Last supplementary.1 遙かなる時、君想い変わらず


(ひとつだけ、“約束”――――したいんだ…………)
(……ニ……アス……?)

 ……君の苦しみを、僕にもくれないか。
 正直、君が受けつづけてきた苦しみの全てを解ることは出来ないと思う。
 でも……せめて、君が失った時間を僕も感じつづけたい。
 そして、今の君……。

 ……プレセア……。

 君と同じ年齢となって、この気持ちが変わらないでいるならば……その時は……

 …………

(どんなことがあっても、答えはずっと、ずっと変わらない――――)

(あなたに出逢えて……、ほんと……本当に、良かったです……)

テセアラ・シルヴァラント立憲君主連邦共和国 アルタミラ州
州都アルタミラ

「テセアラ社会民主連合・リーガル=ブライアン代表、当選確実です!」
 アルタミラ州選管職員が大衆犇めくリーガル=ブライアンの陣営に駆け込み、声を張り上げた。その瞬間に、会場は怒濤の歓声に包み込まれた。
 アルタミラ選管最終――――アルタミラ第一自治選挙区 議席定数二

 リーガル=ブライアン テセアラ社会民主連合 28,6549 当選
 コンラッド=モレッツ 自由愛国党 11,1872 当選
 ジークリート=ヴェルガー テセアラ・シルヴァラント民族平和会議 66,580
 アロルド=シリオット 国民を救う手・無所属の家 12,261

 テセアラ・シルヴァラントの両世界がひとつになりつつある中で、第一回テセアラ・シルヴァラント連邦議会選が行われた。
 テセアラ王国ヒルダ女王を議長とする、四五三議席を廻る初めての総選挙。
 マリウス元国王が突然の退位を表明してから十四年。世界が共存と安寧を模索し続けたその時間は長かったのか、短かったのか、それはこれからの歴史で評価されて行くのだろう。
 民主革命党・アーネスト=アンドリュース党首が主導してきた新憲法が承認され、王国専政の時代が崩れ、国民・種族主体の世が現実となりつつある中で、この初回総選挙は言わずもがな国中が熱気に包まれた。
 救国の勇者の一人・リーガル=ブライアンが結党した中道左派「社会民主連合」は、民主革命党に代わる第一党にはならなかったが、議会第三党として強い影響力を持つようになった。
 アルタミラ州の州都・第一自治選挙区から立候補したリーガル=ブライアンは、約二十九万票の得票率約六〇パーセントを獲得して圧勝。テセアラ出身者が主要政権を担うべきと主張する保守右派・自由愛国党のモレッツ党首をダブルスコア以上に差を付けてのトップ当選である。
 勝利宣言をするリーガルに喝采と拍手を絶え間なく送り続ける黒山の聴衆の外れで、一人の女性が、その淡いシアンブルーの遠い眼差しをじっとリーガルに向けていた。
 ふわりとしなやか、それでもしっかりとした薄紅色の長い髪。意志の強さを具現したように、すっと伸びた鼻梁、形の良い口唇。そこはかとなく憂いを感じさせる、整った美貌。控え目ですらりとした身体。
 決して、フェロモンをまき散らしたり、幼女趣味の歓心を買うような作られた愛らしさというものでもない。そんな万人の目を瞠るような華やかな美しさという感じではなくて、孤独と寂しさに慣れてしまった、幼い頃もきっとそうだったような雰囲気がある。そんな“孤独”がよく似合い、その横顔に胸を締めつけられるような、純粋可憐な美しさ。

(ありがとう、プレセア。あなたがいればこそ、私はここまで来られたのだ)
 その日、『当選確実』の情勢に、リーガルはプレセアに対し誰よりも先に感謝の言葉を伝えた。
(私は――――新しいこの世界で、“あの人”が今も追いかけつづけている夢のお手伝いをしたいと思っただけです……。リーガルさんが議会に立つことで、そのお手伝いの力になれるというのなら……)
 “君のお陰だ”という言葉を、プレセアは否定する。実に彼女らしかった。リーガルが微笑む。
(プレセア。あなたはどうして、そんなにも強くいられる――――。あれからもう、十四回目の春も過ぎた。もう十分ではないか)
 プレセアが見せる、あの頃と全然変わらない、透き通るほどに哀しくも輝く微笑がリーガルの心をぐっとさせる。
 プレセアは言った。

 ――――こんな私を――――ずっと……
 ずっと見ていてくれていた彼を――――
 私は信じています……。

 ……いいえ……

 信じているんじゃないです。
 私は……私は彼のことが好きなんです。
 とても……とても好きなんです。
 こんな想いを感じたのは、初めてです……。

 そしてプレセアは腕に填めている形の歪なブレスレットを大切そうに触れてから、少しだけはにかみ、頬を染めて言う。

「アリシアもきっと、リーガルさんにこんな気持ちを感じていたのでしょうか」

 その言葉に、リーガルは何も返すことが出来なかった。
 人を愛する想いというものの強さを見せつけられたような気がした。
 十四年という時が過ぎても、まるで初恋を覚えた頃のように、プレセアを少女へと還す。それは全く色褪せていないように思えた。
 連邦議会議員となったリーガルは、プレセアに秘書の仕事を頼むつもりでいたが、呑み込むしかなかった。言葉は悪いが、プレセアにはずっと、リーガルが付け入る隙はなかった。

『コールスタン・コンストラクション』
 テセアラ・シルヴァラント連邦政府が主導する復興事業の土木を請け負う、クルツ・コールスタンの下でプレセアはリーガルの事業を手伝ってきた。新憲法が公布され、連邦議会の選挙が実施されることになると、なかなか腰の上がらなかったリーガルを口説いて立候補させた。レザレノグループ・コールスタンの後援もあって、政党・社会民主連合を結党し、今日に至ったのだ。
「辞めたいとは、ずいぶん突然な話ですぞ、コンバティール」
 動揺を必至で抑えながら、クルツが声を震わせる。
「この国もやっと元の姿を取り戻して、リーガルさんが議員になり、新しい国としてもきっと皆が望む世界になって行くと思います。私の役割は……終わりました」
 リーガルの元を離れる以上、クルツや自分に良くしてくれた人々に迷惑を掛けるわけにはいかない。そう思った。
「辞めてこれからどうするのだ」
「それは……これからですが……」
 エクスフィアの後遺症というのには語弊があるかも知れないが、プレセアは多岐の業務を手際よくこなすと言うことが出来なかった。故に、コールスタン・コンストラクションの仕事も決して器用という訳ではない。
 迷惑を掛けている。何も出来ない自分がこうも良くされていることに、引け目をずっと感じていた。
 リーガルの議員当選が、いい区切りだと思った。しかし、半ば行き当たりばったりの決断とも言えなくもない。その後のことに気を回すゆとりはなかった。
「話にならんな」
 不機嫌に吐き捨てるクルツ。
「クルツ……社長……」
「コンバティール。君は何か勘違いしてはいないか。もしも我々に迷惑を掛けているのではないかと思っていてそんなことを言っているというのならば、大きな思い上がりだぞ」
「…………」
「我々は、君にここにいてもらいたいと思っている。今更、言うまでもないだろう」
「ですが……」
「それに――――君は約束をしているんだろう」
「…………」
「少しだけでも、我々に支援をさせてはくれないか。勿論、無償援助というわけにはいかないがね」
 申し訳なさそうに俯くプレセア。しかし、クルツは笑みを湛えながら言った。
「それに、星見の高台には、オゼットは遠すぎる」
 プレセアの胸に、もう何度も何度も感じる、鈍く切ない痛みが一瞬、奔った。

 誰がそう呼び始めたのか、判らない。
 ただ、巡るその季節。空を埋める星屑の下で、何かを、誰かをじっと待っているかのような美しい女性の姿が、名もない眺望台にそんなロマンティックな名前を付けさせたのだろうか。
 星がその生命を終えるとき、そして流星も尽きるとき、一際強く輝く。その儚さに惹かれる。幾万億の時を重ねて、今尽きんとする生命を惜しむかのように、或いはここに自らを誇張するかのように、星は最後の光を放つ。
 哀しいはずなのに、美しい。哀しいから、美しいのか。
 哀しみと孤独の象徴だったのかも知れない。暗闇の中に封じ込められてきた心と身体。美しく光り輝くその星に、一人の女性としての思いも重なっていたのだろうか。
 控え目で、そこはかとなく少女の面影があり、愁いを秘めた瞳、きゅっと結ばれた唇。そんな孤独を身に纏っている美しい女性に、誰も声を掛けない。いや、掛けたくても掛けられないのだ。寂しげな姿にも、凛とした意志を感じさせた。誰かに縋りたい。そんな雰囲気が彼女にはなかったからだ。

 星見の高台に佇むプレセアの元に息を切らせながら駆けてくる若い男性がいた。
 エリュオン=シーグル。
 レザレノグループの社員であり、リーガルやジョルジュ・元レザレノ社社長からも将来を嘱望されている、二十九歳の青年。
 クルシスが崩壊した、まさにテセアラの“”再興元年”に、レザレノに出入りするようになった。“救世の美少女”の名を馳せるプレセアとも、その時に知り合った。
「プレセアさん、またここに……」
 呆れ気味に言うと、息を整える。
「結構、坂がきついんで」
 そう漏らして苦笑すると、プレセアは見開いた瞳をゆっくりと細めて微笑する。
「走れば疲れます。エリュオン」
「まったく、その通り――――」
 素朴な突っ込みに、気取ることなく素のままで笑顔を返す。プレセアにとって、かつての仲間たち以外に素で微笑みを許せるのは本当に少ない。まして、相手を呼び捨てにする相手は同性以外では希だ。
「ここに佇んでいる姿が良く映える。貴女はちょっとした有名人だ」
 少し皮肉ると、プレセアはまるで屈託無く微笑む。
「そうなんですか? ごめんなさい、全然気がつかなかったです……」
「いや、その……」
 真に返されると逆に悪い気がする。エリュオンは顔を少しだけ染めて俯いた。
「ありがとうございます、エリュオン。……いつも、心配してくれて」
「え……あ、ああははは。何ですか、いきなり」
 少しだけ頭を傾けるプレセアに、一瞬戸惑うエリュオン。

 思えば、彼女と出逢ってから、もうすぐ十五年にもなる。
 レザレノ社の復興事業に携わっていたプレセアの補佐を、当時のジョルジュ社長の秘書であったエリュオンが任せられた。
 それはエクスフィアの影響が尾を引き、咄嗟の機転がなかなか利かない彼女の、いわゆる身辺警護も兼ねた役割だった。
 デュリス・カーラーンの脅威が過ぎ去り、マナの力が安定しつつある中で、エクスフィアの強い力も次第に静まりつつあった。
 それまで、その力によって巨大な戦斧を振り回してきた彼女も、その闘気が完全に削がれ、一人の少女に戻った。
 しかしそれは同時に、見目美しい彼女に様々な想いを寄せる男たちの風にも晒される危険があった。
 当時はやはり現在ほど万遍なく治安が安定していたわけでは決してない。
 ある場所で複数の男に声を掛けられるプレセア。普通ならばすぐに拒絶できる。しかし、ひとつふたつの間が彼女に生じ、それが邪な思いを懐く男たちにとっては十分な隙だった。
 ほとんど無抵抗なままに両腕を掴まれて拉致をされかける。
(いや……助けて……)
 恐怖に声が震えた。力を失してしまうと言うことがどんなものなのか、考えるよりも先に、プレセアは女性としての恐怖を覚えた。
 その時、一条の銀光が薄暗い路地を切り、プレセアを掴む無頼漢の腕を貫いた。
 激痛に愕然として男はプレセアを放した。プレセアを囲んでいた男たちも、身を怯ませて振り返る。
 これと言ってさほど特徴もない、普通の優しそうな青年の姿に、呆気に取られる無頼。
 しかし、そんな青年を馬鹿にし、恐喝を加えようとした無頼に向かって、青年は懐に手を差し入れ、次の瞬間にあの銀光を胸元から発した。それは護身用の短剣だった。気づいたときは突き刺さった無頼の腕の筋は見事に切断されていたのだ。
 彼もまた、幼い頃からレビンの薫陶を受けて投剣法を習得していた。無頼たちは霧散し、青年は力なく床に崩れ落ちたプレセアを助け起こした。
(ありがとう……)
 恐怖を封じて懸命に感謝の微笑みを向けようとするプレセア。その表情を見た途端に、青年は胸の奥に何かを感じた。

 少女の心は白銀の髪の少年に向けられていた。
 そんな彼女だからこそ、決して曲がらないほどの強い想いがあると思った。
 しかし、その時のエリュオンは迷わなかった。
 無償の護衛、害毒を祓う騎士などという大それたものではなかった。ただ、プレセアを守れる。そのことが嬉しかった。
 考えてみれば、彼女の心の隙間に入り込むことはいつだって出来た。

 “薄い硝子細工のような絆”

 いつだったか、プレセアの話題の中で、そう言っていた人間がいた。
 薄い硝子は、ちょっとでも突けばあっさりと壊れるだろう。彼女の弱点につけ込めば、肉体的な支配はいつでも、どこでも出来る。
 想いを寄せる少年との絆は見映えは美しいが、脆い。移ろいやすい人心。一年後の事すら気が気でないというのに、四半世紀にも及ぼうとする約束など、流行の小説にも描かれない。
 プレセアが交わした想いは、児戯にも似た、稚拙なものだと言われた。
「薄い硝子細工は、どんな宝玉よりも美しく眩しく輝く。壊れやすいからこそ、美しい」 エリュオンは心底からそう思った。
 彼女が想いを寄せる少年のためではない。ただ、こんなにも薄く、重く脆い硝子細工を胸に抱く彼女の一途さを、守りたいと思ったからだ。
 そんなエリュオンの無欲なる想いは、次第にプレセアの心をほぐしていった。
 周りから見れば、きっと『良い友人関係』と言われてお終いだろう。しかし、そんな関係こそ、プレセアにとっても、彼女を見守っていたいと思うエリュオンにとっても、すごく大きな変化だった。
 彼女がかつて戦いを共にしてきた仲間たちのように、気軽に呼び捨て合える事は出来ずにいるが、安堵の微笑の恩恵は得ることが出来るまでになった。

「この場所が好きですか」
 今更訊ねるべくもない。
「ここにいると、気持ちが安らぎます……。なんて言うか――――こうして瞳を閉じて……風を感じて……、潮騒の音を聴いていると……すぐ側にいてくれるような――――そんな気がするんです」
 時が経てば人は変わる。街の色も変わる。世の中は絶えず流動し、感動の視点も変わる。
 しかし、自然は変わらない。たとえ変わるにしても、途方もない程の時間を掛けてゆく。それは人間やエルフの寿命を遙かに凌駕する時を経てだろう。
 精神と身体の乖離を実感したとき、同時にプレセアは大自然の雄大な摂理に心を求めた。
 決して明確な答えというものがない、どんなに人自身が変わっても、瞳に映る風景の色は変わることがない。あの日の景色を、この場所に求め、変わらぬ想いを懐き続けるために。
「いつか、貴女がここに佇むことがなくなる日が来るでしょうか」
 その言葉にプレセアは寂しげな微笑みを向けるだけだ。信じていても拭いきれない“不安”の欠片が、一個の人であるプレセアを見るようだった。
「私が貴女の側を離れても、変わらずに待ちつづけるつもりなのですか」
 エリュオンの突然の言葉に、プレセアははっと目を瞠る。
「……?」
 エリュオンは苦笑する。
「時間はどうしても待ってくれない。私自身がどう望んだところで、止められないことの方が多いんです」
 静かだが、熱が籠もり震える声。
「私には、貴女を守ってゆく事が出来る自信がある。昔も、今も……これからも」
「…………エリュオン……」
「そう思いつづけて、そう言い聞かせて、もう何年も過ぎていた。貴女がここに佇み、遠い人を思いつづけるように。それを当たり前なことだと思うようになるまでに、どれくらいの時間がかかるのだろうか」
 エリュオンはゆっくりとプレセアの手を取ると、包み込むように握る。
「いつまで経っても、思うようにならない。いや、思うようになれないことだけが胸に突き刺さる。そんな辛さだけだった」
「……ごめんなさい。私の……私のせいですね……」
 表情が曇るプレセア。エリュオンの掌から、彼女の震えが伝わってくる。
「貴女を責めているわけではない。運命だと思えば、いつかは諦めもついたかも知れない。……しかし――――」
 プレセアの手を、エリュオンは強く握った。
「私自身がもっとしっかりしなければならないことだった。だから、決意したのです。プレセアさん、聞いてくれますか」
「は……はい――――」
 戸惑いがちに、プレセアはエリュオンの瞳を見つめた。
 そして、息を整えてから、エリュオンはゆっくりと言葉を紡いだ。

「私の――――妻になってくれませんか」

「…………」

 その告白に、プレセアの意識は一瞬、霞んだ。