第8章 再会の楽園 ~Impatient distance~


「せっかくテセアラ(こっち)に来たんだ。ひと働きしてみる気、ねぇ?」
 突拍子もないゼロスの言葉にきょとんとなるロイドたち。
「ひと働きって何? 僕たちに資材の石塊(ブロック)運搬の助勢でもしろと?」
 ジーニアスがわざと一本調子で言う。
「まさか、クルシスの残党でも暴発しているのかしら? だとすれば楽観できないわね――――」
 リフィルの言葉に、ゼロスはむうと唸る。
「リフィル様の説、必ずしも間違いじゃないけどね……ちょっとさ、この国も色んな意味で……まだまだ復興途中というな訳よ」
「…………」
 傍らのしいなの表情が浮かない。
「色々な意味で…………」
 リフィルがゼロスを見る。惚け半分の身振りを見せる彼だったが、やがてリフィルは小さく瞼を閉じ、わずかに苦笑した。
「……了解したわ。貴方の力になってあげる。何でも言って頂戴」
「さっすがぁリフィルさまっ、話が分かるっ!」
「ね、姉さんッ」
 思いもかけないリフィルの返答と、オウム返しに歓喜するゼロス。それに愕然となるジーニアス。
「少年、そう悲観することはない。君にとっても必ずや損になる話じゃあないね」
「どういう意味だよ」
 不快感を満面に浮かべてゼロスを睨むジーニアス。しかし、ゼロスはにやりと笑うと、一呼吸を置いて言った。
「取りあえず、アルタミラ行って貰いたいという訳なんだけど――――」
 ゼロスのその言葉に、ジーニアスのはね気味の髪がライトシルヴァーの光の粒を散らす。
「し、し、仕方ないなぁ――――」
 赤くなった顔を隠すように背けながら、少年は唇を尖らせて渋った。
「ロイド君…………頼めるかい」
「言うまでもねぇ」
 ロイドの辞書には断るという文字はない。
「さすがはハニー。……俺様もちーと野暮用済ませてから向かうから、取りあえず持ち堪えておいてね」
 親愛の意を込めて抱きつくゼロスの癖にはどうにも慣れることが出来ない。判っていても良く騙される。
「アルタミラかぁ。リーガルさんとプレセア、元気かな」
 コレットが心揚々とばかりに優しく微笑む。
「二人とも、大病を患う質には見えないけどね――――」
 リフィルの冗談にロイドたちはたちまち相好を崩し、場の妙な緊張感は解れた。

楽園都市・アルタミラ行政自治区

 テセアラとシルヴァラント間の情報伝達のために、ミズホの民はミトス誅滅後において特に重要な位置を示すようになっていた。
 とかく蛇の兄・(おろち)こと百地保高(ももちやすたか)が、アルタミラのレザレノ社に中央の情勢を逐一報告に及ぶのは日増しに頻度が高くなりつつある。
 テセアラでもやはり、クルシスが支配していた時代よりも、その崩壊直後とも言えるこの時期の方が多分に政情は不安定というのだろう。
 アルタミラが行政自治区として確立し、リーガル=ブライアンが事実上の行政長官職に与るものの、その人望を妬む政府要職の高官たちの存在は、ある意味においてクルシスの支配よりも質が悪い。
 リーガルも度量が広いのが幸か不幸か、そんな“雑音”を、『小人の(そね)み』とばかりにまともに取り合おうとしないのだ。
 そのためかアルタミラは住民や観光客なども含めて極めて安定した治安の下、笑顔が絶えない。しかしそれが時として、逆に不安すら覚えた時期もあったのだ。

「おろちさん、何て言ってたんですか?」
 最後の資材を運び終えたプレセアが、そう訊ねた後、差し出された冷茶を軽く喉を鳴らしながら飲み干す。
「なに、大した事象ではない。月並みの政情報告だ」
 リーガルもまた、良く冷えた珈琲(コーヒー)を一気に(あお)る。飲み物と(いえど)もこれがまた、リーガル=ブライアン卿お手製というのだから格別の風味である。
「……でも、おろちさんの表情、強張ってました――――」
 プレセアがわずかに眉を顰める。
「貴女が気に病むことではないぞ。うむ……ただ内務省が私の上奏に対し旋毛(つむじ)を曲げたらしいとのことだ」
 苦笑するリーガル。
「復興支援についての……兵士……」
「要するに王国政府として、我が社の事業を全面的に認めることは出来ぬという訳なのだろう」
「……そんな……非道いです――――」
 プレセアの声が震えている。俯いた瞼はきつく閉じ、色を隠していた。
「国家権力とは得てしてそう言ったものだ。何もヴァーリや教皇が倒れたからと言って、それで終わるものではない。第二、第三の奴らはいずれ現れるものなのだ」
「……ヴァーリ…………」
 瞋恚に打ち震える声。その名は決して忘れることはない。
「プレセア。戦いはなくとも、乗り越えられる。人は強い生き物だ。不思議なもので、逆境に遭えば遭うほど、大きく、逞しくなってゆく。……それは私も、貴女も一番良く知っているはずだろう」
「……あ…………」
 今再び過ぎった日々。それは、プレセア・コンバティールが地獄から救われてゆく出会いと、今日から未来へ歩み出すきっかけとなった日々。
「……そうですね……」
 にっこりと、彼女は微笑った。本当に、良く笑うようになった。

「御上がアテにならなければ、私たちがいるわよ」

 突然、二人の耳に懐かしい声が飛び込んできた。ほぼ同時に瞠目してふり向くと、そこに並び立つ、かけがえのない愛しい戦友たち。
「リフィルさんっ」
「おお……みんな……!」
 声の主・リフィルに駆け寄るプレセア。感激のあまり、声すら途切れるリーガル。
「久しぶり、リーガル、プレセア」
 ロイドが狂喜したい気持ちを抑えて、二人の名前を呼んだ。
「ロイドさん……本当に――――ロイドさんですね?」
 ロイドの両手をしっかりと握りしめるプレセア。温かな手のひらと、優しい眼差しを受け、不覚にも彼女の瞼の奥が熱くなる。
 端から見れば、まるで本当の幼女が年の離れた兄弟を見上げるようだ。
「久しぶり…………じゃねえや。……ただいまって言った方が良いかなぁ?」
 照れ笑いするロイド。全幅の信頼を置くリフィル師を一瞥すると、師はアイ・コンタクトでこう言った。
(気が利くわね。偉いわ、ロイド)
「あはっ。お帰りなさい……です☆」
 プレセアはぽうと頬が桃色に染まり、思わず瞳を伏せた。
「本当に久しぶりだな、ロイド――――。うむ、積もる話もあろう。私も語りたいことは山ほどあるぞ」
 リーガルは珍しく興奮していた。
 滅多に感情をむき出しにしない沈勇の士が破顔一笑、まるで少年のようにはしゃぎ立てる雰囲気を湛えていた。
「……そう在りたいのは山々なんだけど……リーガル、その前にちょっと“野暮用”があるみたいね。聞いているかしら?」
 リフィルの問いかけに、リーガルはむうと唸った。
「やはりそうであったか。……いや、保高と入れ違いにお前たちが現れたので、実に絶妙な時宜(じぎ)とは思っていたのだが」
「おろちさんが来ていたの? なんだぁ……会いたかったな」
 コレットが実に残念そうに俯く。
「何言ってんだよコレット。もう二度と会えない訳じゃねえだろ」
 ロイドが笑う。
「ああ、保高にはメルトキオ宮城との繋ぎ役を頼んでいる。三日に一度は顔合わせが出来るから安心しなさい」
 リーガルの言葉にコレットの表情が綻ぶ。
 そしてロイドの哄笑が待っていた。愕然となる一同。コレットの眼光が一変、怒りの光線となってロイドに向く。
「相変わらず大袈裟。な? コレット、全然変わってないだろ」
「ロ、ロイドさん……」
 プレセアの微笑が引きつっている。呆れ調子のリフィル。
 コレットの表情に目を向けぬまま、饒舌に幼馴染みの少女を揶揄(やゆ)するロイド。
「時にロイド。今、背後はふり向かぬ方が良い」
 リーガルがそっぽを向きながら言う。
「……え?」
 言われた瞬間、すうとロイドの背中に冷気が突き刺さった。
「あ……」
 しかし、冷気は突き刺さることなく、その傍らを通り過ぎた。ロイドの視線に、金色の美しい髪が、微かに吹く浜風に揺れる。
「そだね……ロイド――――」
 どこか思い詰めたかのような、神妙な声色。
「…………」
 ロイドが固まり、リフィルたちも息を殺した。
 コレットのわずかに震えるこの口調は知っている。彼女が自らの宿業に身を投じようとした、救いの塔での場面。そして、永続天使性無機結晶症に(かか)った悲壮の時間……。
 そう、何かを(うち)に抱えこみ、極限にまでそのストレスが昂じた時に、コレットの声色はこうなる。
 そして、すうっと彼女は息を吸った。

 ――――の、バカッ!

 大声一喝。コレット=ブルーネルの清澄な叫びが、アルタミラの海原の(はて)に吸い込まれて行った。
 そして次の瞬間、くるりとふり向いた彼女の顔は、何故か輝いていた。
「リーガルさん、プレセア、いっぱいお話しようよ。うん、先生も良いよね。久しぶりなんだもん、堅い話はイヤだなぁ」
「え――――ま、まあ私は……」
 困惑のリフィル。リーガルは微妙な女心と言うものを苦手とする清廉の紳士だ。コレットの豹変を解説できない。
「お、そ、そうだな。それ、いいよ、いい提案だ。さすがコレット」
 慌てて機嫌を取ろうとするロイドを思いきりあしらうコレット。あまりにお約束なやり取りに周囲の苦笑も更に引きつる。
「な、何言ってんだよ。なあジーニアス、お前からも何か一言……」
 ロイドが助け船を求める。
 しかし、三六〇度視野を広げてもライトシルヴァーの(はた)をたなびかせた助け船は見当たらなかった。
「……あれ? ジーニアスは……?」
「あら、そう言えばいつの間に見えなくなったのかしら……」
 呑気な姉である。
「そう言えばって……先生っ!」
「大丈夫よ。ここに着くまで当のあなたと話していたでしょう?」
「あ、そうだっけ……」
「…………」
 ロイドとリフィルのやり取りの傍らで、プレセアはその姿を求めるように、眼差しを泳がせていた。
「……あいつ、編纂ここんところサボってたからなぁ――――」
「そうかしら。私が見た感じでは、あなたの穴埋めをジーニアスが行っている風にしか思えなかったけど?」
 リフィルの右手に拳骨が形成される。
「さ、サボってません! ただ―――」
「言い訳無……」
 その時、二人のやり取りを遮るように、プレセアが言った。
「あの……私見てきましょうか」
「…………?」
 きょとんとする場。
「この近くにいるというなら、私捜してみます――――」
 心持ち、熱い口調だ。
「あ、プレセア大丈夫。アイツのことだ、きっとすぐ――――あだっ!」
 いつもより数倍強烈な会心の一撃が、救世の英雄の脳天に見舞う。
「ごめんなさいねプレセア。相も変わらず手のかかる弟で。見つけたら遠慮無く叱ってあげて?」
 ぶるぶると熱のこもった手首を振りながら、リフィルが笑う。
「あはっ……いいえ、ちょうど仕事も終わりましたから。……それじゃあ、行ってきます――――」
「お願いね、よろしく」
 プレセアは一瞬、躊躇いがちにリフィルたちを見たが、やがて意を決したようにその場を離れていった。

「何だよ先生、ジーニアスなら心配しなくても大丈夫だよ。あいつのことだからきっとその辺で――――」
 殴られた脳天を抱えながら怨み節に言うロイド。
「もう全く……デリカシーの言葉の意味から叩き込まなきゃいけないかしら、この子は――――」
 長嘆のリフィル。対異性暗愚とはまさにこのこと。
「ここはひとまず、プレセアに任せて、私に案内させてくれ。アルタミラも、徐々に変わりつつあるからな――――」
「そうね。お願いするわ、リーガル。さ、ロイドもぼさっとしてないで、行くわよっ!」
 イタズラをしたやんちゃ坊主が、賢姉に(とが)められるような構図さながらに、リフィル師は愚弟の耳朶(みみたぶ)を摘んで強引に一行と歩き出していった。