Question for you

「はぁ……姉さんもたまにはテレビニュースを見なよぉ」
 八雲はため息をつく。今話題の拉致問題で連日報道されているテレビニュースの中ではああだこうだと議論を交わし合うキャスターと専門家、そして国会議員たち。
「国民がさらわれたんだよ? もし烏丸さんが同じ目に遭ったらどうする?」
 八雲はしっかり者だ。結構、こういう番組を見るのが好きな方。あらゆる面で姉の天満よりしっかりしているのだが、どこかお堅いところがある。
「大丈夫よ、烏丸君がそんな目に遭うはずがないよ」
 鼻歌交じりで何か編み物をしている。

「それ……腹巻きだ」

 瞬間、天満のアンテナがぴくんと逆立った。
「ひどい……マフラーだよ……」
(車に装着するのかな……)
 円筒型のマフラーもなかなかおつなものかと、八雲は頭の中で思い描いていた。

「姉さん。その後、烏丸さんとはどう?」
「どうって……それは……」
 烏丸の名を聞いただけで狼狽するような姉だ。この様子だと何も進展がないのは明白。それよりも、姉の隣にいる妙なオーラの不良・播磨拳児の存在が烏丸の存在感をかき消している。
「あのさ、ひとつ良い考えがあるんだけど――――」
「ん……何?」
「烏丸さんって、結構頭良さそうじゃない。だから――――」
 八雲はテレビを見ながらふふっと笑った。

 播磨拳児、十六才――――。喧嘩上等、天涯孤独、夜露死苦、特例進級。
「いい朝だぜ――――今日もいい日になりそうだな」
 窓から差し込む光に目を細める播磨。その背後から、若い女性の声が部屋に響く。
『寒冷前線通過につき、今日一日大雨と強風にご注意下さい――――』
 ぽちっ……破壊神・播磨拳児十六才。テレビは貴重品。
「イキじゃねーヨ、ミナミ(気象予報士)」

 愛車CBR954RRのエンジンは快調だ。門前でポストを漁る。一枚の新聞を手に取る。
「やっぱ新聞読んで知識取りこまねーとな」
 播磨拳児、恋を知りて教養身に付く。
「なになに? C委員長、中国共○党大会に来賓として出席……?? なんじゃこりゃ」
 いつもと違う、ペラペラな誌面。真っ先に見るはずの二十面、番組欄がない!
「あ……しんぶん○旗………」
 しばらく播磨は真剣に悩んだ。番組欄がない……番組欄がない……俺が愛する「仲根か○み」の出るあれ……なんだったっけ、今日の何時からだ……わからねーじゃねーか!
 てゆーか……配達員間違えてんじゃねーか!!
「隣だろ、隣! あの貧乏くせぇ七三分けのおやじん家!」
 播磨はしんぶん赤○を放り投げた。よそ風にすら舞い上がる頼りない紙。そんな中……
 バサッ!
 何かチラシのようなものが落ちた。
「こ……これは……」
 播磨は目を疑った。
『あなたのもとに強運を呼び込む奇跡のバッジ!!』
 やけに派手な色づかいの広告だ。
『つけたその日から、幸運を呼び込む! 全国から感謝の手紙が続々と……』
「おお、カメラ目線の利用者のコメントか……」
 『憧れの資産家へ玉の輿!(長野県・×田△美 32才OL)』
 ぐすっ……ぐすっ……感動もんだなぁ……。
 水戸黄門で大泣きする……播磨拳児、涙もろい。
『お申し込みは今スグ! 裏の専用ハガキか、お電話で!』
「行けるかもしんねぇ――――よしっ! 早速、この福○堂ってとこに電話しねーと!」
 公衆電話。チラシを確認。「16300円」
「ローン2回で……」
 爆音を立てながら、豪雨の中を学校へ。
「あっ、ケンジさん。おっす! 今日は何かご機嫌ですね! 良い事あったんすか??」
「分かるか? フッ……見ただけで分かっちまうんじゃ、俺も廃れちまったかなぁ――――」
「いや、そんな怪しいチラシ握りしめながらニヤニヤしてりゃ、誰でも分かりますって」

 ボクゥ!!

「俺の人生を手助けする貴重な品物だ! お前らには渡さねーゾ」
(い……いりませんて……)

2時間目終了――――

(烏丸君が興味を惹きそうな話題……話題って……)
 天満の頭に、昨夜八雲から聞いたアドバイスが過ぎった。
「どーしたの、天満?」
 友人が無言でガッツポーズをしている天満を心配する。
「か、か、か、か……」
(水戸黄門解決笑い……)
 友人の額から何故か冷や汗がしたたり落ちる。
(ちょっと様子見しよ……)

「烏丸クンッ!!」
 天満ズアンテナがぴーんと張る。ボルテージ最高潮。
「?」
 ぼーっと窓の外を眺めていた烏丸が、眠そうな目を一人興奮の天満に向ける。
「あ、あ、あ、あのね……?」
 クラス中が緊張の気に包まれる。言葉を潜め、意識を天満と烏丸に集中させる。
「んー……どうしたの、塚本さん」
 『ツカモトサン……』ああ、何てステキな響き……本当なら「どーしたの? て・ん・ま☆」とか言って欲しい……きゃーまだ早いかなぁ! でもいいの、名前覚えてもらっただけでも今は。これがきっかけで話…………云々
「あのー……」
 笑顔で固まる天満を怪訝そうに見つめる烏丸。
「用事がないのなら――――」
 烏丸はあくまで冷めていた。
「あっ、待って……あのね、あのね……」
「…………」
「金正日って何月何日なのかなぁ……って」

 ……………………
 ……………………

 その瞬間、教室に流れる空気は、極寒の平壌に劣らなかったという。
「あ、もしかしてお正月が金曜日の日のことを言うのかなぁ」
(絶対違うと思う)
 友人は青ざめた表情で首を横に振っている。
「んー……」
 天満の質問に、誠心誠意考える様子の烏丸。
(考えてるよおい……)
 ざわめく教室。
「難しい質問だね」
(難しいのか!!?)
「来週まで待っててもらえるかな……?」
(待つのかよ!! 待つ必要ねェだろ!!)
 しかし……天満は瞳を潤ませながらこくんと頷く。
「ウン、わかった☆ いい返事期待してる☆」
(いい返事ってどんな返事だよ!!)
 おおーっとばかりに騒然となる教室。個々の想いとは一線を画し、天満は何故か浮かれに浮かれていた。
(八雲、アリガト! 好印象(ナイスリアクション)だったわ!)

「えっ……本当??」
 至福に躍る姉の姿に、八雲は驚いていた。報告を聞き、その度合いはますます増す。
(本当にうまく行くなんて……)
「え、なに、八雲? 何か言った?」
「え……あ、ううん、何でもないよ姉さん。ははっ」
(……でも金正日よ、金正日!! 別にからかっていた訳じゃないけど……)
 普通な感覚じゃないと、八雲は感じざるを得なかった。

1週間後――――

「播磨拳児さん、お届け物でーす」
「おぁ!! 来たな」
 秒速で荷物を受け取る播磨。包装紙を破るのももどかしそうに気合い一発、ぶち抜く!

「………………」


「こ……これが……き……強運を呼び込む奇跡のバッジか……」
 思わず唸り声を上げる播磨。
「た……ただのビン底メガネじじいじゃねえか……」
 播磨拳児、十六才――――今、生まれて初めて限りなく挫折感に近い衝撃を受けていた。
(いや……待て。もしかすれば本当に……)

…………………
…………………

(あっ……播磨君……今日、何かステキ……)
(え……あ、そうかな)
(うん……あっ! そのバッジ――――素敵なおじさまね……)
(そ、そうかな――――)
(……うん……あ、でも……播磨君の方が……ずっとずっと……ステキよ)
(天満――――。もっと素敵な夢、見せてやるよ。俺だけが見せられる、最高の夢をな)
(ああ……播磨君……スキ……)

……………………
……………………

「どぅゎあっはっはっはっは!! どうだ! 最高のシナリオじゃねーか!!」
 播磨はそのバッジを天にかざして大笑した。播磨拳児、妄想癖あり。
「ちぃーーーーっすケンジさん! ……って、ゲッ!」
「ん、どうしたオイ」
「いや、なんスか? その趣味の悪ィピンバッジ! だれかに罰ゲームでもやらされて――――」

 しゅうぅうぅぅぅぅぅ………

「幸運のアイテムを貶しゃァ、天罰テキメンだオルァ!!」

 播磨は颯爽と、そのバッジを学生服に装着した。
「ふっ……なんか――――世界がいつもと違く、見えるぜ……。誰もが、俺を見てやがる」
(ねーねー、あの人胸にヘンなバッジ付けてるよ……)
(うぁ! 見たことあるぜアレ。確か――――)
(うわーハリマさんって、ああいう趣向あったんだ……)
 誰もが奇異の視線で見ていることに気がつかない播磨であった。

(今日ね……烏丸君から返事をもらうのは……)
 ドキドキ……。天満は胸が高ぶっていた。
「姉さん…………金正日って……」
 八雲は本気で姉を気遣っていた。
「待って八雲ッ!! それ以上言っちゃダメッ!」
 いつになく強い語気で、天満は遮った。
「ね、姉さん……」
「今日、テレビで見たの。きっと私のラッキーワードなのよ!!」
「な……何故……??」
「うんとね……てへへっ! だってぇ……ずっと言ってたよ、『金正日はー』って。読み方違うのは、きっと意味があるのね!」
「全然ない気がする……」
「キムチいる?? なんて、意味があるに決まってるよー!」
 ひとりハイテンションの天満。姉さんはなんて幸せなんだろう……。八雲はため息を押し殺してそう思った。

 ざわざわざわ……
 そんな塚本姉妹の背後から、まるで波のようにどよめきがわき起こる。
「何だろ……あ――――烏丸先輩」
 振り向いた八雲がそう言うと、きゅぴーん! と音が出るくらいの勢いで、天満が振り返る。
「あ……か、か、烏丸君……」
 勢いだけだった。
「…………」
 烏丸の姿を見た瞬間、八雲は固まった。周囲の様子も、八雲と同様だった。何も考えてない男、烏丸大路と、鈍感・塚本天満だけがいつものような時を刻んでいる。
「ああ、塚本さん、おはよう」
「お、お、おはよう……か、烏丸く……君……!」
「そうだ――――ちょうど良かったよ……」
 烏丸が心なしか微笑んだように見えた。そんな彼の微妙な表情の変化にさえ、天満ズアンテナは感知し、ドキッとさせる。
「んー…………先週の質問の答えなんだけど――――」

「ん……どうしたんだ?」
 固まっている生徒連中の間隙を縫いくぐり、播磨が辿り着いた視線の先には……
(うぉお!! て、天満ちゃん!!)
 播磨視線(ビジョン)の美少女の周囲にはヒナゲシの花が咲き誇る(←意味不明)。
「……って、誰だありゃあ!?」
 天満の手を愛おしそうに握りしめ、胸元に添えている(←播磨にはそう見えるらしい)、貧弱そうな男。
「馴れ馴れしく天満ちゃんと話すどころか、て、て、手間で握りやがって…………!! どっかで見たことあるヤローだなァ……」
 播磨は二人が何を話しているのか無性に気になった。そして、生徒たちの影に隠れるようにしながら、二人に近づく。
「あいつ…………ん?」
 播磨は見逃さなかった。男の胸から発せられる、眩い光に。
 それは、播磨が身につけている強運のバッジなどよりも遙かに強い、聖なる光だった!!
「あ……あれは……!!」

 烏丸は、胸に付けているバッジの右側の写真を指差して言った。
「これが、金正日なんだって」
「へぇ! そうなんだぁ! うふふっ☆」
(うふふっ☆かよ! 和んじゃってるよ!)
「ね……姉さん……烏丸先輩…………」
 八雲は何か根本的に間違ってるような気がした。

(お、俺はビン底一(ピン)なのに……あいつは……あいつは……!! ビン底とチリチリパーマのツーショットバッジじゃねぇかよ!!)
 声にも出せず、播磨は雄叫びを上げた。
「ケンジさん、どうしたんスか?」
「オイ…………俺は諦めねーぜ」
「はっ?」
「あのヤローの方が俺の二倍、強運を持ってやがる……でもな、俺は負けねーぞ!」
 播磨の子分は、何のことだか全く分かっていなかった。

「あ、あの烏丸先輩……ひとつだけ、聞いてもいいですか?」
「んー……?」
「そ、そのバッジ……一体どこから……」
 八雲はそれだけ、どうしても聞きたかった。
「あー……これね? 社○党に電話をしたら、辻○さん家に一個余ってるからあげるって、もらったんだ……無料(タダ)で」

 ガ――――――――――――ン!!??

 播磨拳児、自爆。しかも、後にそれが文字通り真っ赤なニセ物であることが判明……。

「そうなんだ……いいなぁ。私も欲しいナ」
 チロっと舌を覗かせる天満に対し、八雲は血走った目で姉を見つめ、震える手のひらで、両肩をつかむ。
「お願い姉さん。それだけはやめて」

 天満と烏丸がそのバッジを巡る状況を知るのは、遙か後のことである――――。