第11章 渦巻く密謀 ~Release from long missing each other~


「やあっ、マイハニぃ~~☆」
 臆面もなく突然素っ頓狂な声を上げ、抱きついてくるのはゼロス・ワイルダーの悪くも憎めない癖なのだが、これにはさすがに誰もが呆れて止まない。
「あのね……再会間もないだろ」
 男に抱きつかれるのもおつとばかりに、ロイドは突き飛ばすこともなくため息をつく。
「挨拶、あいさつ。なあに今更照れてんだよロイドくぅん?」
「来た早々で何なんだけど、ゼロスには大きな貸しがあるんだからなっ!」
「ぐぅ……イタタタ……」
 わざとらしく頭を抱えこむゼロス。
「ゼロスくん、何かしたんですか?」
 プレセアが飄然とした声で訊ねる。
「プレセアちゃん、その話はまた後でゆっくりとね――――――――」
 不意に、ロイドとしいなの視線がぶつかる。過敏に意識をしてしまい、慌てて逸らす。
「ま、まあ細かいことは良いじゃないか。それよりも――――」
 ロイド・コレット・ジーニアス・リフィル・しいな・ゼロス・プレセア・リーガル。
 この8人が一堂に会したのはあの戦い以来、ほぼ二年ぶりであった。懐旧の情というにはいささか大袈裟なところはあるが、余談は尽きるところがない。
「ゼロスも相変わらずなんだねぇ」
「でひゃひゃひゃ。そういうコレットちゃんだって、改めて見るとやっぱオトナの色気がちょーっと出てきたんじゃない? もぉ俺さまクラクラ……」
「まったく……今初めて話した訳じゃあるまいし、わざとらしいねぇ」
 しいなの言葉に失笑するコレット。
「ううん。ゼロスって本当にいい人。やっぱり、痛みの分かる人は優しいんだよね」
「そいつは色眼鏡って言うんだよ。ああ、内心何考えてんだかわかりゃしないしサ」
「おいおい、そりゃどういうこっちゃい」
「言葉通りサ。アンタってホントに……」
 しいなが何故か急に顔を赤らめてそっぽを向く。その視野にはリフィルとリーガルと談笑するロイドの屈託無き笑顔があった。
(…………ふーん…………)
 ロイドとしいなを交互に目配せしながらゼロスは小さく唸った。
「まあ、“いいひと”であることには変わりはないかもな、お互いに」
 誰に向けられたものではない、ゼロスの呟きがコレットとしいなに染みいる。
「そりゃ、どうも」

「少し外の風を当たってくる」
 リーガルがそう言ってベランダに足を向ける。少しばかり冷たく心地よい海風がリーガルをかすめてゆく。と、それと同時に幾程となく知る気配に、すうと息を呑む。
「ミズホの士か。保高ではないな」
(蠎はメルトキオに密命にて……。申し遅れました、某は藤林太賀が臣、服部寛藏保峻と申す者――――――――リーガル卿)
「保興殿の腹心か。……どうやら、あまり喜ばしからぬ報せと見たが」
「ご炯眼(けいがん)、畏れ入る。――――さて、火急の用向きなれど、ひとまずはリーガル卿に諮るよう、副頭領より仰せつかっておりますゆえ――――」
「内務省……だな――――?」
 リーガルはふうと大きくため息をついた。
「はっ――――」
 寛藏が戸惑うように項垂れる。
「構わぬ。彼奴の裁断には端から期待などしておらぬゆえ、忌憚無く述べよ」
「お見逸れ致しました。実は…………」
 寛藏が注進した報せに、リーガルの表情がみるみるうちに強張っていった。

「ロイド。言わなくても分かるよな」
 突然、ゼロスがロイドの肩を鷲掴みにする。
「何だよ、急に」
 酒臭い息に、ロイドは若干眉を顰める。
「良いから、お前はしいなの奴と話す必要があるだろ。何を話すかは、自分の胸に手を当てて聞け」
 しかし、あからさまにロイドを意識して顔を合わそうとしないしいな。ロイドが近づくたびに、彼女の白い頬が分かり易すぎるほど紅潮し、身じろぐ。
 純粋、奥手と言えば聞こえは良い。しかし、ひと言で述べるとするならば、“極めて鈍感な男”。そんなロイドも、さすがにしいなの見せる態度には気づかぬはずがなかった。
「しいな、ちょっと話さないか?」
「ロ、ロイド……。あ――――あの……」
 それまで談笑していたリフィルに目配せするが、リフィルの笑顔は既にロイド側に味方すると語っていた。しいなの二の句を継ぐ前に、リフィルはゼロスの処に颯爽と、パルマコスタワインが注がれたゴブレットを手に行ってしまった。
「はぁ……でも、良いのかい。コレット放っておいて」
 何かとコレットを気にする様子のしいな。そのコレットはジーニアス、プレセアと話に花を咲かせている。
「コレットのことは良いんだ。俺は、しいなと話したい。ダメかな」
 するとしいなは捻り切れそうなほどに首を横に振る。
「そんなこと無いよっ。う、嬉しいよ」
 しかし正直な性格は隠せない。真っ赤になった顔面を見せまいと、爪先を直下に見つめるしいなの様子は、気の強さの中に見せる脆さと儚さを微妙に掛け合わせた、切なげな愛らしさがあった。

「うわあ、どこも人がいっぱいだよ、参ったなぁ」
 アルタミラヒルの外、展望台、レストランのベランダ、何処も運悪く数多の恋人に陣取られてしまっていた。
「…………部屋しかないのかねえ」
 ぼそりと、しいなが呟いた。
「仕方ないか」
 さり気なく、ロイドが肯定する。
「え……! ほ、本気かい?」
「本気も何も、落ち着いて話す場所って、あとは部屋しかないだろ。それとも、会場で立ち話でもするか?」
「う、ううん。あ、アンタが良いなら、あたしはそれで良いよ」
 想像が飛躍してしまい、心ならずも萎縮してしまった。
 アルタミラに不定期滞在を表明したロイドたちのために、リーガルは客室を個々に宛ってくれていた。とは言っても、高級なスウィートルームという類のものではなく、一般客用の極めて質素な間取り。ただ、こればかりは通らせてくれと、リーガルの厚情で景観は随一だ。郊外の高台に劣らず、もしかすればそれ以上の絶景。南洋を鳥瞰し、空気が澄んだ晴天には水平線まで鏤む星斗を満喫出来る。縁側はさすがにないが、大きな窓が空間を宇宙に融合させるばかりの雰囲気を作り出している。こんな個室空間が無期限にシルヴァラント組にあるのだから、改めてリーガル・ブライアンという壮士の実力を知らしめられる。
「お、おじゃましま……す」
 一瞬、緊張が極限に触れ声が上擦ってしまう。ロイドはさほど気にするようでもなかったが、それがかえってしいなの羞恥心を煽った。
 睡眠の妨げにならない程度の光を湛えるランタンがひとつ、棚の上に置かれている。茫然としたセピアの明るさが捉えようによっては艶美な雰囲気を醸し出している。
「しいな?」
 不意に、沈黙が破られた。呼ばれて気がついた当たり前の状況。このロイドの部屋には、彼としいなの二人きりだった。
 そんなお誂え向きな場面に似合わず、ロイドの声は普段のようなノリである。
「な、なんだい?」
 心なしか上擦る声。それがまた心を見透かすようだ。
「あは、あはははははっ」
 突然の哄笑に唖然となるしいな。
「?」
「あ、ごめん。ちょっと、思い出してしまって」
「思い出して……って、なにサ」
 笑いが収まったロイドが、まっすぐにしいなを見つめて言う。
「ああ。急にしいなと出会ってからのこと、色々と思い出してしまったよ」
「え、ええっ、何だよそれ――――」
「初めて会ったときって、まじで可笑しかったよなあ」
「い、今更何を言うのさっ。そんなこと、何度も話のネタにされてきたよ」
 唇を曲げてそっぽを向くしいな。
 やがて、ぴたりとロイドの言葉が止まる。沈黙が気になってふり向くと、ロイドは寝台に腰掛けて窓の外を見遣っていた。その眼差しに、そこはかとない温かさを感じる。
「冗談なんかじゃなくてさ、本当に。……うん、オサ山道――――」
「や、やめなよっ! なんだい、突然本当に」
 怒声が飛ぶ。恥ずかしくなると声が自然に荒ぶ。彼女の特徴のひとつでもあった。
「しいなは本当に優しいし、可愛いし、全然、憎めないんだよな」
 ロイドの美辞は続く。
「そ、そんな、ほ、褒められたって、私には何にも――――」
 しいなは言葉を呑み込んだ。
「俺は……しいなのこと、好きだぜ?」
「!?」
 愕然となるしいな。予想にもしなかった言葉に、顔面が紅潮することすら忘れてしまうほど茫然としてしまった。
「もちろんっ、仲間としてもだけど……」
「…………」
「仲間としてもだけど、多分、それ以上の意味もあったのかも知れない……」
 ロイドは自分の言葉を良く理解出来ていなかった。それほど、しいなに対する感情には昔から漠然としたものがあったことは確かだった。
「……それ以上の意味……って」
「自分でも良くわかんね。……でも、お前ってホントに見ていて放っておけねえよな。コレットもそうだけど、あいつとはまた違った、うーん……何か一生懸命って感じでさ……」
「――――そりゃあ……あたしたちミズホの民のためだったからさ、一生懸命にもなるよ」
「そうじゃなくて。何ていうのかな。えっと……そう、“ケナゲ”って言うやつ?」
「健気……。あははっ、そんなことないよ――――」
 しいなはぷいと顔を背けた。
「もしかしたら……、しいなのこと……って、思っていたのかも知れない」
「…………」
 はっきりと言葉を言わないロイド。半ば苛つくしいな。
「なあロイド。本当に回りくどい言い方はよしとくれよ。……じゃあ、あたしから訊くけど、良いよね」
 ロイドの返答を待たずに、しいなは続けた。
「あんたはあたしのこと、女の子として好きと思ってくれてるのか。今まで、コレットよりもまっ先に、あたしのこと考えてくれたこと、あるかい……?」
 息継ぎが無く、極めて語気強く、しいなは想いを連ねた。今まで抑えてきた感情が、何故かこの時とばかりに溢れる。
「……それが、あたしにとって、あんたがあたしのこと好きかどうかってことなのさ」
「しいな…………」
 ロイドが視線を向けると、彼女の半分閉じかけた瞼の表情が憂いの雰囲気を湛え、いつものがさつな印象の彼女を、一遍たおやかに変えていた。
「…………」
「…………」
 妙な緊張感が包んだ。言葉のタイミングを外してしまったか、ばつが悪い。
「話がそれだけなら……あたしは……」
 悲しい表情を懸命に隠して、しいなは声を繕った。
「あ、しいなっ、あの、この前は……その……」
 突然言葉に迷うロイド。
「……あ、ああっ。だから、全然気にしないでって言ってるだろ、もう――――」
 意識していたことだから返す言葉も早かった。しかし不自然すぎるほどハイテンションな口調。
「き、気にすんなって……そうはいかないぜ。俺だって一応男だ。ああそうですかっ、で済まされるか」
 ロイドの言葉にはなおも払拭しきれない迷いが感じられた。しいなは敏感に、それを悟っていた。
「あぁ、参ったねぇ……」
 ロイドもしいなも正直、混乱していた。
 メルトキオの出来事は冷静に考えれば後先の事を考えないままの軽率な行動だったかと、今更ながら思ってしまう。ゼロスが如何に画策を講じ、それが功を成したかのように見えたとしても、二人がそれを理解しうるにはあまりにも幼い部分があった。
「コレットのこと、気にしているんだろ?」
 しいなの素の声色が、ロイドの胸に突き刺さった。
「あんた、まだわかってないんだねぇ……」
「しいな?」
 しいなと視線が重なった。きらきらと、彼女の鳶色の瞳が揺れている。
「本当なら……と言うか、普通の女の子ならここで涙を呑んで身を引きゃいいんだろうけどさ。……生憎あたしはミズホの中でも特に毛並みが変わっていてさ――――」
「……」
 しいなは窓際に立ち、星を瞳に映した。
「ロイド、一回しか言わないから――――肚くくって聞いとくれ」
 ロイドは相槌を打った。

 ――――あ、あたしはあんたのこと――――ずっと見てたんだ……。
 初めて会った時から……あんたのことが………気になってどうしょうもなくて……。
 テセアラのためにとか……ミズホのためにとか言っていたけど…………あんたと出逢ってから、そんなことだけに囚われちまっていた自分がイヤになっていたんだ。
 ――――コレットを狙っていたことも、蛇から深く怨まれていたことも、どうでも良くなってさ…………。あんたと一緒にいられるならってね――――。
 それでも、あんたに励まされて、色々な出来事、乗り越えてゆくことが嬉しくて……。
 でも……あんたの優しさは……あたしには辛かった――――。
 だって……だってサ、それは――――。

 きゅっとしいなは唇を噛んだ。それでも、微笑みを絶やそうとしない。この気丈さが健気だというのか、ロイドの胸に一瞬、痛みが走った。しめつけられるような感覚。じわりと、胸から下へと広がる痺れ。
「しいな――――」
 ふわりと、背後からしいなの身体が温かさに包まれた。豊満な胸と、良くひきしまった腰に、ぎこちなく小刻みに震える青年の腕が廻され、しいなをしっかりと捉えている。
 彼女のトレードマークとも言うべき、結われた黒髪の甘い香りを間近に感じる。
 抱きしめられたしいな、抗うこともせず、そっと身体を後ろに傾けた。
「何で? 何でサ……なんで、こんな事するのさ――――」
「ん――――俺……らしくないかな」
 はにかむロイド。しいなはただ苦笑を浮かべた。
「……じゃあ、俺からもひとつだけ、しいなに訊いても良いか」
「何――――」
「あの日――――俺としいなは…………」
「…………」
 わずかに渇いたため息が、しいなの喉の奥から漏れ聞こえる。
 ロイドの質問にしばらく無言のしいな。
 そして、胸元に廻されていたロイドの左腕にそっと触れると、おもむろにその親指を甘噛みする。
「!?」
 愕然とするロイドをよそに、今度はその掌を、自らの胸に重ねたのだ。
「し、し、しいなっ?」
 羮に触れたように身を離そうとするロイドを、しいなは力を込めて封じる。
「……………………ンッ」
 小さく、息が乱れるしいな。ロイドの左腕は石化したように固まってしまった。
「あははっ…………あたしも……らしくないかねえ…………でも……今度だけは後悔したくないからサ――――」
 それは救いの塔で遭遇した、離脱の試練。あの時の本心を、しいなは絶対に忘れていない。
「こんなコトさせるの、あんたが初めてなんだ……。そんなに固くなっちゃ……あたしが……」
 しいなの身体の震えが良く伝わってくる。ロイドの緊張は相当、解けそうもない。
「お願いだよ、ロイド――――。今だけは……今だけでいいから、あたしのことだけ考えて――――」
 ぎゅっとロイドの掌を押しつける。それでも、大きく、瑞々しいそれは形を崩さない。
「しいな…………」
 冷たい汗が滴る。顔が真っ赤に火照り、抑圧が異常な寒気を身体中に走らせる。
「そうしたら、あたしはあんたのこと――――…………」
 首をひねって、しいなはロイドをまっすぐに見た。ランタンの淡い明かりにでも、しいなのうっすらと紅潮した頬が、ロイドの奥の神経を直に刺激するには十分だった。
 ロイドはしいなの腰に回していた手を外し、しいなのやわらかな頬にあてがった。そこは見た目以上に熱かった。
「……それが、答え――――」
 返事はない。うっすらと閉じられてゆくしいなの瞼。小ぶりの薄く形の良い唇が、ロイドに向けられていた。
「………うン…………」
「はぁ…………」
 やがて、ロイドの記憶は漠然となり、ただ初めて知った得も言われぬ感触がいつまでも忘れられないでいた。

「ゼロスどの」
 ロイドの部屋のランタンが消えたのをぼうっと眺めていたゼロスに、リーガルが声を掛ける。
「おぉリーガル卿、今日は格別の――――って、……ふぅ、どうもそんなんな話題じゃねえか」
 リーガルの傍らに在るミズホのカゲに、ゼロスのほろ酔いもいささか冷め気味である。
「ゼロスどの、火急だ。急ぎ南洋修道院に行かねばならぬ」
「? どういうことよ」
 リーガルの緊張した声色に怪訝な表情を向けるゼロス。
「セレス殿の御身が危ういのです、ゼロス様」
「…………」
 寛藏の口から発せられた言葉に、ゼロスはしばらくの間、理解に苦しんでしまった。