第9章 小さくて大切な贈り物 ~It looked forward to meeting again~


「おう、プレセアちゃん。今日もご苦労さんだったね」
 ホテル・レザレノ改めアルタミラヒル前の広場を通り抜けようとした時、プレセアは中年の男性に呼び止められた。
「あ、マッシュさん、こんにちは……」
 立ち止まり、振り返ってその男性を見たプレセアは、ぺこりとお辞儀をする。
 彼はここ最近にアルタミラヒルにテナントとして入っている服飾店の主・マッシュ。恰幅(かっぷく)の良い体格にちょびヒゲにベレー帽、燕尾服(えんびふく)に蝶ネクタイ。一見、どこぞの喜劇役者かと思わせながら、果てさて、その実体はオーダーメイドする衣装のセンスはテセアラ随一との評判がある名匠なのである。
 時にアルタミラのマスコットキャラクタとして当のプレセアがはまり役となったあの夢見る黒き旅人の衣装も、実は名匠マッシュが誂えた代物。付く所では実に破格の高値といういわば人間国宝級の御仁だ。
「何か、急ぎの用事でもあるのかい?」
「え……?」
 おっとりとした口調で、いきなり核心を突かれ、思わず彼を凝視するプレセア。
「いやいや、プレセアちゃんにしては珍しく息弾ませながらきょろきょろしてるからね。気をつけないと危ないよ」
「あぁ……すみません、気をつけます――――」
「まぁ、余計な心配だったかな。どうも最近の悪い癖でねぇ、カミさんからも良くなじられるんだよ、はははははっ」
「ジェイミーさんは、すごいと思います。私、尊敬します」
 彼のご夫人ジェイミーはプレセアのことを特に良くしてくれる。これが夫に似合わずに頗る美人で明朗活発、性格も良い。歯に衣着せぬ言動で家政を仕切る、文字通り賢妻の鑑なのだ。
「相変わらず素直だねプレセアちゃんは。一層のこと、うちの子になって貰いたいくらいだよ」
「そのお話は――――。……あ、それよりもちょっとお訊ねしたいことがありますが、よろしいでしょうか」
「ん、なんだい改まって――――」
 毎度の返答に、マッシュ自身若干落胆を滲ませるのは慣れている。
「あの、ジーニ……えっと。白銀の髪の男の子……なんですけど……、見かけませんでしたでしょうか」
「白銀の髪の男の子……? んー……私は見かけなかったよ? なに? もしかしてプレセアちゃんのボーイフレンド?」
 マッシュの言葉に、プレセアの白い頬がわずかに赤くなる。
「あ、あの……ボ、ボーイフレンドというか、えっと……仲間です。私の……私たちの大切な、とても大切な仲間の一人なんです」
 マッシュはこの少女の涼やかな瞳が熱を込めてそう語っていることに気がついた。
「なるほど。で、捜しているってことは、この街に来ているって事だよね」
 プレセアは簡単に経緯を話した。するとマッシュはまるで我が子に向かうように相好を崩し、プレセアの肩をポンと叩く。
「プレセアちゃん。ちょっとだけ、時間いいかい?」
「?」
 きょとんとするプレセア。
「仕事帰りの格好で、その男の子に会うつもりかい?」
「……あ。そうでした。……作業着、汚れてます……」
 呆けた表情で、プレセアはおのが身体を見やった。
 プレセアサイズの繋ぎ服は土埃の筋が走っていて、池の水面に映した顔も、良く見ればわずかに労働の痕跡が残っている。
「土方仕事です……」
「たははは。いつもながら、ご苦労さん」
 マッシュは苦笑しながら、プレセアを導いた。

 作業用の浴場でホコリを洗い落としたプレセアは、アルタミラヒルにあるマッシュの店へと足を運んだ。
「こんにちは、プレセア」
 出迎えたのは、彼の夫人ジェイミー。四十代後半とは思えぬ美人。まあ、彼女の実像を知らぬならば、とかくアルタミラ住人男性人気の高いのも頷ける。
「あ、こんにちは、ジェイミーさん」
 ぺこりと頭を下げる。トレード・マークの結われた髪がぴょんと跳ねた。
「旦那から話は聞いてるよ」
 と、微笑みながらジェイミーは綺麗にたたまれた衣服を差し出す。
「女の子なんだから、可愛い格好して行きな。男ってのは、意外と服装に弱いんだ」
 にやりと、(はら)に一物抱えたような(わら)いを口の端に浮かべるジェイミー。
「??」
「いいかいプレセア。気の迷いを見逃さないで、一気に攻め取るんだ。既成事実を作ってしまえば、あとはこっちのもんだからね」
 賢婦と讃えられる一方で、時々こうした、兎角(とかく)危ないニオイを感じさせるような意味不明のことを言うことが、ジェイミーの裏の姿かも知れない。都度、適当な相づちを打ちながらかわすことを、プレセアは自然に憶えていった。
「――――と、まあいいわねぇ。取りあえず着替えちゃいな」
 言われるがままに、プレセアは渡された服に着替えてみた。
「あら、可愛いわねぇ」
 最後にジェイミーが仕上げると、彼女自身驚き、思わず声が上擦る。
 白のキャミソール、プリーツに赤のラインが施されたミニスカート。胸元のエクスフィアをアクセサリにと思わせるシルヴァーチェーン、あくまで控え目なブレスレットに、靴はプレセアによく似合う活動的なスニーカー。
 それは一見、何の変哲もない、お洒落っ気のある美少女。だが、プレセアにとっては、思いもよらないものだった。
「あの……これって……」
「うーん、さすがは旦那。いいわよ、似合ってるね」
 恥ずかしさに顔を赤くしてもじもじとするプレセア。
 そう、プレセアは今までずっと、女の子らしい格好に与ったことは殆どと言っていいほどなかったからだ。
 肩から胸元までを曝すキャミソールを気にし、形も良くないと自称する脚を意識するように、スカートの裾をいじる。何もかも、初めて着る服だった。
「は、恥ずかしいかもです……」
「そんなことないよ。ホント、可愛いから。ほら、良く鏡を見てみなって」
「…………はい」
 プレセアは壁に立てかけられた鏡の前に立ち、自分を見た。
「…………」
 いつも見慣れた、ゴツゴツとした雰囲気のプレセア=コンバティールは、そこには映っていなかった。
 地獄のような日々をまるで偲ばせない、新しい自分。“女の子”プレセア=コンバティールが、そこに立っていた。
 そして、ふとプレセアは目を見開いて自分を見つめた。
(あ……アリシア……)
 アリシアの面影がふと過ぎった。

(アリシアも……きっと同じように……)

 プレセアは、今ようやく『戦士』から亡き妹アリシアがずっと望み、歩み続けてきただろう『普通の女の子』としての道が見え始めたような気がしていた。
 すると不思議とプレセアの中から不慣の羞恥心が徐々に霧消してゆく。
「お借りしても、いいんでしょうか」
「水臭いこと言わない。あんたのこと、本当の娘のように思ってるだけさ」
「……ありがとうございます……」
 そして街に出たプレセアはふと窓ガラスに映った自分を見た。そして、不思議と何故か自然に気分が高揚するのを感じていた。

「……しょっ、……っしょ……っと」
 世界を橙色(だいだいいろ)に染め始めた頃、どこか涼しさが混じる潮風が吹く、町外れの高台。
 陽光を湛える南海の絶景を一面に眺望(ちょうぼう)できる恋人達の憩いの場所には実に不似合いな銀髪の少年が一人、整備された芝生に腰を落とし、何か黙々と作業をしている。
「……こんなものでも、いいかな――――」
 出来上がった“それ”を、改めるように見回し、少年・ジーニアスは満足そうに頷いた。
(本当に、久しぶりなんだよね――――)
 ジーニアスにとっても、アルタミラの風はいささか思い入れがある。
 クルシスとの戦いの日々、文字通りこの楽園都市は彼にとっても束の間の休息の時であったはずだった。そしてそれは仲間たちと、ありのままに向き合うことが出来た、とても大切な時間。
 メルトキオの宮城で出逢ったプレセアと初めて、短くても一緒に歩けたことが、ジーニアスにとっては忘れられない想い出。
『木彫りのくまです……』
 幸福のお守り……とはいうものの実に場に不釣り合いな熊の置物を貰ったジーニアスだった。でも、それが彼にとって何よりも大切な宝物に変わったのは言うまでもない。
(あの時は思わず、砥石なんかあげちゃったけど…………)
 戦士の心象が強くプレゼントのお返しにと、武器を研磨する道具をもって返礼してしまった事を、あれから特にゼロスからは都度失意の嘆息を直に受けたものである。無論、右往左往した割には、殺伐とした代物をプレゼントしてしまったことを悔やんでいたからだ。本人は喜んではくれていたのだが。
(金運は……どうかわからないけど、僕がまたこうしてテセアラ(こっち)に来れたこと……、それがすごい幸運だよ。きっと、くまのお陰だね、プレセア)
 そう呟きながら、ジーニアスは荷物のサックから小さな彫像を出し、手に取った。
 再びイセリアを発つ時、ジーニアスは大事そうにこの置物も共にすることを誓っていた。
 木彫りのくまは、愛嬌(あいきょう)を振りまきながら、いつもジーニアスを見守ってくれていた。始めは戸惑いの代物だった、実にけったいなプレゼントも、ジーニアスがプレセアをいつも側に感じることが出来る、ただひとつの“繋がり”なのだ。
 二度と会えない覚悟、想いを伝えきれずに姉と共に安住の地を求めて――――。
 ある意味、悲愴(ひそう)の決意を希望に変えたロイドたちの存在、そして今再び巡り来るこの機会。
 世界を統べる万物の神、そして精霊オリジンとは何と優しいのか。理論現実主義を教本で学んできたジーニアスでさえ、この運命には感謝して止まなかっただろう。
(元気かな……友達、いっぱい出来たんだろうな…………僕のこと見つけたら何て言ってくれるかな……)
 思いが募れば募るほど、ジーニアスの小さな心臓は高鳴り、戦々兢々とした心情に拍車がかかる。
 やがて、太陽はコバルトの水平線の彼方に金色の粒を一斉に鏤めながら、夜の主役へと、天空の座を譲ってゆく。
「あぁ、やばい。つい夢中になっちゃった。姉さん、怒ってるかなぁ」
 物思いから覚めた時、大分時間が経っていたことに気がついてジーニアスは顔がやや青くなった。
「やっぱ、一言言ってから来ればよかったかな――――」
 と、荷物をまとめ、半ば肩を落としながら立ち上がる。その時だった。
「…………」
 ふり向いたジーニアスの視線に映った、小さな影。夕陽の橙に照らされた海を背景に、逆光線に照らされた、愛おしい影。
 ジーニアスは止まった。わずかに息を切らし、肩を揺らしたその人影は、ジーニアスを確認するように一つ、二つ間を置くと、ゆっくりとジーニアスに近づく。

「……ジーニアス……見つけました」

 ようやく、はっきりと見えた少女の瞳。
 にこりと彼女が微笑んだ瞬間、少女の背中は包み込まれた。
「え……? あ…………!」
 不器用に、ジーニアスは少女を抱きしめていた。何が起きたか、判らなかった……。

「ゼロス、そんなことしたら今度こそあんた……」
 カーネル卿との会談が決裂し、憤然冷めやらぬゼロスに、しいながすがる。
「覚悟決めてんな、野郎。しいな、俺様はキレちゃいねぇ、いつだって冷静なのさ。特に女の子達の前ではね」
 ゼロス独特の笑い声もさすがに引きつっているようにしか感じない。
「茶化してんじゃないよこんな時にッ! アンタ、まさか内相と――――」
「しいな。お前もロイドの“親友”だったら解るはずだぜ? ミトス……ユグドラシルの悲しさをな」
 ゼロスの言葉に、しいなは息を呑んだ。
「…………でも、安心しろ。せっかくロイドがかけずり回って、コレットちゃんが身を挺して取り返した世界だ。無下にはしねえよ」
「ゼロス……」
 ゼロスの笑い顔が、一瞬だけ凍ったようにしいなには見えた。
「しいな、取りあえず俺たちもアルタミラに向かおうぜ。何か、嫌なこともあそこ行くとぱーっと忘れちまうからなぁ」
 再び、いつもの調子に戻る。
「そうだね。実のところ、あたしもそう思ってたんだ。……どうも、城下ってどことなく湿っぽいからね、性に合わないよ」
「フッ、違げぇねえ」
 そしてゼロスとしいなは間を合わせると、一斉に飛び出すようにメルトキオを出たのだった。