TRUE FRIENDS

第3話
杉本 桜子

 そう言えば大切なことを忘れていた。二日に一回は必ず顔を見せなければならない場所があった。俺は先日、連中とカラオケに行っていたからそこに行けなかった。そのことを思い出した途端、俺は小走りに駆けだしていた。
「おおっと、アレを買ってからじゃねえとなあ」
 俺は花屋の前で足にブレーキをかける。店の前で水差しを手にした中年のおやじが愛想よく俺に向く。
「おやじさん、何でもいいから3000円分包んでくれ。」
「彼女へのプレゼントですかい?少年」
「まっ、似たようなもんでかなり違うな。」
「なんじゃそりゃ。つーこたぁ、誰かの見舞いか。よっしゃ、健気な少年の心意気に免じておまけしてやるか」
「気っぷがいいじゃないすか。ありがたいぜ。」
 俺は花屋のおやじに礼を言うと、花束を聖火のように掲げながら、再び駆け出した。
 PM1:55。

『国立療養所・八十八町市民総合病院』


 俺はその看板の前で一度足を止めると、二階の病室の窓を見上げて苦笑した。
 通称八十八市民病院は国立の割にはずいぶん寂れた建物である。俺が初めて八十八町に来たとき、駅の建物が病院かと思った。そしてこの建物は怪しげな雑居ビルと思っていた。もともと田舎者である俺が都会をバカにするつもりなどないが、少なくても俺の実家がある盛岡の方が立派な建物が多い気がする。だが、人間も病院も、見かけによらないとでも言うのだろうか。この病院は結構優秀な医師が揃っていて、なおかつ医療機器も最新のものが備えられているらしい。水野友美の親父さんが強力な後ろ盾となっているからなのだろう。と、まあ、そんなことを改めて感じながら、俺は入り口をくぐった。
「小山さん、どうも」
 俺は受付の女性・小山真理に声をかけた。彼女が俺を見ると、愛想良く笑ってくれる。もうすっかり顔なじみである。
「あら、親虎君。お見舞いごくろうさま」
「今日は、いい?」
「ええ、大丈夫よ。検査は昨日だったから」
「サンキュー」
 軽くカウンタを叩くと、俺は身を翻してロビーの奥にある階段へと向かった。
 口笛を吹きながら二階病棟の奥、『209号室』と書かれたドアの前に立つ。そして、気安そうにノックする。
「はい。」
 か細い女の子の声が返ってくると、俺はニヤリと笑ってそっとドアを開ける。花束で顔を隠し、ついたての陰に身を潜めて奇怪な声を発してみた。
「突然ですが問題です。さて、私は誰でしょう?一、昼夜逆転した吸血鬼。二、妹からストーカー扱いされた悲しい兄貴。三、最近全く仕事がないお笑い芸人『まんだ光雄』」
 すると、女の子の小さな笑い声が静かな病室にこだまする。
「トラ兄ちゃん、全然面白くないー」
 しまった。はずしてしまったか。俺は苦笑いしながら女の子の前に姿を現した。
「桜姫。今日もご機嫌麗しゅうて。わが気持ち、受け取って下され・・・」
 俺がわざとらしくそう言いながら花束を差し出すと、女の子は笑いをこらえて花束を受け取った。
「ありがとうトラ兄ちゃん。ごめんね、毎日のように来てくれて」
 やや蒼白な顔色のこの女の子は、《杉本 桜子》って言う。俺の従妹に当たる、同い年の娘だ。彼女は生来病弱であまり外出もせず、学校も結構休みがちだった。中学2年の頃、一度倒れたが、入院までのことはなかったが、中学を卒業して八十八学園に入学する直前に再び倒れてしまい、今はこうして入院しているのだ。俺が東京に住み始めてから彼女とはよく遊んだ。初めてあったときから、彼女の方が俺になついていたのをよく覚えている。俺のことを兄ちゃんと呼んでいるのは、鳴沢唯が竜之介のことをお兄ちゃんと読んでいるのとは訳が違う。どうも、彼女は最初のインスピレーションで、俺のことを五歳も年上に感じたらしいのだ。それ以来、俺は《トラ兄ちゃん》なのである。そんなに俺って老けてるかよ・・・。
「昨日検査だったんだって?体の調子はどうだい?」
「うん・・・何とか大丈夫。検査も異常ないって。」
「そうか、良かったよ。」
 俺は花瓶を手に取ると、病室にある洗面台で水を取り替え、さっき買った花を差した。
「ねえトラ兄ちゃん?」
「ん?」
「学校、楽しい?」
 不意な質問に俺は一瞬戸惑った。
「兄ちゃんのことだから、お友達もいっぱい出来て楽しいでしょうね。いいなあ」
 桜子は本気でうらやましそうに言う。こういうとき、なんて答えればいいのだろう。俺はあまり深く考えないで答えた。
「そうだな・・・まあ、楽しいと言えば楽しいかもな。でも、俺ってダチは少ねえぜ。」
「ウソだぁ。トラ兄ちゃんって、すっごく人気ありそうなのに。」
「買いかぶりだって。八十八学園は変わった連中が多いから楽しいけどさ、俺なんか全然人気なんかねえぞ。」
「ふーん・・・そうなの?」
「俺のダチで、《リュウ》って奴がいるんだけど、あいつは学園だけじゃなくて、町中有名になるかも。」
「りゅう?」
 桜子が興味深げに呟く。
「ああ。三村竜之介っていう奴なんだけどね。あいつは突拍子もない事をしでかしそうだ。なんて言ったって、立石先輩に似ているからね。」
「立石先輩って、トラ兄ちゃんがよく話していた卓郎って人?」
「ああ。リュウは立石さんにすげえ似ている。言わなくてもわかるだろ?」
「うん・・・・・・」
 桜子は珍しいものを見たときのような表情をする。
「へえ・・・なんか、一度会ってみたいな、その人に。」
「はははは。機会があったら連れてくるよ。何せあいつは遊び人だからなあ。この俺でも捕まらないんだ。」
「へえ、そうなんだ。」
 桜子は小さく唸ってから俺に向き直って屈託のない、優しい笑顔を向ける。
「安心して、トラ兄ちゃん。私はずっと、トラ兄ちゃんが好きだから。」
 冗談まじりだが、不覚にもドキッとしてしまう俺。
「光栄でございます桜姫。」
「うふふふ・・・」
 桜子は心の底から笑っているようだった。俺が顔を覗かせると、彼女は何につけ笑顔を絶やさないでいてくれる。俺は彼女の笑顔を見ながらふと思ってしまった。(俺がいない間、彼女はどんな表情をしているのだろうか。自分の病気に不安を感じて、眠れない夜を過ごしてはいないのだろうか・・・)
 自惚れかも知れない。もちろん、彼女の家族が来れば俺とはまた違った反応を見せるだろう。俺は彼女の両親、つまり俺の叔母夫婦から彼女のことを頼まれている。彼女の家は八十八町から電車で3時間も離れた三橋市にある。週末以外は到底見舞いには来られない状況だ。だから、同じ町内に住んでいる俺が、彼女の様子を見ることになっていた。「週に2,3回でいいから様子を見て欲しい」って。お礼はするからとも言っていたが、俺はお礼なんていらない。「桜ちゃんのことは俺に任せて下さい」って叔母たちには言った。叔母たちは叩頭して俺に感謝していたが、血縁の義理なんかじゃねえ。俺は心底彼女のことを放っておくことが出来なかったんだ。従妹と言うこともあるが、それよりもなお、俺みたいな奴を兄のように思ってくれている彼女が、重病に苦しんでいるのを、どうして放っておくことが出来る?。俺は彼女のために、出来るだけのことをすると約束した。極力、毎日顔を覗かせることにしたんだ。彼女も俺を見るたびに、笑顔が明るくなってゆく気がした。彼女を見舞うたびに、俺の責任感が募ってゆく。どんなに毎日見舞いに来ようとも、どんなに長い時間、側にいてやっても、結局、夜は一人きりになるのだ。孤独で、押し寄せる恐怖に苛まれながら過ごしているのだ。
 俺は考えた。彼女にしてやれる事は他にはないのかと。そして、ふと窓の外に目を配る。すると、中庭の巨木の枝に、数羽のスズメがちゅんちゅんと鳴きながら足を休め、そして再びどこかへ飛び去っていった。
「これだ・・・」
「えっ・・・?」
 突然の俺の呟きに、怪訝な表情をする桜子。
「桜ちゃん、明日君にいいものをプレゼントしてあげるよ。」
「えっ?・・・なに、なぁに?」
案の定、わくわくしながら訊いてくる。だが、俺はもちろん意図を伝えずに、意地悪そうに笑った。
「それは、明日のお楽しみってことで。」
「なぁに?トラ兄ちゃんのことだから、なにかおかしなものくれそう」
「おかしなものって、何だよ」
「んー・・・たとえば、改造した壊れかけのラジカセとか、絵の具の金色で塗ったナットとか・・・」
 確かに。俺はよくゴミ置き場で捨てられている古いラジオやカセットレコーダーとかを拾ってきては、改造するとか何とか言って分解して結局はそのまま部品とか散らかして怒られた。そしてナット類は油性絵の具やマジックなどで塗りたぐり、指輪だとか言って彼女に渡していたりした。今やそんな稚拙なことはしないし、言われるまではすっかり忘れていたことだ。よく憶えているなあ。
「あはははは。そこまで幼稚なもんじゃないって。まあ、楽しみに待ってなよ。絶対、喜ぶからさ」
「うん。ありがとう、トラ兄ちゃん。」
「じゃあ、俺これから如月町に行ってくるからさ。」
 俺が立ち去ろうとするたびに、彼女の表情がやや曇りがちになる。俺にとってはそれがなんとも辛く感じる。出来ることなら、元気になるまで一緒にいてやりたいところなんだが、そうもいかねえからな。
「また、明日な」
「うん、ばいばい・・・」
 にこりと微笑む桜子。俺も微笑み返して、病室を出た。二度振り返らない。彼女の悲しげな表情が見えるからだ。
 病院の出入り口で靴を履き替えていると、どこからかピリピリピリと言う電子音が響いてきた。うるさいなあと思いながら、スリッパを下駄箱にしまい、扉を出ようとした。そのとき、横から受付の小山真理が声をかけた。
「親虎君、気をつけてね。」
「ありがとう」
「ちがくて、病院内では、携帯電話の電源は切ってね。一応、ペースメーカーの患者さんもいるんだから。」
「えっ?・・・あっ・・・しまった。ゴメン。」
 電子音は俺の携帯電話だった。ポケットの内側にしまい込んでいたのをすっかり忘れていた。慌てて取り出すと甲高い音が耳を突き刺し、光が点滅している。俺はそれを見ながら苦笑する。小山は呆れたようにため息をついて戻っていく。そして俺は大慌てで病院を出た。