第7章 それぞれの波紋 ~Plot and jealousy~


「ん、んん…………」
 白い一条の光に照らされてロイドは目覚めた。どこかしか頭が重い。
 昨夜は初めての酒をいささか親しみすぎただろうか。重い瞼を開けると、ゼロスの邸宅にしては少し場違いな天井が目に入る。
 そして、自分の胸にのし掛かる重み。
「………………………………」
 ゆっくりと、ロイドは首を傾ける。
 そして、極めて見慣れた、烏羽色の髪、整った顔立ちの寝顔、そして何よりも、そこに置かれた自らの状況。
 そして、ロイドの叫声は朝の微睡(まどろ)みに包まれた城下によくよく響き渡ったという。
「ん……と……」
 その騒ぎに鈍い面相で眠りから覚める、藤林しいな。部屋の片隅に屹立し、壁に張り付いているロイドを寝ぼけ眼で見る。
「あ……ロイド。起きたんだ……」
「お、お、起きたんだ……じゃないって! し、し、しいなが何でここにっ。それに、ここはゼロスの……」
「え……っと……」
 狼狽(ろうばい)するロイドに、しいなは妙に慌てる様子もなかったが、ふと視線を下に落とした途端に、瞬間沸騰した。
 枕やら毛布やらが無造作にロイドに向かって飛んでくる。
「しいなっ、いいから何か着てくれよ」
 ロイドの一声に、しいなは我に返る。半ば無実に等しいロイドに部屋から退出願い、羞恥(しゅうち)にまみれた様子で黙々と着衣する。
「ごめん……ロイド。いいよ、入って」
 ロイドは一呼吸置くと、ドアを開けた。しいなはばつが悪そうに、見慣れた格好でベットの脇に肩をすぼめて立っている。
「あのさ…………俺、昨夜…………」
 ロイドの困惑した表情と、しいなの同じ表情が交錯し、埒があかない体を見せていた。
「…………」
 無言のしいな。
「俺……あの……よく憶えてないんだけど……ただ、お酒って、初めてだったから……」
 意識をしていないのに、ロイドの口からは流暢(りゅうちょう)に言葉が生まれる。
「あ、あたしが悪かったんだよ。き……気にしない方がいいよ、ははっ」
 しいながそう言って苦笑する。しかし、ロイドがとりつく島もない。コレットが心配しているからと、一方的に昨夜の謎を封印して、二人は宿を出た。それにしても、カウンターに鎮座し続けているあの老婆のにやけた笑みは、無性に心持ちが悪かった。

 ゼロス邸の洋間の扉を開けると、ロイドを街に誘った、当の本人が飄然(ひょうぜん)と笑顔を浮かべながら二人を出迎えた。
「よぉ、お帰り。おふたりさん」
「……………………」
 ロイドはともかくとして、しいなのその時の表情は語るまでもなかったという。
「アンタ……絶対に……」
 しかし、何様にも誤魔化しの利かない決定的な既成事実がある以上、しいなもゼロスをそれ以上責めることは出来なかった。
「あたし……ほとんど寝てないから、ちょっと寝るわ」
 そう言って、しいなはさっさとその場から居なくなってしまった。
「…………」
 取り残されてしまったロイド、頗る居心地が悪い気がする。
 そんなロイドに、ニヤニヤしながらゼロスが近寄り、肩に腕をまわす。
「朝帰りとは、やるじゃないロイドくぅん? しかも、しいなとはねぇ……」
 そう言って茶化すゼロスをロイドは眉を顰めて振り払う。
「冗談じゃないぜ、ゼロスッ。俺は……」
 指を突き出してロイドを制止するゼロス。眼前で突き出した人差し指を舌打ちまじりで左右に振る。
「オリビアの奴、肩落としながら戻ってきてねぇ――――ま、結果としてはしいなが来てくれたことはヒョウタンからコマだったがな――――」
 けらけらと笑うゼロスだったが、どことなく真剣だ。テセアラの救いの塔に突入する直前を思わせるようなテンションを滲ませている。
「……コレットちゃん、ついさっき眠ったぜ……」
「……えっ?」
 ゼロスの言葉に愕然となるロイド。
「ロイド、ここじゃなんだ。あそこで話さねえ?」
 と、人差し指を天井に突き出す。

 屋根の上には、澄み切った蒼穹が広がっていた。紫に覆われたデュリス・カーラーンの(そら)は今はもう、遠い。
「で……? 結構――――いや、かなり良かったんじゃねぇの、しいな。どう? どうよ、感想聞かせておくれよロイドくんさぁ」
 鼻息が多少乱れるゼロス。
「な……ふ、ふざけんなよっ、そんなこと話すためにこんなところに連れてきたのかよ」
 ロイドはすこぶる不機嫌になっていた。
「そんなこと……ね――――。ま、いいや。何がどうあれ、君もこれで立派な大人の仲間入り。少しは視野が広がるってもんだろ」
 卑猥を込めた視線をロイドに向けるゼロスに対して、ロイドは怒気を強めて返した。
「どういう意味だゼロスッ。俺はそんなこと――――!」
 しかし、ゼロスは逆に鋭い眼差しを向けて怒気を抑えた。
「ロイド君ってさ、ホント青臭いけど人間として最高なんだよな。……でもさ、たった一つだけ、全く成長しねえところがある。それさえわかってくれればもう、言うことナシナシ。テセアラじゃ俺様なんて雲に霞む満月の様さ」
「だから……ッ」
 回りくどいセリフにロイドの苛立ちは更に募る。それがゼロスの本意だとすれば、ますますもどかしい。
「いちいち俺様が口に出す事じゃあねぇがね。……ロイド、それは君が一番良く解っている。一番良く解っていて、一番分かっていない」
 不可解な言葉だった。
「お前ら見てて、ず――――――――っと、ここんとこイライラしててさ。んー……かと思ったら、やっぱ何にも変わっちゃいねぇ。余計なお世話かも知れないが、水入れさせてもらいたいと――――」
「…………」
 ロイドの不安は正しく、それにあった。
「本当ならオリビアで“良かった”んだけど……まさか“しいな”がとは…………誤算」
「ごさん――――…………誤算って何だよ」
 ロイドの問いかけに、ゼロスは長い髪の毛を邪魔そうに掻き上げてから言った。
「ああ、ロイド君にとってはタナボタ、俺様からすればヒョウタンからコマ――――と言うことで」
「だから、言ってる意味がわからねえよ。どういうことかちゃんと説明してくれっ!」
 ロイドの怒号が一段と大きくなった。
「……だから何度も言わせんな。その答えはお前自身が弾き出すもんだ。……少なくても、ちょっとは分かってるんじゃない?」
「?」
「そう……ムキになって怒ってくるってところがさ。――――ムダじゃなかったね」
 ゼロスはそう言って笑った。ロイドは全く理解できないままにゼロス独特の空気に流され、そのまま反駁の根を絶たれてしまった。
「誘っておいて何だけどよ。コレットのこと、気遣ってやりな。彼女――――ずっと起きてたんだからな」
 ゼロスの言葉にはっと我に返るロイドだったが、とかく飄然と彼女の枕元に寝顔を見に行くことははばかられて止まない気がしていた。
 コレットの部屋の前で、ドアにもたれかかるロイド。ため息ばかりがもどかしい。
「あら、ロイド。おはよう」
 リフィルの声がロイドを気づかせる。
「あ、リフィル先生……おはよう……ございます――――」
「ふふっ、浮かない表情ね――――無理もないかしら?」
「…………」
 ロイド、返す言葉を失する。
「ロイド、ここにずっと立っているつもり? せっかくだから、コレットの寝顔でものぞいてみたら……って、いつも眺めているのかしら、ふふっ」
 リフィルは決して茶化している風ではなく、ロイドの心境を察してくれているように映る。
「何か、入りづらくて……」
「ゼロスに何か言われたのかしら?」
 ロイドの頷きは、肯定も否定とも取れない。
「なるほど……。確かに彼の言う通りかも知れないわね。……ロイド、一つだけ訊いても良いかしら?」
 ロイドの目を見つめて、リフィルが言う。
「あなたにとって、コレットはどんな存在? そして、私やしいな、プレセアはあなたにとってどんな存在かしら」
「それは……もう何度も言ってるように、俺の何よりも大切で、かけがえのない仲間――――」
 リフィルは言葉を遮った。苦笑まじりに首を横に振る。
「……人の想いは全て平等じゃないのよ、ロイド――――」
「……?」
「あなたが私たちを想う気持ちは正真正銘、本物だったわ。だから、ミトスにも克った。あなたの強さは語るまでもない。……でもね、あなたは今未だ気づいていない。ううん、何時かは気づくのだと思うけど、なるべくなら、早く気づいてあげた方がいいわね」
「先生までも……同じ事をっ」
「ふふっ、大丈夫よ。これはあなた達『若者』の問題。いいわねぇ、若いってことはぁ――――」
 途端に嘆息に変わるリフィルの声。
(私も、もっと勇気を出せば良かったわ……)
 そんな呟きを残して立ち去るリフィル。しかし、それでもなおコレットの部屋に入るきっかけにはならず、結局ロイドはそのまましばらく、扉の前に立ち往生をしていた。

テセアラ内務省

「アルタミラの復興差し止めですとっ!」
 カーネル内相からアルタミラ・リーガル卿宛に藤林太賀保興へもたらされた通告に、太賀は愕然となった。
(しばら)く。国王陛下は不肖(それがし)に事業の進捗(しんちょく)状況を(つぶさ)にご報告申し上げ、リーガル卿に労いの言葉を賜られたばかり。到底、納得致しかねる」
「……しかし、一方に於いてはゼロスと盟約を交わし王家を簒奪(さんだつ)する算段を計っているとか、内相は痛くご不快の様相」
「言いがかりでござる。さてはカーネル卿、いかなる讒言(ざんげん)(ろう)せられたか」
 太賀の言に、高官は激怒する。
「弄せられるとは心外の極み。とかく三海の危機を脱したとばかりに、いささか図に乗ってはおらぬか。申し開きはリーガル卿に出廷されて、陛下の御前でなさるがよいと伝えられよ」
「…………」
 太賀は絶句した。全くもって荒唐無稽(こうとうむけい)な容疑による内務省の支援打ち切り。
 想定もしていなかった緊急事態に、太賀は脳裏が真っ白になり、しばらくの間茫然とするしかなかった。