The season which felt love Volume on Yakumo Tsukamoto

 僕の名前は万里小路 淳(までのこうじ・じゅん)。多分、普通の高校生……のはずだ。
「やぁ――――ああ、まあね。あはは……」
 話しかけてくる級友。他愛のない会話をいつものように交わす。手慣れたものだ。
 雨が津々と降りしきる中、退屈な授業に眠くもなる。形だけでも知識は取り込まないと行けないから、形だけでも勉強をする。ノートを取る。機械のような教師の声を頭に叩き入れる。そして、いつものように昼休みを迎えた。
「おぉい万里小路。一緒に飯食おうぜっ」
 友人の誘い。
「取りあえず先食っててくれる? 飲み物買ってくるから――――」
 僕は毎日のように一緒に昼飯を食べている友人に了承した。その日は起きるのが遅れて、飲み物を用意するのを忘れていたのだ。購買は好きな方じゃないから、いつも自分で用意する。
 雨音が屋根に反響し、渡り廊下をうるさく包み込む。
「あっ――――自転車出しっぱなしだったよ……」
 地獄の矢神坂も手慣れたものだったが、雨にさらされては僕自慢の自転車もサビが早くなると言うものだ。温かい紙パックの緑茶と、何となく買ったあんパンをポケットに押し込み、泥を跳ねないように爪先で中庭の土を渡り、自分の自転車を屋根の下に押し込む。
「よっしゃ………………ん?」
 ふと、中庭の植え込みに視線を向けた。すると、地味な色折り畳み傘が開かれ、一人の生徒がそこにうずくまっているのが見えた。
(何やってんだ? こんな雨降りに……)
 良く見ると、臙脂のスカート、どうやら女子生徒のようだった。彼女は植え込みに向かって何か話しかけている。一見、奇怪だった。
 僕は関わりたくないと言う気持ちが強かったはずだった。しかし、彼女の背中を見ているうちに、何故か一言でも声を掛けてみたいという衝動に駆られたのだ。
「何、やってんの? こんな雨降りに……」
 僕が声を掛けると、びくんと驚いたように肩を竦ませて、意外とゆっくりとした動きで振り返る。
「あれ――――確か……塚本……」
 どこかしか浮世離れした雰囲気は、一度見たら忘れはしない。塚本八雲――――。今年の新入生女子人気ナンバーワン。容貌は言うに及ばず、学力・スポーツ・スタイル共に抜群。周囲の友人知人の男共はファンクラブ紛いの行動を起こして彼女にアプローチをしているみたいだ。まぁ僕は全く興味はないのだが。
「…………あ、こんにちは……」
 ぼうっとしていて無表情に見られがちな彼女だが、わずかに微笑みを浮かべている。気づかないだけか、ただ単に、彼女が無器用なだけなのかも知れない。
「よう。……何してんの?」
「……え、あ……」
 戸惑うように塚本八雲は声を詰まらす。しかし、一瞬早く僕が彼女が向けていた視線の先に背伸びをして目配せをする。すると、ダンボールが見えた。そして……
「あぁ……仔猫か」
 僕が苦笑すると、無表情ぽい彼女の頬がほんのりと紅くなる。
「学校で……飼っちゃいけないって……だから――――」
「塚本、猫好きなんだ」
 僕がそう訊ねると、彼女はわずかに瞳を泳がせてから、こくんと頷く。
「そっか――――」
 なぜか、僕の心からせせこましさが無くなる。妙に落ち着いた。
 彼女は戸惑い気味に何かを言いたそうに唇を震わせている。
 そして、僕は自然とポケットをまさぐった。
「……ほらっ」
 買ってきたあんパンの袋を彼女に差し出す。
「…………!?」
 驚いた表情で僕を見る塚本八雲。
「こいつに食べさせてやれよ。……あぁ、安心しろ。んなこと誰にも言いやしねぇし」
 ぐいっとあんパンを八雲に押しつける。
「…………ありがとう、万里小路くん」
 そう言った彼女の表情が何故か可愛く思えた。

 私は人の心の声が聞こえるのです。それもみんな、みんな私のことをほめてくれたり、私のことを好きって思ってくれている男の人の声なんです。でも……不思議です。
「ははははっ。なぁ頼むぜ? 一応宮田には内緒で体育倉庫(ここ)使ってんだから」
 仔猫(この子)に笑顔でそう語りかける万里小路くんはあれから毎日、顔を見せてくれます。でも、何故か彼の心の声は聞こえてきません。話しているととても楽しいのに……。彼は雨ざらしの中庭じゃ可哀想だって、この子を体育倉庫で密かに匿ってくれるとか、時々パンや牛乳を差し入れてくれたり。とても良くしてくれます。
「なぁ塚本。こいつ、暴れん坊になるぜ」
 じゃれる仔猫に、そう言って笑う万里小路くん。私は思わずドキッとしてしまいました。心の声が聞こえないのに。

 彼は他の男の人とは違うのに……

 私はじっと彼の顔を見つめながら、考えていました。



「あはははっ、こいつおもしれぇ」
 彼は普通に接してくれます。心の声が聞こえてこない不思議な男の人。どうしてでしょう、ふと気がつけば、私の目は彼を映しているのです。
「……ぁ、塚本」
「…………」
「なぁ、塚本」
「…………」
「おーいっ、おーいっ塚本ォーー?」
「…………えっ……?」
「えっ? じゃねーよ。しっかりしろー」
 そう言って呆れたように笑う万里小路くん。
「ごめんなさい……」
 仔猫は万里小路くんに喉を撫でられているうちに、ごろごろと喉を鳴らしてじゃれつき、やがて寝てしまいました。
「塚本ってさ、何か変わってるよな」
「……え……かわって……る?」
「悪い意味じゃねえよ。ウンウン、何か他の野郎達がお前のこと気に入るのも分かる気がするし――――」
 それは少し寂しげな感じがしてどこか、吸い寄せられるような笑顔でした。

「ありがとう……」
 塚本の無表情に近い表情がほんのりと赤くなっているような気がした。僕も思わずつられて赤くなってしまう。
「あはははっ、やっぱ変わってるわ、塚本」
 自分でもよくわからなかった。ただ、可笑しかった。彼女のきょとんとした眼差しが、妙に僕のツボをついたのだ。そして、彼女もわずかに笑った。

 心の声が聞こえない。他の男の人たちとは違う。私は万里小路くんの違いを考えていました。
「え、え? 八雲もしかして――――!」
 姉にそれとなく万里小路くんの事を話すと、姉はまるで自分のことのように喜んでくれました。いつものことですが、この時ばかりは私もどこか嬉しさがひとしおです。
「恋だよ、八雲それってきっと恋だよぉ!」
「……恋……?」
 私にはピンと来ませんでした。と言うよりも、姉からそう言われても、実感と言うよりも他人事のようにさえ聞こえるのです。
「あっ、そうなんだ――――」
 突然、姉が声を上げたので私は驚いてしまいました。
「どうしたの、姉さん……?」
「八雲、どうしよう、つぶれちゃったって」
 それはテレビのニュースでした。
(百貨店大手リオンは事実上の経営破綻。万里小路英房社長以下重役は責任を取って辞任――――……)
「…………」
「ジュスコ、閉鎖しちゃうのかな。買い物するとき――――」
「姉さん、ごめん――――!」
 直感でした。私は思わず家を飛び出していました。そして、足は自然に、そこへ向かっていたのです。

 暗くて冷たい体育倉庫に、彼はいました。
「はぁ……はぁ……」
「よぉ、塚本。どした、こんな夜中に」
 にゃぁにゃぁと悲しい仔猫の鳴き声と重なるように、万里小路くんの力無い声が、ずきんと胸を刺しました。
「あ……あの――――テレビで……」
「…………ふっ」
 彼は小さく笑いました。
「僕は明日、学校辞めなならん」
「――――!」
 愕然となりました。
「こんな時、僕だけ呑気に学校通っている場合やない」
「万里小路く……」
「今のこのご時世、誰もいつ、どうなるか分からない。特にうちのような家はね。……考えて見りゃ塚本、君やこいつと話しているときの時間、素直に楽しかったぜ」

 止めても無理だって事は分かっていました。きっと、今日が彼との最後。それは、突然の出逢いのように、突然の別れであったのです。
「あの……ひとつだけ、訊いても……いい?」
「ん?」
 仔猫を抱きながら、万里小路くんは私を見つめます。
「万里小路くんは――――恋……」
 と、突然彼に抱かれていた仔猫が彼の腕を離れて飛び出していってしまいました。
「あっ――――」
 私と彼は愕然となって仔猫の後を追ったのです。そして、あの中庭に出たとき……。
「…………」
 私も、彼もほっとしたように微笑んでいました。そう、仔猫を迎えに、親猫がそこで待っていたのです。何日も何日も捜していたのでしょう、薄汚くてドロドロの大きな猫。それでも、温かく仔猫を包んであげていました。
「わからんわ、正直言ってな」
「……え?」
 穏やかな笑顔で、不意にそう言う彼の横顔に視線を向けました。
「塚本のこと、好きだったかも知れない。でもな、どうだろう。僕は家のことが気にかかっていたから……上手く言えないけど――――」
「万里小路くん……」
 さっと、突然彼はにっと笑みを浮かべて私に向き直りました
「塚本といると、純粋に楽しかった。それだけは、確実だ」
 私の方が、上手く答えられなかったのです……。

 そして翌日、彼は学校を辞めました。一度も振り返ることもなく、校門を去ってゆく彼の背中を、私は授業も上の空で見つめていました。
 それが恋だったのかどうかは分かりません。でも、最後の最後まで、心の声が聞こえなかった彼の存在は本当に不思議でした。
 それは、今から本当に少し前のお話……、誰にも内緒の、約束です――――。