「オレ……お前のことホンマに好きだわ……」
旅行パンフレットを眺めながら、青大はつぶやいた。
「…うん、知ってる――――」
パンフレットの文字を追いながら、こともなげに相づちを打つ明日香。そのあっさりとした返事に、驚く青大。
「まァ、私はそうでもないけど」
「えっ!?」
真顔で血の気が引く青大の表情。その直後、その薄く小ぶりな唇から、悪戯っぽく舌を覗かせた明日香が笑う。
「……って、言ったらビックリする?」
からかわれたと思った青大が、一転、立ち上がり顔を紅潮させて怒った。
「な、当たり前じゃ。ビックリするに決まっとるやろ!」
「あはははっ、怒った怒った」
「うっさいわ!」
青大から逃げようと明日香も立ち上がり、もみ合いになる。その時だった、テーブルの脚につま先を絡めてしまい、青大は、明日香に覆い被さる形で、前のめりに倒れる。
大きな音。その直後の静寂。まるで高校生同士のようなおどけた雰囲気から、途端に若い恋人同士の妖しい空気がたちこもる。
至近距離でお互いに見つめ合う。頬に朱が差し、明日香の瞳の奥がじわりと熱を帯びる。胸元に両腕を合わせるのが、純朴な証明だ。
「も…もォ……気をつけなよ、危ないなァ……」
「わ…悪ィ……つい……」
互いの言葉も、徐々に速くなってゆく鼓動にかき消されそうだ。だから、何かを喋りつづけておかないと、雰囲気に呑み込まれてしまいそうだった。
倒れた衝撃で湯呑み茶碗が絨毯に転がっていた。明日香が気づき、視線を向ける。だが、青大は一瞥をしただけで、明日香のあどけなさが残る美しい顔から目を背けようとはしなかった。
明日香の窘めも、生返事で返す。
「うん……じゃなくてさ――――、葵サンに怒られるよ……?」
「どーせ……今度買い換えるって言うとったし……絨毯」
「え……?」
「……だ……、だから……」
青大の鼻の奥がかあと熱くなり、一瞬、目まいが起こる。軽く顔を傾げた明日香の瞳が瞬く間に潤み光を湛えて、まるで覚悟を決めたかのように瞼を閉じる。
「……えっと……うん。…じゃあ……いい……かな……」
葵は同僚と徹夜の飲み会だと言って張り切っていた。誰も来訪することもない。
「明日香……」
青大が左のひじを絨毯に置き、上体を支えながら、右の手のひらをぎこちなく伸ばし、傾げている明日香の頬に重ねて、上を向かせた。戸惑いと恥ずかしさに潤んだ明日香のきれいな瞳が、小刻みに揺れているのがよくわかる。
そのややはねた髪を、ぼさぼさだからと卑下するたびに、青大は『カワイイ髪や』と褒めた。がさつで乱暴で、魅力がないと言うと、『明日香は明日香のままでいいんや』と言う。裏表のない、まっすぐな青大の言葉、その声を聴くたびに、明日香はどうしょうもなく青大に惹かれてゆく。とどまることもない、底なし沼に陥ったように、明日香の心が青大にとらわれ、おちてゆく。
明日香の髪を撫で、形のいい眉を指でなぞり、頬に手を当てる青大。大学生なのに、まるで中高生のようなあどけなさがある明日香の顔を、見飽きるなんてことがない。
傍にいる明日香の仕種を見るたびに時々、自分は実は幼女好きなのかとさえ疑ってしまうほどだ。
野球観戦の後に入って、何もなかったラブホテル以来機会はなかった。おあずけをされているようで、直前まで行った分、何かと明日香に対して無意識な欲求が募っていた。
「青大……」
青大の名をつぶやいた明日香の唇が緩む。妙な熱気のためか、いつも以上に唇がしっとりとして、艶艶とした淡い桜色を引き立てる。
引き寄せられるように、ゆっくりと青大が顔を落としてゆく。明日香も瞼を閉じる。
一瞬、唇が触れると弾かれたように顔を上げる青大。
キスは幾度か経験した。だが、たがが外れてしまえば一気に呑み込まれてしまうかも知れないほどの甘く緊張した雰囲気は、キスひとつでそうなってしまう引き金のような気さえした。
いや、キスでなくても、ちょっとでも明日香の緊張して固まっている身体に触れれば、そうなるリスクは同じだったが。
明日香が青大の想いを悟ったか、口の端に微笑みの形を作る。それだけで想いが伝わった。
「好きだ……明日香……」
「私も……好きだよ、青大……」
消え入りそうな告白の後、二度目の唇の着地。今度は触れた瞬間にどちらともなく、滑り込むように、温かな舌が互いに絡みつく。
「ん……んむっ……!」
気持ちの純粋さとはよほどギャップがあるほどに淫らに舌が絡みあう。まるで舌だけが別の生き物のように蠢動し、静寂の空間に音が響く。息苦しさに明日香の顎がのけぞり、離れようとするのを、青大が逃さないように貪りつく。
「はっ……はむ……んんぅ………! は……ハル……ト……んふっ……ん……!」
声を押し殺そうとするが、息づかいと絡まりあうだ液の音、そして無意識に出る青大の名前。
ふたりの意識とは裏腹に、粘りつくだ液の音が淫靡に響く。そして、それはまだ性行動に対して逡巡し、純粋なほど互いを想いやる気持ちが強いだけ、羞恥に拍車をかけた。
「……はぁ…………んぅ……んんっ……!」
青大が執ように明日香の舌をからめ取り、お茶の香りが残るだ液を舌ですくい上げる。息苦しくなって、顔を左右に振る明日香。
「ぷはっ……! あ……はぁ……はぁ……」
青大が頭を少し上げて離すと、頬に朱を差し、苦しさと恍惚感が入り交じる吐息。今にも涙が落ちそうなくらいに震えた瞳で、恋人の切なそうな表情を見上げている明日香。
「も……もォ、苦しいよ、ばか」
そう言いながら、くすとわずかに微笑みをうかべる。
「お前とのキス、飽きん――――むちゃくちゃ、好きや」
青大の手がせわしなく髪や頬、鼻などをなぞると、明日香はくすぐったそうに目を細める。
「もー恥ずかしいごど、ヘーキで言う!」
明日香が負けじと青大の両頬を軽くつねる。
「ひたたた!」
小さなくの字型に引き延ばされ、そのまま指を弾く。小さな痛みに青大が顔をしかめると、いたずらっぽく笑う明日香。
そして、その一瞬に視線が交わると、まるで強い磁石のように引き寄せられ、再び唇と舌を合わせた。
「ふぅ……ん……」
粘りつく音、明日香の甘い息づかいが言葉通り青大を飽きさせない。そして、青大はゆっくりと顔をずらし、明日香の細く白い首筋に唇をはわせてゆく。
「あ――――あっ……」
声が漏れる明日香の小ぶりな唇の端に、キラキラと光るだ液の道。青大の唇が触れている部分から、全身に広がるまるで強い電気のような痺れ。顎を仰け反らせると、逆に青大にその綺麗な首筋を広げてしまう。
「あ……汗かいでるから――――臭うよ……ダメ……」
青大の後頭部に腕を回し、明日香はぎゅっと押さえ込む。
「そんなことねーって、やべ……クラクラするわ」
「ほ、ほらァ!」
身を捩ろうとしたが、青大に押さえ込まれ、明日香は再び、青大の唇による道普請を受けた。今度は反対側に、うなじ、そして耳たぶへと。
「明日香……」
「え……? あっ!」
青大の片手が、おもむろに明日香のシャツをたくし上げていた。驚き、思わず目を瞠る明日香。
「は……恥ずかしいってば――――」
直接見たことはないが、彼女は胸に相当のコンプレックスを持っているらしい。月や清美、そして七海らと比較してのことらしいのだが、青大は当然だが、今の月たちの胸を直接見たことはない。たくし上げられるシャツの裾を、明日香は最大限の身動ぎで抗う。
「や……やっぱムネは無し! ムネ以外で」
無茶なことを言う女だなと、青大は思った。こういう状況で上衣を着たまま、胸を触らずにというのは、よほどの阿呆か修練を積み上げた巧者の趣向だろう。それに、もう自分でも止まらない。ラブホの時とは、状況が違う。
「見たいんじゃ……明日香のムネ――――見せてくれ……!」
懇願。格好もプライドもない。好きな女の子とする男の、ごく自然の欲求だ。
「でも……ホント小さいし――――たのしくないよ……」
「大きさなんかどうでもええ。オレは明日香のムネが見たいんじゃ!」
青大の切実な叫びに、明日香は気圧された。
そして、しばらく考え込んだ後、抵抗を止めて青大から顔を背け、きゅっと瞳を閉じた。それが答えのように。
青大は半ば熱を冷まされた心地がしたが、それでも恋人に対する真っ当な欲求は依然とあった。
手が少し震える。胸もとを越してシャツを上げてゆく。全然派手じゃない、明日香らしいといえばそうともいえる薄青色のブラジャーが見える。それだけで、鼓動が高まり、身体の芯から何かがわき起こる。
そして、ブラの上でまくられたシャツと、恥ずかしそうに両腕で胸もとを隠そうとしながら、赤らめた顔を横に向け、きゅっと瞼を閉じている明日香の姿が、絶妙な官能を醸成させている。
「…………」
青大は唾を飲み込み、そんな恥ずかしい姿の恋人を何度も見廻す。そして、いよいよとばかりにそのブラに手を伸ばした。
「…………」
止まった。外し方がわからなかった。
また立ち往生をする青大。
「前だよ……」
ぽつりと、明日香が呟いた。
「え?」
「フロントホックだから……」
「あ、ああ……サンキュ」
立ち止まるたびに、手のひらが汗ばむ気がする。
青大の動きはぎこちない。キスでテンションを高めたものの、明日香の身体は多分、想像以上に硬いだろう。
だが、青大がホックを探し当て、それを外すと、明日香が自虐してやまない部分が、ゆっくりと開いていった。
「…………!」
一瞬、声を上げそうになった。その瞬間、明日香が身を捩ったが、青大が宥めるように明日香の髪に指を絡めると、もはや観念したのか、明日香は再び、仰向けになった。
青大が力を失った明日香の腕をそっと持ち上げずらすと、遂にその秘密の丘陵を拝することが出来た。
「明日香……」
「や……やだァ!」
息を呑むほどに、そこは綺麗な形をしていた。思わず見とれてしまう青大。かたや明日香は羞恥の絶頂に達している。
彼女が劣等感を懐くほどにへらべったい訳ではない。確かに、月や七海、清美らと比べると明らかに小さいが、見窄らしい貧乳ではなく、むしろ形の整った美乳といった方が正しい表現だと思った。
「明日香……」
「……な、なに?」
「あの……いいか?」
何のことを言っているのか、一瞬判らなかった。だが、その意味を理解した明日香は、途端に顔を真っ赤にする。
「バガッ! そんなごど聞くな!」
頬を膨らませて顔を背ける明日香。思わず笑いそうになる青大。
改めてじっくりとそこを見つめた。
白磁のようだというのは、こういうのを言うのだろうか。お椀型というのはこんな形をしているのだろうか。青大は見とれる。元々ソフトボールをしている明日香の身体は細身だが、引きしまっている。胸が大きくないのも自明の理だ。
しかし、美しい。小ぶりなふたつの桃色の種が、遠慮がちに丘陵の頂に立っている。
「き……きれいやな……お前の胸――――」
眩暈を起こしそうな青大の感覚。
「もォ……ばか――――青大のエッチ!」
「あはははっ」
そして、青大がゆっくりと瞼を閉じながら明日香の丘陵に顔を落として行く。
柔らかで滑らかな大地、そこに落ちている種を、青大が唇で拾う。
「あっ…………!」
明日香が一瞬、甘い声を上げ、慌ててそれを抑えようと指を啣えた。全身が一瞬硬直し、電気が走った。
青大の口から鼻腔に、明日香の匂いが駆け抜けた。甘酸っぱいような、つんとした官能を刺激する匂い。脳内麻薬が分泌され、青大の意識を一瞬、朦朧とさせるに十分だった。
舌を絡める。柔らかな中にほんのりとした硬さがある種。緊張からかわずかに滲んだ汗とともに、その初めての味覚は、青大の理性すらも飛ばしてしまいそうだった。
「んんっ……はあっ」
首を左右に振って、その“くすぐったさ”に対抗しようとする明日香。息継ぎをする度に、小ぶりでも綺麗な形の胸が上下する。
青大は一旦顔を上げた。含んだ明日香の丘陵が、てかっていた。それがとても扇情的だった。
明日香の顔を見つめるために、視線を上に動かす。その時、明日香がかすれる声で、言った。
「青大……好き――――」
その瞬間、青大の脳裡に異変が起こった。