生来数奇な運命を辿ってきた元マナの神子・ゼロス=ワイルダー。
 ロイド達の大きな力となってクルシスを倒し、テセアラの窮地を救った勇者の一人だったが、弾劾された教皇ら政権右派の亜流・カーネル内務大臣の依然とした権勢の下で、その立場は極めて不安定、いつ政権中枢の刺客が襲ってきてもおかしくはない状況であった。
「あんたも強情だよね。そんなに憎まれてても、全て投げ捨てようとしないんだからサ」
 しいなが遠回しに皮肉ると、ゼロスは失笑した。
「ヨゴレでもいいのさ。俺様のような奴がひとりくらいいねえと、ハニー達の笑顔がくすむってもんだからな」
「あーーーー、はいはい」
 しかし、一歩間違えると本気で命を落としかねない危険な状況の下にあるゼロスの真意を、しいなは何となく理解しようとしていたのかも知れない。
「ゼロス殿の御厚意、痛み入る。ミズホの民に成り代わり、この通り――――」
 太賀が両手を床について頭を垂れると、ゼロスは柄にもなく顔を真っ赤にした。
「保興様よ、勘違いだって。ははっ、俺様だって一介の人間だ。命は惜しいさ」
 ゼロスはそう言いながら太賀を無理矢理立ち上がらせた。
「なあに。俺だってタダで転びはしねぇさ。いざとなったら…………」
 しかし、その言葉はしいなの怒声に遮られた。
「馬鹿なこと言うんじゃないよ全く……アンタ、どこまで人に苛酷(よけい)な気遣いを……」
「……そうだな。……こんな俺でも、な……」
 ふと、ゼロスの脳裏に浮かんだのは、愚直なほどに一途で、何よりも強く勇敢だった、一人の少年の顔だった。
 その少年の存在は果たして知らぬ間に、いつしかゼロスの心を絆し、孤独を癒していた。
 いつも“何か”に張り詰めていた心の奥。弾けばぷつんと切れそうなこの青年の道標を、がむしゃらに、そして無器用ながらも直向きに解きほぐした少年・剣士。シルヴァラントのマナの神子とされた可憐な少女を守り抜いた、最高の騎士。

「ゼロスさま、失礼いたします……」
 と、唐突にフリル姿の女中が現れたかと思うと、間を置かずに、恭恭と拝礼する。
「どうした? 今は取り込み中だ。急ぐ用じゃねえなら……」
「……わかりました。それでは、お引き取り願いましょう」
 女中はそそくさと退出しようとする。
「待てよ。誰か来てるのか?」
「はい……」
 ゼロスが手招きすると、女中は遠慮気味に近づき、ゼロスに耳打ちをする。その瞬間、ゼロスの顔色が俄に変わった。
「――――! バカヤロウ、そう言うことはさっさと言え!」
「……も、申し訳ございません――――」
「ど、どうしたんだよアンタ、血相変わってるよ」
 しいなが尋ねると、ゼロスはだらしなく口をぽかんと開けて声を荒げた。
「しいなっ、保興様、ちーとこっちへ」
「な、何だよ……お、おい」
 強引にしいなの腕を掴み引っ張るゼロス。太賀もきょとんとしながら後に続いた。
「意外なお客のお出ましだぜ!」
 嬉々としながら、ゼロスの声は弾んでいた。

 楽園都市と謳われるアルタミラは不夜城の名に相応しく、それはクルシスの野望に曝されていた少し前と今も寸分も変わりはない。
 美しい海に面したこの街にも、名も知らぬ悲劇はあった。
 幸運と悲運が紙一重のエクスフィアにまつわる、星の数ほどの哀しみのひとつに過ぎない物語の主人公に、この世界は救われた。
 町外れには満天の星を眺望できる高台スポットがある。
 その“少女”プレセア=コンバティールはその夜、久しぶりにそこから望む星空を数えていた。
「ここにいたか、プレセア」
 低いが優しく温かい声がプレセアに掛けられる。
 リーガル=ブライアン。手枷の戦士、業を背負い生きる数奇な運命を辿った名士も今はひたすら前を向き、テセアラの未来を背負うことが出来るようになった。
「あ……リーガルさん……。はい……」
 微笑むプレセア。以前はこの微笑みすらこの少女にとっては貴石に勝る価値があった。
「今日はまた、空が澄んでいるようだ……」
「…………」
 ふうと、彼女はため息を漏らした。小さな身体なのに、女性の憂色を醸し出している。
「……どうしたのだ。何か、あったのか」
 リーガルの問いかけに、彼女はゆっくりと、どこか力無く首を横に振る。
「感じます……優しい風が…………私には勿体ないくらいの……優しい風を感じます……」
 心をふわりと撫でてゆくようなか細い声で、プレセアは呟いた。
「風…………?」
 リーガルは星空を仰ぎ、プレセアが感じるを倣って深く息を吸い、漸く自由になった両腕を広げて全身に夜気を受けた。潮の薫りが胸一杯に広がる。いつ感じても、飽きの来ない薫りだ。
「…………私は…………スに……」
 色を取り戻したプレセアの淡いシアンブルーの瞳は、切なく瞬く無名の星に重なる。
「プレセア……貴女は――――」
 その時すっと、一筋の軌跡が空を描いた。
 プレセアは自らの小さな胸に感じた、ちくりとする痛みに思いを馳せようとしていた。
「リーガルさん…………流星はどうして……燃え尽きる時に、あんなに美しく輝くのでしょう……」
「プレセア……?」
 不意に、そんな意味深な言葉を発するプレセアに、リーガルは急に不安に駆られた。
「あ……違います。何となく……そう思っただけですから……」
 微笑み、おどける仕草を見せるプレセア。

 ――――輝きとは、人の心。
 様々な想いが輝きとなり、空に映える。
 思いが叶った時、その喜びを胸に刻むために、美しく輝き、次へ伝え行く。
 …………燃え尽きるのではない。還るのだと思う。
 大地も、天空も、それをくり返す。
 生きとし生けるものも、それをくり返す。
 悲しむのではない。
 たとえ、どの様な境遇にあっても、美しく輝ける……。それが、星の輝きというものだろう――――。

 不規則に奔ってゆく、光の軌跡を辿りながら言うリーガルの言葉が、プレセアの胸に深く染みいった。
「私でも……良いのでしょうか…………」
「誰にでも、資格はあると信じたい」
「……はい……」
 プレセアの胸が少しだけ軽くなった。