第2話
加藤みのり
可憐の一件で、俺と竜之介の名は学園内で一躍有名になった。噂というものは悪いものばかりが広まるもので、俺達は浮いた存在になりつつあった。
『可憐と南部は交換日記しているそうだ』とか『南部と竜之介は密かに女子に手をつけている』とか、挙げ句の果てには『南部と竜之介はホモダチ』とまで、いやあ、あることないこと飛び交っている。まあ、可憐を囲む連中が各々飛ばした噂なんだろうが、一人一人突き止めるわけにもいかないし、勝手にほざいていろということだ。
そんな俺達でも、普通に接してくれる奴というのはいるものだ。はみ出し者だと卑屈になる気はないのだが、やっぱり親しくしてくることは嬉しいものである。
男では同じクラスの大友浩一、広山裕介。C組の金井武則。A組の川尻あきら。前の三人は、例の可憐事件の後から話するようになったし、あきらはいつも柔道着を着ている変わった奴で、俺達とフィーリングが合うのか、自然と仲良くなった。
女子では同じクラスの南川洋子。美人系だが、すこぶるヤンキーで、学校に隠れてバイクを乗り回している。竜之介と同じ中学だったらしく、竜之介を介して話をするようになった。言葉遣いが悪く、竜之介や俺ともよく口喧嘩をするが、何故か相性がいいのか、遊びに誘うと大概は乗ってくれる、いい女友達だ。
水野友美――――竜之介の幼なじみで、学校一の才女と評判だ。背中まで伸びたストレートヘア。トレードマークはヘアバンドと黒縁メガネ。それだけでも美人だから、美人は本当に得だ(訳わからん)。幼なじみということだから、可憐事件後、彼女は竜之介を深く心配して、長電話をしてきたと、竜之介本人が言っていた。
C組の篠原いずみ――――彼女の父親は、有名な一流企業「篠原重化学工業株式会社」の社長で、当然家はでかい。俺は一度も行ったことはないが、竜之介の話だと、武家屋敷並の古風な造りだという。弓道を伝える家柄なのか、彼女は弓道部に所属し、ホープと言われているらしい。御令嬢の身分なのに、性格は男勝りで非常にさっぱりしている。可憐事件の翌日、廊下で俺達を避ける連中と違い、「あんたたち、やるじゃん。かっこよかったよ。」と笑顔で話しかけてくれた。非常に気さくないい親友になった。
鳴沢 唯――――可憐が芸能界のアイドルだとするならば、彼女はクラス、いや、学園のアイドルと言ったところ。竜之介と親しいように思えるが、竜之介は彼女のことを話したがらない。人にはそれぞれ話したくない事情ってものがあるから、俺は二度は聞かないようにしている。だが、彼女と竜之介の関係は、ただのクラスメイトという風でないことだけは確かだ。
親しい友人は増えた。だが、ただ一人、俺が気になっているクラスメイトがいる。窓側の最前列にいる、《加藤みのり》だ。竜之介曰く《ザ・やじろべえ》三つ編み崩しの変わったヘアスタイル、目が回りそうな分厚いメガネをした、無口な女の子。入学以来、誰とも話すことがなく、存在感が薄い。いつも窓の外をただ眺めていて、その後ろ姿は哀愁漂っている。
昼休み、竜之介・浩一・裕介・友美と弁当を一緒に食べていた俺は、ふと漏らした。
「加藤って、何で話をしねえんだ?」
その質問に、一瞬口の動きが止まる竜之介。
「何でって、んな事俺が知るか。」口の中のものを飲み込んでからぼそりと言う竜之介。「水野。君は話しねえのか。」
友美はえっ?という表情をしてから、寂しげに言った。
「みのりちゃんね。私もお話ししたいんだけど、彼女、私達ともあまり話さないのよ。」
「トラ、何で急に加藤のこと。」浩一が不思議そうに言う。
「いや。ほら……このクラスで話したことがないって言ったら、加藤くらいなもんだからさ。」
「今、知った訳じゃないだろう。」裕介がやや呆れたように言う。
「まさか、イジメに遭っている訳じゃねえだろうな。」語気をやや強くする俺。
「そんなことはねえさ。ただ彼女が無口なだけだよ。おはようくらい言ってくれるし。」
竜之介が言う。
「なんかさ、あいつ見てると寂しくなって来るんだよな。」
俺がそう呟くと、周りの雰囲気がどんよりとしてくるのがよくわかる。箸を動かす手がぎこちない。
「……ああ、やめやめっ。そうだ、明日土曜だし――――学校終わったらよ、如月でカラオケでもしねえか。」
「トラ。お前、俺が歌下手だって事、知ってて誘ってんのか?」竜之介が睨む。
「てめえで下手だって言う奴に限って上手いもんだ。水野、竜の歌聴いたことある?」
「えっ……ううん、ないわ。」
「一度聴いてみてえよなあ、浩、裕。」
「ああ。」
「ようし。いっちょノドならしに行くかい。」
渋る竜之介を強引に説得し、俺達はその日の放課後、五人で如月町のカラオケボックスに行った。
第二土曜日。学校は休み。第二・第四土曜が休みになるとは、社会人みたくて得な気分だ。カラオケは最高だった。竜之介はウケ狙いなのか、吉幾代やドリフ・《金太郎の大冒険》、取りと称して《炎のランナー完結編》という風変わりな歌ばかり歌ったし、浩一は大黒寅泰のアップナンバーで乗せ、裕介は今流行りの新曲で引っ張り、友美は女性らしいバラードナンバーでしっとりと歌い上げた。俺はマイナー系のアーティストでギターを弾く仕種で歌った。真面目で知られる友美も、久々に勉強のストレスから解放されたかのように楽しんだ。俺と竜之介がカバンの中に密かに忍ばせた缶ビールを取り出しても、彼女は「今日だけは、いいわね。」などと言い、自分も一緒に呷った。無論、ばれなかったからいいものの、二度はこんな事は出来ない。スリルがいっぱいだった二時間。俺は家に帰って即行寝てしまったわけだ。
AM6:30。その日、俺は珍しく早く起きた。目覚まし時計の設定時間よりも早く目が覚めると、心なしか得した気分になる。
(俺は目覚ましに勝った)などと、ふと思ってしまう。そう、目覚まし時計は我らの味方でもあり、敵でもある。なぜか。それは『遅刻』という脅威から自分を救ってくれる心強い味方でもあるが、安眠を妨げる外敵でもあるからだ。今日は学校も休みで、目覚まし時計は敵以外の何者でもない。早い話、スイッチを切っておけばいいだろうと思うかも知れない。ただ、俺は昨夜もセットして眠ってしまったのだ。
まあ、それはともかく、休日ともなれば、いつも十時・十一時まで寝ている俺だから四,五時間も得した気分になるのはわかるだろう。
俺は居間でテレビをつけ、冷蔵庫から半分になった炭酸オレンジジュースのペットボトルを取り出してコップに注いだ。テレビのスピーカーからはリポーターが全国各地の名所云々の紹介で、はしゃいだり、司会者同士のくだらない会話が流れている。とりあえず、『全国・今日の天気情報』だけを見る。
「最低気温十二度に最高十八度か。天気は……今日も雲一つない快晴か。」
カーテンを開けると、眩しいくらいの朝日がそそぎ込み、思わず目を伏せてしまう。
「秋やねえ。」窓を開けると、冷たくて新鮮な空気が流れ込んできた。一瞬身震いするが、なれると気持ちがいい。
俺はトーストとコーヒーを作ってそれを平らげると、洗顔と歯磨きをしてから、私服に着替えた。
「七時半か――――。」
せっかく天気がいいのに、家の中にいるなんて性に合わない。何をするわけでもないが、とりあえず外に出た。八十八町住宅街の朝は静かだ。ちなみに、竜之介と友美の家は、歩いて十分くらいの所にある。竜之介の家は《憩》という喫茶店を経営している。友美の家はその隣。彼女の両親は製薬会社の重役で、当然家は大きい。俺は一人暮らしで一戸建て借り家。父は岩手で小さな設計会社を営んでいる。信虎兄貴は仙台の国立大学に通っているし、孝虎兄は高校卒業後、親父の会社に勤めている。俺はというと、丁度俺が小学校を卒業する頃、両親が先負町に長期出張していたから、俺もついていってちゃっかり先負中に転入したというわけだ。親は猛反対していたが、親戚筋が俺の面倒を見てくれるって言うので、渋々俺をここに一人暮らしさせているって訳だ。まあ、男の俺だからよかったものの、俺がもし女だったら、地球が破裂してもこうはいかなかっただろうな。
(水野は寝てるだろうし、竜は……。)俺はふと考えた。
「…………いるわけねえか。」
竜之介は遊びの達人だ。こいつの場合、休日に家にいると言うことは、家族の葬式があるときくらいしか考えられない。
(学校に行ってみっか。)なぜそう思ったのかはわからない。ただ、なんとなく、だ。
学校の裏には《白蛇ヶ池》と呼ばれる森林公園がある。都会最後の森と呼ぶに相応しい、春は草木の花が咲き乱れ、夏は緑滴る納涼地で、秋は色とりどりの紅葉が舞い、冬は神秘的に雪に染まる。考えてみれば、八十八学園は森の学校と呼んでもいいかも知れない。基本的に土日でも車の通りは少ない八十八町だから、ここは意外と見落としがちな名所であると、思っている。
俺は学校の校門を通って、校庭に出た。校則では学校に来るときは制服を着ることとあるが、俺の場合、『校舎に入らないからいいだろう』などと勝手な解釈をしていた。それに散歩がてらだと言えば、たとえ天道に見つかっても筋は通る。
朝練がある陸上部の部員達は、校庭を走ったり跳んだりしている。私服の俺に気づいている様相はない。いや、気づいてても見て見ぬふりをしているだけなのだろうか。
(もしかしたら、いずみがいるかもしんねえな)
俺は校庭を通り抜け、ネット裏にある弓道部練習場に向かおうとした。よそ見をしながら歩いていたためか、突然の衝撃に尻餅をついてしまった。
「きゃっ」
「いてっ」
透き通る声と俺の声がハモる。
「いててて……大丈夫か――――」
「ご、ごめんなさい――――」俺がふっと見上げると、驚いてしまった。
――――加藤 みのり――――
「あっ――――」彼女もまた、俺の顔を見て驚いたような表情を見せた。
「か、加藤……」
「南部さん……」細々とした声で俺の名を言う。俺は思わず口調がどもってしまった。
「ごめん。だ、大丈夫か」
「…………」彼女の周りには色とりどりの花が散乱している。
「あっ、拾うよ。」俺は慌てて散乱している花を束ね集めた。彼女はゆっくりと立ち上がり、直立不動になっている。俺は彼女の正面に立ち、花束を差し出した。
「加藤、これ。」
「あ、ありがとう。」彼女は俯いたまま小さく震える手で花束を受け取る。そして何も言わずに去ろうとした。俺は思わず彼女を呼び止める。
「加藤っ。」
彼女はびくっとして立ち止まる。俺はゆっくりと彼女の正面に立った。分厚いメガネでよくわからないが、やや怯えたような感情が沸々と伝わってくる。
「あ、あのさ、ちょっと、いいかな。」考えてみれば、彼女と話が出来るきっかけが思いがけなくできたと思う。何気なしに学校に来て良かった。彼女は逃げるような仕草は見せず、うつむきかげんにしている。
彼女はネット裏の花壇から花を摘み、教室にある花瓶に生けるところだったらしい。彼女の希望で俺は教室に行き、花瓶に生けられている花を交換した。
「どうもありがとう」
彼女はやや照れくさそうに言い、頭を深々と下げた。俺は彼女の座席から一つ挟んだ机(中野って奴の席だ)に座り、小さく微笑んだ。彼女は花瓶の前に立っている。
「礼なんかいいって。それより、うれしいよ。」
「えっ……」
俺の言葉に怪訝な表情を見せる彼女に、俺は本音を語った。
「今までさ、君と話したことなかったじゃん。でも、今日こうして話できることが、とてもうれしいんだ。」
「…………」彼女は無言である。
「あ、誤解すんなよ。あれはわざとぶつかったんじゃねえからな。よそ見してた俺が悪かったんだから。」
ぎこちない。実にぎこちない。彼女が何も言わずにそのまま立ち去ってしまったら、取り残された俺は、結婚式当日に花嫁に逃げられた新郎よりも、情けない立場のように思えてしまう。
「こ……こっちこそ、ごめんなさいっ。ちゃ、ちゃんと前見て歩いてなかったから」
初めて彼女が言葉らしい言葉を話した。俺は一瞬、思った。何て透き通った声なんだろう、と。
「加藤。まずは座ったら?」
俺は彼女を自分の席に座るように勧める。しかし、彼女は小さく首を横に振る。
「だ、大丈夫です。」
どうやら座ってしまうと俺の話が長引くのではないかという心配が彼女の中にあるようだ。だが、俺は話を長引かせる気も、手短に済ます気もない。彼女が立って、俺が座っているというのは、第三者から見ると決して好印象には見えない。俺は黙って立ち上がる。もちろん、彼女とは距離を置いて。
「俺ってさ、余計なこた言いたくねえから、率直に言うね。」
俺は彼女の反応を確かめる間もないで言葉を続けた。
「俺と話しようぜ。」
彼女は、その言葉にやや驚いた感じの反応を見せる。
「別に変な意味はねえよ。ただ、クラスメイトとして、普通に話してえだけさ。」
彼女は何か警戒しているようにも見える。気のせいか、自分の身体を防御している素振りをしている。しばらくの間、沈黙が続く。
「ま、まあな。話したくねえというなら、仕方ねえけどさ。」
俺は苦笑した。はっきり言って、一人芝居に等しい。
「悪かったな、引き留めちまって。」
ああ情けない。気の利いた言葉が思い浮かばなかった。俺は敗者のように背を向けた。
「あ――――待って――――」
それまで言葉を発しなかった彼女が、小さな声で俺を呼び止めた。
「あの…………お話って――――」
俺は柄にもなく嬉々とした表情になった。普通に話したいとはいうものの、内容については全く考えていなかった。成り行き任せって言うか、正直言って、はなから期待していなかったからだ。思いつく、会話の最初はと言うと。
「俺の名前は南部親虎ってんだ――――」
「知ってます。」素っ気ない返答だ。
「父親・母親の〈おや〉に、動物の〈とら〉って書くんだ。〈おやとら〉って書いて、〈ちかとら〉。」指で空気に自分の名前を書く。
「そうなんですか。字は知りませんでした。」
「変わった名前だろ。サムライみたいな。」
「そんなこと、ないと思いますけど……」
「俺ね、中学までこの名前が嫌いだったんだ。」
「…………」
「でも、今は違う。俺はこの名前が気に入っているんだ。この名前のおかげで、竜とも知り合えたし、別の意味で有名にもなっちまった。」俺は苦笑する。別の意味とは、そう、可憐事件のことだ。今のところ、生徒全体の俺と竜之介の印象は最悪だ。《八十八学園の極悪コンビ》誰が言ったか《暗黒の竜虎》。
「あの……」
「えっ?」彼女が声を発したことに思わず驚く。
「何?」
「《りゅう》って、三村さんのことですか?」
三村?ああ、竜之介の名字だ。いつも名前や《竜》ってしか呼ばないから忘れてた。
「そ、そうだよ。竜之介の竜。」
「南部さんと、三村さんの噂は聞いてます。何か……」
言いかけて止まる彼女。でも、俺はその先を聞かない。
「はははは。噂ってな、いいもんじゃねえさ。十中八九、あることないことで勝手に話が膨らんでる。俺の場合は、噂なんてな信じねえし、気にもしねえ。」
「可憐さんの事、助けたって、聞きましたけど。」
「あれ。そう言えば、あの時加藤はいなかったんだよな。確か。」
俺の言葉に微妙な反応をする彼女。
「は、はい。その日はちょっと事情があって、学校、休んでたんです。」
「そうか。風邪でも引いたのかと思って心配してたんだ。じゃあ、そのこと話すね。」
俺は彼女に可憐事件の経緯を話した。彼女は俺の話に耳を傾けてくれているみたいだった。
「……っつう訳なんだ。全く、迷惑な話だろ。」
「優しいんですね。南部さんって。」
少し寂しげに言う彼女。
「何で?優しくなんかしてねえよ、俺らは。」
「可憐さんのこと、その人たちから守ってあげたわけじゃないですか。」
「ははは。結果的には、そう言うことになっけど、俺らは別に格好付けるためにやったわけじゃねえ。話したけど、俺らの会話邪魔されたから、ちょっとプッツンしたわけ。」
「でも、喜んでたんですよね、可憐さん。」
「そりゃあ、バカ連中の餌食になることなかったわけだからね。助けられりゃあ、誰だって喜ぶだろうさ。」
「良かったじゃないですか。」
やや口調に棘がある。口元が少し引きつっているのもわかる。メガネで瞳の表情がわからない分、その他の微妙な表情の変化が一際目立つんだ。
「可憐さんはアイドルです。その可憐さんが喜んでくれたんですから。もしかしたら、その事がきっかけで……」
俺は唖然となって彼女を見た。僻みともとれる彼女の発言。全く、心外の台詞だ。
「どういう意味?」
俺は聞き返した。彼女の言葉の意味は解っている。俺達はアイドルである可憐目当ての連中と何ら変わりない立場。連中から見れば、『鳶に油揚げをさらわれた』事になるのだ。
「…………」
俯いて何も喋ろうとしない彼女。俺はゆっくりと落ち着いて言った。
「加藤。断っておくけど、俺らはたとえ舞島でなくても、困っている女を見たら放っておけない質なんだ。そう、篠原でも、洋子でも、鳴沢でも、加藤でも。本当に困っているならば力になってやる。あの時は、ああする事が結果的に困っている舞島を助けてやれた。ただ、それだけさ。」
その言葉にも何も返さない。
「加藤。一つ、聞いていいか。」
「えっ?」
「俺は、少なくとも舞島の事は〈同級生〉ってしか思ってないけど、君はどう思ってんの。」
俺の質問に、加藤は言葉を詰まらせた。それだけで、答えは解る。俺は言った。
「あいつのことを同級生だって思っていれば、俺の言葉は理解できると思う。もしも違う風に思っているんなら、別だけどね。」
俺は彼女から距離を置く窓際に行き、外を眺めた。陽は高くなってきた。冬が近づいているのか、太陽は穏やかな陽射しを注ぎ、校庭を優しい黄土色に照らしている。
「じゃあ、簡単に言うけど、俺は外見の良し悪しだけで人を判断することが大の苦手でね。女性に対してブスと陰口を言ったり、ただ一見で、かわいいとか言う奴は苦手なんだよ。」
俺の言葉に驚いたような反応を見せる彼女。
「よく言うじゃん。〈羊の皮を被った狼〉って。外見なんて、そんなもんだろ。」
俺はふと彼女の方を向いた。彼女はメガネ越しに俺を見つめているように感じる。
「アイドルってやつぁ、ほとんどが世間的に〈顔がかわいい〉ってだけで芸能界にいるんだぜ。性格なんて、知ったこっちゃねえ。」
「じゃ……じゃあ、どうして可憐さんを?」
彼女の声は真剣だった。
「さっきも言ったけど、俺はあいつを〈同級生〉ってしか見てねえからさ、クラスメイトが困っているから、どうしても助けてやりたかった。仮に百歩譲って〈アイドル〉として見ていたとすんなら、正直迷ってたね。あいつが性格悪かったら、きっと『助けてやんじゃなかった』って、思うからさ。」
「可憐さんって、かわいくないんですか?」
「誰もそんなこと言ってねえだろ。大体さ、ただ〈かわいい〉とか〈ブス〉だとかなんて、曖昧だろ。顔のことなのか、性格的なもんなのか。」
「そ、そうですね……。」
「俺も偏屈なとこあっから、気に障ること言ってたらゴメンな。」
俺が謝ると、彼女は顔をわずかに紅潮させて首を横に振った。
「ともかく、そう言うことなんだ。……簡単って言って、難しかったか?」
さらに首を横に振る彼女。
「あの……ごめんなさい。もう一つ聞いてもいいですか?」
「何?」
「私のことは、どう思いますか。」
「何が?」
「私……ブスですよね。」
突然変なことを言う彼女。俺の言葉を頭の中で問答し、自分勝手に思い込んで言わないで欲しいと思ったが、俺は答えた。
「そんなこと、俺にはよくわからないよ。でもね、俺、思うんだ。」
「はい。」
彼女はまっすぐに俺を見つめる。
「自分で〈かわいい〉とか、〈醜い〉とかって言う人は、言葉の反芻だって。」
「??」
「つまりさ、自分で〈かわいい〉って言う人は反対に醜くて、〈ブス〉だって言う人は本当は自分は〈かわいい〉んだって思っているって事。」
俺の言葉に思わず身を焦らす彼女。
「そ、そんな……私は本当に……」
「容姿なんて、整形手術さえすればいくらでも変えられる。俺が言いたいのは、容姿なんかじゃなくて、性格のことさ。」
「…………」
「外見なんてさ、大金はたきゃあいくらでも綺麗に見せることが出来るだろ。でも、性格なんて、金でよくなるもんじゃねえ。」
「はい……その通りだと思います。」
「人それぞれ考え方は違うし、自分にとって相性がいい奴、悪い奴とかいっぱいいるはずなんだ。竜のことは好きだけど、竜のこと嫌いな奴だっている。俺の事〈いいやつ〉だって思ってても、〈イヤなやつ〉って思っている人間もいる。俺だってしかりさ。人間、第一印象っていうやつほど漠然として曖昧な感情はないと思うぜ。」
「…………」
「君だって経験したことあると思うけど、第一印象がいいからと言って、いざつき合ってみれば、思っていた人と違ってたり。最初はイヤな人だと思っていても、実はいい人だった、とか。」
彼女は大きく頷く。
「あります。よくわかります。」
「〈かわいい〉とか〈ブス〉なんて、結局は外見なんかよりも、性格だと思うけどね。少なくても、俺は。……だから言ったのさ。俺は君のことまだよく知らないから、わからないって。」
「そんなこと言った人、初めてです。」
「加藤、これはあくまで俺個人が思っていることだ。たいそう偉そうなこと言ったけど、性格が良くて容姿がいいことに越したことはねえと思う。結論は結局、自分自身の意識問題さ。」
俺は話し終えると、そこから教壇の方へと位置を変えた。彼女は一呼吸をついてからくるりと身を俺の方へ向けた。
「私、あなたとお話が出来てとても良かったと思います。」
まるで選手宣誓のような声を上げる彼女。俺も思わず彼女の方へ向き、直立する。
「い、いや。俺も、君とこうして話が出来てよかったよ。これからも話しようぜ。」
「わ、私でよかったら――――。じゃ、じゃあ。」
勝手にそう言い残すと、彼女は直立の俺の横を逃げるようにして教室から出ていった。
(おい。俺はまだ話が終わってねえぞ)俺はそう呟いた後、小さくため息をつき、教室を出ようとした。すると、いきなり彼女が目の前に現れた。
「わあっ!」
驚愕する俺に、彼女は顔を紅潮させて言った。
「が、学校に来るときは制服を着ないといけません。怒られてしまいます。」
それだけ言うと、彼女は小走りに去っていった。俺は一人顔を綻ばせる。
「それもそうだな。」
俺は学校を出た。